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これ、信仰書に書かれていた言葉ではない、野口さんの「からだに貞く」の中の一節だ、「体との対話」と言う言葉に違和感を覚えた氏は、
それが人の傲慢から出たものだと気づく、
体と自分は対等なんかではない、
(とても対話なんかできない、)
人は、体と言う神に聞いて、
その答えをもらうだけの存在だと、即ち、信じて、任せて、待つ存在だと、読めば読むほど、納得、
信仰の世界と一緒ではないか、
例の、「筋肉は意識で動かすようにできていない、」
から始まった 自分の心のブレークは、
先週から、ますます拡がりを見せている、いったい、意識で動かさなかったら、
ドーやって動かすのか?ものごとの成就、達成の仕方を表すのに、
これ以上の表現は、今のところ見当たらない、ひたすら信じ、任せ 、 待つだけ、これこそが、(意識を排除したところの、)
物事の達成/成就の奥義秘儀であり、唯一、人に許された、
あるいは取るべき態度ではないかと、
ちなみに、聖書から、
信仰をいくつかピックアップしてみると、
- heb:11: 1
信仰 は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
heb:11: 2
昔の人々はこの 信仰 によって称賛されました。
- heb:11:13
これらの人々はみな、 信仰 の人々として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
はるかにそれを見て喜び迎え、
地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
- heb:11:30
信仰 によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、
その城壁はくずれ落ちました。
改めて、確認できる、
信仰と言う言葉には、
意識/意思の出番がまるでない、
*意思とか意識と言うのは、
瞬間的な働き、決意・決断とか、にしか向いてなく、
維持継続性をそれに求めるのは所詮無理がある、
意識とか、意思の面が、
限りなく消えているのが信仰、信仰そのものが、何か生き物のような、
野口さんの、「信じて、任せて、待つ」と、
ニュアンスが符合する、
(うまく表現できないが、)
これらをヒントにするなら、
ものごとを上手に推進・達成するコツとして、”ボンヤリ”が浮かぶ、
あいまいな言葉だが、
このボンヤリが孵化するのを、
ひたすら待ち続ける姿勢/態度にあるのでは??
*意識したりがんばっても、孵化はしてくれない、
あるいは、ボンヤリが、
原動力そのものだったり、
そのボンヤリが頭角を現す場面とは、たとえば、
(筋肉の動きが絡む)スイムだったり、前屈だったり、
あるいは、会社の将来計画策定、試験受験とか、
社会・生活を営むに当たっての目標から、
具体行動へ進む時の推進力、具体的動機だったり、先ほどのヘブル書では、(信仰を例にして、)
ある種のビジョン、信頼となる、
追記)
野口さんの記載箇所、
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