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こうして毎朝1錠ずつホルモン剤を服用しながら 自宅でのんびり過ごす毎日がしばらく続いた。 副作用もあまり感じることなく数日が過ぎた頃 あれ? ふとカラダの変化に気がついた。 それまでは、痛み止めの薬が切れると痛みがぶり返してきて しんどい思いをしていたのが あまり痛みを感じることなく一日を過ごす事ができているのである。 いい感じ いい感じ (^_^)v ホルモン治療がスタートしてから10日ほど経ったある日 私はおもいきって 鎮痛剤の服用をやめてみる事にした。 確信はなにもなかった。 H医師も効き目はすぐには現れないと 言っていたし、少なくとも2ヶ月は経過をみないと… そう思っていた。 しかし、予想に反して、 鎮痛剤なしでも 生活ができたのである。 多少の痛みは残っているものの がまんできないほどの痛みではない。 ちょっと嬉しくなった。 だが 両手の痺れと麻痺は相変わらず続いていたし 左腕全体が浮腫を起こしていたために 左腕はパンパンに腫れあがって 見るも無残な状況だった。(;´д` ) それでも家事の事は娘がやってくれていたので 私は一日中、DVDを鑑賞したり、読書をしたりと ホントにのんびりした生活を送っていた。 時折、 友人のJちゃんが 気分転換にと 私をランチやお茶に誘ってくれたりもした。 ありがたかった。 2006.8.30―― こうして4週間が過ぎ 病院へ行く日が来た。 あれから鎮痛剤は全く飲んでいなかった。 H医師に真っ先にその事を告げると とても嬉しそうに けれど半信半疑と言った表情で 「へぇ そうなんですか? それはよかったですね お薬が効いているのかもしれませんね。」 と言った。 たぶん、ホルモン剤でこれほど短期間で 効果が出た患者というのは稀なのであろう。 とにかく嬉しい誤算である。 そしてまたまた太めの注射針を私のお腹に ぶすっ! 痛っ (>_
2007.10.30
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2006.8.2―― いよいよ ホルモン治療がスタートした。 その日 まず診察室で注射をした。 下腹部のちょうど卵巣があるあたりだろうか。 そこへめがけて やや太めの針から薬が注入されていく。 針が太いので刺す時に多少痛みがあった。 チクッ! 痛っ (>_
2007.10.28
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抗がん剤をすれば 副作用の影響で自宅療養していても たぶんしばらくは起き上がれない状態になるかもしれない。 そんな状況になってもできるだけ快適に過ごせるようにと こども達の提案でベッドも購入していた。 ベッドが入る部屋の片付けもこども達がしてくれて もう準備万端整っていた。 臨戦態勢は出来上がっていたのだ。 ともかくH医師に相談しよう。 翌日の夜 H医師に面会し セカンドオピニオンの結果を報告 H医師の手元にも病理検査の資料が届いていたので 話しは早かった。 H医師はこう言った。 「確かにホルモン受容体ですので これならホルモン治療も有効でしょう。 こういった場合ホルモン治療を先に始め 次に抗がん剤といった手順が取られるのが一般的なのですが ○○さんの場合、腫瘍の大きさが大きいので 私としては、抗がん剤で先にがん細胞を叩いておいてから カラダを休める意味で途中 ホルモン治療をするのもいいかなと思ったのですが…」 「抗がん剤は強い薬なので 腫瘍が縮小する可能性は大きいです。 しかし、その分 副作用もかなりきついです。 だから日常生活は快適には送れないかもしれません。」 「それに比べ、ホルモン剤は女性ホルモンを抑制するだけのものですから カラダには優しいです。 ただ、がんに効くとしても緩やかなので長期的展望が必要です。 でもこれなら日常生活はいままで通り送れます。」 「○○さんの場合はまず背中の痛みを取る事が先決ですので 即効性を期待するなら抗がん剤でしょうね。 でもカラダにはかなりの負担がかかります。」 そして最後にこう付け加えた 「どちらを選ぶかは患者さん自身が決めることです。」 私は迷っていた。どちらを選べばいいのか… そして気になっている事をひとつ質問をした。 「先生、 ホルモン治療をしている間に 腫瘍が大きくなってしまうなんてことはないのでしょうか?」 「1年以上かかってそこまで大きくなったのですから 2~3ヶ月抗がん剤をしなかったからといって すぐに進行してしまうとは考えられません。」 私の心は決まった。 「ホルモン治療も有効だとわかった以上 やはりそれを先に試してみたいです。」 私はきっぱりと言った。 その言葉を受け H医師はゆっくりとした口調でこう言った。 「わかりました。 では明日の入院は取りやめにしましょう。 その代わり明後日8/2からホルモン治療を開始します。」 そして H医師は、ホルモン治療の内容を説明し始めた。 4週間に一度 お腹へゾラデックスという薬を注射 あとはタスオミンという経口薬を一日1回服用するだけ えっ? それだけでいいの? ゾラデックスもタスオミンもホルモン剤の一種で エストロゲンという女性ホルモンを抑制する薬。 要はわざと更年期を起こすようなもの。 だから副作用としては更年期障害に似た症状がでるとか… ホルモン受容体とは 女性ホルモンをえさに増殖していくがん細胞の事で つまりはそのえさを絶ってしまうおうというのだ。 抗がん剤は直接 がん細胞を攻撃するのに比べ ホルモン剤は間接的な攻撃になるわけだ。 ホルモン剤も何種類かあるようで 閉経前と閉経後では使用するホルモン剤が違うらしい。 さて こうして私の治療方針がやっと決まった。 まさに明日入院して抗がん剤治療する直前での 急転直下の出来事だった。 (つづく)
2007.10.26
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2006年7月31日―― いよいよセカンドオピニオンを聴きに行く日が来た。 その日は病院まで娘が運転をしてくれた。 主人が闘病生活を送っていた時 息子も娘もまだ免許を持っていなかったので 病院への往復はすべて私が運転していた。 でも今はこうして ふたりのこども達に頼って 私は助手席でただのんびり座っているだけでいい。 とても助かる。 夕方の6時の予約だった。 月末ということもあって道は大渋滞 高速は諦めて、一般道を走る事にした。 それでも何箇所か 渋滞に巻き込まれ 時間に間に合うかハラハラしながらようやく病院へ到着。 叔母が10数年前にやはり乳がんで入院していた病院で その当時、お見舞いに行った事を思い出した。 とても古い建物で、内部もお世辞にもきれいとは言い難いものだった。 しばらく待合室で待つ事になった。 担当医師がまだ来ていなかったからだ。 待合室の椅子に腰掛けていると、薬が切れてきたのか 刺すような痛みが背中を襲ってきた。 娘に背中をさすってもらいながら医者の到着を待つ。 周りを見回しても患者はひとりもいない。 外来はとっくに終了している時間である。 当然か。 セカンドオピニオンは 基本的には診察も検査もしない。 ただ最初に受診した病院からの資料を元に 意見を述べるだけのもの。 だから時間外の診療となる。 しばらくすると名前を呼ばれた。 娘とふたりで診察室へと入って行った。 私の手には4年前に手術をした病院からの病理検査の資料があった。 取り寄せていた資料がやっと手元に届いたので それも合わせて判断を仰ぐことにした。 担当医師は病院からの資料を一通り、目を通して、 そして話し始めた。 「なるほど… 確かに抗がん剤が一番有効であるとは思いますが… そうですねぇ~ あなたの場合はホルモン受容体なので 先にホルモン治療をするというのもひとつの選択肢かもしれませんね。 一度もホルモン剤を服用していないのであれば かなり期待が持てるかもしれませんよ。」 そう告げられた。 予想外の言葉だった。 ん? そうなの? あれ? どうしよ? もう明後日には入院して 翌日抗がん剤治療を始めるって決めてるのに… 戸惑いは隠せなかった。 しかし、とにかく 選択肢がまたひとつ増えたことは嬉しいことだった。 さてさて どうしようか? 娘に意見を求めると 「お母さんの納得のいく方法をとればいい」と言ってくれた。 でも入院は明後日 迷っている時間はない。 でも迷うなぁ~~ とにかくH医師にこの事を伝えて相談しないと… すぐにM総合病院へ電話してH医師に会いたい旨を伝えた。 H医師は明日の夜でよければ時間を作ってくれると言う事なので 早速予約を入れた。 抗がん剤はできれば避けたい治療 もし、ホルモン治療が有効ならそちらを先にしてみたい。 でも抗がん剤をする気になって、入院の準備はもちろんのこと 心の準備もばっちりできているのに… どうしたものか? 私の心の中は乱れ始めた。 (つづく)
2007.10.24
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秋晴れの土曜日―― 女性グループ5名で、奈良の天理から桜井までの 【山の辺の道】散策を満喫して来たよしえさん… 最近はお家で、ぐうたらしてる事が多く、 運動らしい運動もせんと 急にそんな歩いてだいじょぶか…? と心配しとったんやけど なんとかみんなについて行けたみたいで ホッ… でもな なんせ15キロ近くの道のり 途中 けっこう急な坂道とかもあって やっぱ 運動不足のよしえさんには応えたそうな (^ ^;)ゞ 最初の2キロ地点で まず石上神社に立ち寄った一行… 石上と書いて「いそのかみ」って読むんやて 木漏れ日が差し込む森の中を進んでいくと 一気にそこは開けた田園地帯が広がってて 稲穂がたわわに実って 収穫の時を待っているって感じやね 道のあちこちには柿の木もあって 美味しそうな柿の実がいっぱい ヅルっ… あは よだれが~~~ (~o~) 途中 休憩所に立ち寄って しばしソフトクリームに舌鼓を打つよしえさん これまた美味しそうやなぁ~~ 少し休憩して元気が出た一行は 長岳寺目指してひたすら歩け歩け 朝はずいぶん冷え込んでたんで よしえさん毛糸のセーター着込んで行ったけど 歩いてたら 暑かったんちゃうかな? でも ススキの穂やコスモスたちが 秋の訪れを告げているかのよう… そしてさすが万葉の里 道端の至る所で見かける歌碑 朝9時半頃から歩き始めて ちょうどお昼頃 長岳寺に着いた一行は そこでお弁当タイム… そこで 人なつこいねこに出会ったんやて 気持ちよさそうにひなたぼっこしてるにゃ(~o~) お腹もいっぱいになって 元気回復した一行は 桜井の大神神社目指してまた歩け歩け 途中の農家の軒先には 採れたての柿やみかん 枝豆や里芋が並べてあって どれも100円で売ってるんやて のどかやなぁ~~ 大神神社までにいくつもの神社があって ホントはひとつひとつ立ち寄りながら桜井を目指すんやけど よしえさんがだいぶ疲れてたもんやから 途中、ずいぶん端折って先を急いでもろたそうや 奈良の景色を一望できる展望台で 小休止…ここでちょうど3時頃 ひんやりとした秋風が気持ちよさそう… でついに目的地大神神社 またの名を三輪明神に到着ぅ☆ しんどかったけど 久しぶりに自然を満喫したよしえさん 心地よい疲れで その日は早々に寝てしまいましたわ
2007.10.22
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楽しいイベントの司会をしてきました。 7月にも同じ会場で 同じ団体【リターントゥヒューマン学院】が主催するパーティがあったんですが 今回も、ご指名を頂いて行って参りました。 「偉業主交流会&平井七重バースデーパーティ」 と銘打ったこのイベント 会場にはたくさんのゲストの方々がお越しになり、 とてもにぎやかで華やいだ雰囲気です。 偉業といっても 「偉い事を成し遂げた人達」 という意味ではなくて みなさんひとりひとりが「この世に生まれた」 それ自体がとてつもなく偉業なんだという意味を込めて 平井さんが命名したものです。 そして、平井ななえさん曰く 「誕生日というのは自分がこの世に生まれた大切な記念日であり 命を授けてくれた両親に対して感謝する日でもあり そしてなにより 自分を支えてくれているすべての人たちに感謝する日である」…と まったくその通りだと思います。 平井さんはこのイベントを通して そんなメッセージをゲストの方々に伝えたかったのでしょう☆ この日は2組のミュージシャンのライブもあり 会場はとても華やいだ雰囲気でいっぱいでした。 最後はAI(あい)の曲「Story」をみんなで大合唱 こういうイベントっていいですね。 司会しててもワクワクしてきます。(~o~)
2007.10.19
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2006年7月末―― 入院するまでの間 私がまず行なったのは がんのイメージ療法として広く知られている 「サイモントン療法」のCDを毎晩聴くことだった。 そのCDにはヒーリング音楽がバックに流れ 癒しの言葉でナレーションが入っているものだ。 がんがカラダから消え、健康になっていくイメージを頭に描いていく… そんな内容のナレーションだ。 人間が描くイメージは カラダにとても大きな影響力を持つ と言われている。 「病気はあなたがあなたの本性から離れてしまっている事を 伝えるためのメッセンジャーといえます。 あなたが真のあなた(あるがままのあなた)を受け入れた時 そこに癒しが訪れます。」 「がん細胞はあなたをいじめたりはしません。 あなたは必ず勝ちます。 がん細胞がまるで氷が溶けていくように、 カラダから消えていくのを想像してみましょう。」 そんなナレーションが約40分間 繰り返し繰り返し耳から脳へと入っていく。 気づくと ウトウト眠ってしまう事もあった。 でも気持ちが自然と安らいだ。 こんな厳しい状況下でも心は平安だった。 いままでに味わった事のない心の平安 とても不思議な感覚だった。 (つづく)
2007.10.16
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とても落ち込んでます。( ̄Д ̄;) あるイベントの司会のお仕事でした。 以前、私の司会ぶりをご覧になった女性から 直接、仕事の依頼を受けたもので 新大阪にあるメルパルクOSAKAのホールで 某ネットワークビジネスのイベント 男性司会者とふたりでの掛け合いの司会 でなぜ落ち込んでいるかというと スタートしてすぐに主催者の紹介をしないと いけなかったんです。 ステージの中央で少しだけ 男性司会者と会話形式でお話しをしたあと 「それでは、最初のプログラムに移りたいと思います。 まず 主催者を代表して… …」 その瞬間 頭が真っ白になったんです。 言葉が出てこないぃ~~~! ここで会社名を言わないといけないのに それが出てこないんです。 あれだけ練習してたのに… なんでなんで?? 確かにリハーサルの時から 会社名のところで 詰まってしまって いや~な予感はあったんです。 だからこそ 本番までの時間にそこだけ 何回も練習してたのにぃ~~ 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 頭が真っ白になって何も浮かんでこないんです。 プロになってこんな事 初めてです。 いままでにない緊張感が心を支配してたのも確かです。 最初から雰囲気にのまれていた感はありました。 言い訳したい事は山ほどあるけれど 私はプロです。 どんな状況下でも そんな事になってはいけないのです。(>_
2007.10.14
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検査結果を聞いた次の日 セカンドオピニオンを受けるべく H医師から預かった診断書とCT画像を息子に頼んで 成人病センターに持って行ってもらった。 それを元に向こうの医師が他に治療方法がないかどうか を判断し、後日外来でその結果を聞くというものだった。 その日は7/31と決まった 入院の2日前だった。 自分のカラダと向き合って 今すべき事がようやく見えてきた。 これからだ。 そんな思いだった。 末期というわけではなかったが ステージはすでに4~5である事には変わりない。 でもこの頃から 私の心にひとつの確信のようなものが 芽生えていた。 『病気を治すのはあくまでも自分であって他人ではない。』 だから医者や薬に頼るのではなく 自分の治ろうとする気持ちが何より大事なのだという事 それって とても当たり前の事のように見えるが 実はこの気持ちに至るまでには けっこう時間がかかるように思う。 私は4年かかってしまった。 まず人は病気になると 医者にどうにかしてもらおうと医学に依存する。 でどうにもならないとわかると、藁をもすがる気持ちで やれ健康食品だの代替医療だのと 躍起になって高額のお金をかけて、そこに依存する。 でもどんなに最先端の医療を施されても よく効くという健康食品を摂取しても そこに依存している限り、ダメなんだと思う。 私はずっと西洋医学を否定し 代替医療や健康食品といわれる物に 依存し続けていた。 これはトラウマになってしまった心の傷を なんとか埋めたいという歪んだ考えから出ていた 行動だったように思う。 でも どうせ依存し続けるならその方法を信じて どっぷり依存すればよかったのかもしれないが こんな方法で果たしていいのか? 私はいつもその点に疑問を抱きながら 依存し切れずにいた。 なんとも中途半端な依存症だ。(^ ^;)ゞ そしてようやく依存症からも脱却する事ができた。 抗がん剤や健康食品や代替医療や それらすべてのものは どれも私が生きていくために必要なものだけど そこに依存してはいけない。 あくまでも 『自分の病気は自分が治す。』 その気持ちが一番大事なのだという事を…(^_^)v (つづく)
2007.10.04
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