2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全7件 (7件中 1-7件目)
1

退院して3ヶ月―― 秋の気配が漂い始めた頃 退院後初めての検査があり 久しぶりに病院を訪れた。 逃げるようにして退院したものの 検査だけはしてもらいたかったので 予約を取っていた。 しばらくは3ヶ月毎の検査で 胸部レントゲン・腹部エコー・血液検査 やはり再発におびえていたのだろう。 検査の結果を聞きに行く度 診察室の前で待つ間、落ち着かない気持ちと なんとも言えない恐怖感が心を支配していた。 「結果が思わしくなかったらどうしよう…」 この気持ちは以前 患者の家族として味わった事があったなぁ… ふとそんな事を思ったりもしたが 今回は患者自身なので その恐怖は2倍にも3倍にも感じられた。 私って相当こわがりなのかな? その再発の恐怖と闘うために よいと言われる健康食品を 高いお金を出して買い求めてみたり… 時には、ちょっと変わった治療をしていると 言う場所へ出かけて行ったりもした。 とにかくあの頃の私は 医学なんかに頼らず、なんとか自分のやり方で 再発を防ぐ事に躍起になっていた。 医学なんてアテにならない… 医者なんて信用できない… 今やっと健康を取り戻したのに なぜ、薬でカラダをボロボロにしようとするの? もっといい方法があるはず… その一方で―― がんの事を忘れよう忘れようとする自分もいた。 まだ再発もしていないのに考えても仕方ない。 できるだけ楽しく毎日を過ごそう そう思う事で気持ちを立て直していった。 その頃から 私は将来に夢を持つという事をしなくなった。 持っても仕方ない。そう思えたからだ。 人間明日はどうなるかわからないんだから… だったら今日一日を精一杯生きる事だけを 考えよう なんかカッコいいみたいだけど 今から考えると、あの頃の私は そう思う事で、自分のやっていた事を 正当化しようとしていたのかも… ともかく 日常生活を送る分には 何不自由なく暮らせていたわけで もちろん仕事にも復帰し、 社交ダンス教室へ通いながらの平穏な生活は 快適なものだった。 そして術後1年目の検査の日を迎えた。 しかし―― そこでとても不安になる出来事が待っていた… (>_
2007.04.27
コメント(4)

この本の著者 香取貴信さんの講演会へ参加しました。 DreamDoorさんのブログより 来年25周年を迎えるディズニーランド その人気の秘密はなんなのか? ディズニーランドで8年間、アルバイトをしていた香取さんが 実際に現場で経験し、先輩達から教わったそのノウハウを 体験談を交えながら、実に楽しく語って下さいました。 誰しも一度は行ったことのあるディズニーランド そこはまさにおとぎの国であり魔法の国です。 一歩中へ踏み込んだとたん そこは夢の世界 しかし、その顧客を満足させるための スタッフ達の努力たるや想像を絶するものがあります。 まず閉園後 園内すべて ピカピカに磨きをかけるんだそうです。 例えば 90頭のうまがあるメリーゴーランドの 一頭一頭を毎晩磨くんですって ディズニーランドでいうキレイとは 赤ちゃんがハイハイしても大丈夫なこと… つまり、毎朝グランドオープン時と まったく同じ状態で開園するために 毎晩毎晩、掃除は欠かすことがないのだそうです。 【誰にでもできる当たり前の事を 誰にも負けないくらいに徹底的におこなうこと】 香取さんはディズニーランドの中でも ジャングルクルーズとかシンデレラ城のミステリーツアー などのアトラクション部門の案内係りとして お客様を楽しませていたそうです。 もちろんそこにはきちんとしたマニュアルがあり、 その通りのセリフを言っているわけですが そこに心が入っていないとお客様は満足しない。 スタッフとして、お客様の夢を壊してはいけない。 そんな使命感を持つ事が大切だと 先輩に教えられたそうです。 【マニュアルを超えるサービスの実現は「使命感」から】 ディズニーランドから教わること―― いろんなところに役立ちそうですね
2007.04.25
コメント(4)

私は退院して2日目に京都へおもむいている。 某下着メーカーの本社に行くためだった。 何しに行ったかというと 自分のなくなったバストを補正するための パッドを買い求めるため… それは乳がん患者専用のパッドで シリコンでできている優れもの☆ 2万円もする高価なパッドではあるが バランスの悪いバストラインを補正するためには どうしても必要な物 病院で紹介され、重さや形がいろいろあるとの事で 直接、パッドを販売している本社へ行った。 なんで本社まで? そこにしか見本が置いてないから…(>_
2007.04.24
コメント(2)

退院してひと月ほどがたった。 あいかわらず気持ちは晴れず 心の安静はどこへ行ってしまったのか…(>_
2007.04.18
コメント(1)

2002年7月 約3週間の入院生活を終え 私は無事退院した。 サッカーのワールドカップも終わり、 世間の話題は高校野球に移っていた。 たった3週間なのに カラダは病院生活に慣れきっていて あんなに憧れていた日常生活が とてもぎこちない。 まず暑さに参ってしまった。 空調の効いた病院内はいつも快適な室温。 それに比べ、家の中は湿度がとても高く、 じめじめ・むしむし 病院内では朝・昼・晩と全て給食 お世辞にも美味しいとは言えないが それでも自分で作らなくてもいいから 楽ちんなのだ。 家に帰れば、食欲がなくても とりあえず何か作らなくてはならず… それに私の心はいつも不安が支配していた。 あの時の心境はとても複雑で 無事手術も終わり、希望通り退院できた喜びより これから先の不安のほうが大きかったように思う。 これから先の不安… それは【再発】 この二文字がそれからずっと 私の心を苦しめる事になる。 それなら何故抗がん剤を拒否したのか? 私にはどうしても忘れることができない 前年の出来事がすっかりトラウマとなってしまっていた。 前年の春、主人と私は和歌山にある某大学病院の 診察室に居た。 そこで言い渡された惨い宣告… 主人のカラダを蝕んでいたがんは 日本人には稀ながんでかなり悪性なもの 1年以内の生存率は20%… それでもその20%にかけて 抗がん剤治療をスタート しかし、いっこうによくならず、 と言うより 進行を止める事すらできず、 益々、腫瘍は広がるばかり… こんなにつらい治療に耐え、 健康な細胞まで痛みつけているのに 何故? そして結局主人は、翌年の1月に亡くなってしまった。 この時のがん患者の家族としての経験が 私をずっと苦しめていた。 私が手術をしたのはそれから半年後の事 私がどうしてこれほどまでに西洋医学を嫌うのか その辺りに原因があるようだ。 そしてこのトラウマは誰にも言えず ひとりで抱え込んでしまったため それから4年間の間、ずっとひとりで苦しむ事になる。 孤独な闘いの始まりだった。 (つづく)
2007.04.16
コメント(0)

なぁなぁ… よしえさん 今スランプなんやて? そやねん ベリーがな うまく踊られへんねんて 始めてからちょうど3ヶ月が過ぎたところかな どうもカラダが固いんで あの独特の柔らかさ・しなやかさが出ないらしいで その固さたるや びっくりするほど… ねこの私らの柔軟さがうらやましいってさ それに今50肩で腕が後ろに回らへんらしいわ… う~~~ かわいそうやなぁ それにな 鏡に映るみにくい体型にもうんざりしてるとか… なんせへそ出しやから一番隠したい箇所が丸見えやろ? わかるわ その気持ち(≧▼≦;) がんばってほしいけどなぁ…
2007.04.12
コメント(6)

私が入院していた某大学病院は 建て替えてまもない建物で 病院内はとても明るく、清潔感溢れる病院だった。 設備も充実していて お見舞いの人が来ても、回りに気兼ねなく 歓談ができるようなスペースもちゃんと確保されていた。 ただ前にも話したが、患者はいわば医学生の勉強材料 私の手術の時も若い医学生が立ち会っていた。 注射もおぼつかない新米の医者がするので 失敗する事は日常茶飯事…(>_
2007.04.11
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1
![]()

