受験国語の目安箱

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2005/07/01
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カテゴリ: 雑感エッセイ
 昨日、故事成語の解答解説を書いていて、「漱石枕流」(そうせきちんりゅう)という故事成語を思い出しました。「石に口漱ぎ(すすぎ)流れに枕する。」夏目漱石はこの故事成語から自分の名を取っています。千円札はもう野口英世に代わりつつありますが。トップページに貼ったリンク集「ことばのレシピ」に行ってみると、やはりこの「漱石枕流」が載っていました。「意地をはること・負け惜しみ」という意味です。また「流石(さすが)」という言葉のもとになった、このお話はぜひ、そこで調べてくださいね。

 今日はそこから連想したとりとめもない随筆です。受験には役に立たない部分の方が多いと思います。

 夏目漱石は「坊ちゃん」や「我輩は猫である」の作者であるということは広く知られていますが、前期三部作「三四郎」「それから」「門」」後期三部作「彼岸過迄」「行人(こうじん)」「こころ」といった青年を描いた作品や他の著作物も含んで、ずっと近代日本の個人主義の問題を考え続けた人でもありました。私は大学受験をするにあたって、予備校でそういうことを初めて教えてもらいました。漱石は晩年、「則天去私」(そくてんきょし)〔天に則(のっと)り私を去る〕という思想にたどり着き、個人主義の持つ問題に解決をつけようとしました。未完のままの絶筆は『明暗』という小説です。高校受験でこのくらいの文学知識はあってもいいかなと思います。私は教えるようになってから冷や汗をかきかき、文学史を調べて覚えたものです。

 ところで、私生活の漱石はたびたび精神的不調に悩まされ、何度も胃潰瘍(いかいよう)を起こしています。「坊ちゃん」の舞台となった松山中学では実は1年間(明治28年28歳のとき)しか勤務していません。その後、熊本第五高等学校(旧制高校)に移り(明治29年29歳のとき)、物理学者であり随筆家としても有名になった寺田寅彦らを指導します。寺田寅彦は「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した人です。この熊本にいた時期に長女筆子が生まれます。漱石一家が当時住んでいた家は今も残っていて、私が熊本を訪れたときに見てきました。その後、漱石はロンドンに留学。大した成果をあげることもなく帰国します。で、小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)の後任として東京大学文学部英文科講師として収まります。(明治36年36歳のとき)今回調べていて明治の年号と漱石の年齢が一致していることに気づきました。

 私が北海道に来て漱石について新しく知ったことは、彼が25歳から亡くなる47歳までの22年間、本籍をずっと北海道の後志(しりべし)にある岩内町に置いていたことです。兵役を逃れるためだったと考えられているそうです。今でも岩内町の郷土館には夏目漱石の戸籍謄本が展示されています。夏目漱石の本籍地が北海道岩内にあったというのはあまり知られていないのではないでしょうか。お墓の方は東京の雑司ヶ谷(ぞうしがや)墓地にあるそうです。

 岩内町と言えば、有島武郎(たけお)の小説「生まれ出(い)づる悩み」のモデルとなった、漁師にして青年画家であった木田金次郎のいた町でもありましたね。彼の美術館もあります。

 さらに漱石と親交のあった正岡子規は俳句・短歌の大御所ですが、漱石と同様に彼の名前にもいわれがあります。子規は肺結核を患(わずら)い、血を吐きながらの生活をしていたので「鳴いて血を吐くホトトギス」という数え歌にもある「ホトトギス」の別名、「子規」という俳号を使いました。「子規」は別名ですが、ホトトギスは「不如帰」「時鳥」などと漢字で書くこともあります。正岡子規の俳句の会に集まった人たちを「ホトトギス派」というのはここに由来しています。ちなみに、ホトトギスは夏の季語。石川啄木の「啄木」が「啄木鳥」(きつつき)だということも有名ですね。啄木鳥は秋の季語。

 調べてみると、ホトトギスは鳴くときに口を開けると真っ赤で血を吐いているようだとか、ホトトギスは血を吐くまで鳴くのだと説明されているHPが結構ありました。

 そういえば、日本史上も、戦国時代の三英傑の性格の違いを表わす川柳として



 鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス  (豊臣秀吉)

 鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス  (徳川家康)

がありましたね。こちらは有名なのでご存知の方も多いはず。

 で、ホトトギスって何て鳴くの?と疑問に思われた方はいませんか。ホトトギスは昔から「テッペンカケタカ」と鳴くと言われてきたのですが、最近では「トッキョキョカキョク(特許許可局)」と聞こえると説明する人が増えているようです。

真偽の程はご自分で確認してみてください。参照ページ・リンクフリーサイト →
『Goichi's Birds』 の「森のコンサート」(写真とさえずり)で「ホトトギス」を探せば聞けます。

今日は取りとめもない随筆でした。


【参考】 昔の数え歌(私はこの歌を知りませんでした。)

        「武夫と浪子」


ごうごうごうとなる汽車は   武夫と浪子の別れ汽車
二度と合えない汽車の窓    鳴いて血を吐くホトトギス
三月三日わらびとり      武夫は浪子の手を引いて
武夫がボートに移るとき    浪子は白いハンカチを
振り振り振ってねえあなた   早く帰って頂戴ね

鹿児島武夫と生き別れ     ああなさけなや汽車の窓

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Last updated  2005/07/03 09:39:00 AM


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