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2023.03.20
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テーマ: 読書(8559)

本のタイトル・作者



この世の喜びよ [ 井戸川 射子 ]

本の目次・あらすじ


この世の喜びよ
マイホーム
キャンプ

引用


そうかな、と彼女は言い、そうかもしれない、と荒川を正面から見つめて笑うようにした、別にここで分かってもらう必要もないんだった、私がどんなに、昔一人でいられたかを、好きな場所に物を置けた。自覚していなかったけれどそれは確かに自由だったことを、荒川はメモに一応、一人、と書き込み下線を引いている。

「マイホーム」


感想


2023年057冊目
★★★

第168回芥川賞受賞作。

「この世の喜びよ」は、単身赴任の夫、年頃の2人の娘がいる中年の女性が主人公。
大型のショッピングモールに入る喪服店で働く彼女は、いつもフードコートにいる少女や、向かいのゲームセンターのアルバイト、そしてそこの常連といった人々と少しだけ接する。

「マイホーム」は、夫の実家が持つ土地に家を建てることになった女性。


「キャンプ」は、母と二人暮らしの少年が、おじが大学時代の友人たちと子連れキャンプに行く際に、子供がいないからと連れて行かれる話。
(人の名前を覚えられない少年に、私も!と激しく共感。)

どれもすごく大きな出来事が起こるというわけではない。
けれど日常の中にある小さな起伏が、その人を変えてしまう。
傍から見たら何も変わらないようなその流れの中で。




はじめ「え?」となったのは、表題作「この世の喜びよ」が二人称小説だったから。
つまり、「私は〜する」の主人公の一人称でもなく、「穂賀は〜する」という三人称(神目線)でもなく、「あなたは〜する」という二人称なの。
すごく奇妙な距離感。
でもこれ、ある意味でこの方が主人公への没入感がある。

私は、笑った。
だと、「それは私じゃないこの主人公」と自分が知っていて、その人が内面の動きを外部へ放出して表明していると受け取る。


だと、描写としてドラマや映画のように映像として、それを外側から見ている。
内側はわからないから、「悲しそうに笑った」や「はにかんで笑った」という推測や臆測が付く。

で、だ。
あなたは、笑った。
と書かれたときの、自分の感情の置きどころがわからないのだ。

だって私は笑っていないのに。「あなたは」笑った。
その「あなた」は主人公であり、外側から見ているのに、その誰かは「あなた」の内側も知っている。
「あなたは悲しくて笑った。」
そうか、私は悲しくて笑ったのか。ああ違う、その私は私ではないのだ。

書いている人は、きっとちいさなことに躓いて、些細なことに傷ついて来た人なんだろうなと思った。
その、きれいなガラスについた掠り傷みたいなものを、じっと見てきた人なんだろうな。
とりとめのない、流れていく感情。
鈍化して、摩耗して、忘却していく日常。
多くの人が過ぎ去るそれらを覚えていて、こうして書いているだろう。

私がアルバイトをしていた頃、休憩室に注意書きだかの張り紙があって、その張り紙の言葉にすら傷つく自分が嫌だった。
そういったことを受け入れて、痛くないふりをしないと生きていけないのだと思った。
世界はそういう場所だから。

でも今は、思う。
私はその世界をかなしいと思い続けていいんだ、と。
いやだ、やめてほしい、と願っていていいんだ。
それがこの世界なのだとしても。



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最終更新日  2023.03.20 00:00:21
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