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現在、日記の執筆はお休み中ですが、職場では日々、心に響く言葉と出合っています。人間学を学ぶ月刊『致知』(ちち)。書店販売を行っていない月刊誌ですが、ご興味を持たれた方は、ぜひ一度、公式ホームページにアクセスしてみてください。毎日配信中の『致知出版社の「人間力メルマガ」』(読者数2万3,000人)もオススメです。
Jul 13, 2010
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今から半年ほど前のことになるが、知り合いのカメラマンの方が 口にした印象深いセリフがある。 その日、僕たち二人は、いつもの街頭取材を終え、「おつかれさま」と 言いながら、お茶でも飲もうと街中を歩いていた。 すると、いまどきの美容室や、センスのいい服屋が建ち並ぶオシャレな通りに、 「カラオケ○○○」 と、白地に真っ赤なゴシック体(その上下には太い青ライン)で、 デカデカと綴られた店の看板が、僕らの目に飛び込んできた。 その派手やかな色使いとドデカい文字は、これでもかというくらいに目立ち、 街の新たな目印にもなりそうなインパクトがある。 僕はこの巨大看板の出現に、今度から待ち合わせに使えそうだな、と ひとり考えていると、隣にいたカメラマンが、 「おいおい、なんだよアレッ。 街の景色のことを、ぜんっぜん考えてないじゃん!」 と、めずらしく語気を荒げながらこう言った。そして、 「最近、多いんだよね、 “自分さえ目立てばいい”っていう考え方……」 と、今度はあきれたようにタメ息をついている。僕は、 「ええそうですよね、たしかに。なんか最近多いですよね」 と慌てて同調しながら、さすがはカメラマンらしい視点だなと思ったが、 僕自身は、これっぽっちもそんな考えに至らなかったので、しょせんは 自分も非難される側の人間なのだと、しばらく落ち込んでしまった。 そう言われてみれば、たしかに最近、「本」「マンガ」「ビデオ」 「靴」などなど、取り扱い品目をそのままデカデカと看板に 掲げている店舗の存在が目立つ。 消費者にとってのわかりやすさを第一とすれば、◎のデザインなのだが、 じゃあ街の景観はどうなるんだ? と言われたときに、たしかに返答に 困ってしまう部分がある。 そのカメラマンは、東京に住み始めてから20年以上にもなるため、 自分の好きな街が味気ないものへ変わってしまうことに、余計に 腹立たしさを感じたのかもしれない。 * * 街の景観、という点で考えてみたのだが、日本の商店街にはそれぞれ、 その通りにしかない特有の雰囲気やにおいといったものがある。 実際に中を歩いてみると、どこかに超人気店があるというわけではなく、 店構えや店員さんの雰囲気など、ある種の「統一感」のもと、それぞれの 持ち味を生かしながら、上手に商売を成り立たせている。 その様態は、お互いが自らの領分を越えてしまわぬよう、 無言のうちに配慮された、美しい調和のあり方のようだ。 昨今、都市部では、フードテーマパークやファッションモールなどの 複合施設が流行しているが、これが一時的なブームで終わらないための 秘訣は、そうした昔ながらの商店街に隠されているのではないだろうか。 ちなみに、京都にあるマクドナルドの何店舗かは、看板の色が 赤ではなく茶色だったり、そのサイズがとても小さかったりして、 古い町並みや情趣ある建物が多い景観を損なわぬよう、 こまかい配慮がなされている。 重要なのはつまり、デザインの形態よりも、そうした意識の持ちようなのだ。 (※京都府の景観条例によるものということです。 失礼いたしました)
Sep 12, 2004
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僕は、血液型で人の性格をみるのがあまり好きでない一方、 生まれた土地によって人のタイプを判断するのには、信頼をおいている。 人間は、生まれ育った土地の影響を色濃く受けて成長すると思うからだ。 書店へ行くと、「都道府県別でみる○○の法則」などといった本に出合うが、 自分の生まれた県はどうだろう? とページを開くうち、それなら隣の県は? そのおとなりは? と、ついついいろんな場所に手が伸びて、 長居をしてしまうことになる。 ちなみにわが滋賀県民にみられる特徴としては、「控えめで保守的なタイプ」 というのが、ほぼ似通った見解であるようだ。 さて、今年の夏も、甲子園では日々熱い闘いが繰り広げられているが、 僕がふるさとの県民性について考えるとき、どうしても思い出さずには いられない出来事がある。 * * 今から3年前の夏、甲子園では地元の滋賀県勢がハデな番狂わせを 演じていた。 出場校は近江。湖国を象徴する青のユニフォームをまとった選手たちは、 まったくのノーシードから、並み居る強豪校を次々と下していき、 あれよあれよという間にとうとう決勝までコマを進めた。 近畿には、PL、天理、平安、智弁和歌山……などなど、輝かしい戦績をもつ チームが多いが、滋賀県勢では決勝に進出すること自体、初の出来事となる。 当然、地元のテレビやラジオ局は、こぞって甲子園の話題を取り上げ、 新聞の地元面には、毎日のように「近江」の文字が躍っていた。 ふだんはスポーツに関心のない僕も、この時ばかりは胸が高鳴り、 いよいよくるプレイボールの瞬間を、今やおそしと待ち構えていた。 そして正午。 待ちに待った決勝戦は、緊迫したムードの中、点を取られては取り返す、 いったんリードしてはまた追い着かれるといった好ゲームで、 僕は点が入るたび、「おっしゃー!」だの「うりゃ~」だのと叫びながら、 大応援を続けていた。 しかししばらくすると、せっかくの決勝戦に応援しているのが自分だけ、 という状態に、もの足りなさを感じてきた。 よくテレビで中継されている、公民館などを借りきった「町をあげての応援」 というものを、自分でも味わってみたくなったのだ。 僕はさっそく攻守交代のスキを狙って、人がたくさん集まっていそうな 近所のラーメン屋へと足を運ぶことにした。 「逆転ーッ!」 慌てて駆け込んだ店内には、予想どおりアナウンサーの絶叫が響いており、 満席となったカウンターには、脂ぎった中年男性たちが、ゲームの行方を じっと見つめている。 (コレコレッ……!) 折りしも試合は、ラッキー7と呼ばれるイニングに突入しており、 僕は端の席からウェーブでもやってこないかなと、ひそかに期待などしていた。 しかし、しかし、である。 店へ入ってから十分あまり、野球ファンで埋まったはずの店内には、 いつまで経ってもアナウンサーの絶叫が響いているばかりで、 客席からは、うんとも寸とも「人の声」が聞こえてこないのである。 地元のチームが初の決勝進出を果たし、深紅の大優勝旗に手が届こうか という刹那、この人たちはいったい何を考えているのか。 僕はやるせない思いを感じながら、机の下でこっそりガッツポーズを 決めるなど、しずかな抵抗を試みていた。 そして、そのまま試合は終盤戦を迎え、8イニング目の攻防へ。 このときあらためて周りを見渡してみて、ふと気づいたのが、 店内は依然人の声こそなかれど、客席の顔ぶれがまるで変わっていない。 いや、そればかりか、トイレ休憩に席を立つ人すら一度も目にしていない。 そしてよく見てみると、「まるで目の離せない試合展開」との アナウンサーの形容そのまま、テレビ画面から一秒たりとも 目を離さない、満席の人々のまなざしがある。 僕はその光景を眺めながら、いま彼らが見せている目の表情に、 確かにどこかで出合ったことがあると感じていた。 ……雨の日も風の日も波風を立てず、猛暑で水不足になろうが、 大雨でいかに水量が増そうが、常に安定した水を住民に供給し、 青々とした水面を湛えている湖。 ――そう、彼らが試合を見つめる目の表情は、この地に住む人々が 「びわ湖を眺める目」そのものだったのである。 その穏やかなまなざしは、地元チームを応援するというよりは、 ただ試合の行方を「眺めている」、あるいは「見守っている」という 状態に近かった。 結局、試合は9回にダメ押しの追加点を奪われ、敗色ムードが濃厚。 しかしそのときもまるで表情を変えず、また、あえなく敗戦が 決まった後も誰一人として席を立たず、相手チームの校歌斉唱を みんなでものも言わずに聞き続けていた。 僕はついさっき怒りさえ覚えた自分の軽率さを恥じるとともに、 こうした人たちのいる滋賀の地で生まれ育ったことを誇りに思った。
Aug 20, 2004
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先日、文章教室で行なわれた言葉の実験で、ひとつ印象に 残っているものがある。 内容は、先生が同じ3冊のメモ帳のうち、2冊になにかしらの文字を書き、 表紙を閉じたうえで、白紙のままの帳面はどれかを当てるというものだ。 一般に、「透視」と呼ばれているものである。 先生の話によれば、 「言葉というものは、なにかしらの波動を持っているものだから、 そこから出ている、気のようなものを感じ取ればいい。 つまりは “一番かるい” と思ったものが白紙」 ということらしい。 15名近くいる生徒たちは、 「ホントに分かるのかなぁ」 「え~、ダメなんじゃない?」 などと口々にいいながら、メモ帳が並んでいる教壇へと近づいていった。 一見、なんの変わり映えもない3冊のメモ帳を眺めながら、 僕自身、(さすがにこれはムリじゃないか?)と思いながらも、 全神経をこめ、それぞれの帳面をにらめた。 するとしばらくして、確かに “これは重い” と感じる帳面が 1冊真ん中にあった。……とすれば、右左のどちらかが白紙か。 結局、あとはヤマカンで「右」を選択。 そしてみんなの予想も、左右半数ずつとキレイに分かれた。 しかし結果は、見事に予想を裏切っての「真ん中」。 さらに次の回でも、僕が “これだけは違う” と思った右端の帳面、 つまり “一番かるい” と感じたものに、文字が書かれてあった。 みんなの予想と結果も、さっきと同じく大ハズレである。 (言葉が書かれているものが重いんじゃなかったのか?) 結局、2回の実験を終え、みんなは「やっぱりムリじゃん」と シラケ気味に席へ戻り、先生自身も「う~ん、ダメだったか……」 と苦笑を浮かべていた。 その後、授業は、煮えきらない結果に終わった実験のことを 忘れるかのように、先へ先へと進んでいったが、僕はしつこく さっきの結果と、自分が確信さえもっていた予想がなぜ2度も キレイに裏切られたのかを考えていた。 そして、自分なりにある結論に達することができた。 * * 日本には昔から、「言霊」という考え方があるように、 言葉がなにかしらの気や波動をもっているらしいということは、 僕自身も信じている。だから、それを書いた紙に気がこもる、 という説明にも異論がない。 しかし、今回の場合はどうだろう。 本来、「メモ帳」というものは、そのページの中に、なんらかの 文字や絵などを記されて、初めて役割が達せられるというものだ。 つまり、先生が文字を書いた2冊のメモ帳は、使用された時点で いったんはその役割を終えているといえるだろう。 しかし逆に白紙の帳面は、まだなんの役目も果たしていないがために、 「私はここにいる」、あるいは「早く自分を使ってほしい」という強い気を、 周囲に向かって発してきていたのではないだろうか。 モノも、おそらく人と同じように、生まれた以上は自らの使命を 果たそうと意識を働かせている。 そしてそれはときに、言葉よりも強い波動を出す。
Jul 24, 2004
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僕は例年、夏になると、半パンに無地の白いTシャツという おとなしい恰好で過ごすようにしてきたが、今年はまるで様子が違う。 風呂からあがれば、用意しておいた真っ赤なTシャツ、それも 目の覚めるほど発色のよい赤シャツに袖を通し、近所のスーパーや 図書館、どこへでも出かけていく。 ほんのすこし前まで、「家の中ではくつろぐもの」との考えから、 普段着をなるべく刺激の少ないものにしてきた僕にとって、 これは考えられないような事態である。 しかし、これが単なる気まぐれといった一過性のものでないことは 自分自身でよく分かっている。 はじまりは、先月初めごろのことだっただろうか。 5月の涼しい季節も終わり、完全に長袖 → 半袖へと衣替えの シーズンになったとき、僕は例年のように白いTシャツで過ごしていた。 すでに、着込みすぎで首元がだるんだるんの状態になっており、 そろそろ新しいものに取り替えないとな、と思ってもいた。 ところがそれから数日した頃に、なぜだかいまの自分の気持ちや 心の状態が、これまでの「白」では、とても追い着かなくなっている ことに気が付いた。 ≪赤! それも目の覚めるような、血みたいな赤!!≫ と、そう考えた途端、居ても立ってもいられなくなり、 僕はあり合わせの小銭を握りしめ、近所のユ○クロへと向かっていた。 初めは、赤シャツ1枚を買う気で飛び出してきたのだが、 いざTシャツコーナーへ来てみて、気が変わった。 「1枚500円、3枚990円」 と、まとめ買いをした方が、断然おトクになっている。 僕はここでケチな性根をさらけ出し、よりどり3枚パックの 物色に入った。 赤、青、緑、白、グレー、黒、茶……。 たくさんある種類の中、まずはお目当ての「赤」を選び取った。 続いて、もう1枚も「赤」。2日続けて着たいから。 そして残るはあと1枚。 ここは当然別のカラーを選び、かしこい買い物をしようと 思ったのだが、僕が手にしていたのは、今度もやっぱり「赤」。 結局、赤ばかりの商品をレジへ持っていき、帰宅したその日から、 さっそく着用してみることにした。 さて、それから2ヶ月後の現在――。 あの日、購入した3枚の赤シャツは、一日として休む間もなく、 ヘビーローテーションを強いられている。 しかし、自分の気持ちが本当にその色を求めているときは、 ほかの色をまったく受け付けない精神状態になってしまうものらしい。 僕は、4日に1度訪れるローテーションの谷間でさえ我慢ができなくなり、 ついさっき、ユ○クロへと直行してきたところである。 Tシャツコーナーは……っと、あったあった。3枚990円。 このおトクぶりは変わらない。 僕はたっぷり在庫のある赤を3枚、ササッと手に取り、 早々とレジへ向かおうとした。 ……と、そのとき。 今度は、真夏の太陽のようにまぶしい「オレンジ色」が、 鮮やかなボディで、こちらを見つめてくるではないか。 オレンジ色……。 僕もさすがに、これはないだろうとは思ったが、もののためしに 一応はそのシャツを手に取ってみた。 オレンジ……、オレンジかあ。……え、ええんとちゃうかっ!! 僕は持っていた赤シャツのうち2枚をササッと元に戻し、 代わりのオレンジTを、がっちりその手でつかみ取った。 レジへと向かう途中、なぜだか鼻血が出そうになった。 いま持ち帰ったオレンジTを眺めてみて、自分で本当にこの色が ほしいと思い、それを実際に購入したという事実にすこし驚いている。 なんのまざりっ気もない、原色のオレンジ。 なんだか、とても懐かしい気持ちがする。 なぜなら僕は元々、こんな色味のシャツが大好きだったからだ。 僕は中学にあがった頃から、自分自身で、外出用の服を選ぶように なっていた。その頃、よくひかれたのが、やはり今と同じような、 原色の赤やオレンジ、または紫や水色といった明るい色のシャツや ズボンで、僕は自分で本当にそれがカッコよくてきれいだと思い、 自信満々で街の中を歩いていた。 しかしやがて、流行りの雑誌を見たり、友人とファッション談義に 講じているうち、どうやらそれが「ダサい」らしいということが判明し、 次第にみんなの着ているような、白や黒、あるいはグレーやカーキといった 無難な色彩のほうへと、服装を変化させていった。 だが、それからちょうど10年が経ち、あらためて原色のシャツを 手にしてみて、僕はこれまでいかに自分が、自身の中にある 色彩感覚を押さえ付けてきたかがよく分かる。 このファンキーな色目にふれ合って、自分の心や身体が とても喜んでいると実感できる。 どうしてもっと早く気付いてやれなかったのだろう。 * * さて、ここですこし話は変わるが、僕はちょうど一年前のいま時分、 ある人から岡本太郎の著書をすすめられ、急速に彼の芸術活動に 興味をおぼえていった。そして片っ端から生前の著作に目を通したうえ、 川崎にある岡本太郎美術館へも足を運んだ。 そこで目にした、強烈な色彩の絵。 赤や黄、青に緑、オレンジや紫といったクセの強い色を、それこそ 絵の具をまるごとぶちまけたような原色で用い、一枚の絵の中で 対立・共存させながら描き切っている。 その圧倒的な迫力に、僕は一発でぶちのめされてしまった。 作品の前で呆然と立ち尽くしている僕に、絵は、 ≪もっと自由に、ハチャメチャに、おまえのいちばん好きな色を 思いっきりぶっつけてやればいいんだよ≫ と、荒っぽく語りかけてくる。 岡本太郎が、生前よく口にしていた「芸術とぶつかる」という表現は、 まさにそのときの状態をいうのだろう。 以来、彼の絵にあった強烈な原色のイメージは、つねに心の中に もってきたつもりだったが、僕は果たしてそれを、実際に行動の中で 示してくることができただろうか。 まぶしい赤やオレンジといった色の中にある、生命の躍動感、 そしてめいっぱいの遊び心。 先月に参加した文章教室で、僕の書いた字(書道)を見た先生は、 「自分の中にいろいろな動物を飼いなさい」 と、ひと言そういった。 自分の中にあるさまざまな色彩を、もう一度呼び覚ますこと、 そして、それを自由自在に飼いならすこと。 この先どれだけかかるか分からないが、まずは忘れていた色の 一つひとつを、しっかり思い出すことから始めていきたいと思う。
Jul 18, 2004
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先週末、地球交響曲(ガイア・シンフォニー)第一番の上映会へ 行ってきた。 すでにご覧になった方も多いと思うが、この映画は、龍村仁さん という監督が、地球環境や生命の尊厳をテーマとして撮った 壮大なドキュメンタリー映画で、シリーズ第1弾が上映されてから、 今年で12年目になるという(現在は第5弾まで完成)。 僕はこれまでタイトルしか聞いたことがなかったが、友人の日記に この言葉がひんぱんに出てきていたので、「もしやメッセージでは?」 と勝手に判断し、遠くの会場まで足を運んだわけである。(余談になるが、この映画、チケット購入時のやりとりがちょっと 変わっている。指定された口座番号へ代金を振り込むと、主催者から 直々にチケットが送られてくる。昔ながらの茶封筒。手書きに、筆ペン。 しかも差出元が自宅。……ヤフオクの落札者かと思った) 事前に、ネットで映画に登場する人物をチェックしていると、嫌が応にも 期待が高まってきた。 ラインホルト・メスナーに、エンヤ。星野道夫に、ジャック・マイヨール ……(後記2名は別シリーズに登場)。 いずれも本やCDの中でしか知らない人物だが、ある種の分野に興味のある 人であれば、これは、さんまにダウンタウン、紳助にとんねるずといった 一流コメディアンが同じ舞台の上に立ち、その芸を競うのにも等しい 価値がある(あくまで僕個人の場合)。 夢のスターキャスト揃い踏み、とでもいったところだろうか。 僕はめずらしく人肌の温もりが伝わってくるチケットを握り締め、 会場へと足を運んだ。 さて、たった1本の木に、1万個以上ものトマトを実らせることができる という植物学者が、種まきをしているシーンから始まるこの映画。 実際に作品を見終えてみて、日記の友人が「あまりに気持ちがよくて 眠ってしまった」と述べていた理由がよく分かった。 映画に出てくる人物たちのした体験は、たとえば8000m級の山を 無酸素でのぼったり、宇宙遊泳中に、突如“なにか”が流れ込んで きたりといった、それぞれに特異な事例であるにも関わらず、 彼らの言葉にはまるで尊大なところがなく、ただ、自分の 見てきたもの、感じたことを淡々と述べているに過ぎない、という印象だった。 僕自身も、初めて耳にする刺激的な話ばかりであったが、なぜか すんなり心の中に入ってき、同時に、ずっと昔から知っていたかも しれないごく素朴なものの見方を、一つひとつ気付かせてくれている ような感じがした。 そしていま振り返ってみて思うのは、彼らはこうした作品によく 出てきがちな「謙虚」や「感謝」といった類いの言葉を、ただの 一度も使っていなかったな、ということである。 その代わりに、「人間は自然の一部だ」だの、「“わたし”ではなく、 “我々”なのだ」だのといった、それらの概念がすべて内在されている ようなセリフを、平易なもの言いの中にひそませていた。 僕がふだん、「謙虚でありたい」や「感謝の気持ちを持ちたい」といった 言葉になにか抵抗を感じてしまうのは、おそらく“謙虚さ”や“感謝”と いった概念は、言葉を用いて「そうありたい」と願うものではなく、 日常生活や自然の営みの中から、自分自身の肌で感じ、直に汲み取って おくべきものだとの考えがあるためだ。 本当に幸せな状態にある人が、「幸せ」という言葉をほとんど口にする ことがないように、謙虚さや感謝の気持ちを真に備えている人は、 その言葉をそっくり自分のからだの中に、取り込んでしまっている ものなのではないだろうか。 だとすれば、今回、映画の中で耳にした印象的な言葉以上に 大切なものが、彼らの身振りや声のトーンといったものの中に、 より多く含まれていたような気がしてならない。 結局、僕は作品を見終えてから、ニンゲンという生き物は、万物の 霊長どころか、すべての動物や植物、そして地球そのものからも、 つねに“許されて”生きている存在であるということを知った。 そしてそれらの生命は、映画のタイトルが如実に示しているように、 すべてが深い部分で交り合い、響き合い、ひとつの曲を奏でているのだと いう気がする。 地下の会場を出て、エスカレーターをのぼっていくと、うだるような 暑さが嘘のように涼しくなっており、ポツポツと雨粒が降っていた。 帰りの駅へ向かう途中、この映画のことを日記に書いていた友人が 偶然、路上でお年寄りに道を訊かれており、一生懸命にその道すじを 説明していた。 お互いにあまりに真剣な様子だったので、つい声をかけそびれて しまったが、この広い街の中で、奇遇にも映画を見るきっかけを 与えてくれた人とめぐり合い、僕は、ああ、やっぱり命は響き合って いるのだなと、そのときあらためて思った。
Jul 12, 2004
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先週末、文章修行のため、埼玉の自然教室のような場所で 三日間、山ごもりをしていた。 ここだけ聞くとちょっと怪しい気もするが、実際は森を歩き回って 俳句をひねったり、みんなで「善」とはなにか、ということについて 半日以上議論したりと、現場にいなければ、おそらく想像以上に 怪しいと思われるようなことをしていた。 そこで僕が体験したことは、なかなか一口に言い表せるものではないが、 今回はひとつ、最終日の「書」を取り上げてみたいと思う。 この授業は、「いま自分が書きたい漢字・ひと文字」を任意に選び、 書にして提出、それを見て先生が、書き手の心理状態に言及したり、 なんらかのアドバイスをしたうえ、その人にふさわしい「書」を 直々に手渡してくれるというものだ。 総勢二十名ほどいる生徒たちは、みなそれぞれに、“これぞ”と 思う文字を決め、順々に先生の前で書を連ねていった。 たとえば、「立」という字を書いた人は、タテの棒が下線をはみ出して いたことから、 「しっかり立てていない」 といわれ、どっしりとした「立」をもらっていたし、「成」という字を 書いた人は、横の線がかすれていたうえ、バランスもよくなかったので、 「早くなにかを成そうと焦ってるんじゃない?」 といわれ、時機やチャンスを待て、という意味合いからか、「機」という 文字を受け取っていた。 ほかにも、「踊」と書いたが、 「字が躍っていない」 といわれ、遊び心満点の「踊」の字をもらった人や、“これがいまの 心の状態です”といって、「閑」という字を書いた人などさまざまで、 僕は人の数だけ文字があるのだな、と感慨に浸っていた。 さて、自分は何を書こうかな、と考えていたところ、頭の中にブッダの、 「ただひとり 犀の角のように歩め」 という言葉が浮かんでき、「犀」と思った瞬間、どうしてもその字で なければいけないような気がしてきた。 念のため、正しい字をケータイ電話で調べると、下の部首が「牛」 であったことが判明し、その凛々しい字面を見ながら、なおさら この字しかない、と心に決めた。 先生の前に座り、スーッと息を吐き出して、気を静める。 胸騒ぎする心が落ち着いたところで、前もって決めていた、 「墨をたっぷりつける」 という自分なりの約束ごとを実行し、力強く一墨目を置いた。 バンッ! ズズズズズーーーーッ……、 う~ん、ナイス。決まった。 しかし、ちと太すぎる。 次で帳尻を合わさねば。 そろ~り、サーーッ。 ななめに線を引き終わったところで、もう一度墨をつけ直し、 四つの点を、 ボツ、ボツ……ボツッ、ボツッ。 と、均等な大きさでぶつけてみる。 そしてそのまま「牛」の部に入り、ラストのたて棒を引っ張ろうと したとき、紙の上に数滴の墨しぶきが、バババババッッ!! と、勢いよくほとばしった。 僕にはそれが、筆から吹き出た血にしか見えなかった。 そしてその痕跡を塗りつぶすように、グッと力をこめて筆をおろしたら、 墨がTシャツまではね飛んで、返り血を浴びたようになった。 なんだか、とても気持ちよかった。 先生は、なぜこの字を選んだかといったことには特に触れず、 書き終えた字をそっと自分の側へ向けると、 「いいじゃない。ホントに犀みたいだ」 とニッコリ笑った後、しばらくウ~ンと考え込んで、色紙に、 「虎」 という文字を書いて、僕に渡した。 「自分の中に、いろいろな動物を飼いなさい。 時には、虎になったり、毒ヘビになってみたり……、 何もすることがないときは、ゴロンと寝そべっていればいいんだよ。 人間はいろんな面を持っている方が生きやすいから」 僕は、先生からもらった「虎」と自分の「犀」を大切に引き取って、 戻った机の前で、しばらく動けなくなっていた。 書をする際に、己のすべてをぶち込んでしまったせいか、全身が ぐったりと疲弊している。 そして、自分の筆からあんなに勢いよく墨が吹き出たことに、 動揺と興奮を抑えきれずにいた。 ーーーーーーー いま、合宿から持ち帰った二つの文字は、仲良く並んで机の上に 置かれている。 「自分の中にいろいろな動物を飼いなさい」という先生の言葉。 “ニンゲン”を二十数年もやっていると、僕はつい自分が、 さまざまな動物の複合体であることを忘れてしまう。 時には猛獣のように獲物を喰らい、また時にはヤギのように やさしく草を食み、自分の中に、女性的であったり男性的であったり する部分を感じながら、それらすべてを受け容れたうえで、 全人間的、かつ全動物的な生き方をしていきたいなと、そう思った。
Jul 8, 2004
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きのう、高校時代からの友人より電話がかかってきた。 「こないだ、紳助がSMAPの番組に出てたん、見た?」 「あっ、オレも気になってたんやけど……」 じつは僕もその日の新聞を見たとき、めずらしく島田紳助が誰かの番組に ゲスト出演するというので興味があったが、ほかにどうしても見ておきたい 番組があり、迷った末にそちらを録画することに決めたのだった。 話によると、彼は番組中、年齢的にもキャリアとしても、自分より ひと回りほども違うSMAPメンバーに対し、 「○○なんですか?」 「僕は××をしていまして」 と、終始ていねいな“敬語”を使っていたらしく、「若い」というだけで 取引先に横柄な口の利き方をされてしまうこともある自営業の友人としては、 強く心に思うところがあったらしい。 「やっぱり紳助は違うなぁ。 ホンマにすごい人やわ」 と感嘆している彼のセリフを聞きながら、僕はふと子どもの頃のことを 思い出した。 小学生のとき、無類のドッジボール好きだった僕は、ときどき 休み時間に、担任の先生が飛び入りで参加してきてくれるのを このうえなく楽しみにしていた。 自分よりずっと体の大きな大人に対し、全力の球を投げ込めるのは、 子どもながらに嬉しかったし、また先生も手加減なしにこちらへ 剛速球を投げ返してきてくれることが、自分を一人前として 認めてもらえたようで、誇らしい気持ちがした。 ただ、中に、明らかに右利きのはずなのに、安全面への配慮からか、 わざと左手で投げてくる先生がいて、いくらその球が速くても、 テンション(当時はそんな言葉を知らなかったが)がまるで 上がらなかったことを覚えている。 いくら小学生とはいえ、自分を一人前として扱ってもらえないことは、 僕にとって、少なからずプライドを傷つけられてしまう行為だったのだ。 そして、もうひとつ。 僕が関西で過ごしていた頃、大学在学中からお世話になっていた 編集プロダクションの社長に、 「これからはライターとして活動していきます」 と報告をしに行ったとき、それまで、 「小森くん」 と呼んでいた社長が、ごく自然に、 「小森さん」 と、呼び方を変えてくれたときの嬉しさが、 僕はいまだに忘れられない。
Jul 4, 2004
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先日、都内で開催されていたオノ・ヨーコの個展に足を運んだ。 彼女については、ごく最近、「グループフルーツ・ジュース」という 詩集を読んでからの完全な俄かファンだが、あの本にあるような 世界観を堪能できるのかと思うと、行く前から非常にワクワクした。 はやる気持ちを抑えながらチケットを買い、入口をくぐると、 「ゴホゴホッ……、ゴホゴホッ……」 という女性の激しいせき払いが聞こえてきた。 僕が(ずいぶん苦しそうだな)と思っていると、またしばらくして、 「ゴホゴホ、ゴホホ…ゴホッ…」 と、今度は聞いているこちらまでが息苦しくなってくるような せき込み方で、館内いっぱいに大きな音を響かせている。 (おいおい、大丈夫か?)と僕自身もさすがに気になり、あたりを 見回してみたのだが、どこにもそれらしき人影は見当たらない。 ふと正面に目をやると、「作品-01」と書かれたCDが解説パネルと 共に紹介されており、僕はその時になって初めて、それがアートの 一環だったのだということに気がついた。 あらためて会場を見渡してみると、赤や茶色のおしゃれなメガネを かけた芸大生っぽい人たちが、なにやら神妙な顔つきをしながら、 手持ちのノートにメモを綴っている。 相変わらず館内に響いている奇妙なBGM(?)を聴きながら、 イマイチ何を感じとっていいのやら分からない僕は、それでも 一生懸命に、一つひとつ彼女のアートを見て回った。 たとえば、「青の部屋のイヴェント」と名付けられた空間。 白い壁に、 「この部屋はゆっくり蒸発している」 「この部屋は派手な青色だ」 などと綴られた文字を見ながら、見物者はそれぞれの イマジネーションを働かせる。 たとえば、「リンゴ」と呼ばれる作品。 彫刻や静物画といったものではなく、生のリンゴをそのまま展示し、 アート自体に新たな価値観を与える。 その他、包帯をぐるぐる巻きにした椅子や、有名な「天井の絵(YES)」。 また、電子レンジや戸棚、洋服や部屋のカーテンなど、アパートの一室に ある物体を、ことごとく半分に切断した「半分の部屋」……等々、 パネルに書かれた解説文を読まなければ、その意図するところが ほとんど分からない作品の数々を見ながら、僕はふとある想像をした。 もし、この空間をお笑いの人が……、そう、たとえば松本人志なんかが プロデュースしていたとしたら、どうだっただろう。 芸人好きの僕のこと、さすが笑いの天下人、なんてシュールな世界観 なんだと、ひとり感慨に浸っていたのではないだろうか。 そしてその場合、いま小難しい顔をしてメモを取っているメガネの 芸大生たちも、 「やっぱり松っちゃん、サイコーよね~」 なんて言いながら、連れ合いと笑い転げていたかもしれない。 と、そう考えを移した途端、今まで自分には縁遠いものに見えていた 作品たちがぐっと身近に迫ってき、その滑稽さと発想のユニークさに 笑いがこみ上げてきた。 とくに、後半のスペースで上映されていたショートフィルムは傑作で、 たとえば、中年男性のきたないケツをどアップで撮り続けた作品などは、 これまでのお笑いの世界では見たことのない、非常に斬新な映像だった。 結局のところ、評論家がどれだけ難解な注釈を加えたところで、 これがアートであるか、また別のものであるかというのは、作り手側の 自己申告と、見物者それぞれの受け取り方に尽きるのではないだろうか。 ところで、松本人志がコントビデオ「VISUALBUM」あたりから、 笑いの要素の少ないイラスト集や玩具を制作するなど、テレビ以外での 彼の活動は、徐々にアーティステックな方向へと向かいつつある。 一方、オノ・ヨーコの作品も、見方を変えればある意味で、 非常に先進的な笑いの作品と見て取れないこともない。 おそらく、二人ともに表現方法は違えど、その根本のところにあるのは 人間、そして世界に向けた大きな「愛」のパワーであり、それが 笑いやアートという手段を借りて、具現化されたに過ぎないのだろう。 そんなことを考えながら、個展の最後を飾る「ベッド・イン」の 展示スペースに来たとき―― そう。この、戦争の真っ最中に、ベッドの上で男女が愛し合う (イチャイチャし合う)というパフォーマンスこそ、ジョンとヨーコが 見せた極めてお笑い的、かつ武力なしに戦争と立ち向かう、 無敵のアートだという気がした。
Jun 21, 2004
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先日、都内で行われたとある文章セミナーに参加した。 この講座は、約一万名の読者を抱える人気メルマガ発行者が主催する もので、いくつかの「言葉」を扱ったゲームを行うということで、 以前から楽しみにしていた。 講義の中では、文章をみんなでお尻から完成させていく作文や、 人間が発する“波動”を利用した読心術など、興味深いものがいろいろと あったが、個人的にはラストにあった「福神漬け」というゲームが、 最も印象に残っている。 このゲームは、総勢20名ほどいる参加者を見渡し、その人にふさわしい と思うなんらかの言葉(キャッチコピーのようなもの)を書いて相手に見せ、 気に入られれば、手持ちのマネーで引き取ってもらえるというもの。 もちろん、こちら側も、相手から提示された言葉を買うことができ、 気に入らなければ断ってよい(ただし、言葉を買えるのは3枚まで)。 カレーライスに福神漬けがよく合うように、その人にぴったりの言葉を 見つけ出してやればいいというわけだ。 僕は会場全体を見渡しながら、適当なフレーズが浮かんできそうな人物を 探すことにした。 まずは前方に座っている女性。 白雪姫、シンデレラ、王妃、皇族、ピアノレッスン……、 フランス王妃のような顔立ちの女性を前に、我ながら恥ずかしくなる稚拙な 言葉を混ぜかえし、(これじゃあ、買ってもらえないよなぁ)と思っている ところへ、突如「すみません」の声が飛んできた。 「あのぅ、コレどうですか……?」 自身なげな声の主から渡された紙を見てみると、意外にしっかりした文字で、 「情熱の知性」 と書かれている。僕は内心、(おいおい、初っ端からか?)と思いながらも、 やはり嬉しくなって、 「ハイ、買います」 と、即座にその言葉を引き取った。 渡された紙を前に、(少し短絡的だったかな?)と自身を省みる暇もなく、 次々と言葉のセールスマンがやってくる。 しかし、どれもいま一つピンとこず、申し訳ないなと思いながらも、 「すみません、結構です」と、たて続けに断った。 そんな中、「これ、どうでしょう?」というかわいい声のした方に 顔を向けてみると、 「生と死のハザマで生きていたい」 との文言が。僕は内心、(オオッ!)と思いながら、 「買いますっ!」 と言って、迷わずその言葉に飛びついた。 生と死のハザマで生きていたい……、つねづねストイックな人物や その生き方に憧れている僕にとっては、ずばりとツボを突いてくる言葉だ。 僕はこれまでに買った二つの言葉を机に並べながら、内心、ニタニタと 笑みを浮かべていた。 やがて、ゲーム開始から20分近くが経過し、会場の空気も少し 落ち着いた頃、カジュアルな服装に黒ブチの眼鏡をかけた、 いかにもクリエイターといった感じの、年配の女性がやってきた。 「あのぅ、これ……」 控えめな口調と共に開かれた紙を見てみると、 「はたらき者のでんしんばしらに 根がはえる」 と、丸っこい字で書かれてある。 はて? それまで、見た瞬間にピンとこなかった言葉は、どれもすぐ断るように していたのだが、今回はどこか様子が違う。 僕はしばらくの間、紙をじっと見つめながら、 「う~ん、と、ちょっと待ってください」 と、その女性に考える時間をもらえるよう求めた。 はたらき者のでんしんばしらに 根がはえる―― 僕は、返事こそすぐにできなかったが、この言葉が今後の自分に 必要になってくるであろうことは、なんとなく肌で感じていた。 そして言葉の意味をじんわりと胸にしみ込ませていきながら、 しっかりと解釈ができるのを待った。 これまで僕が選んできた言葉は、人から言われて嬉しかったもの、 また、自分にとって都合のよいものであったのに対し、 この言葉には、 「ずっと同じ存在で在り続けなさい」 というメッセージのようなものが含まれており、この先の 僕の生きていく道を、確かに照らしてくれているように思われた。 やがて、僕がハッキリとした声で購入の意思を告げると、その女性は、 「ありがとうございます」 と言って、嬉しそうにその場を去っていった。 セミナー終了後に行われた飲み会の席で、僕はお礼とともにゆっくり話を しに行きたかったのだが、結局タイミングを逃してしまい、その女性とは 話す機会を得ずにしまった。 そして会もお開きになり、終電を待つホームの中で、僕は取り出した 紙の上に、何度も何度も目をやっていた。 「はたらき者のでんしんばしらに 根がはえる」 ある日、不思議なきっかけで出会った女性から渡されたこの言葉を 僕は生涯大事に握り締め、これからの人生を生きていきたいと思う。
May 11, 2004
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最近、仕事の関係で、カセットテープを再生することが多くなったのを機に、 ひさびさに、押入れにあるウォークマンを引っ張り出してくることにした。 ちょうど一年前、引っ越しをする際に梱包してから、段ボールに眠らせた ままの状態になっている。 僕は、再びこのウォークマンを使える日が来たことをうれしく思いながら、 赤茶けたガムテープをびりびりっと剥がした。 だが、さっそくカセットテープを入れた本体は、再生ボタンを押している にも関わらず、ピクリとも動く気配がない。 僕は、(ずっと電池を使ってなかったんだから、そりゃそうだ。 充電しないと……)と気をとり直し、充電器のランプが消えるのを 待ち遠しく眺めていた。 ところが、フル充電を済ませたはずの電池を使ってみても、本体は 一向に反応せず、いくらボタンを押してみても、押し黙ったままの状態。 二年前までは、なんら問題なく作動し、荷造りの際にも慎重に取り扱って きたつもりだから、故障となる理由はまるで見当たらない。 しかし僕はそのとき、「なぜ?」と首をひねるよりも、「やっぱり……」 という気持ちの方を強く持った。 そうして、なんだか無性に寂しい気持ちになった。 このウォークマンは、僕が田舎にいた頃、アルバイトの行き帰りに いつも連れて歩いていたもので、長い道中を共にしてくれる大事な パートナーだった。 当時流行りの音楽や落語、浪花節から演歌まで、往復1時間は ある道中に、実にさまざまな世界を描いてみせてくれた。 しかしある日、念願の「MDウォークマン」を手にした僕は、その簡便性と コンパクトなボディにすっかり魅せられ、従来のウォークマンには ほとんど見向きもしなくなった。 そして段ボールに片付けたまま、引っ越しの時まで、思い出すことさえ なかった。 やがて二年ぶりに再会したウォークマンは、こちらの声に応えてくれよう とはせず、すでに役目は終わったとばかりにまるで音を発しない。 ちょうどその時、つけていたテレビから、巨人戦の速報が流れてき、 アナウンサーが、代打・江藤選手の放ったホームランを、興奮気味に 伝えていた。 なんでもこの江藤選手、輝かしい打撃記録を持つにも関わらず、 重量打線の巨人にあって、ゲームに出る出番さえなく、代打で登場 したその日、意地の一発を見せつけたのだという。 そして、それを受けた評論家が、 「キャンプインから半年あまりの間、自分のモチベーションを 切らさなかったことが、なによりスゴい」 と、感嘆しながら話していた。 モチベーションの持続――。 僕は手元にある、機能しなくなったウォークマンを眺めながら、 もしかしたらこの機械も、自分自身の意思で、死期を決めてしまった のかもしれないという気がした。 たとえモノとはいえ、いつ来るか分からない出番に備え、モチベーションを 持続させるより、早いうちに機能をストップさせ、休眠状態に入った方が 懸命だと考えたのではないだろうか。 確かにこのウォークマンは、MDタイプに比べ、頭出しのし難さや 巻戻しの面倒など、スピーディーさに欠ける面がいくつかあった。 しかし今にして思うとその手のかかりようが……などと、感傷に ふける気持ちはサラサラない。 だが、急にいらなくなったからと、さんざん放ったらかしに しておいて、さあ、また必要になったから動いてくれよ、なんて、 「そんなに都合よく行くわけないだろ」 と、僕はウォークマンに咎められたような気がして、その瞬間、 心の中にグワッと罪の意識が広がった。
Apr 21, 2004
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昨日、毎週楽しみにしていたNHKのトーク番組 『わたしはあきらめない』 が終了した。 この番組は、毎回さまざまなジャンルで活躍する著名人をゲストに招き、 過去に味わった挫折から、どのように立ち直ったかを語ってもらうと いう内容で、各界の大物たちの知られざる一面が見られ、実に見応えの あるものとなっていた。 番組最終回となった昨夜は、瀬戸内寂聴やYOSHIKIといった 過去のゲストのハイライトシーンが映し出され、僕は懐かしい記憶と 共に、あらためていい番組だったな、と感傷に浸っていた。 特別ゲストには秋元康、池田理代子といったお歴々を招き、ふだんの ゆったりとした進行ぶりで、番組は終盤へと差しかかっていく。 やがて、これまでに出演したゲストたちが早巻きで紹介されていき、 最後は、秋元康と池田理代子が、「あきらめないとは何か」をテーマに、 さすがと思わせる含蓄のあるセリフを一言ずつ述べていった。 そして今度は、女性司会者の番。 ちょうど一年前に、ベテランキャスターからバトンタッチを受けた 彼女だが、いつも人の話を熱心に聞き、その人なつっこい笑顔が 印象的だった。 「私は一年間、司会をさせてもらったんですけど、どんな方でも 大変なご苦労を経験されていて、皆さんのお話を聞くたびに、 いつも本当に励まされました」 と、充実感たっぷりの表情でコメント。 そして最後に大トリを飾るのは、番組の司会を二年にわたり 務め上げてきた、長嶋一茂その人である。 絶望の淵から死に物狂いで這い上がってきた人間たちの話を、二年間、 生で聞き続けたこの男は、番組を通じていったい何を感じ、そこから どんなことをつかみ取ったのか。 だが自分の番が来て、おもむろに口を開いた一茂から飛び出した その言葉に、僕は一瞬耳を疑った。 「“あきらめないこと”が、どういうことなのか、残念ながら、 私の中では答えは出なかった……、出なかったですねぇ」 いつもはどんな言葉でも柔軟に受け止める女性司会者も、このセリフには さすがにキョトン……とした表情をし、「ええっ、そうなんですか?」と、 上ずった声で返事をするのがやっと。 ゲストの二人も、穏やかにうなずいてはいたが、明らかにリアクションに 困っている様子が見てとれた。 前述したように、長嶋一茂はこれまでの二年間、絶望の淵にいた者たちの 話に耳を傾け、そこから這い上がってくる人間の力強さ、また番組全体を 貫くテーマである「ネバーギブアップの精神」を、肌で感じとってきた はずである。 しかし、その集大成ともいえるクライマックスにおいて、 一番最後の言葉を、彼は、 「あきらめない、という意味が分からなかった」 というセリフで締め括った。 普通に考えれば、これまでの期間、必死の思いで番組に携わってきた 制作スタッフへの労、また、番組を応援してくれた視聴者に対し、ここは お義理にも、優等生的な発言が期待される場面であったかもしれない。 しかし僕はこの、番組の流れやその他いっさいの事情を無視した、 愚直なまでに真っすぐなコメントに、心からしびれた。 そう。そうなのだ。 たとえ二年の間、まったく同じテーマで、どれだけたくさんの話を 聞いてみたところで、人はたった一つの言葉の意味さえ、そう簡単に 分かりはしないのだ。 一口に「挫折を克服する」などと言ってみても、それぞれの人間により、 さまざまなパターンや別々の対処法があり、そこに抗い難い運命の力が 介入してくるなど、安易に定義づけなど出来るものではない。 一茂の口にしたセリフは、たしかに番組司会者としては、少し 問題があったかもしれないが、分からないことを「分からない」と 言い切った正直さ、また、自分自身の問題を決してないがしろに しないその真摯さは、尊敬に値するものがある。 僕は土壇場にきて、みんなをズッコケさせたそのユニークさと、 最終的に、番組を自分のものにして締め括った彼の底力に、 ミスターに通ずる偉大さを発見した。
Mar 18, 2004
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先月、幼なじみの友人が、約三週間ほどの間、僕のアパートに滞在していた。料理の専門学校を卒業した後、しばらくは京都の料亭で板前をしていたが、世話になっていた人の口利きで、東京へ出てくることになったのだという。僕と彼とは、小学校一年からの付き合いで、中学、高校でも、何度か同じクラスになったことがある。長い付き合いの中、時にはケンカをしたり、互いに一年以上もの間、口を利かなかったりした時期もあったが、これも腐れ縁とかいうやつで、今でもしょっちゅうメールのやりとりなどをしている。その頃、自宅で作業をすることの多かった僕は、あまり外出する機会のない彼と、四六時中同じ部屋にいて、一緒にご飯を食べたり、夜遅くまでジュースを飲んだりしながら、とにかく学生時代でもなかったほど、互いにいろいろなことを話し合った。そんな中、話題がなぜか、「人と接するうえで大切なことはなにか」というシリアスなものになった時があり、この時、彼が発した一言から、僕らはしばらくの間、頭を悩ませることとなった。その言葉というのは、なんでも彼が以前、付き合っていた女性から、「大切なのは、人に対する○○やで」と言われたらしいのだが、その肝心の○○にあたる部分が、いま、どうしても思い出せないでいるらしい。ニュアンスは、人への「親切心」のようなものであるという。僕は、まず当たり前なところから、「“やさしさ”?」と尋ねてみた。すると彼は、「いやいや」と、そんなに簡単ではないというふうに首を振る。今度は、「“気遣い”?」と尋ねると、それも違うと首を振る。「じゃあ、“気配り”?」と問い返しても、やはり結果は同じこと。そのうち、彼はさまざまなシチュエーションを例示することで、なんとか答えが見つからないものかと試み出した。「ほら。たとえば、レストランで、相手のために椅子を引いてあげたり、 ひとつだけあまった料理を、さりげなく二つに分けること」「う~ん……」「たとえば隣で寝ているとき、ずれている布団を直してあげたり、 目を覚ました友人に、熱いお茶を持ってくること」「う~ん、“心遣い”? いや、“心配り”?」「いやいや、気遣いとか、心配りっていうのは、なんとなく、 しんどい感じがするやん。相手のためにムリしてるというか。 ほら。そうじゃなくて、もっと……」僕は、押入れにあった類語辞書をひさびさに引っ張り出し、「気遣い」のページをめくってみた。「ええっと……、配慮、厚意、親切、心組み、心添え、慈悲深い……」など、並んでいた言葉をひと通り挙げてみたのだが、そのどれにも、彼のいう“正解”はないらしく、依然としてスッキリしない顔をしたまま、眉間に皺を寄せている。う~ん、なんだろう……?そうしてお互いに無音状態がしばらく続いた後、突如、彼が膝を打って、こう叫んだ。「そうやッ! “思いやり”や」僕は、ああ~っ、と椅子から崩れ落ちそうになりながら、この思いもせぬ角度から飛んできた言葉に、唇を噛み締めた。思いやり――なるほど、“気遣い”や“心配り”といった言葉とニュアンスは似てはいるものの、両者の間には、やはり大きな差異がある。前者が相手に対し、どうすれば喜んでもらえるか、いま相手は何を求めているかしらだのと、どこか「意識的」に働きかけていくのに対し、後者は、自分自身のごく「自然」な感情から出たというような、あたたかい響きを持っている。念のため、「思いやり」の単語を辞書で引いてみると、これまで挙げた言葉のほかに、仁愛や愛憐、ヒューマニティーや情愛といった、さっきまで目にすることのなかった言葉がいくつも並んでいた。僕は、「気遣いと思いやりとは違う」と主張する類語辞書の思慮深さに感嘆すると共に、二人でぴったりの言葉が出てくるまで探すのをやめず、本当によかったと思った。
Feb 20, 2004
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昨日、雑誌に載ってくれる読者モデルを探しに、原宿へ行った。いわゆる「街頭インタビュー」というやつなのだが、その中で出会った一組のカップルが、妙に印象に残っている。初めから仲睦まじい様子だった二人は、こちら側の「雑誌に載ってくれないか」という無理な要望に快く応じてくれ、さっそく路上にての写真撮影となった。髪をストレートに垂らした女性は、終始明るい表情で、こちらに愛想のいい笑顔を向けている。一方、短髪に切れ長の目をした男性は、イギリス人が着るような細身のフロッグコートを着、なかなか雰囲気のあるナイスガイだ。「じゃあ撮りま~す!」というカメラマンの一言によって、一枚、二枚とシャッターが切られていった。相変わらず笑顔を振りまいている女性は、カメラを覗き込み、ピカピカの表情で撮影に応じている。一方の彼氏は対照的に、口を真一文字に結びながら、モデルのようにギッとこちらを睨めている。いつもの通り、パシャパシャとシャッターが切られていき、ここらへんで撮影終了かと思いきや、パートナーのカメラマンが冗談っぽくこう言った。「彼女。彼氏に気をつけなよ~。彼、自分の見映えばっかり 気にして、あなたのこと、まったく見てなかったから……」するとその直後、キュッと口を結んでいた彼氏の表情がいっぺんにゆるみ、代わりに少年のような笑顔がこぼれた。そして間髪を入れずカメラマンが、「そう、その表情だ。ソラッ。ソラ、もう一枚!」と言って、立て続けにシャッターを切ったのである。快活に笑っている彼氏の顔を見て、彼女の方も嬉しくなったのか、二人は崩れるような態勢になりながら、なんとか体を支えている。やがて撮影が終わり、僕らは礼を言ってから、気持ちよく別れた。その日の夕方にフィルムを現像しに行き、仕上がってきた写真を見て、少し胸が震えた。ナイスガイの彼氏のキマッた表情や角度、そのモデルのような目つきより何より、写真映りや見てくれをいっさい無視した彼の方が、はるかに魅力的で、きらめくルックスをしていたのである。もちろん、雑誌の写真としての仕上がりも断然そちらの方がよく、僕は数あるカットの中から、ためらうことなく二人の笑い合っている一枚を選んだ。男性、女性に関わらず、人はみな、自分が一番カッコいい、あるいはカワイイと思った表情で、鏡に映ろうとする。しかしどんな人であれ、その人のナンバー1の表情は、白い歯をいっぱいに見せたまぶしい笑顔に違いない。アルバイト先の社長にいつも言われている、「いつも笑っていろ。人からバカにされるくらいに」という言葉が、強く胸に響いた。
Dec 2, 2003
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深夜近くの社内。先輩社員二名を含めた男性陣が、結婚トークで盛り上がっている。先輩A「オレ、あした友だちの結婚式なんだよ~」先輩B「ええっ、そうなんですか? 実はボクも来週いとこが……」先輩A「結婚はさ~、いいと思うんだけど、自分の子どもができるのって、 ちょっと想像できないよね」やがて話題は、結婚→出産→育児へと発展し、問題は、養育費がどうだとか、夜泣きが続いたら大変だなどと、もっぱら子育てに対する心配事に集中した。先輩B「はぁ~、先が思いやられますねぇ」そんなBさんのため息が社内の空気を包む頃、Aさんがこれまでの議論を一蹴するかのように、こんなセリフを吐いた。先輩A「オレ、親にこう言われたことがあるんだよ。 “飛び込め。子どもと一緒に育つんだ、親は”」先輩たちの会話はその後もしばらく続いていたが、僕はいま耳にした言葉の意味を噛み締めるべく、少し仕事の手を休めることにした。そもそも、「結婚」というと、僕にはなにかとてつもなく大そうなイメージがあり(いや、実際に大そうなのだが)、夫婦となる二人はよほどの覚悟をしているか、あるいは非常に成熟しているといった観がある。しかし、実際のところはどうなのだろう。僕の周りで結婚した連中のことを考えてみると、「子どもができちゃったから」だの、「学生時代からよく知っているから」だのと、案外、勢いというか、どこかウキウキした気持ちで籍を入れてしまう人が多いように思う。考えてみれば、僕と歩んできた道は違えど、生きてきた年数に変わりはないわけで、両者の間にそれほど差があろうとは思えない。だとすれば、彼らもやはりAさんのお母様が言ったように、結婚生活に飛び込むことで、初めて親としての自覚を持ち、子育てとは何たるかを学んでいくものなのかもしれない。そしてこれはなにも、結婚だけに限ったことではないだろう。たとえば、新しい学校や職場、友人関係やうまい女性の口説き方など、事前にいくらマニュアルを読み、周到な準備をしてみたところで、現実はそれよりもっと切実でリアルな問題を、目の前に突き付けてくる。Aさんのお母様が口にした、「飛び込め。親は子どもと一緒に育つんだ」という言葉は、「人間は環境の中で成長していくものだから、恐れず世の中に飛び込め」という、息子Aさんに向けた激励のメッセージであるようにも思う。在学中に飛び込んだ出版業界、卒業後のライター活動に加え、編集プロダクションでのアルバイト。思えば僕も、生半可のまま飛び込んだ世界の中で、精いっぱい身をよじらせながら、人生で本当に必要なものの多くをつかみ取ってきたような気がする。
Nov 17, 2003
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今から1ヶ月ほど前、僕はめずらしい機会に居合わせた。その日、いつものように夜おそく、通勤帰りの電車に乗っていると、どこからか、「いい湯だな」(ザ・ドリフターズ)の軽快な着メロ音が聞こえてくる。こんな時、必ず誰かが大慌てでカバンの中を探りだし、ケータイの電源をプチッと切ってしまうのだが、その日はしばらく経っても、誰もそんな素振りを見せる者がない。車内はこのあたりで、「おいおい、誰がとるんだ?」という雰囲気になりそうなものだが、ケータイは相変わらずノーテンキな音を響かせている。さらに2秒、3秒と経ち、メロディは本編の「ババンババンバンバンッ!」に突入。ここらへんで間違いなく乗客のせき払いや、チッと舌打ちする音が聞こえてくるはずなのだが、今夜に限ってはそれすら聞かれない。そうこうしているうち、メロディは「いい湯だな、アハハ~ン♪」のフレーズをも通り越し、いよいよ「ゆげが天井から……」のパートへ進入。さあ、いいかげん誰かが怒鳴り出すぞっ……と、内心ヒヤヒヤしていた僕は、しかし、周りの景色を見渡してみて驚いた。このにぎやかな車内には、三十秒あまりの間、着メロの大コーラスを聞かされて、誰も気にした素振りを見せる人がいなかったのである。誰も止め手のないメロディは、そのままますます勢いづき、お馴染みの「はぁ~、ビバノンノンッ」や「はぁ~、ビバビバッ」のフレーズを炸裂させるなど、ノリノリの演奏を続けている。発信元となった人物は、この大きな音にも気付かないほどよく眠っているのか、設定した着メロの音を忘れているのか、とにかくそのメロディは鳴り続けた。そして、とうとうフルコーラスが終わった。考えてみれば、今日は金曜の夜。仕事で嫌なことがあったサラリーマンも、テストで赤点を取った学生も、みなみな一週間の勤めを終え、些事にはこだわらぬ心持ちになっているのかもしれない。その日、耳障りなはずの着メロ音は車内のBGMとなり、吊り革につかまっている人たちも、どこかしら心地よさげに揺られているように見える。僕はまだ耳の奥に響く、「風邪ひくなよっ」「風呂入ったか?」という加トちゃんの声を思い出しながら、我がアパートの湯舟を無性に恋しく感じた。
Nov 9, 2003
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今日、満員電車の中で、ひたすら携帯メールを打ち込んでいる女の子がいた。僕のちょうど鼻先あたりに頭があり、ちょっと覗き込めば、メールの内容が垣間見えてしまう。僕はすこし悪いなと思いながらも、同世代の女性がいったいどんな文章を綴っているのか知りたくなって、そっと首を伸ばしてみた。しかし彼女は、じつに巧みに両手打ちを使いこなし、恐るべきスピードで文章を組み立てていくので、とても肉眼では捉えることができない。そしてあっという間に、画面が文字でいっぱいになった。僕はマッハのスピードで紡ぎ出される文章に舌を巻きながら、今後、どのような速度でメールのやりとりが行われるのか、楽しみにしていた。しかし、ここで一気にメッセージの送信に入るかと思われた彼女は、いったん指を止めると、入力カーソルを最上部まで持っていき、その行から一段一段、ゆっくりと文章チェックを始めたのである。(ああ、校正するんだぁ……。)これまで猛烈なスピードで文字を打っていた彼女は、別人のようにゆっくりと、自分の文章の中を上へ行ったり、横へ行ったりしながら推敲を重ねている。そして、ところどころ言い回しを変えたり、語尾を削ったりしながら、受け取る相手の気持ちを不快にさせぬよう、心を砕いているようだった。今から10年ほど前、高校受験の入試問題で「ファイアー(怒りの)メール」という言葉に出会ったことがある。これは、PCのEメールをやりとりする際、手紙のように文章を推敲しないため、トラブルが起こりやすいという警告的な意味合いのものだった。ところがインターネットが普及した現代において、この言葉がまるで浸透していないことを思えば、そうした迂闊なことをしている人の数は少ないと言えるだろう。PC・携帯メールに関わらず、利用者はメッセージを送る直前、その受け取り手に成り変わり、自分の書いた文章を客観視する。このとき、メールを書くことで、人を思いやる心が確かに育っていると思う。
Oct 28, 2003
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今日夕方、冷蔵庫のご飯をレンジで温め直そうとした時のことだった。いつものように加熱時間を指定したが、「ジーッ」といういつもの加熱音が、一向に聞こえてくる気配がない。ふと足元を見てみると、それもそのはず、待機コンセントの電源がオフの状態になっている。僕は、おいおいしっかりしてくれよ~、と自分にさむいツッコミを入れながら、回したダイヤルを元に戻すため、つまみ部分をひねった。するとレンジは、電源が入っていない状態にも関わらず、“切”の位置まで来たときに、「チーン」という、あの明朗な鐘の音を響かせたのである。その時。そう、あれは間違いなく僕の声だった。突如、意表を突かれた形となった僕は、その瞬間反射的に、「鳴るんだぁ……」と、“標準語”でつぶやいてしまったのである。鳴るんだぁ?耳の底には、確かにさっき聞いたばかりのセリフが残ってはいるものの、それが自分の口から出たものだとはとうてい思えない。関西人ならば、ここは間違いなく「鳴るんやぁ……」と言うべきタチのもので、僕は東京へ来てから3ヶ月目にし、とうとう無意識のうちに、標準語を使ってしまったことになる。――さて、ここで話は先々月に戻るが、僕はお盆休みに我が家へ帰省した。毎日、米と納豆しか口にしていない食生活や、初めての一人暮らしなどで、顔つきも多少は変わっているかもしれない。僕は母に、「自分の顔、変わってない?」と、恐る恐る尋ねてみた。すると母は、「ぜんぜん変わってないで。言葉もそのままやし」と、聞いてもいないのに、話し言葉の話題を尻にはさんできた。母はひそかに、僕が標準語人間となって帰ってくることを、気にかけていたのかもしれない。ところがお母さん、僕はあれからしばらくもしないうちに、口にしてしまいましたよ、東京弁を。それも無意識のうちに。しかしそうは言いながらも、僕はあまり悪い心地はしていなかった。ちょうど、梅雨時の季節に上京してから3ヶ月あまり。僕はこれまでと同じように関西弁を使い、以前となんら変わることなく暮らしている気でいたが、体内にはもうとっくの前に、新しい細胞が流れ込んできていたのかもしれない。2003年10月15日。勝手な記念日を作ることによって動き出すものが、確かにありそうである。
Oct 15, 2003
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インターネットを利用しサイトチェックなどをしていると、時折思わぬページにめぐり合えることがある。昨日、いろいろな着メロサイトの概要を調べるため、ネット上を徘徊していた時のことだった。キーワードに「クラシックWeb」だったかなにかの文字を入れて検索すると、“貴女様”だの、“お恥ずかしながら”だのという、妙にかしこまった言葉でやりとりしている掲示板を発見した。内容を見てみると、先日都内で行われたシティーホールでのアンサンブルコンサートについて談義しているらしく、「モーツァルトの第○楽章の調べが美しゅうございました」だの、「昼餐で口にした、○○の果実が美味でした」だのと、いやに格調高い文体で、コンサート当日の出来事を綴っている。発言を追えば、なんでも、以前二人が話題にした指揮者の生誕年に誤りがあったとかで、「これもすべてわたくしの注意が足りないばかりに、貴女様に ご迷惑をおかけしてしまい……」だの、「いえいえ、わたくしの方こそ、いたらない点ばかりで、貴女様には……」だのと、互いにあくまで相手に非はないという姿勢を崩さず、丁寧に詫びのやりとりをしている。そのこまかに相手を慮るものの言いようには、謙譲と慎み深さをもって良しとする日本人の美徳が見事に発現されていた。近年、実名が出ないのをいいことに、汚い言葉で相手を罵倒したり、悪口の応酬を繰り広げている掲示板が多い中、こうした美しい掲示板の存在は、見る者にほのかな安らぎの気持ちを与えてくれる。ただ、気になったのは、彼女らは掲示板への書き込み行為を、一端のPCユーザーのように“カキコ”と呼び、いつも結びの言葉を、「またカキコくださいね」「貴女様のカキコお待ちしております」などとしたうえ、ある時などは「さっそくのカキコ、恐れ入ります」というふうに、返信の書き出しにさえもこの言葉を使用していた。貴女様とカキコ――僕には、その二つの言葉がどうにも縁遠いものに思われたが、この意表を突く言葉のセレクトが、掲示板の雰囲気に、ある種の茶目っ気を与えていたことは確かである。僕は優美なやりとりの中にも、けっして遊び心を忘れない二人の貴婦人に、心からの敬意を表した。
Oct 9, 2003
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今日、とり貯めておいたお笑いのビデオを見ていると、中に「大相撲ダイジェスト」の番組がまぎれ込んでいた。僕は相撲自体にあまり興味はないのだが、高見盛のコミカルさと朝青龍のヒールっぷりには、思わず心を奪われてしまう。この日も、偶然出くわしたハイライト集の中で、高見盛にたっぷり楽しませてもらった後、横綱・朝青龍の取り組みが回ってきた。土俵入りから取り組み前の仕切りまで、見事なまでにしかめっ面のこの男。だけど、相撲は文句なしに強い。結びの一番となった取り組みで、体ごとぶつかってきた相手に対し、朝青龍は冷静にまわしをつかみ、応戦した。その直後である。しばらく様子を窺っていた朝青龍は、突如、相手の図体をヒョイッと腰の辺りまで持ち上げたかと思うと、そのままプロレス技のようにして、思いっきり土俵へと叩きつけたのである。その瞬間、すこしだが土俵が揺れたような気がした。テレビ画面は、ここでスタジオへと切り替わる。「いやぁ、親方。すごい決まり手でしたねぇ」と興奮気味に話すアナウンサー。その後、何親方か知らないが、とにかく巨体の人物の放ったコメントがたまらなく良かった。「いやぁ、すばらしい。すばらしい相撲でした。 相手にまったくスキを見せませんでしたね。 スキを見せるどころかですねぇ、相手をものとも せずに持ち上げて、 “捨てました”ね」と、とても解説者とは思えない荒っぽいコメントを吐いた後、いかにもスッキリしたという表情で、満足そうに画面を見つめていた。おそらく本人にしてみても、コメント前はここまで言うつもりはなかったのだろう。それでも、横綱のあまりに激しい決まり手を見て、思わず力が入ってしまったのに違いない。実際、敗れた力士には申し訳ないが、そのラストシーンには、本当にゴミのように投げ捨てられたという表現が、ぴったりとハマッていた。いい相撲は、やはりいい言葉を生むのだ。
Oct 1, 2003
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先週の土曜日、雑誌の取材である料理屋へ行った。締め切りの期日が迫っていて、こちら側がバタバタとしているのはいつものことだが、今回は取材先の店までが、ゆうべに連絡を受けたばかりという慌ただしい日程である。これは、同行するカメラマンとその店主とに、「Mさん」という共通の友人がいたからこそ成し得た荒技だった。いざ店へ着くと、店主が、「いやぁ、ゆうべ突然Mから連絡が入ってね。 ビックリしたよ」と苦笑いをしながら、奥の方から出てきた。今回は本格的な料理写真が必要なため、撮影の準備にそれなりの時間がかかる。ちょうど店主と同じくらいの年齢にあたるカメラマンは、機材を組み立てながら、共通の友人・Mさんの話を始めた。カメラマン「Mさんとは、もうどれくらいの 関係になるんですか?」店主 「そうだなぁ、あいつとは幼稚園からの 同級生だから、50年近くか」カメラマン「ええっ、幼稚園から!? それ、スゴイですね」店主 「まぁ、ほとんどくされ縁だね。 あいつは何をやるにしても、 徹底的にやらないとダメってタイプだから、 好きなんだ」カメラマン「ああ、確かにそうですね。それだから、 今されてる仕事なんかすっごく向いてると思います」僕は直接Mさんに会ったことはないが、二人の顔つきや言葉つきから推し量ってみると、Mさんが二人からとても慕われている人であることが分かった。たとえ初対面同士でも、共通の知人がいて、その人物と仲が良いということになれば、それだけで相手のことを理解し合えるものである。ところが、そのわずかばかり後に、この二人の仲をさらに深める新事実が出てきた。長いインタビューを終えた後、店主は僕らにアイスコーヒーを出してくれ、「ああ、そうそう。まだ○○さんに名刺を渡してなかったね」と言いながら、カメラマンと名刺交換をした。店主 「へぇ、○○さんも、“しげる”っていうんだぁ」カメラマン「ああ、ご主人も、“しげる”さんですね」店主 「○○さん、名刺にはひらがなで“しげる”って 書いてあるけど、このしげるは、漢字では “茂”のあれでいいの?」カメラマン「はい、ご主人といっしょです」店主 「ああっ、それじゃあ、もしかして “吉田茂”のしげるから?!」カメラマン「そうなんですよ! 末は総理大臣に、ということでっ」いままで友人の話ばかりで盛り上がっていた二人は、この瞬間表情を一変させ、テーブルへ身を乗り出すと、額がぶつかりそうな距離で互いの身の上話をし始めた。聞けばこの店主、自分の若い頃に「○○○○シゲル」という、同姓同名の人物が日本に何人いるかを全国の電話帳で調べた挙句、ようやく見つけた二人の男性に、「あなたが○○○○シゲルさんですか? 私も○○○○シゲルです。いやぁ、お会いしたかった」といって、がっちり握手を交わしてきたのだという。さらにその別れ際には、「お互いに命日を教え合う」という約束を取り付け、盟友の契りを交わしてきたとかいうことだ。そのエネルギー、その行動力。なんと恐れ知らずで、屈託のない人間愛。僕はここに、高度成長期を支えた男たちの底力を見せつけられた気がした。
Sep 25, 2003
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これはまた別の機会にでも触れることにするが、僕は昨年一年間をおばあちゃんの家で過ごした。ちょうど10月頃、東京行きを決めていた僕は、上京資金を貯めるため、肉体労働のアルバイトを始めることにした。田舎でも、毎日求人広告は入ってくるし、業種さえ選ばなければ、仕事はいくらでもある。しかし、自分の都合のいい条件で、となると、バイトもなかなか見つからない。僕は毎日、明け方過ぎまでレンタルビデオを見、昼過ぎに起き出してきては、おやつをつまんで食うという、なんともぜいたくな暮らしを続けていた。やがてトイレにでも行こうと玄関へ出ると、おばあちゃんが日の当たる縁先で新聞を読んでいて、「今日はええバイトなかったわぁ」だの、「○○が募集してはったけど、どうや?」などと言いながら、僕以上に熱心に、求人情報を探してくれているのである。渡された折込みのチラシを見ると、いつもおばあちゃんオススメの求人欄に、赤ペンで印がつけてある。僕はそのうち何件かに電話を入れ、応募の意思を伝えるのだが、「女性限定」だの、「定員オーバー」だので、なかなかバイト先が見つからなかった。そんなとき、おばあちゃんは決まって、「気ぃ落とさんと。また、ええ風が吹いてくる」と言って、明るく僕を励ましてくれるのだった。やがて次の年(今年)、東京の編集プロダクションからアルバイトのチャンスをもらい、僕は上京することになるのだが、おばあちゃんはその2ヶ月前から、体を患って入院生活をしていた。旅立っていく僕が、おばあちゃんからもらったのは、「立派な東京人になってこい」という激励の言葉である。僕はてっきり、“早く帰ってこい”などと言われるものだと思っていたが、おばあちゃんはそんなことはいっさい口にせず、ただ向こうへ行ってもちゃんと必要とされる人間になれ、とだけ言った。東京に着いたらとりあえず手紙を出す約束だったので、僕が近況を書いて知らせたところ、それから半月ほどしておばあちゃんから返事が届いた。その内容については、ここで公表することは避けるが、「お盆にみんなで会える日を楽しみにしている」と結んであった。入院は5ヶ月ほどと聞いていたので、僕はおばあちゃんが退院に間に合うかどうか心配した。けっきょく僕が帰省するそのわずか3日前に、おばあちゃんは無事退院した。長い入院生活で歩くことが侭ならなくなっていたが、いつもの明るい性格に、なんら変わりはなかった。僕がひさびさに従兄弟のおばさんと長電話をしているのを、おばあちゃんは嬉しそうに見つめながら、「おまえは上手にしゃべるなぁ。“東京弁で”」と言って、僕を笑わせた。おばあちゃんは天然かなにか知らないが、どこか人を楽しくさせる、独特のユーモアを持っている。現在、まだ定職の見つからない僕だが、まるで悲観はしていない。また、ええ風が吹いてくる――口に出せば、本当にそんな気がする。
Sep 14, 2003
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先月のお盆に、僕は上京してきてから初の帰省をした(といっても、まだ日数は浅いが……)。昼近く、久しぶりの我が家へ着くと、クーラーがガンガンにかかっており、父親がヨレヨレの肌着を着けたまま、高校野球観戦をしている。「おお、俊司か。戻ってきたんか」再会の挨拶もそこそこに、父はソファへもたれかかると、試合の行われているテレビに視線を戻し、すこし熱っぽく話し始めた。「見てみぃ、この倉敷工業なぁ、 こないだ一回戦でボロ負けしとったんやけど、 雨でノーゲームになってな、 次の日の試合で勝ちよったんや。 ほんで、見てみぃ、今日もどういうわけか、 強豪相手にええ試合をしとる。なぁ?」ふとスコアに目をやると、なるほど甲子園オンチの僕でも知っている有名チームを相手に、1点のリードをしているのである。聞けばこの倉敷工業、先日のノーゲームの際、10点近くのリードを許していたようで、誰の目にも敗戦は濃厚だったらしい。しかしそこから這い上がってきたチームは、別人のように生まれ変わり、今日こうしてまた甲子園を沸かせているのである。そのとき、父はポロッと印象的な言葉を吐いた。「いっぺん死んだヤツは強いんや」それから父は何事もなかったかのように、手元のするめをクチャクチャと噛んでいたが、僕の耳には、いま聞いた言葉がリフレインのようにくり返されていた。一度死んだヤツは強い――地元で見事、甲子園行きの切符を手に入れ、いざ乗り込んできた夢の舞台で、屈辱的なワンサイドゲーム。雨でノーゲームになったのを機に、倉敷ナインには余計な邪念が消え、のびのびと本来のプレーをすることができるようになったのかもしれない。いや、もしかするとそれまで以上のプレーを。結局、その日のゲームは、強豪・今治西高(愛媛)を相手に1点のリードを守り切り、4対3で粘り勝ち。そしてそのまま外出した僕は、倉敷戦以来、甲子園のことなどすっかり忘れていた。やがて東京へ戻ってきてから、大会屈指の右腕・ダルビッシュ投手が打ち込まれと聞き、何気なしにトーナメント表を覗いてみた。なつかしい「倉敷工業」の文字、その勝利の軌跡が3回戦で途絶えている。――倉敷工 (岡山) ●0-2○ 光星学院 (青森)――僕は見もしない試合の攻防を、鳴り響くサイレンの下、泣き崩れている選手たちの姿を思い浮かべながら、こう思った。――彼らは甲子園で二度死ねたのだ、と。
Sep 8, 2003
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通勤帰りの電車で耳にした、あるサラリーマンのセリフが忘れられない。今から1ヶ月ほど前の話になるだろうか。背広を着たどこにでもいそうな二人連れのサラリーマンが、なにやら熱く議論を交わしている。注意して聞いてみると、「最近の若い奴らは、においを気にしすぎだ!」と憤慨しているらしい。夏場の暑い盛り、若者たちは服に香水をつけたり、体に制汗スプレーを塗ったりして、自分のにおいを抑えることに必死だ、ほどほどにするがいい、という内容だった。それが、僕がふと気持ちをぼんやりさせていた間に、話題がよく分からない方向へ行っていた。さっきまで若者に憤慨していたおじさんは、かなり真面目な顔をして、「それとおんなじことだよ。 人間も、しゃべらないと口が臭くなる」などと、とんでもないことを言っている。そしてその言葉を、連れ合いの人までが、「もっともだ」という顔をして、深くうなずいているのである。……ちょっと待ってくれ。それじゃあ、僕みたいに寡黙な人間は、みんな口が臭いというのか?代々、「男のしゃべりはみっともない」という教育を受けて育ってきただけに、これは非常に心外だ。しかしまたも話題が違う方向へ流れ、降車駅も近くなった頃、僕はさっきのおじさんが、じつはとても大切なことを言っているような気がしてきだした。「しゃべらないと口が臭くなる」という見解は、いまさら述べ立てるまでもなく、ナンセンスな解釈だと思うが、考えようによってはこう受け取れなくもない。「人間は、自分の持っている機能を しっかり使ってやらなければ、どんどん朽ち錆びていく。 せっかく備えている機能をフルに活用するべきだ」と。目がものを見るためにあるように、口は相手に思いを伝えるためにある。行き場を失った言葉たちは、やがて口内を侵食するか、こうしてメールや文章となって、あふれ出してくるものなのかもしれない。さんざん熱いセリフを吐いていたおじさんは、僕が降りる一つ前の駅で、連れ合いにさよならを言った。車内には、ポマードのきつい香りが漂っていた。
Sep 5, 2003
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先週の金曜日、雑誌の取材で原宿へ行った。道行く人に声をかけ、ゲームセンターで配布されるケータイ電話のサイトを集めたパンフレットに無料で載ってもらえるようお願いするという仕事である。取材対象は5名、制限時間は3時間。時間的にはけっこう余裕があると思っていたが、なかなか厳しい闘いになりそうだ。人通りの多い原宿ではただでさえ呼び込み等の勧誘が多いうえ、街を歩く人の足もけっこう早いのだ。僕はなんとか皆にあやしまれないようにするため、「ゲーム会社の○○」というブランドを前面に押し出し、声かけをすることにした。「あの~、こちらゲーム会社の○○と申しますが……」と名乗ってみるが、反応はまるでダメ。この雑踏の中では僕のくぐもった声など、かんたんにかき消されてしまうのだ。それでも5人、6人と声かけをしているうち、僕は、今している自己紹介のようなセリフがまどろっこしいのではないかと気が付いた。そこで考えた結果、セリフの前半部分を思い切って削り取り、「え~、いま雑誌を作ってるんですけど、インタビューさせていただけませんか?」でアタックすることにした。するとさっきより目に見えて、皆がちゃんと足を止めてくれるようになった。それでも次の、「すみませんが、お顔の写真を撮らせていただいて……」という段になると、途端に手を振り振りし、「困ります」と言って迷惑そうに立ち去ってしまう。そしてまた同じように、10人、20人と断られ続けた後だった。いま思うと、考えられないようなナイスなセリフが僕の口を突いて出たのである。「あの~、いま雑誌の取材をしてるんですが、よろしければ、“読者モデル”になっていただけませんか?」というセリフが。その「読者モデル」という魅惑的な単語を耳にした瞬間、彼らの表情は一変し、「ええっ、私のこと……?」あるいは「この俺が……」という一瞬戸惑うような、しかしこみ上げてくる嬉しさを隠し切れないといった表情で、「そうですね、今日はちょっと用事が……」と、笑顔で返事をしてきてくれたのである。けっきょく本当に急いでいた人も多くて、取材を断られた数も少なくなかったが、制限時間もわずかとなったところで、僕は九死に一生を得た。とくに終盤の追い込みは素晴らしかった。僕は、あの一つの言葉がなかったら、間違いなく今回の取材に失敗していただろう。「読者モデル」という、いままで雑誌でしか触れたことのない言葉が突如として目の前に現れ、しかもそれが他でもない自分自身に投げかけられているという現実に、みな、瞬間的にときめいてしまったのに違いない。僕はまったく同じ内容の取材をしようとして、そこにはっきりと明暗を分けた。世の中には、たった一言で価値観を取り替えることのできる「魔法の言葉」がある。それをできるだけ早く、あるいは時間をかけてでもしっかり見つけ出すことが、僕のこれからの仕事ではないかと思う。
Sep 2, 2003
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このコーナーでは、僕自身が日常生活の中で出会った名言や格言、また、友人たちが漏らしたちょっと気になるセリフなどを、不定期でご紹介していきます。
Sep 1, 2003
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