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当時、父は46歳、
姫路勤務を最後に、公務員職を辞め、
度重なる転勤生活に終止符を打った、
転職先は横浜の民間の造船会社で、
ドッグマスターとして、転職、
(給与は半減したとか、)さしたる資産もない中、
始まったのは磯子の潮見台団地での社宅生活、母親は、この時点で、
住宅公団の土地分譲抽選に申し込む、それがここ洋光台、
当時、JR根岸線は磯子駅までで、
ようやく洋光台駅ができたばかりの頃、
根岸線の歴史
(青が現在)
さまざまな思惑で路線ルート決定も難航したが、
土地抽選会も熾烈を極めた(らしい)、うちは36倍だったが、
周囲の土地は100倍越えがゾロゾロだったとか、
奇跡的に当たった時の、
母親の喜びようは今でも覚えている、家が建つと、父は茨城の実家(牛堀)から、車で、
祖先の槍、刀、鎧、掛け軸などを運び込んできた、
ご先祖はおわします
を書いたせいか、
ご先祖的視点で当時が思い出されてきた、
父の姫路勤務最後の年(1971)、
父が友人に連れて行かれ紹介されたのが、
*まさか、アトになって、自分にもこの神社が、
西宮で現れるとは、夢にも思わなかったが、これに影響されたのか、当時、父は、
私費出版で、うちのルーツの本をまとめている、父は、浄土宗の檀家だったがゆえに、
素朴な疑問だったのだろう、
先ほどの、
土地分譲抽選会(36倍)当選の件を振り返る、
抽選会は1971年、これは父が辞めた年(1971)でもある、
イヤ、(ここはご先祖的視点で、)
父が多田神社へ出向いた年(1971)でもある、
思った、ご先祖は、
自分のルーツに気付いた父に、プレゼントすべく、
ここ洋光台の土地を与えてくれたのではないだろうか、と、
長谷工の大阪営業部長の、
セミナーでの言葉がよみがえる、「不動産は縁ものです、」
「土地が人を選ぶようなところがあるんですよ、」
今年3月、召天した父と母、住宅公団の抽選に当たって、
イヤ、多田神社に巡り会って、
丁度40年が過ぎた、
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
いのちはいただきもの天命で生れ天命で還る 2023年09月26日