『世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』山崎正弘 Gakken 2012 年
著者は「はじめに」で、次のように記している。
「本書は、これまで日本で刊行された数多くの太平洋戦争に関する文献とは異なり、日本を主体または「構図の中心」として描くことをせず、代わりに日本以外の各国 ( 未独立国の場合は各地域 ) ごとに、戦争当時の事情や国際社会における位置づけを独立した形で検証し、いったん日本とは切り離した形で「彼らにとっての太平洋戦争とは、どのような出来事だったのか」を、わかりやすく整理・解説することを試みたものである」 P4~5
これまで太平洋戦争と第二次世界大戦については何冊か読んできたのだが、既読感があったのは第六章「「大東亜共栄圏」の理想と現実」ぐらいで、序章の「チャンドラ・ボースとインド独立運動」から、付箋を多数貼る羽目となった。チャンドラ・ボースについてその人生の概要を知ることができ、ガンジーの事も知ることができた。
「あなた方が中国に対して行った攻撃を嫌悪しています。あなた方は、崇高な場所から、帝国主義的な野心の場所まで降りてしまいました」 (1942 年 7 月 17 日「ハリジャン」に投稿された「全ての日本人に」 )P37 というガンジーの思いは、「ロシアを破ったアジアの国日本」への大きな期待と尊敬の心を裏切られた失望感に満ちている。
インパール作戦に、ボースの率いるインド国民軍が参加していたことも初めて知った。結果は戦死 600 人、 2000 人が飢餓と伝染病で命を失うということとなる。あの戦後まで生き残り、恥を曝した牟田口廉也のもとで。
巻末の参考文献には載っていないが、『中村屋のボース』を読みたくなった。
また、「 1941 年 11 月 5 日の御前会議で最終的に可決された「自存自衛のための対米 ( 英蘭 ) 開戦」という日本側の開戦理由を「正当な動機」として理解した国は、日本の同盟国であったはずのドイツとイタリアも含め、世界中で皆無だった」 (P88) という部分は、勉強不足とはいえ驚かされた。完全に見透かされていたということになる。
真珠湾攻撃に対するヒトラーとリッベントロップの見解の違いは、興味がある。リッベントロップの悲観的な見方に対してヒトラーは何も言わなかったというが、ここいら辺は少しあたってみたくなった。
独立を保ったタイ、そしてモンゴルの対応は厳しい道のりであるとともに、「智恵」を感じさせる。タイの場合、剃刀の刃の上を渡るような芸当を演じている。タイの人たちは、「独立国家であり続けてきた」ことに大きなプライドを持っていると知人から聞いたことがあるが、さもありなんと思うとともに、このような智恵で国際社会の荒波を乗り切ってきたタイという国についてもっと知りたくなった。
日本ではほとんど知られていないオーストラリアへの日本軍の攻撃は、忘れてはならないと思う。ダーウィン爆撃、非武装の病院船撃沈、オーストラリア兵 1800人 を含む 2494 人が収容されていたボルネオ島のサンダカン捕虜収容所において脱走者 6 人を除く収容者全員の死亡などは、私もはじめて知った。たしか、『美味しんぼ』にちらっと取り上げられていたので、記憶しておられる方もあるかと思うが、この事実と死者の数はショックである。
そして何度も取り上げられているのが、東南アジア各国の風習に対する日本兵の無知から来る民心の離反である。日本軍の中では当たり前であった平手打ちが、各国では最大の侮辱と思われていたこと、特に僧侶に対する暴行と軽視は、許されざるものであったにもかかわらず、兵に対する何の教育も行われていない。もっぱら物資と資源に対する関心のみ先走りした結果といえよう。この事は、地図一枚もない島に放り込まれて戦いを強いられた兵たちの運命にもつながる。まさに「敵を知らず己を知らぬ」戦いであったことが分かる。
ホントにこういう本を一冊読むと関連書を何冊か読みたくなる。困ったことである。
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