「こんな内容を書いた本はどこにもない」と著者は「あとがき」で書いていますが、そのとおりです。この本を初めて読んだときの驚きと興奮は今でも憶えています。
「触れれば落ちる野生種の粒、この性質は野生のものが種子を自然散布するのに適応した性質である。栽培種のほうはこれに反して鎌で刈り取る人間の収穫法に便利な性質である。人類は野生の穀類を利用し始め、その品種改良の初期に、野生の脱落性から非脱落性に改良したものと想像されている。」
知らなかった・・・。
「現在の栽培イネは、ほとんど一斉に出穂する。それが不ぞろいだったら、収穫は穂だけ選んでひとつの水田に何回も行くほうが合理的だ。稲作農業では、品種と農法の発達により、穂刈りから根刈りへと進歩する。」
弥生時代の石包丁は、穂刈りの道具。その当時の田んぼでは、稲穂のみのり方はバラバラであったわけです。
「バナナは種無しの果実という点では大発達である。果物類でバナナほど倍数性を上手に利用したものは、文明国でもまったく比べられるものがない。その改良は、ほとんどこんにち民族名すらはっきりしないような未開発地域の土民たちが成し遂げたものである。」
「種無しバナナ」、これは盲点でした。種がないのが当たり前と考えていましたから。
「人類はかつて猿であった時代から、毎日食べ続けてきて原子力を利用するようになった現代にまでやってきた。人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、芸術や学術のためよりも、食べるものを生み出す農業のために、いちばん多くの汗を流してきた。農業こそは、人間の努力の中心的存在である。」
と著者は書いていますが、これは冷静に考えればそのとおりです。食べ物を巡っての努力、そのままでは食べられなかったものを食べられるように改良した努力、それを知ることは私たちが暮らしている社会を少しまともにしてくれそうです。

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MoMo太郎009さん
つるひめ2004さんComments