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2023.02.10
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テーマ: 読書(8290)

本のタイトル・作者



自分の意見で生きていこう 「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ [ ちきりん ]

本の目次・あらすじ


1 「意見」とはなにか、なぜ必要なのか
2 「反応」だけではダメな理由
3 SNS時代に「自分」を創る
4 生きづらさから脱却しよう
5 リーダーシップの最初の一歩
6 オリジナルの人生へ
 「意見」をもてるようになる4つのステップ

引用


「正解が言えないのは知識がないからだが、意見が言えないのは思考していないから」


感想


2023年026冊目
★★★★


ようやく読みました。
というか私、誰かと勘違いしていて、大阪の西成でホームレスの支援活動をしている社会学者みたいな人を想像していたんです。違った…。どこから出てきたそのイメージ。
著者情報には、

関西出身。バブル期に証券会社に就職。その後、米国での大学院留学、外資系企業勤務を経て2011年から文筆活動に専念。2005年開設の社会派ブログ「Chikirinの日記」は、日本有数のアクセスと読者数を誇る

とありました。

この本、説明に繰り返しの内容が多くてくどいな、とは思ったけど、中身は良かったです。
シリーズに『自分のアタマで考えよう』『自分の時間を取り戻そう』『マーケット感覚を身につけよう』がある。他のものも読んでみたくなった。

世の中のあらゆる問題には、「正解のある問題」と「正解のない問題」がある。
「正解のある問題」は、「正解」か「誤答」かで、これは「調べる」ことで答えを見つけることが出来る。
「正解のない問題」は、「私の意見」と無数の他者の意見があり、唯一の解はないため、「考える」ことしか出来ない。
そうして、今自分が悩んでいる問題は「正解のある問題」なのか(調べれば答えがわかるのか)、「正解のない問題」なのか(万人に共通する答えはないのか)をまず見極めることが必要。

…という内容。


市民参加型裁判の例が挙げられていて、私も裁判員裁判制度には、「そんなこと、法律の専門家でもないのに決められないのでは?」と思っていた。
でも、これは「正解のない問題」について、みんなで考えて結論を出そう、ということなんだな。
AIは過去にこれくらいの罪を犯した人がこれくらいの罪になりましたよ、と示すことは出来る。
けれどその人の量刑を決めることは出来ない。そこをしてはいけない。
それは思考の放棄であり、人間性の放棄だ。


大半の人は意見(思考)を発信しておらず、ただ反応しているだけ。

ネットの気持ち悪さというか、違和感はこれにあるんだろう。
みんなが発信者のように見えて、同じベースで、土俵で「意見」を交わしているようでいて、その実「私はこう思う」と「意見」として声を上げている人は少なく、「いいね」「まじ?」「ありえねー」「出典は?」みたいなガヤの、誰かに乗っかった「反応」が多い。
けれどその反応さえ、本人は意見だと思っている。発信だと。
だからもう、情報が玉石混交でぐっちゃんぐっちゃんで、ノイズまみれで疲れるんだよな、SNS。

ちきりんさんは「SNSが人気なのは、「意見のない人でも、あたかも意見のように見える反応を発信できるようになったから」」だという。
考えることを放棄して、ただ反応しているだけ。
いいね、リツイート、コメント。
それでもその人は何かを発信しているように見える。

ここらへんは、自分にも刺さった。
私がしていることって、果たして「意見」だろうか、「反応」だろうか?

確かに、反応している方が楽なんだよね。
特に何万といいね、何千とリツイートされているようなものであれば、「自分以外のみんなが是としている」というバックもある。安心して反応できる。
でもそれって、何か生み出すのか?別に生み出さない。

たとえばこのブログを書くときは、それなりの時間がかかる。
読んだ本を参照し、それから自分が受け取った情報、それについてどう考えるか。
文章を打ち、読んでみて流れを直し、投稿する。
一方でそれを読むのは一瞬だ。
「私はそうは思わないかな」と引用リツイートするなんて、十数秒で出来るよね。
思考することは、それを形にして世に発することは、カロリーを使う。
SNSが暇つぶしのアイテムであれば、それにそこまでエネルギーを使わないだろう。

(ところで、二次創作界隈で見かけた投稿で、「書くのに何時間かかっても、読まれるのは数分で虚しい」と誰かが言っていた。その時、他の人が「それぞれの数分×人数分の時間をあなたはもらっているんだよ」と返されていて、たしかにそうだなと思った。そしてどこかに発表され、残され、読まれ続ける限り、それは誰かの時間を取得し続けて、おそらくそれははじめに掛けられた時間を超える。創作って費用対効果ではないのだけれど、どこかにやっぱり「こんなことをしてもな」という虚無感があって、でも自分が作ったものがそれだけ世界に位置を占めるというのは、嬉しいことだ。)

ちきりんさんの指摘で興味深かったのは、多くの人は自身がSNSに投稿する際、それが「意見」か「反応」かを意識していないにも関わらず、人の投稿を見る際にはそれらを峻別しており、フォロワーが多いのはポジションを取って(=自身がどの立場化を表明して)、「意見」を表明し続けている人だという点。
確かに、続けて見たいと思う人は、引用リツイートであっても付加情報があったり、自身の知識を加えていたりする。

そして、継続して意見を表明することによって人格(キャラ)が伝わり、「この人はどんな人か」が伝わって承認され、ファンが出来てインフルエンサーが生まれるのだという。
しかし私が不思議なのは、「この人いいな」「すごいな」と思う人であっても、フォロワーが少ないということはある。
一方で、「こいつなんやねん」という人がフォロワーが多いこともある。往々にしてある。
あれは何なんだろう…。
フォロワーの数がすべてではないのだけれど、有益な情報を発信している人が埋もれてしまうのが残念。

はてさて、私は意見を言えているんだろうか。
この本を読み進めているうちに、そう感じてきた。
ただただ反応を繰り返しているだけなんじゃないだろうか。
考えているふりをしているだけなんじゃないだろうか。

ちきりんさんは、自分の意見をもつための4つのステップを挙げている。



3 自分に突っ込む(自分に反論し、さらにそれに反論する)
4 言語化する(意見を簡潔な文章にしてみる)
※ 自分の意見を決めるのに最低限必要な情報のみ調べる

特に「2」だよな。
賛成か反対か、自分のポジション(立ち位置)をはっきりさせてしまうと、軋轢を生む。
日本ならではの「空気を読む」文化にどっぷり使っているから、どうしても苦手。
「こんなこと言うと、叩かれるのでは?」とも思う。
ただ、このときに「賛成」「反対」を表明したことによる反論を他者から受けるのであれば、それもまた「意見」でなくては有益ではない。

あと個人的に気をつけたいのは、「正義感に気持ちよくなっちゃう」こと。
仕事で、私は年上だったり上司だったりしても、「私はそうは思わない、なぜなら〜」みたいなことを言ってしまう。
相手、凍りつく。笑
年下の女から言われると思ってないんだろうな。
というわけで私はあちこちに頭をぶつけている。

それが「正解のある問題」ならいい(それすら伝えるのに気を使っているのだが、私の気の使い方には「相手に伝えない」もしくは「オブラートに包んで伝える」ということが入っていないのだ)。
情報を提示して認識を合わせればいいだけだから。
「正解のない問題」について、「私は正しい!」みたいに声を上げてしまうと、声が大きい方や立場的なもので相手を威圧するだけになってしまう。
「それって別に正しくないよね?」「私が思ってるだけだよね?」という視点を常に持っていないと。

ちきりんさんは、この本を書いた理由を冒頭で述べている。

「世の中にも人生にも正解のない問題がたくさんある。そして、正解のない問題に自分なりの答え、すなわち意見がもてなければ、人生も生活もぐちゃぐちゃにされてしまう」


考えろ、考え続けろ、自分の頭で。
私は自分にいつも言い聞かせている。
自分のちっぽけな人生を、誰にも渡さないんだ。



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最終更新日  2023.02.10 00:00:17
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