草想記

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2009年11月22日
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カテゴリ: 覚え書き
先般テレビで所謂梨園の御曹司と普通のテレビドラマの若い俳優二人との対談があった。席上求められるままに歌舞伎の所作の一手を見せた折、明らかに若い俳優達が怯んだ。彼等も現在の人気者達。それなりに自負がちらつくのだがこの鍛え上げた伝統の技の重量感には、感性主体の若い演技者達も一目置かなければならないものを感じるらしい。

確かに鍛え上げた技には、その一代でない集積の重さが感じられる。伝統の力と言ってよい。しかし人の生きる道は何かとせめぎ合う正反対の物の間にある。時に一方が強くなりすぎると弊害も生じる、いかな伝統の結果も必ず初めがあった。最初から自然にあっったなんてえ物は人工のものには殆ど無い。伝統を振りかざす者は多くこの辺の事を軽んじすぎている。芸の世界、例えば絵画の部門でも故人としての作家の名も知れぬ作でも、原始的に生命観が脈動していれば十分現代人の心をも捉えうる。何の道でも心に触れる生命感が基本であることに変わりはない。磨き上げられた技もそれを失うか薄らいだら、多く命の把握を軽んじた結果形骸化する。その両者の間に人は挟まれて言わば押しくらまんじゅうの中もがきながら進もうとしている。
人という物は兎に角何でも磨こうという性質を持って居るとも言えるのだ。勿論歴史的には逆行現象もあれば、混乱もある。計ったように整然と前進する物ではない。それが人間社会の定めとも言える。何時の時代に生まれたか、温故知新という言葉が未だに命脈を保つ所以だ。





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最終更新日  2009年11月30日 06時30分07秒
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