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2007.01.31
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カテゴリ: 「道徳」について
 1月26日の日記、「中学校の道徳の『教科書』 その3」に、徒然なる人さんからコメントをいただきました。私の日記のカテゴリー「『道徳』について」をしっかりと読んで下さった上、真摯なコメントを下さいました。
 私自身の認識を再度考える良い機会をいただいたと考え、改めて、少しづつ「道徳」の「教科書(副読本)」や授業について、そして「学習指導要領」について、一人の中学生の親の立場から考えて書いていくことにしました。

 今日の日記は、「教科書(副読本)」について考えたことです。

 徒然なる人さんから、「道徳の教科書というものは存在しません。副読本はあります。」というご指摘をいただきました。


道徳はあくまでも副読本ですから、別に、それを題材に授業を行う必要はありません。
ただ、便宜上、購入しているだけです。
 道徳の授業で取り上げるべき価値項目は、「学習指導要領」に細かく記されていますので、それを参考になさってください。
 と、いうことは、道徳の授業は、何をする場なのか、といいますと簡単に言えば、ある価値について生徒とともに深めていく場です。価値を教える場ではありません。ということは、絶対に価値を押しつける場であってはならないのです。


・・・・・・・・・・・・
 ご指摘と「教科書」と「副読本」の先生方にとっての意味、重みの違いを教えていただけてよかったと思います。また、「道徳教育」について、現場の先生方のご苦労をかいま見たように思います。徒然なる人さん、ありがとうございました。
 ご指摘をふまえた上で、私の日記のタイトルや文中の「道徳の教科書」という表記を「『道徳』の『教科書(副読本)』」と修正させていただきました。 

 やはり、素直に「副読本」と書けない私がいます。
 一度書いてしまったから、訂正するのが恥ずかしい、という気持が全くないとはいいませんけど、あのクラスにおいてある「道徳」の副読本は、通常「教科書」と呼ばれているからです。この前参観した、公開授業でも先生の生徒への呼びかけは「教科書を開いて」でした。

 授業を計画、実施する先生方にとっては、副読本と教科書の違いは大きなものでしょう。

 けれども、受ける側の生徒にとっては、あまり大きな違いはありません。
 「教科書」と呼ばれるものは「教科書」なのです。
 (もっとも、試験があるほかの教科、特に受験に必要な5教科の教科書のようには読まないでしょう。授業へのモチベーションを保つのも大変なことでしょう。)
 授業が面白くなければ、とりあえずボーッとしているとか、やることがないから目の前の「教科書」の授業と関係ない部分を読んでいる子もいることでしょう(昔の私がそうでした・・多分、とろろ丼もその口です・・)。もちろん、読み物として面白い話を読んで、つまらないと感じたら見ることもないでしょうけれど。「道徳」は受験に関係ないからと、頭の休み時間に当てている子もあるでしょうね。
 親の立場からしてみると、他の「教科書」と違って、通常家庭では見ることができないのが、「道徳」の「教科書(副読本)」です。書かれていることの全てが授業で扱われるわけではないにしても(それは自分の経験でなんとなく知っていることだと思います)、何が書かれているのかには興味があります。また、親の立場は納税者の立場でもありますが、「便宜上購入する」財源はやはり税金であるとも思います。「便宜上購入する」「副読本」であって、授業への影響力は個々の学校、先生方の取り組み次第であるにしても、「義務教育はこれを無償とする」の無償の中に入っているものです。この点で言えば、一般の「副読本」よりも、「心のノート」について、もっと興味を持って積極的に見ていく必要がありますね。

 現場の先生方の努力とご苦労は理解できます。

 学習指導要領に書かれている「価値」の中でも、児童・生徒にとって、自分の経験から離れている「価値」について、認識を深めていくためには、「価値」を具体化する素材が必要です。その素材を効率よく提供しているのが、「教科書(副読本)」といえるのではないでしょうか。副読本とはいえ、各出版社は、当然、「学習指導要領」を踏まえた作成をするわけです。また、より多くの学校に採用、購入してもらえるように、授業で使ってもらえるように、内容にも営業上も工夫を重ねているはずです。前の日記に引用した、光村図書の「年間指導計画例」なども、その工夫の一つだと考えます。
 もちろん、その結果としての「副読本」をどのように使うかは、現場の先生方にゆだねられてはいるのですが・・・

 大分長くなりました。

 続きはまた後日に・・
 パソコンの調子が悪いので、更新がなかなか出来ないこともあるかもしれません。
 W-ZERO3のメール更新が多い私ですが、やはり、きちんと考えたい時には、パソコンで調べ物をしながら書きたいので。
 ご意見、ご批判等お待ちしています。





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Last updated  2007.05.13 00:49:31
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トラックバックを有難うございました☆☆  
りうりう*  さん
お返事を書いておりましたら、凄い量になりましたので(汗)、
私の方もトラックバックさせていただきます。
よろしくお願い致します。 (2007.02.01 17:07:36)

Re:トラックバックを有難うございました☆☆(01/31)  
りうりう*さん

こちらこそ、トラックバックありがとうございました。「教育改革」問題に関しては、どうにも歯切れの悪いものいいが多くなってしまう私です。
言いたいことが、うまく文章にならず、途中で放り出したり、おちゃらけてみたり、してしまっているなぁとこの間の日記を自分で読み返して思いました。
結論から言ってしまうと、やっぱり「道徳」の授業は不要ですよね。 (2007.02.01 22:51:52)

Re:「道徳」の「教科書(副読本)」と書く理由(01/31)  
からす2006  さん
こんばんは。
先日はリンクを貼らせて頂き、色々考える機会を頂きました。ありがとうございました。

結論から言えば私も、本当に「道徳」の授業は不要だと思います。
(2007.02.02 00:01:16)

Re[1]:「道徳」の「教科書(副読本)」と書く理由(01/31)  
からす2006さん
>こんばんは。
>先日はリンクを貼らせて頂き、色々考える機会を頂きました。ありがとうございました。
>
>結論から言えば私も、本当に「道徳」の授業は不要だと思います。
-----
問題なのは、おそらく文部科学省も「教育再生会議」も、もっと言えば東京都教育委員会も、「道徳」の授業を不要だとは考えていないということです。そして、これらの行政の指向が、昨今のさまざまな少年事件や「いじめ」問題を背景にして、情緒的に支持されているらしいことです。

 私自身の考えでは、30人から40人もの生徒を相手に、学習指導要領に基づく一斉授業を行おうとした場合に、「徳目の詰め込み」や「価値の押し付け」ではない道徳の授業を実践するのは、無理だと思います。少なくとも、私が自分で実行できる自信は皆無です(私は教師ではありませんが・・)。5~6人、多くても10人くらいのグループ討議なら可能かもしれません。20人の規模でぎりぎり、運がよければなんとかなる、かな。でも、先生方は無理でもなんでもやらなくちゃならないんですよね。 学習指導要領に記載されているんですから。
 情緒的な反発にとどまらず、きちんとした批判ができるように勉強していきたいと思っています。 (2007.02.02 01:02:46)

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