何がきっかけになったのか憶えていないのですが、司書の方から、川上弘美さんの「蛇を踏む」が面白かったという話を聞きました。
図書室には「蛇を踏む」はなかったので、『センセイの鞄』を借りて読みました。
司書の方は、柄本明と小泉今日子でドラマになっていて、ホントにぴったりだった、と話しておられました。
読んでいくうちにその事に深く納得、川上さんは、柄本明を頭において書いたのではないかと(アテ書というヤツですね)おもったくらい。
文章も、設定もまったく違和感がありません。すんなりと小説の虚構の世界に入っていけました。使われている日本語にも感心するばかり。
お酒が呑めない私はほろ酔い加減で読み進みました。読み終えて、胸がきゅっとなり、切ない思いとなりました。
私は、センセイでも、月子さんでもない第三者として読み進んできて、最後の瞬間に月子さんになってしまいました。
還暦一歩手前の男の胸をきゅっとさせるとはたいしたものです。
日本語の達人だなと思いました。
これについては異論のある方もいらっしゃる事と思いますが、私はそう思いました。これは私の価値観であり、同時に私の偏見でもあります。
小説の好みなども個々人の価値観(私に言わせれば偏見)ではないかと思うのです。
このブログでは、私が読んで良かったと思う本を紹介しています。時間の無駄であったという本のことは書いていませんし、強い違和感を感じた本も取り上げません。世の中には、悪書を斬る!という人もいらっしゃいますが、私は、その本を読むことで時間を無駄に費やし、嫌な気分になり、同時に雑感を書き付けてさらに時間を浪費してしまうという結果にだけは陥りたくないのです。
できれば、いい本(私にとっての)ばかり読んで暮らしたいのですが、まだ修行が足りず中々そうは行きません。
話を元に戻します。
書店で「蛇を踏む」(文春文庫)を見つけて買い込み、電車の中で読みました。不思議な作品です。
「あとがき」のなかで、川上さんは、「うそばなし」と自らの小説を称していらっしゃいます。この姿勢が好きです。
ディネーセンの「アウト・オブ・アフリカ」を映画にした「愛と悲しみの果て」のなかで、メリル・ストリープが、ロバート・レッドフォードともう一人の男性に暖炉の近くで「お話」を語るシーンがあったと思います。
私もあんな「お話」が大好きなのです。
自分の読みたい日本語で書かれた小説をこれからも読みたいものだと思っています。
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