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何とかやっていけてる。この一年を振り返ると自分を変えようともがいた一念であった。 まず アルコール依存症に立ち向かって 完敗したこと。 一年かけて 三度か 四度もの節酒を試みたが やっぱり依存症に戻る自分を試した。 本に書いてある通りの結果になった。 このことが 今は納得できる。 本当に自分が依存症であること認めることができた。 竹本病院に入院したのは 説得されて、 それを進めてくれた相手の気持ちがうれしくて 受け入れたことをあらためて 思うことである。 入院途中で 母の死を口実に退院していることも それが証明できる事件だともいえる。 その他 あれこれあるけれど とにかくに 今は 飲まないで生きる人生を 選択した。 足の骨折のリハビリしながら 老後に向けての 暮らし方を考えている。 周りに支えられ 生きているが それに答えられるられるように 自分らしく暮らしたい 先祖の宿を借りている。 今を生きる
2022年01月31日
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骨折した足のリハビリを兼ねて 船倉海岸を散歩した。 離れ島といつか 砂の道でつながれることを期待しながら その様子を記録しようとしている。 去年と一昨年は 台風が接近してないので砂が海にひきずり落とされていない。 浜が ずいぶんと大きくなってきた。 植えたモンパノキも大きく育っている。 今年は 自然に生えたポンパの木も多く育っている。 間引きをして 鉢上げしたモンパノキを育てているが 海岸の高潮の来ない渚の見極めが 難しいところである。 失敗を繰り返しながら 打ち上げられた流木やサンゴ石で守ってあげる。 アザミなど 浜昼顔など 草トベラは強い 芝が生えてくる。 クロイワザサが広がってきたらさいわいだが ネナシカズラが寄生してしまう。 植物たちの戦う姿を見ていると 自然とは 厳しいものだと 感ずる。 朝日 実は 砂を 撮ったのです。 目線 と 足線 夢を叶えるために 日の出を拝む
2022年01月29日
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朝日 なかなか 出会えない。
2022年01月28日
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農業構造改善事業でプラスチック類の焼却ができることが分かって私が担当して取り組むことになったがその事業は 民間業者が独自の装置(ナチュナルキーパー)を設置することになって、私はその事業をパスすることができた。私にとって、このことは後で考えると(国の事業)死活問題にかかわっていたと、回顧している。、装置を導入してくださった社長に感謝して、焼却装置を自ら動かして、顔や手を真っ黒している姿を何度見て、社長のする滋賀とはないのにと・・・。焼却炉から出る煙や灰の苦情が役場の投書箱に届いて、議会でも大問題になった。 品はのゴミ焼却炉の撤去から、与論島では住民運動は盛んだったと振り返る。私の半生は ゴミ処理との戦いだったのではないかと 回顧している。 今日は 会長の告別式がある。親しく口をきいてくれた方だ。 思い出深いのは私が果樹振興会を務めたとき、石垣島での研修旅行で、社長を助手席に乗せて車を運転した。社長が二十歳前のころ、この島で大工をしたとの話をきいた。苦労話はためになる。何かの縁でつながってるとおもった。私の借金コンクリートの二階建ての家は社長が請け負って、また受けしたのは沖縄の業者で 又吉さんが現場監督だった。私の屋敷には大きなガジュマルが3本ぐらい残っていてキジムナーの住みそうな屋敷だった。キジムナーの祟りではないだろうが、現場で働いていた人が、スナックでけんかして あの世に行った悲しい出来事もあった。 ラン 、畜産、ソリダコなどきりばな、そして今マンゴーの産地形成の 試作をしてくれた方である。 建設業で成功をした裏もわかってもらいたい。 農業ではもうかってはいないと思う。 また、廃棄物処理に貢献したこと特にわたしが公言すべきだと思い 会長に改めてお礼を申し上げます。 同じ竹ですが 私とは格が違う 武です・。 安らかに 昇天して 紫煙になってください。 盛窪より
2022年01月27日
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グラジオラスのことを言う。 栽培種のグラジオラスが切り花の用途に試作されたのは、昭和55年のことである。飛行場勤務から産業化勤務に,4月1日 配置換えになった。町立診療の所長に配置換えになたNさんが、俺がお前を呼んだんだから「頑張れよ」と励ましてくれた。父が「長一先生」と尊敬していた方からの声掛けは嬉しかった。 辞令をもらった机は、臨時職員(女性)の隣だった。雑用係でのスタートと覚悟はしていたが、二名の女子職員の隣の座席は,課長から一番遠いのがいい。係長はごっつい男だった。課長はひょろりとして、風が吹けば倒れそうな弱弱しい風情、たばこのくわえ、机の上に、教育委員会から書類を移動していらっしゃる。話をしたこともなかったので、人事の意味が分からなかった。 あとは 覚えてないので・・・。 議連会という組織があった。正式には与論町農業技術連絡協議会である。これの担当を従来から園芸担当が担っていたらしい。園芸担当は農政の副担当もかねていた。私の前任者はベテランの職員だったようで、私にはこの任務が大きいので女性の臨時職員を付けてくれた。 産業課は、糖業、畜産、漁業、水田、園芸、そして獣医がおる農業共済も抱えた大所帯であった。 さて当時に戻ってろう。現場に集合がかかった。 議連会でグラジオラスの球根を掘るから、元課長の家の前に集まれのこと、場所を係長に聞いて出かけてきたが誰もいない、道具もない、雑草(ノーダキ)が繁茂している畑にはグラジオラスが生えた様子も見られない。 圃場の場所を間違えたのかと不安になっているところに農協の職員だと名乗る男が現れた。 相撲でも取りそうな 猛者の風貌をしてた。後で 今も、先輩としたっている こーとぅみマニュ兄との出会いである。 二人だけで ノーダキの中に潜んだ グラジオラスの球根掘り取りの作業が 今の与論島における 切り花産地の第一歩になった。 汗をかいて帰ってきたとき、課長が一人残っていた。 「今日は働いた気がする」と課長の報告した。 俺が責任を持つから、お前は 思ったことをやってくれ、グラジオラスの種は前の課長から引き継いだものだ。課長に言われた、島の産業はあなたにかかっている。」 嬉しかった。 課長との思い出は たくさんある。 いつかまた 拾いだして 笑い話を書こう。 課長は一度は追い返された黄泉の国で 愛妻を待っていただろう。 今日は その愛妻の告別式 別れを告げに行こう。 長男の息子が後を継いでいる。 西区集落誌を書きたいと言ってた。 西区に次いで 古里の集落誌も真似した書こうとおもった。 そのころからシニグに興味を持ったのだろ。 ヤギンクス花を造って 台湾にいこう」 大分県の 一村一品運動を真似た そういえば自費で 大山村にも行った 花き振興振興をリニューアルして、 現在に至っている。 おかげさまで 私は公費を使って 優秀農家を引率し最初の海外研修旅行をすることもできた。 台湾研修旅行は大変役に立った。 果樹振興会を立ち上げたのも 野菜振興会の活動をさせてもらったのも あの時の 課長の 「議会で怒られるのはわたしだから お前の思い通りにやれ」と言ってくださった 一言が大きかった。 その年度に 課長の代理で 議会の行政視察のかばん持ちをさせてもらったのは幸いだった。 一週間 沖縄の先島を視察した。
2022年01月26日
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足が むくんできた。 健全な足に 無理が来た。
2022年01月25日
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あけましておめでとう。いい年になりますように祈ります。 2時57分 軽い痛みと尿が我慢できなくて目が覚めた。時間が気になり携帯を見ると2時を回っていた。新しい年の目覚めだ。着信メールは妹だった。愛、優しさを感じる。正太郎とミチルからは返事はなく、寂しい気にさせられる。それぞれに事情はあるだろうが、親としては何らかの慰めのことば、励ましは期待していた。お願いや頼みはしなくても、お墓参りや正月の飾りつけしてくれたものだと信じたい。信じている」と書けないわが身がつらい。子供に期待しない」とは言ってはみても、先祖の墓を守る使命の教育が至らなかったと反省してももう遅いので諦めよう。新しい彼らの生き方を許して、これからの自分の生活をしていくことをここに記す。帰ってから思い直すことがあったら 幸いだ。 新し年明けの目覚めは神オムツの交換運が付く。川柳で表現しようと頭をひねってみたが 字余りで いいのが思いつかない。AAの勤めを終えた。 7時08分 朝食を待ちながら書いている。「私が奇跡」に書かれているように自分の身にも奇跡を起こそう。続けること、例外を作らないことが肝心だ!
2022年01月24日
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AAメンバーからの AAめんばーのための メッセージ1月23日 23日は祖母ウィクの月命日だ。 33年忌を済ませたので 高祖と一緒に 旧暦の11日に合祀しした。 しかしなぜか私にとっては 23日は特別な日である。 楽しんでますか? 私たちは陰気な人間の集まりではない。新しい仲間が、私たちの生き方に何の喜びも楽しみも見つけられなければ、彼らは私たちのように生きることを望むわけはない。人生を大いに楽しむことを、私たちは全面の強調したい。私たちは世界の状況を皮肉ったり、世界中のモメゴトを自分の肩に背負ったりはしない。 アルコホーリクス・アノミマス p192 私は ある(*´ε`*)チュッチュ病院にお世話になり完全断酒7年後 自分の意思でのめるかもしれない妄想をえがいて禁断種を2年繰り返し其の結果 救急車のお世話になり 命を救われました。 完敗しました、最初から 始めることにしました。 命が欲しいことが まだ やりたいことがあります。 去年の10月28日が初日です。 私は アルコール依存症を認め この本にすがりました。 そして 今日も 新しく 生まれ変わります。 私が傷つけた すべての人に お詫びし また感謝します。 黙想
2022年01月23日
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宇宙創造の神様 天と地と海の神様 家屋敷、先祖代々の神様に祈っている 先祖代々の神様、やー屋敷の神様、資光じいさん、ウィク祖母ちゃん、諭吉おじさん 慶子、雅也さん、正起お父さん、キク祖母ちゃん、 ちっとーとぅ神様・・・・・・。 と、祝詞を毎朝あげている。 願いが届いたようだ。昨日、与論港コースタルリゾートで作業をしていたら携帯が鳴った。思いがけない人からの電話だった。待ってたことが 偶然に やってきた。 わらしべ長者の道をたどりそうだ。 海のゴミ拾いが 宝の山になる。 環境課長と係長がコンビで 軽石の袋をユニック車でおろしている姿を見てきたばかりだった。 彼らなら 上手いこと考えてるだろうと 何も話さず 頑張っている姿に 合図してきたばかりだった。 何かが始まる 予感は的中した。 松田さんは 月曜日から始めようとやる気満々 ちーと、早すぎる気はするが 待ったなしで やるか 今日から 準備を始めよう。 彼が言った。 夢は売るものジャーない。 叶えるものだ。 友達して 夢を叶える。 山の神と海の神 合体 うんんぱる興産 アルコールには 降参する。
2022年01月22日
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3日三浦のりこの人生相談(下書き) 私と元妻の間には長男と娘ふたりがいます。長男とは屋敷内の別居です。孫は3名いますが長男には子供が授かりません。私はアルコール依存症でしたが元妻のおかげで立ち直りました。7年断酒を継続したが、学生時代に付き合っていた女性に再開したことが気かけで、再飲酒することになり、現在アルコール依存症の通院治療を行っています。 元妻と別れて1年半が過ぎ、今独り暮らしで骨折入院しています。元妻は私と意見の合わない長男の方を持つので、長男とは元旦をもって、縁をきりました。 遺産相続の問題があります。40年ぶりに会うことができた彼女は未亡人になってりました。再婚した未亡人の彼女には先夫と間に二人子供がおり、孫もいます。 独りでは寂しいので神奈川に住んでいる彼女と親しく付き合いたいと思っています。元妻のおかげで、病院にこれたので、この恩返しもしなければなりません。借金もしております。元妻はいずれは実家(本土)に戻るといっています。 三浦さんの占いでは いいことばかり書いてあるので信じがたいですが、わらにもすがる思いで相談しました。 かしこみ かしこみ 相談します。 凡 じいじい の あこがれの うるまの旅路 日記より転記 この占いのメールのおかげで 入院の退屈をしのぎました。 SMSも使えるようになりました。 催促メールが激しかったので もしや 詐欺にひっかったと覚悟したのですが 数日前から 来なくなりました。 めでたし めでたし。
2022年01月21日
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趣味が合う。何か感じる。 幸せな 予感。 4月から 始動開始
2022年01月20日
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風葬などをしらべてきた墓地のことなどこれまで考えたことやってきたことを少しまとめてみよう。 発端は私は 一体どこからきたのだろう何時かは死ぬ死んだらどこに行くのだろ・・・。魂はあるのだろうかなどなどである。 今 私は 2つの墓守と 一つの風葬墓 氏子の神社を拝んでいる。 家には 神棚が うぷどぅく なかどぅく 高どぅく の三つがあり 蝋燭たてと線香たてがある。 毎朝一番にやることは 湯を沸かし お茶を供え 祝詞を唱え 生活が始まる。 49歳ごろから 親父に代わってやってきた。 30歳ごろには いずれ自分がしなければと心していたと思う。 30歳の時 結婚した。
2022年01月20日
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写真だけでも撮りこもう。
2022年01月19日
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17日は父(正起)の命日だ。 父を超えられない自分がいつもある。 父親コンプレックスで育っていたのかもしれない。 ドン百姓」と嘆いていた父を思うとき、与論一の表彰状を上げたいと思った夢はかなった。 僕の誇りである。 父の後は僕には継げなかったが おかげさまで長男(正太郎)が継ぐことになった。 土地基盤整備された財産は彼に登記できるように、 国の農業後継者制度を利用するために東京から呼び寄せた。 8年になっている。 いんげんまめを栽培しているが 自立経営農家に着実に成長してくれた。 私が父とは対立した報いか 息子も私に相いれない態度をとるので2022年元旦に 入院さきかの電話で親子の縁を切った。 それ以来、同じ屋敷に住んでいるけれども お互い口をきいていない。 このまま頑固を通していく。 農業を家業としてきたが 今年からは林業を営む経営者に生まれ変わろうと思う。 準備期間は十分とったつもりである。 少しづつ 少しづ 果樹やら 観葉植物やら実験してきたが そろそろ旗を揚げようと思う。 森久保植木 この川窪の土地の有効利 盛窪ジーを守る。 環境を科学する」 ミニ博物館にしたいと思って ゴミ拾いをしてきた。 新しい手法の 循環型の暮らしを試している。 盛窪式の パーマカルチャー チョウや虫たちとの共生 海で死んだ魂が憩える 空間 琉球深海を 屋敷に想像している。 私の魂も いつか底に 戻る。 トンガの津波(波動)が 私のtamasiiにつながったあさ。 ぼんくら 爺 盛窪
2022年01月17日
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あけましておめでとう。いい年になりますようお祈りいたします。 2;57軽い痛み。尿が我慢できなくなったのか目が覚めた。時間が気になり携帯を見たら2時を回っていた。新しい年の目覚め、着信メールは妹だった。優しさを感じる。とうとう長男と末娘からは返事はなく、寂しい気にさせられる。それぞれ事情はあるだろうけれど、親としては何らかの慰めの言葉、励ましは期待していた。お願いや頼みはしなくても、お墓参りや正月の飾りつけはしてくれたものと信じたい。信じていると書けないわが身がつらい。子供に期待はしない」とは言ってはみても、先祖の墓守の使命を植え付ける教育が至らなかったと反省しても、もう遅いのであきらめよう。彼らの新しい生き方を認めて、わたしは私なりの新しい生活をしていこう」と記しておく。帰ってから、思い直すことがあったら幸いだ。 新しい年、早々の出来事は紙おむつの交換、それもウンチの、着替えさせてもらった。 おめでとう”川柳でも書いてみたい心境だ。
2022年01月15日
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無事 今日昼過ぎに 退院できた。車も乗れるので 軽い作業から始めてみる。 無理はしないこと。
2022年01月15日
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一月 入院していました。 昼過ぎに 帰った。 正月を 留守していたが 部屋が片付いていた。 元妻に 感謝。院 入院 退院 沖縄への送り迎え 支払い手続き等すべてお世話になった。 きっと 恩返しする。 今日 神に誓う。
2022年01月15日
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沖縄から飛行機で帰宅。自宅に一泊させてもらって、今日の午前中に、与論病院の再入院。 地域医療は私が思っていたよりうまくいっている実体験ができた。 入院体験記録をノートしてきた。 パソコンがなかったので 大学ノートの忘備録する。 続きを 今日も書きたい。 此処で 書いている。
2022年01月11日
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日の出には 間に合わなかったが 朝日は 撮れた。
2022年01月10日
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