『ヒトラーに抵抗した人々』副題 反ナチ市民の勇気とは何か 對馬達雄 中公新書 2015 年 11 月
中学生の時に、筑摩書房が発刊していたドキュメンタリーシリーズで、「アウシュビッツ」と「白バラ運動」を読み、高校生の時に『アンネの日記』 ( 旧版 ) を読んだ記憶はある。ただ、決定的になったのは学生時代にフロムの『自由からの逃走』を読んだことで、それから結構ナチス関係の本を読んできたと思っていたのだが、この本を読んでまたまた読みたい本が増えてしまった。困ったことである。紹介して下さった方に感謝と恨み言を言いたい気分である。
閑話休題。
ヒトラー体制に対するドイツ国民の支持はゆるぎないものであったと言える。「同意の独裁」と言われるゆえんである。国民大衆は「ナチ体制の経済的な受益者」として行動している。ナチスは失業者に職を与え、一般労働者にも無理のない負担で車を入手できるようにし、週 40 時間労働の実現、休暇日数の延長 (, 年平均 3~6 日から 12 日へ ) 、ベルリンオリンピックの開催を実現した。ただ、その裏では、政治的反対派の逮捕と収容所への拘禁、ユダヤ人の排除から虐殺、シンティ・ロマ ( ジプシー ) の逮捕と殺害、同性愛者の拘禁、障害者の殺害があった。
ただ、そのような事態は、ドイツ国民の大半を憤激させるようなものではなかった。ユダヤ人はドイツの総人口の 2% しかしめていない。しかし経済的影響力は絶大なものがあったので、彼らが財産を没収され、職場から追われたことで得ることができる利益を考慮すれば、積極的に反対する根拠はどこにもなかった。
ベルリン・フィル 120 人の正式メンバーのうちユダヤ人が 47 人を占めていた。、指揮者ブルーノ・ワルターもその一人だった。世界最高峰のオーケストラのポストが 47 も空き、指揮者の席も空いた。その席に就いたのはカラヤンであったが、その事について彼が激しい糾弾を受けたことはなかった ( この件については、戦後ドイツがナチとどう向き合ったかという問題につながる )
「欲求不満の小市民が独善的な憤激に我を忘れた時の感情爆発ほど非人間的なものはほとんどあるまい。そこではいわゆるまっとうな標準的市民が、どんな苛酷で非合法的な手段にもためらわず自己を同一化してしまうのである。」『ナチ・ドイツ 清潔な帝国』 H ・ P ・ブロイエル 人文書院 P31
横浜をはじめ、各地で起きた中学生によるホームレス襲撃事件のニュースを聞いた時にこの本が頭に浮かんだ。「清潔な帝国」。障害者も、シンティ・ロマも、同性愛者も、ユダヤ人もいない国。人々は一つの目標に向かって邁進し、ヒトラーユーゲントによって街はきれいに掃き清められ、「不良」と目された青少年たちは警察にしょっ引かれて、痛い目に遭わされる。こんな素敵な国があるだろうか ?
ヒトラーに抵抗した人々がまずぶつかったのは、この壁であった。密告の危険、逮捕されたメンバーが拷問に堪えかねて組織の全貌を明らかにしてしまう危険。それでも彼らは抵抗運動に身を投じている。「ドイツ人の反ナチ活動とは、報われない孤独な現実に身を投じることであった。にもかかわらず彼らはなぜそのように決断し行動したのであろう。この問いの行きつく先は、ヒトラーのドイツと異なる、彼らの思い描く祖国ドイツ、要するに『もう一つのドイツ』のためというほかない」 ( はじめに Ⅴ ) 。
この本は、市民、軍人の抵抗運動、ヒトラー暗殺計画を紹介している。抵抗の動機としては、隣人であったユダヤ人に対する理不尽な迫害への人道的な怒り、戦地で多発した戦時国際法を無視した捕虜の虐殺。キリスト教徒としてそれらの罪悪をみすごしにはできないという心情、このままヒトラーの独裁を放置することはドイツの滅亡につながるという「愛国心」等々である。
抵抗者たちは一つの問題にぶつかる。それは、「ナチ体制に対する抵抗」は、必然的に「ドイツの敗北を願う」ということとなり、「愛国心とは何か ? 」という問いを抵抗者たちに突きつけることとなる。また、印章を盗んだり、文書を偽造したりという「犯罪行為」も抵抗運動にはつきものである。
「ほんのわずかでも自分自身の利益を得ようものなら、我々はもはや反ナチのパイオニアではなく、闇屋だよ」 (p64)
抵抗者たちは逮捕され、処刑される。彼らは子どもたちに以下のような手紙を残している。
「機会があったら、いつでも人には親切にしなさい。助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが人生で一番大事な事です。だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきていっぱい勉強することになると、それだけ人々を助けることができるようになるのです。これから頑張ってね、さようなら。お父さんより」アドルフ・ライヒヴァイン P162
「君たちに言っておきたいことがあります。父は学校で学んでいた時から、偏狭で暴力に訴える考えや、不遜で寛容を欠く考えに反対してきました。そうした考えが、ドイツに根を張り、ナチ国家になって顕れ出たのです。それは暴力行為、人種迫害、信仰の否定、モノ中心の考えといった最悪のナショナリズムだったのです。こうした事態を克服しようと、父は一所懸命頑張りました。しかしナチスの立場からすると、そうした父は殺害せざるを得ないことになるのです」モルトケ P170
ドイツ国民大衆はヒトラーを支持し続けた。「国民 7500 万人中、ナチ党員数が入党制限の撤廃された 39 年 5 月以降に激増し、終戦時の 45 年には 850 万人超になった」 (P173) ことでもわかる。この現実を基礎として抵抗者たちは戦後構想を考えねばならなかった。彼らは単純な形での「ワイマール政の復興」を共通して拒否している。「民主主義のプログラムを持ってきても機能しないばかりか、第二のヒトラーのナチスが政権を握るという危険性を考慮しなければならなかった」 P178
「 ( ヒトラーにすべてを委ねるという授権法制定の意味が理解できないような ) 広範な人民をただちに自分たちの政治的運命を変える議論に参加させられない」 (P179) という意見も当然だったのである。選挙法は、間接民主制を大幅に取り入れ、直接民主制は最小限に抑えられている。そして、キリスト教の役割が重視されている。また 1943 年に作成された経済的構想は、現在の EU とうり二つのものといっていい。
第五章は「反ナチ市民の戦後」である。この部分については私の勉強不足で多くのことを知ることができた。戦後の「冷戦」の中で、抵抗運動は「政治的」に評価される。英米は、「集団としてのドイツの罪悪」を糾弾する必要から、「抵抗運動の存在」自体を過小評価、ないしは「なかったこと」としようとした。ドイツ国内でも抵抗運動に対する評価は低く、中には、ナチスが流した「第一次大戦の敗因は『後ろからの一刺し』にあった」とする見解と同一視するものもあった。抵抗運動に身を投じた人たちも自らの功績を誇ることもなく、むしろ、「これだけしかできなかった」という自らを責める心情によって沈黙した。
「人間どう生きるか」 ( 著者 あとがき ) に貫かれた本である。広く読まれて欲しいと思う。
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