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暇を持て余して 海を見に行った。 海上に浮かびあがった砂浜に 渡し船が着いている。 あとでわかったが TV関係者が島に取材に入っているようだ。 この砂浜は パンフレットでは 百合が浜と紹介されているはず。 案内板 は ゆいの浜?となってるが・・・、 寄る砂の浜 との意味らしい。 潮流にゆすられて 寄りあがってできる砂浜であることから 名付けられた。 展望所の名前はなんというのだろう。 私が聞き取りしたところ とぅーしのチジ と言ってたと 百歳近くのおばあ様から教えてもらった。 向かって 左側の浜に通り抜けできる 穴がある。 タイムトンネルと名前をつけたらしい。 未来に行くのか 過去に行くのか・・・、 現在だったのが 明日は 過去。 今、僕は タイムトンネルの中に居る。 他のブログからの貼り付けを試している。 今朝は上手くいった。 ゆいの丘」の看板が取り去られてしまった。 看板 目立たないように作成したかたの気配りが嬉しかった。 現在 環境省のネームの入った大きな看板が立っている場所 やっぱし とぅーしのチジ」と呼んでもらいたい。 タイムトンネルを通り抜けるための通路の工夫をしたいものだが・・・・。 ミナタ海岸での遊びも 写真に残しておかなければ もともとそういうものだったと思われるだけかもしれない。 自然の力は こつこつと地形を変えていっている。 石を移動してみた。
2018年01月31日
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人は死して名を残す 与論島に生まれて 名を残した人と言えるには 名誉町民、栄誉町民と呼ばれることであろう。 歴史に名が残るためには、 与論町誌に記録されれば一応は名を残すことにはなるだろうか。 町誌追録の編纂にあたり、執拗に人名を書きたがる人、 入れたがるかたがあって、 苦笑を誘うが、些細な団体の長として記録に残っても、あまり意味がない。 昔は自分の身内(祖父・区長として)が町誌に名前が載っていて嬉しかったことを思えば、 自分も同じだったことになるのだが・・・、 現在は昔と違って、 ごく普通の人がTVに出演したり、 新聞紙上で紹介されたりして、 必ずしも世の中に貢献したから名の知れた人になるというわけでもなくなった。 行政や学校関係の職員名簿を必要以上に載せて紙面の無駄が多い。 そんなのは、町誌を見なくても、 学校関係の発行物で、必要があれば調べられる。 町誌の追録に取り上げることは、 そんなバカげたことではなく、新しい見解を紹介することにあると思っていたが、 ついに切り出せなかった。 言ったら、 書かなければならないし、 責任が伴うので臆病になってしまった。 明日、最終校正の原稿の読み合わせがある。 私の執筆したのが二稿あるが、後世のかたの参考程度にとどめることにした。 全編を自分で構成し、その中で自分の考えを書かないと 上手くまとめられないことも分かった。 書きたい事実を隠さなければならないことなども出てきて、 町誌は難しい。 自己責任で書く記事程度が、僕には似合っている。 死して名を残せるような仕事に取り憑かれてしまった。 嬉しい 使命感に湧いている昨今だ。 長生きしてもっと調べて、記録を追加していきたい。 名誉町民と呼ばれるよりももっと大切なことが残せるかもしれない。 わたしが共同調査にあたった新記録が今後も続々とでてくるだろう。 私の先祖のことを調べるうちに もっともっといいことが明らかにされるであろう。 自分学でもある。 父のことを思いながら書いている。
2018年01月30日
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かぎりなくさびしけれども われは すぎこしみちをすてて まことにこよなきちからのみちをすてて いまだしらざるつちをふみ かなしくも すすむなり ・・・・そは わがこころのおきてにして また わがこころのよろこびのいづみなれば 高村光太郎 (さびしきみち より)ポカポカ日曜日・・・、また独り暮らしにもどった。寝すぎたせいで頭がぼんやりしているそれでも何か書かずにはいられない。 Rさんのこと。Yさん、弟の話など・・。今日は一日じゅう机に向かっていたい。 昨日は、弟が横浜より鹿児島に発つので見送りのつもりで昼前にアパートを出た。梶山君と3人で東横線で・・、彼らはラグビー部の写真撮影のため白楽で降りる。僕は横浜まで出て、スーツケースをロッカーにいれて人ごみをかきわけて駅にはいる。再び白楽にもどり、神大グランドに弟と待ち合わせパチンコなどで暇をつぶしたあと横浜にでる地下街を通って三越へ・・、すごーい人混みどこからこんな人が集まってくるのだろう・・・7階オーディオコーナーで時間をつぶしたテクニック社の黒のシリーズに魅かれた。弟がステレオに凝るとしたら黒のシリーズに挑戦するだろう・・ 人混みに疲れた彼を連れて、ステーションビルに行き喫茶でレスカを注文・・どこかしこも満員だ。 Eさんへのお土産を物色しているうちに時間がたって危うく汽車に乗り遅れるところだった。急いでロッカーの荷物を引き出し改札に向かうと混雑していて僕はホームに入れず彼だけが改札をぬけ急いでかけだした。 間に合ったかどうか心配しながら、東横線に疲れた体をあずけた。どうしてあんな失敗をしたのだろうか?時計のせい?それとも、不注意? 眠りがながかったせいでたくさん夢をみた身近なひとが出てくる夢は多い・・・Tが恋人になってボートに揺られていた・・、ハッピーな長い夢だったがほとんど思い出すことが出来ない。 「夢の中へ 夢の中へ・・行ってみたいとおもいませんか・・・」Rさんから手紙がきた。来年早々T学園を辞め、オペレーター学校に通う決心をしたこと彼女の父の病気のこと当分結婚なんかできそうにないことなど悩んでいる様子・・力になれるといいけど・・。 今夕忘れ物を取りに来るはずだったけれど手紙の様子では期待できないだろう。友達として付き合っていこうと話したのは今月の5日Yさんたちから逃れ、ふたりきりりで日暮れの道を歩いて送ったときこれからの夢、これまでのこと、静かな落ち着いた心の状態で話が出来る自分がとてもうれしかった。 それから一週間がすぎた。多忙にまぎれて、彼女のことを考えることもあまりなかった言いたいことのほとんどを話したから、 これから新しい生活が待っているあと数ヶ月しかない学生生活において、人生の主たるもの信念を育てなければならない。 12.13.月(晴れ) 今 何処にいるのか 僕は 貴方が移植した樹々の間を潜り抜けて 二人で遊んだ井戸端で作業している。 希望 祈りの場所 そして慰めの場所 空間を学んでいる。 時空を超えて。
2018年01月29日
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カテゴリ:カテゴリ未分類 昨日ごみ拾いした海岸で、求めていた粒ぞろいの砂をみつけたので採取してきた。ついでにハマボウフウ(薬草)も抜き取り栽培を試みることにした。 以前から目をつけていて、特産品として利用したいので栽培できるか畑に砂を持ち込んでの実験である。植え込み作業をおえたあと、敷き草をするために月桃を刈り取るとき蜂に左手の甲を刺されてしまった。手の甲がはれ、つっぱってうまく物が握れない。僕を刺したムサシはどうなっただろうか。夏の農作業これから気をつけなくては。 蜂の種類 チブルバチ(頭蜂) 和名を調べておこう ヌカバチ (糠蜂) ドゥルバチ(土蜂) 昨日の続き書こうとおもってたけど 気が乗らない。刺された手がかゆいので寝付けそうにない。海洋少年がせかせる、「蝶の楽園」作りにもそろそろ手がけよう。今日ギョボク2本植えた。 庭にある蝶の食草を増やして適地に配植しよう。そうそう、那間小学校のビオトープの池が作り直され広くなった。校長先生と次の作業についてはなしながらこのことが島中に波及することを願いながら、まず自分のパーマカルチャーをものにしたい。 楽天ブログを書き始めたころの文章を少しいじってみた。 2006年の夏の頃のこと。 そういえば クマんバチを見かけなくなったような気がする。 季節がきたら何処からか生まれてくるだろうか・・・? 旧暦で生活することを心がけよう。 ムーンライトせれなーで。
2018年01月28日
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道具を使ったら とても無理だと思っていた岩を動かすことができた。 まずはてこの原理を使ってみた。 砂利を移動することによって 波の力で 渚付近の汚れを浄化できないかの実証をしようとしている。 小石を拾って波打ち際に積んでみよう。 今日あたりから上げ潮になる。 左足の岩がどうなっていくかを 写真で撮って 砂の移動を 潮が変わるごとにどう変化するかをしらべてみたい。 左端の護岸近くに砂利を集めたい。 成功すれば 砂利を運ぶ距離が短くなる。 スコップを使うと 岩の移動が可能なことが分かった。 ここが ポイント。 潮目を変えたい。
2018年01月26日
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第五回になりました。
2018年01月22日
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綺麗と思うが 魚が住みにくい環境に変わっている。 このままではサンゴの再生どころではなくて、 海藻もなくなってしまった。 ここ数年 モズクもスーナも生えてこなくなった。 誰かの性にして 眺めているだけでは問題は解決しない。 一石を 並べてみよう。
2018年01月20日
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写真盾を利用するつもりで買ったのが 電池を入れ替えたら 時を刻む針が動いた。 儲けもの 1500円。 アカショウビンの柄のついた 天然木の杖 2千円で 水戸黄門の杖の気分に浸れる。 香炉を4千円で求めたが どう使うかがこれからの課題。
2018年01月19日
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大地を耕して耕地にして作物を作ってきたように海の浅瀬を耕したら海の作物ができないかと 発想してみた。海藻が少なくなった原因が何かがわかれば対策がとれるのだが、ここ与論島では未だ調査がされていないようだ。ようやく琉球大学と東京農大の研究者がミナタの海の再生の調査に着手しているので地元民として協力したいと思っている。子どものころから知り尽くしているこの海は海洋調査と称して離れ島の周りの磯でシャコガイ等や小魚、モズクヤスーナなどの海藻を獲物にしてきた。 ゴカイなどの生息地もきまったところにあった。写真上の磯の砂がないのは依然とほとんど変わっていないが海岸近くの船の通り道が船が通わなくなったので砂で埋まってしまった。そのせいだろうか、満ち潮や引き潮で潮の入れ替えが上手くできない場所ができてきているように思う。枝サンゴを壊してまで漁をしていたのだが、枝サンゴがなくなったら 魚の住む場所がなくって、魚も貝も海藻も少なくなってしまい、それに 自然保護運動が謳歌したせいもあってか、人も通わなくなって 自然のなせるままにしてきた。 人工物が悪者されて、昔はよかった 何もしない方がいい・・・、何もない方がこの島を起こす方策みたいに言われがちになっている。自然を壊して人工物を作って景観を損ねてはきたが、生活の不便さを解消してきた利点の方が大きい。どちらかを選択した住民に文句を言っても仕方ない。そこに暮らす人々の選択だったのだ。 写真のこの浜を歩きながら子どもの頃に覚えた 漁夫の利をいつも思い出す。 人生とは出会いである。 今日はひょっとして漁夫の利にありつけないかと浜辺を歩く。シャコガイにくちばしを挟まれた シロサギに出会えるかもしれない。 潮が引くとき陸の方から冷たい水が流れ出す磯がある。ここの水は潮が満ちてくるときも流れ出ていた。どうもここから流れてくる水の量が少なくなってきているように思う。 陸と海が共生している。特に地下水が重要な意味を思っているのは周知のことである。 このままでもこの海はきれいと思う。枝サンゴの再生の条件に適してないとすれば、無理はせずに 藻場を作ってみてはどうかと考えた。 私の手法で護岸近くに砂利をと砂を集めて見ようと思って始める事にした。この石を目印に実証してみよう。左端に石を三個並べてみた。 護岸と船揚げ場の斜路の基礎部分には先日から小石やらを拾って並べて置いた。砂利を運ぶための足場も兼ねているので、作業の効率をよくするためでもある。砂利を採ったところの量を補うために波が砂と砂利を運んできて埋めてくれる事を期待している。 砂利が盛り上がってきていることを確認できたが明日の潮でもとに引き戻されるかもしれない。ここのところで一工夫しなければならない。ここが 味噌なので今のところは 語らないし 語れるほどの力学は説明できない。実証しかない。 見ればわかる。海からの贈り物。朝起きるのが楽しくてしょうがない私です。 こんなこともやっております。 昨日看板を引き上げてきました。このパソコンはホ^無ページも開いています。セブンイレブン記念財団の助成金で整備されています。 応援 ありがとうございます。
2018年01月14日
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世帯分離から一年経っているが、何事もなく過ごすことができた。ウーファーの部屋に充てるために倉庫を改造して住めるようにしようとしてきて、今年の初日からこちらに寝泊まりしている。去年の一年を昼寝を試して暮らしてみた。TVのない生活、土足で居間に上がれる鶏のような、そして昼も夜もいつでも起きたり寝たりできる、時間に縛られていない暮らしができることを知った。三度の食事と洗濯は女房の世話になっているので年金の範囲内で賄ってもらっている。 トイレと風呂場を増設するのに200万あまりかかってしまって、資金のやりくりができなくて未完成に終わっているが、何とかなるさと思って、定住することに決めた。 本棚を移動して、本や雑誌、資料を運び込んだら人が住める環境に近づいてきている。ブロックの壁を何かで隠して、骨董品やゴミ捨て場から拾ったものを並べたら、私の悪趣味の空間ができつつある。 トイレに本棚を二つと祈る場所を設けるこちにした。トイレの空間が線香の香りで満たされる。 床と西側の壁を大工を雇える金が調達出来たら完成できるのだが、あと一年はかかりそうだ。 楽しみはカタツムリの背中に乗ってゆっくりとやってくる。それもありだ・・・・。 こつこつと 務める。セブンイレブン記念財団からいただいたパソコンも活用しなければならない。ホームぺージの更新が疎かになっているがヨロンマラソンに向けて沿道の修景美化に努めています。 やっと雨が降ってくれたので水かけ作業から解放された。
2018年01月12日
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