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2006.05.13
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カテゴリ: メディア
黒三の悲劇3


辻江秋天( 明治41年2月4日生まれ)
日電の社員で黒三建設に従事。途中1937年から1939年6月まで軍隊にいたが、39年7月から再び黒三建設のために働いた。
主任は魚躬(うおのみ)。責任者は中江で、私と立野が中江に仕えた。阿曾原から仙人谷までの700メートルのうち500メートルは熱くてとても作業ができるような状態ではなかった。
そこで100馬力の送風機を設置。坑内にも小さい送風機を何箇所にも設置した。
坑内を冷やすため仙人谷から黒部川の水を流した。
阿曾原からも直径30インチの鉄管で水を流した。鉄管は10メートル間隔で穴が開いていて、そこから水が出る仕組みになっていた。
それでも二〇分以上働くことはできなかった。
坑内労働者の日当は10円であった(注:当時学校の校長で月給54円の時代であったから、かなりの高給であったという)。

死ぬと300円の保険金が支払われたが、使い捨てであった。
朝鮮人にはひどい仕事(過酷な仕事)をやらせた。機械のように使い捨てた。
朝鮮人が足りなくなると補充した。
日本人がする仕事はきれいな仕事ばかりだった。
黒四ダムより、黒三ダムの方がはるかに難しい工事だった。
日本人の記録は残っているかもしれないが、外国人の記録は燃やしてしまったのではないか。
朝鮮人労働者の遺体は朝鮮本国に送った。
私の月給は35円であった。
朝鮮人労働者には班長・組長がいた。元締めのような人物で日電(日本電力)から感謝状をもらっていた。

戸出喜久三 (大正10年1月29日生まれ)
佐藤組に勤務(注:第一工区である高熱隧道は当初、加藤組が請け負っていたが、あまりもの難工事に作業を放棄。代わって佐藤組が1938年4月から第一工区を担当した)。

阿曾原の雪崩では26人が死亡、大半が朝鮮人であった。
志合谷の雪崩では84人が死亡、うち約60人が朝鮮人であった。
肉体労働者よりも事務職の食事のほうがよかった。
朝鮮人労働者には朝鮮の女性が給仕していた。
朝鮮人労働者は半ば強制的に徴用された。国策であったと思う。

ストライキもやっていた。
阿曾原の宿舎には500人が寝泊りしていたが、そのうちの300人が朝鮮人であった。
朝鮮人労働者は過酷な勤務に従事したので、日本人の二倍の給料をもらっていた。

石丸与一郎 (生年月日不詳)
17歳から20歳までの三年間黒三ダム建設に従事した。
トンネルは高熱だったので火傷を負う人が多かった。死んだ人もいたのではないか。
ボロボロの袖のない雨合羽をかぶり、ほとんど裸になって働いていた。
蒸し風呂に入っているようで、ふやけて皮がブヨブヨになった。全身水ぶくれになった人もいた。今では考えられないような悲惨な環境であった。
あの熱くて苦しい場所でよくやったと思う。
朝鮮人労働者が多かった。彼らは親切でおとなしかった。
朝鮮の人は日本人の三倍くらい働いた。
日本人は現場監督で、実際にトンネル内で過酷な労働をしていたのは朝鮮人で、日本人はいても少ないはずだ。
主に怪我人は朝鮮人であった。一日7,8人は火傷を負っていた。
朝鮮人労働者は朝鮮本国にいる家族に仕送りをしていた。
朝鮮人労働者は20代、30代の働き盛りであった。
(続く)





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最終更新日  2006.05.13 09:57:25
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