波乗り舟の音のよきかな

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2021.11.01
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カテゴリ: 雑文
先日の職場の飲み会で、職場の人に結構レベルの高い落語好きの人がいたことが分かり、2人で2次会まで行き落語の話で盛り上がった。
親子そろって寄席に通い、マイナーな落語家を追いかけ、ページがなかった噺家のWikipediaを作成するほどのレベルの人で、凝り性のスゴい人だった。「子どもの頃、桂枝雀を生で見たことがある」という話は驚いた。
先輩「寿限無は言える?」
僕「それは酔ってなければ言えますよ」
先輩「じゃあ、金明竹は?」
僕「いや、それは言えません。カワズ飛び込む水の音ですよね?」
という会話をした。
僕の人生の中で、落語の話をする人はそれなりに何人かはいたのだけれど、そこまでディープな話をリアルの、しかも職場の人とすることになろうとは思わなかった。
漫画や映画、ゲームなど、楽しい娯楽が増えたから。漫才が強すぎるから。いろいろな理由が考えられる。古典芸能だから、古臭いイメージがあるのだろうと推測できる。
漫才はツービートや紳助・竜介、ダウンタウンのような、スクールカースト上位の人のイメージである。学校の明るくて面白く、楽しい、目立つ男の子たちはみんな漫才を真似する。対して落語を好きになるような人はスクールカースト下位「クラスの4軍」と言われているくらい、暗いイメージ。落語好きはオタクなイメージがある。
世の中のスピードに合っていないという意見もある。漫才が高速化していくように、お笑いのネタ番組の持ち時間がどんどん短くなっていくように、芸能だけではなく全てのものが短く、すぐに分かってすぐに楽しめるものを求めるようになっている。落語のネタを長尺で放送すると、飽きてチャンネルを変えられてしまう。テレビやラジオの黎明期は落語家が活躍していたのに、次第に落語家の仕事が漫才師等にとってか変わられて行ったのはそういう意味もあったのかもしれない。
だけれど、いまだにテレビのスターに落語関係の人は多い。北野武は落語立川流Bコースに所属していたし、元落語家の明石家さんまは笑福亭松之助の弟子、元落語家の伊集院光は六代目三遊亭圓楽の弟子、笑福亭鶴瓶は松鶴の弟子で現在も現役の落語家、月亭(山崎)方正は年を取ってから月亭八方に入門している。
明石家さんまや伊集院光のように落語家を廃業してタレントとして有名になるパターンと、北野武や月亭方正のように有名になってから落語に手を出すパターンがある様子である。
有名漫画家にも落語好きは多い。
『ONE PIECE』の尾田栄一郎は落語好きを公言していて、作中落語ネタが多い。「ツルー!!」はSBSでも書かれていないし、地獄八景亡者戯をもじった技名が最近出てきて笑った。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にも落語の話題が散見されるし、恐らく短編であの量を描くには落語を深く理解していないとできない。
『美味しんぼ』も同様、落語の話そのままみたいな話が時々あるし、落語家のキャラクターが何人か登場している。
『ドラえもん』に代表される藤子作品も、落語の話題があり、作品からも落語の香りがする。やはり短編連作で量を書く場合、落語を意識しない方が難しいと思う。
『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部で、丸々1話使って古典落語『狸賽』をやっていた回があって驚いた。
有名どころでは、あだち充が大の落語ファンで、「そんなの落語ファン以外誰が分かるんだ」という一見意味不明なセリフが作中に出てくることがある。何かと、アイテムに落語のCDやDVDが出てくる。『虹色とうがらし』には落語家のキャラクターが出ていた。
落語を好きな漫画家は信用できるというか、「落語を聴いたことなんてない」というような創作者はあまり信用できないと僕は思っている。
落語には物語のエッセンスが詰まっているからである。昔から人を楽しませる技術として語り継がれてきたもの、工夫され続けてきたものが落語であり、やはりそこから学び取れるものは大きいと思う。
落語は物語ももちろん魅力的なのだが、やはり口演することの力というものがある。僕は昔から本が好きで、多分中学生くらいの時は教師も含めて学校で一番読書をしていたと思う。今は全然読んでいないけど。その頃は物語の力だけを信じていた。例えば映画やアニメを観ていても、物語の筋だけを見ている感じだった。誰がどのような演技をしているのか、そんなことはあまり気にならず、「物語が面白ければ面白い」面白い話はあらすじだけでも面白いのだと漠然と思っていた節がある。この考え方は落語を聴いていくうちに薄まっていく。そもそも、落語や映画等の映像作品は視聴に時間がかかるのだから、小説や漫画等の媒体の方が同じ物語を摂取するならそちらの方が良いと思っていた。しかし違うのである。話芸には力がある。圧倒的な力がある。同じ物語を視聴するにしても、口演の仕方でニュアンスや解釈が変わる。そしてやはり、臨場感と迫力が違う。名演に出会うことで、話芸の力を信じられるようになった。そうなると、物語の筋以外の楽しさや魅力のようなものが見えてくるようになった。
あと、物語を重視するあまり、オチを最重要要素だと思っている人がいる。僕も昔そうだった。しかし、「違うんだ」と思えるようになった。「オチは一部の要素でしかないんだ」と。落語の下げは重要なものもあるけれど、下らない駄洒落、夢オチで終わるようなものも多く、そこに行きつくまでの過程や時間が大切なのだと思えるようになってきた。
ただ、ここまで書いてきたが、僕は落語にわかファンである。寄席に行ったことはない。映像媒体でしか見たことはない。演劇等もそうだけれど、落語は映像で観るより何倍も生で観る方が良いと言われている。格段に違うのだと。寄席に行きたい。東京なんかで暮らしたいとは思ったことはなかったけど、寄席に気軽に行けるなら東京で暮らしたいとは思う。というよりも他に都会で暮らすことのメリットが思い浮かばない。
小説家や映画監督、俳優は死してなお、偉大な作品が後世に残り続ける。落語も映像は残るけれど、それは魅力が生で観ることの何分の1かになっているものでしかない。芸人の最高の作品はその人の死と共に永遠に失われるのである。そういう意味で、贔屓の芸人がいるというのは素晴らしいことなのだと思う。「名人と同じ時代を生きることができた喜び」が落語をはじめとした話芸にはある。これは演劇や歌舞伎、宝塚の世界も似ていると思う。あるいは歌手のコンサートなど。
この人と同じ時代に生きることができて良かったと思えるくらいの贔屓(今時の言葉で言うところの「推し」)がいるということは、それだけで人生が豊かになると感じるのである。





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最終更新日  2021.11.01 21:53:02 コメントを書く
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