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やっぱり満開になってました2代目タイガース非公式サイトです 先日は「花しょうぶ」の記事を書いたんだけど そろそろアジサイの時期だよねと予告したんだよね2024年6月15日 花菖蒲観てきました | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) 今日は6月19日 本来なら10日以上前に梅雨入りしてないといけないところだから ひょっとしたらアジサイ咲いてるんじゃないかと観に行ったら やっぱりしっかり満開だったのよ で予告した通り写真に収めてきたので公開するよ 花の種類は少ないんだけどお寺の周りにいっぱいでかなりきれいに咲いてるから鑑賞してね ここは岐阜県の岐阜県揖斐郡池田町段739「阿梨耶山弓削禅寺」というお寺です 弘仁8年(817年)に天台宗の開祖・最澄(伝教大師)が創建したと言われてるんだよ 2代目の家から行くのには一番近いアジサイの名所 看板になってる庭石を見てもわかるように このお寺は花が売りなのね 周辺は春はサクラもさきほこるし そのほかにも季節の花を楽しむことができるよ お寺に入る前に手を清める手水鉢には お寺の方の演出で「水中花」が!清らかな山の湧水が注がれてて水面がキラキラと光を反射して変化します とても美しいわよ 梅雨の季節の花っていうイメージがあるから 濡れているほうが雰囲気があるけど 晴れてる日は花の色が鮮やかです 次のピンクなんか眩しいくらいだった それでは写真を並べていくので観賞してみてね 如何でしたか? みなさんのお庭やお近くでも咲いてるかな 今最盛期じゃないかとおもうよ ここはすぐ裏が標高900メートルくらいの池田山なのよ お昼からは山の陰に入っていく場所だけどこれだけ咲いてるからね そうそう このお寺は温泉が併設されてます お寺が経営してるのよ 眺望を楽しみながら入れるお風呂があって結構人気なの 「弓削寺」というのは「湯華寺」ということでもあるらしいよ 「湯華庵」というところでお食事もできます 次回は蓮かな? ユリかな? バラかな? ひまわりかな?
2024年06月19日
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やっと終わってくれました 2代目タイガース非公式サイトです2024年6月18日 阪神2-1日本ハム 3回戦(阪神1勝2敗)甲子園 やはり相変わらずの鬼門だった交流戦 でも昨年は7勝10敗1分だったから引き分けの分が1敗になっただけなんだよね 全体で10位というのは不満だけど傷は浅かったとみることもできるわ村上様 また勝ち星つかず 先発の村上投手は内容は上々だったとおもう 5回を投げ被安打2・7奪三振・1四球・無失点で5回裏にタイガースが1点リードしたところで 勝ち投手の権利をもってマウンドを降りました 球数は78だったから まだまだ続投する余力は十分だったとおもうよね でも負けが多かった交流戦で勝ちパターンのリリーフ投手の間隔が空いてしまってることもあって6回以降小刻みな継投に切り替えたんだろうね5回裏に先行するも 相変わらず1点だけ 5回裏の1点は二死死満塁から近本さんのタイムリーで挙げたもの 実は直前の一死満塁のときに原口さんが浅いライトファウルフライ 近本さんのあとの中野選手は見逃し三振 結局ここでも1点しか取れなかったわけよ この交流戦を象徴してる 畳みかけていく勢いが全然ないのよね 原口さんのファウルフライのときに3塁走者の森下君がタッチアップしなかったことについて岡田監督が猛烈に怒ったらしいね このあと監督談話で出てくるから読んでみてね7回表に同点にされ 村上様また白星お預け 6回から登板した石井投手は回をまたいで7回も続投するんだけど 一死から万波選手にセンター前ヒットを打たれ桐敷投手に交代しました ここで日本ハムは6番水野選手に送らせて二死2塁とします そして7番清宮選手のライトへの同点タイムリーが出てしまったのね 村上投手の白星が消滅しちゃいました最後は日本ハムの自滅でサヨナラ勝ち 1-1のまま9回を岩崎さん 10回は漆原さん 11回を島本さんが完ぺきにつないで11回裏のタイガースの攻撃を迎えます テル君が倒れたけど代打の豊田選手がヒットで出塁し 続く6番森下君はショートのエラーで一死1・3塁となります バッターは7番の梅野さん 矢澤投手が投じた3ボールからの4球目が外角へ大きく外れるワイルドピッチとなって3塁ランナー代走の植田さんがホームを踏んでサヨナラ勝ちとなりました なにかもらったような得点で 自力でつかんだ勝利じゃない後味の悪さがあったよなあ でも最終戦 2連敗してた日本ハムに1勝できて好かったけどね! 贅沢は言ってらんないから・・・試合後の監督さんは不機嫌 怒ってるから今日は長いわよ (テレビ中継のインタビューで)―最後は相手のバッテリーミス 「まあ、向こうのミスでね。その前もですけどね」 ―試合全体を振り返って 「もうね、きょうは9回で1―0で勝つしかないなと思ってたから。ちょっとあそこ(7回に桐敷が清宮に同点打)もね、不用意な初球だったしねえ。歩かせてもいい場面だからねえ。もったいなかったですけどね。だから、11回までいったのかな」 ―5回に近本が先制打 「いやいやもう、走塁ミスばっかりで。行かないから、4つよ、今日ね。なんとか村上も飛ばしていたし、ずっと勝ちが付いてないから、5回でも勝ちを付けてやろうと思って(代打・原口を送った)。いい当たりじゃなかったけど、ファウルフライでも、あそこで(点を)取っていたら。もう2点取れているところやけどね、走塁の面を普通にやればね」 ―梅野の打席でセーフティスクイズも 「いやいやもう、点を取れないから。セーフティスクイズっていうても、正面だったら、別にスタートを切らなくていいじゃないですか。そう考えたら5つやね、走塁ミスは」 ―村上の投球は 「勝ってないから何とか先に点やらないというかね、そういう姿が見えてて。球数も多かったけど、何とかあそこ、初めてのチャンスでね、1点に終わったからね。もう1点ね、ほんとは2点欲しいからね、1点やったら、村上打たせたらいいじゃないですか。1点しかとらなかったから、こういう展開になったと思うんだけどね」 ―リリーフも早めの投入 「いやいや、ゲラがいないからね、6回からだとしんどい部分もあるんだけど、なんとかね、つないでつないでね、ちょっと初球は不用意やったと思うけどね、清宮ね、代打ね、2アウトでバッター考えてもね、左バッターで」 ―交流戦を振り返って 「まあね、交流戦入る前から打つ方がね、もうこれ、言うた通りやね。パ・リーグのピッチャー、なかなか今の状態でなかなか打てんいうのは、その通りの交流戦なったけどね。まあね、負け(越し)4つになったのかな。まあ4つ言うてもねえ、去年も3つ負け越してたから、そんな変わらないんだけどね。なんかものすごい負けてるような感じになってるけど、まあよくしのいだと思いますよ、このまま負けでね、はっきり言うて。今のチーム状態からいくとね」―リーグ戦が再開。どういう野球を見せていく 「もう今度は、ある程度分かってるピッチャーというかね、対戦のあるピッチャーと当たるし。もう1回、やっぱり気持ち切り替えてね。自分の役割というか。そういうのが全然ねえ、できてない部分も多いからね。だからやっぱり点取れない部分があると思うんで、そのへんの修正ですね、はい」(囲み取材で) ―勝ってもこんな感じでは 「ひどいなあ、しかし、ええ? こんなにミスするやんな」 ―ずっと走塁ミスを指摘していた 「だから結局は役割というかね、それはランナー出たら1つでも前の塁とか、それが仕事なわけやから。そんなん当たり前のことやんか。ヒット打てと言うてないんやから。それができないんやからなあ」 ―近本の適時打で二塁走者がかえってこない 「あんなん、完璧ミスやん。ツーアウトで満塁でセンター前のゴロのヒットで何でよおかえってけえへんの」 ―なぜ、かえれなかった 「知らんよ、そんなん俺に言うても」 ―森下は右翼・万波の強肩を警戒したか 「あの体勢で捕って投げれるか、ホームにストライク。なに考えてるんや、ホンマ。こないしてグラブ伸びたような捕り方で。そんなもん、肩が強かったら全部ストップやんか」 ―感性が 「簡単やんか、行けいうたら終わりやんか。行くか行かんかやんか、走塁なんか。行く勇気がないわけやろ、結局は。コーチも行かす勇気がないんやろ、藤本が止めてるんやろ」 ―勝っても反省の多い試合 「勝ったとかは、そんなん何もないわ」 どっちにしても打てないタイガースは交流戦前から続いてるよね 交流戦のチーム防御率は2.37なのよ これは5位広島の1.85 優勝の東北楽天の2.29に次いで12球団中3位の数字なの なのに順位は10位って 如何に点が取れないかってことを如実に証明してるわタイガースでは才木投手が3戦3勝 自責点1の防御率0.38と踏ん張ってくれたから何とか7勝できたのよ 才木投手がいなかったらとおもうとゾッとする打撃成績では前川君の打率.288がチーム最高だった それでも全体では20位なのね チーム2番目が森下君の.250って あとは2割5分にすら届いてないって負けるわけだよホームランに至っては チームでたったの4本! オリックスと並んでワーストよ 一番多く打ったDeNAなんて16本なんだから4分の1ね6月21日からレギュラーシーズン再開 内容的には危なっかしいものだったけど 最後の2試合を連勝したことで交流戦前の貯金6を使い果たすことなく 2つの貯金を残して終了できたのはラッキーかもしれないよ 21日から当たる相手は 交流戦でセリーグではトップだった横浜DeNAなのはキツイけど しっかり休養を取って備えてほしい
2024年06月19日
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背番号11(その3)背番号11の3回目です いよいよ2代目ミスター・タイガースと言われる村山実さんの登場です 村山さんの現役当時を知る人はまだ結構いるので伝説とまでは言えないかもしれない でもやっぱりタイガースのレジェンドね それに村山さんの影響だとおもうんだけど「11」は他球団でも有望な右投手に贈られる番号になってるよね 例えば中日の川上憲伸 広島だと池谷公二郎 紀藤真琴 九里亜蓮 巨人の斎藤雅樹 ヤクルトの奥川恭伸 日ハムではダルビッシュ有 大谷翔平などなど そうそうたる右投手が受け継いでるのよ 野茂さんも「11」だったわね これは有望な左投手に金田さんの「34」を与えてたのと同じよね 今回はもう皆さんがよくご存じのエピソードばかりかもしれないんだけど 我慢して読んでみてね!2代目非公式サイトは ことし(2023年)大ブレークしている村上頌樹投手に村山さんと似た空気を感じるのよ 大先輩で「タイガース魂」のかたまりみたいだった村山さんのような闘志あふれる投手になってほしいわ! 村山 実 投手村山は少年時代から身長がハンディになっていた。中学時代も「低身長」を理由に内野手しかやらせてもらえず、住友工業高校に入って「負けん気の性格」と「肩の強さ」を買われたことでようやく投手への道が拓けた。当時の野球部の藤田監督は村山が「背は低いが手が大きい」ことに気が付き、フォークボールの練習を奨めたことで後の原点になっている。甲子園の出場はなかったが大学で野球を続けたい希望を持っていたため立教大学のセレクションを受験しようとするが、予備面接の段階で「低身長」を理由に受験すら拒否されて涙をのむ。 しかし実際にそんなに低かったのだろうか。様々なものに村山の身長は記載があるが、どれも175センチとなっている。桑田真澄が174センチ、山口高志など169センチとなっているから、それほど低いとは思えないのだが・・・仕方なく兄が在学していた関西大学へ進学するが、このときから「対東京」というような対抗意識が生まれたのではないかと言われている。関大2年でエースになり、上田利治(のち阪急ブレーブス監督)とのバッテリーで春のリーグ戦で優勝すると神宮での大学選手権に出場する。同大会では全試合に先発してすべて完投勝利を挙げており、決勝では日大を破って西日本の大学として初めて優勝している。大学3年次に肩痛に襲われ、この時関大OBでタイガースの球団社長だった田中義一が親身になって病院やリハビリの世話をしてくれたことに恩義を感じており、2000万円の契約金を提示した巨人を蹴って、わずか500万円のタイガースに入ることを決断する。1958(昭和33)年11月11日に契約。ただし初めの契約は阪神電鉄の社員でタイガースへの出向という形だった。 タイガースに入ると「背番号11」を希望する。昭和11年生まれということもあってか契約日も11月11日を選んでいるし、関西大学時代も「11」だった。こだわる何かがあったのだろう。一説には藤村の永久欠番「10」に「1」を足したともいわれるが真偽のほどはわからないし後付けのように感じる。しかし前回「その2」で記述した通り、御園生のあと「11」を着けた選手が大成しないどころかすぐ駄目になっている「悲劇」の印象があり、当の御園生をはじめ球団や家族などから猛反対されてしまう。 特に御園生は村山を後継者的存在とみており、自身がプレイヤーとしての力が衰えた晩年に1年だけ、しかも野手登録で着けた番号であることで「11」には大反対。代わりに自分が活躍した時からコーチや二軍監督時代までずっと着け続けていた「15」を強く奨めて譲らなかった。 ただし村山はそんなことにこだわりはなく、あくまで自分のお気に入りの数字である「11」を選んでいる。 村山には「ドラマの主人公」という印象がある。それはルーキーだった1年目からドラマがあったからだろう。喜劇もあり悲劇もあった。その一つは1959(昭和34)年5月21日の対巨人8回戦(甲子園)。タイガース先発の村山は4回までパーフェクトでタイガースが2点リード。しかし迎えた5回表の先頭打者4番長嶋にフォアボールを与えてしまう。5番坂崎のセカンドゴロで一死2塁となり6番広岡がサードゴロ・・・名手・三宅が難なく捕球して一塁送球したが、これが信じられない悪送球となって長嶋が生還。1点が入りなお一死2塁が続く。ここでカッとなった村山は7番宮本のボテボテのピッチャーゴロを一塁へ悪送球して2点目を許してしまった。これで2対2の同点となったが、村山はその後もノーヒットを続けて14三振を奪い9回を完投。6回裏に三宅のソロホームランが出て勝ち越したタイガースが勝利した。これが2リーグ分裂後セ・リーグで唯一(2023年現在)となる「ノーヒット・アリラン」(正確にはノーヒット・ツーランか?)である。全くドラマでもあり喜劇でもあった。ドラマのもう一つは、野球ファン誰もが知るところの「天覧試合」だろう。舞台はノーヒット・アリランから約1か月後の1959年6月25日の対巨人11回戦(後楽園)。この日の舞台の前段をを作ったのはタイガースの先発・小山正明。3回表小山が自らのタイムリーで1点を先制するが、5回裏に4番長嶋、5番坂崎に連続ホームランを許して1-2と逆転される。しかしタイガースは6回表、三宅のタイムリーと藤本の2ランで3点を挙げ、4-2と逆転する。ところが7回裏、疲れが見え始めた小山が王に同点の2ランを打たれて4-4とされてしまいここで村山に交代した。これから起きるドラマのお膳立てをした小山から「頼むで」と後を受けた村山は後続を断ち、8回も抑えて同点のまま9回裏を迎える。先頭打者は長嶋。カウント2B2Sからの5球目を叩くと打球はレフトポール上空を通過するサヨナラホームランとなった。 この試合で長嶋だけでなく打たれた村山もスタープレーヤーとしてその名を上げることになるが、長嶋がハッピーエンドのドラマ、村山が悲劇という構図だ。タイガースファンからするとこれほど悔しいことはない。まして打たれた村山は死ぬまで「あれはファールだ」と思い続けたことだろう。この試合で天皇陛下のご観戦は21:15までの予定だった。サヨナラホームランが出たのは21:10だ。改めて長嶋の好運というか「持ってるなあ」という天性のものを感じさせる試合でもある。天皇陛下の観戦にほかの選手たちが試合前から緊張しているなかで長嶋だけは嬉しさでルンルンだったと伝えられている。 こうして1年目にタイガースファンのハートをわしづかみにした村山は、54試合(うち先発26で19完投7完封)に登板して18勝10敗294奪三振の成績を挙げ沢村賞に輝く。防御率は驚異の1.19でこれもタイトルを獲得しており、2023年の今でも歴代沢村賞受賞者の最小防御率の記録でもある。しかし、この記録でも新人王は取れず、31本塁打を記録してキングのタイトルを取った大洋の桑田武にもっていかれた。1960(昭和35)年は8勝15敗と大きく負け越しているがそれでも防御率は2.52だった。この年は前年300イニング近くを投げた疲労や精神的な重圧もあったのか、開幕早々に急性胃腸炎で倒れるなど体調も悪く1年を通して不振が続き、「2年目のジンクス」を経験している。しかし、3年目からは完全にタイガースのエースとして君臨し一時代を築いていく。文章では長くなるので実働14年間の成績を並べておく。赤字はリーグ1位。年度 登板 勝利 敗北 投球回 奪三振 防御率1959 54試合 18勝 10敗 295.1 294 1.191960 36試合 8勝 15敗 167.2 153 2.521961 48試合 24勝 13敗 293.0 221 2.271962 57試合 25勝 14敗 366.1 265 1.201963 28試合 11勝 10敗 158.1 121 2.791964 46試合 22勝 18敗 255.0 159 3.321965 39試合 25勝 13敗 307.2 205 1.961966 38試合 24勝 9敗 290.1 207 1.551967 30試合 13勝 9敗 180.1 126 2.791968 32試合 15勝 8敗 198.0 152 2.731969 35試合 12勝 14敗 214.2 160 2.011970 25試合 14勝 3敗 156.0 118 0.981971 19試合 7勝 5敗 83.0 45 2.711972 22試合 4勝 6敗 84.2 45 3.61 通 算 509試合 222勝147敗 3050.1 2271 2.091962(昭和37)年は夏場から首位に立って優勝した年で25勝、リーグ最多の投球回数で防御率1.20という驚異的な数字をたたき出し最優秀防御率のタイトル獲得。セ・リーグのMVP、ベストナインにも選出。1963(昭和38)年は前年の疲労蓄積があって1年を通して不調だった。そんななか、8月11日の後楽園での対巨人ダブルヘッダー第2試合で村山という投手を象徴するような騒動が起こる。今では考えられないことだが、村山は前日の試合で巨人を2安打完封している。それが翌日のこの試合、7回同点、一死2・3塁のピンチにリリーフで登板してきたわけだ。次打者に対しカウント2B2Sから投げた5球目のストレートは、内角低めギリギリに決まったと自信があった。ところが国友球審の判定は「ボール」。この判定に対し激高した村山はマウンドを駆け下り、「どこがボールや。ワシは命がけで投げているんや。あんたも命がけで判定してくれ!」と叫んで球審に激しく詰め寄った。国友球審はすぐ退場を命じたが、村山はさらに興奮し国友球審につかみかかろうとした。このとき防ごうとした国友球審の左手が村山の顔面に当ったため今度は阪神の藤本定義監督らも飛び出し、「球審も退場にすべきだ」と抗議が始まって大騒動になる。村山は涙ながらに「ワシは、なにもしていない」と主張し、涙が止まらず、左腕で拭いながらの抗議を続けた。もう熱血が沸騰して歯止めがきかない状態だった。これほど真剣に自分の投球にプライドを持つ投手は後にも先にも皆無だろう。 村山は5球を投げたのみで退場。第一打者の打席を完了させていないため、本来なら交代できない状況での珍しい退場でもあった。急遽リリーフした牧勝彦の1球目はストライクでバッターは三振。1球で三振奪取という珍記録のおまけがついた。 1964(昭和39)年は大洋との激しいデッドヒートの末に最終戦で優勝が決まった年で、村山は22勝を挙げたが、それ以上の活躍だったバッキーがタイトルを総なめにした。 1965(昭和40)年から1966(昭和41)年は2年連続の最多勝。投球回数と奪三振も2年連続リーグトップ、これまた2年連続で沢村賞に選出される全盛期だった。 1967(昭和42)年以降は血行障害が酷くなったために20勝以上できなくなり、1970(昭和45)年からはプレーイングマネージャーとなったことで登板数は大幅に減ってしまった。 村山の凄いのは、防御率が3点を超えたのが現役最後の年の1年だけというところで、抜群の安定感があり監督が最も信頼する投手であり続けたことだろう。味方打線が3点取ればほぼ勝てる投手なわけで、いかに当時のタイガースが貧打だったかということもわかる所以だ。1973(昭和48)年3月21日に行われた巨人戦(オープン戦、甲子園)で引退試合が行われ、江夏や上田次郎など投手陣の肩車でマウンドに登場すると、高田、末次、王から三振を奪って花道を飾り、背番号11はタイガースの永久欠番となった。 最後に監督としての村山だが、最初の現役監督のときが2位、5位、2位という成績で、特に3年目の1972(昭和47)年は、シーズン序盤に最下位スタートとなり、指揮権を返上して現役一本に絞ると宣言したが、結局投手としての成績は振るわず、後半に順位を上げた時には、かえって影の代理監督となった金田正泰の株が上がるという皮肉な結果になり、不完全燃焼のまま退任、同時に現役も退くことになった。 2度目の監督就任は1988(昭和63)年、優勝から2年で最下位へ転落して辞任した吉田義男のあとを引き受けた。ここでも愛着のある背番号「11」を着用している。 泥まみれになる覚悟でタイガース再建のために引き受けたが、自身が熱望した田淵、江夏、藤田らの入閣は実現せず、シーズンに入るとバースの帰国・解雇問題や掛布の長期不振~引退など災難続きとなり、前年に引き続く最下位に終わってしまう。 翌1989(平成元)年、バースや掛布が去った貧弱な打線は迫力を欠き、よく働いたのはキーオとフィルダーの両外国人選手だけのような状態ではどうしようもなく、前年よりは一つ順位を上げたものの5位に低迷し、監督を辞任した。 生涯タイガースを愛し続けた村山は、1998(平成10)年8月22日に亡くなっている。まだ61歳での若すぎる逝去にタイガースファンは悲嘆に暮れ、亡骸は多くのファンが合唱する「六甲おろし」に送られたという。 まとめ さすがに2代目ミスター・タイガースね ここに書ききれないエピソードが多すぎるわ 他にも長嶋さんから節目の三振を予告して奪ったとか ありえないような話がいっぱい! 少年隊の話や掛布さんとの確執なんかは別のところで触れるよ 現役時代も監督のときも解説者のときも熱血は変わらないのね こんなに真剣にプレーしてる選手は今の時代にはいないわよ 大泣きしながら抗議する人なんて見たことないもんルーキーの年のオープン戦、藤村さんの引退試合に先発して完封勝利を飾ってるんだけど そのとき自然に「ミスター」を受け継いだのかもしれないな なんだか運命的ね・・・田淵さんや掛布さんもミスターと呼ばれることがあったけど、藤村さんや村山さんはけた違いなのよ 正真正銘って感じこれで背番号11は終わりですが 永久欠番になって当然だとおもう この人のあとに「11」を着ける勇気のある選手はいないよ!
2023年06月19日
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オリックス投手陣13四球☠2代目タイガース非公式サイトです2023年6月20日 阪神9-10オリックス 阪神鳴尾浜球場12:30 6月4日以来のウェスタン観戦です 一軍は交流戦が終わって4日間試合がないけど ファームに休みはないのよねスコアだけ見れば面白そうな試合かな?とおもうかもしれないけど内容はひどい! このくそ暑いのに4時間近く炎天下で観せられて 熱中症で救急搬送された人まで出たよ だらだらした試合で疲れきったわ・・・ 先月から入場整理券が必要って聞いてたから 配布時刻の9:00に間に合うようにいきましたよ 着いたのは8:30 30人くらいが並んでた 周りの人に聞いてみるとコロナ後初めて鳴尾浜に来た人ばかりなの どれくらいの人が来るのか不安で なくなっちゃうと空振りだから有観客になってから初めての人は早く来るのね 2代目もそう 9:00に一応整理券もらえたけど さあ12:00頃までどうすりゃいいの? 鳴尾浜の周りにはコンビニとか全然ないのよ! 整理券持ってれば出入り自由なので とりあえず駐車場から車出して関西スーパーへ買い出しね で また戻ってきました 内緒だけど 整理券配ってたバイトのお兄ちゃんに聞いたら 地元どうしなのでオリックス戦が一番お客さんが多いんだけど ウィークデーなら満員になることはないって 中日戦なんてガラガラだってさ?! 今日は家を6:00に出たんだよ・・・ 次回からは9:00発11:30到着で十分だわ 腹立つ! そして お粗末な試合を見せられたので2度立腹ね!次のが先発メンバーよ オリックスの投手がひどすぎるのよ 次から次に7人も交代して そのうちフォアボール出さなかったのは一人だけ!もうランナーは出るわ出るわ 交代ごとにマウンドに集まってるし 投球練習の時間もかかるし こっちは暑さで倒れそうだったのよ タイガースの先発桐敷投手は7回まで3失点 ストレートが低めにも高めにも力があって好投と言える内容だった 3点はセデーニョ選手の3ランね これは交通事故みたいなバカでかい一発で コントロールミスでしょ それ以外は危ない感じはなくよかったとおもう 7回を終わって5-3とリード あと2回だし 勝てば9回裏の攻撃もないし これは早く終わってくれそうと期待したのが 完全に裏切られたわ 8回表に2番手で出てきた二保投手がひどかったのよ 1アウトしか取れず4失点で降板 急遽リリーフした岩田投手も3失点で この回に7点を「献上」して5-10と逆転されちゃった ムカつく 詳しい状況を書く気にもならない 9回裏1点差にまで追い上げたのが救いね 今日は井上君も井坪君もスタメン外れてたけど最後の最後に代打で出てきた井坪君がタイムリー2ベースを打って見せ場を作ったのよ! フォームは構えた時の左足の位置が 以前と少し変わってたように見えたかなあ 試合についてはここまで もう嫌っ で、鳴尾浜は4年ぶりだったけどやっぱ変わらないなあとおもった 観戦に来てる若い女の子が多いのね これはナゴヤ球場ではありえない しかもみんなプロ顔負けの超望遠レンズ付けたカメラ持ってる!気合が違うのよ ウィークデーによく来てるなあっておもう まあ2代目もだけどね 定番の金髪も来てるね 10人くらいいたよ 次の写真は2代目じゃないよ 一人で来てた森下君のファンの子 すっごくかわいい子なので後ろ姿撮らせてもらいました 一生懸命写真撮ってたなあ じゃああとは撮ってきた写真の羅列で終わりますね 23日の金曜日も雨じゃなければナゴヤ球場行く予定なので 疲れを残さないように早く寝ます 今日マジ疲れたのよ・・・ 小幡選手 ワンバン振って三振の前川君 フォアボールで出塁した井上君 タイガースのダッグアウト ネクストサークルで待つ森下君 試合を見守るブルペンの投手陣 お粗末様でした ファンへ感謝の一礼 それから次の写真は超秘密情報よ 内緒よ! 午前中の練習では投手陣の多くは道を挟んだ隣にある鳴尾浜臨海公園野球場で練習するのよ だから移動は普通に道路歩いていくの 信号待ちで選手に会えるよ! 9時半くらいから1時間ほどがチャンス 今日は湯浅君の姿もちらっと見たよ さて最後のワンポイント これから数回「ギャルピース」を紹介するよ ギャルピースにはいくつか種類があるの 2代目やミエちゃんがやってる敬礼っぽいのや 手のひら側を上に向けて前に突き出すのも主流の一つね この歌舞伎町のは複合技 かっこいいでしょ!
2023年06月20日
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背番号22(その5)背番号22の第5回目です前回は田淵幸一さんだけの紹介だったよね やっぱり「3代目ミスタータイガース」とまで呼ばれた人だったからエピソードも豊富ね ホントはもっと紹介したいことはあるんだけど長くなってしまうのでカットしたことも多いのよそして今回なんだけど 大物だった田淵さんのあと 簡単に背番号を受けつぐ人はなくて1979(昭和54)年から1982(昭和57)年までの4年間は誰も付けていないのそして1983(昭和58)年 ドラフト1位で入った捕手が付けることになるんだけど 皆さん誰だかお分かりよね?木戸克彦 捕手大阪府堺市出身。中学校時代から一貫して捕手で高校は当時の強豪PL学園に進んでいる。3年時には西田真二(のち広島カープ)とバッテリーを組み春夏連続で甲子園に出場している。選抜はベスト8に終わるが、夏は最強と言われた中京高校と準決勝で当たると4点差を9回に追いついて延長12回サヨナラ。高知商との決勝でも9回2点差を逆転してサヨナラ勝ちを収めて優勝。この奇跡的勝利の連続によって「逆転のPL」と語り継がれている。 卒業後は法政大に進んでいるが、1年上には1985(昭和60)年に日本一を分かち合うことになる池田親興がいた。大学では最初外野手に転向したが、2年時には捕手に戻っており5季連続でベストナイン、最後は主将を務めるなど大学ナンバーワン捕手へ成長する。リーグ優勝3回、通算打撃成績は76試合出場で274打数84安打33打点5本塁打、打率.307。 1982(昭和57)年秋のドラフト会議でタイガースが1位指名。田淵の移籍で4年間「空位」になっていた背番号「22」が与えられる。 ルーキーとして臨んだ1983年だったが木戸はわずか8試合しか1軍での出場がなかった。背番号「22」を受け継いだ重圧、大学での輝かしい実績からのファンの過度な期待。それらに応えようとしてキャンプでのオーバーワークが逆効果になり腰を痛めてしまったからだ。 木戸は翌1984(昭和59)年も伸び悩んでいる。1軍では前年西武ライオンズから移籍してきた山川猛が114試合に出ておりほぼ正捕手で、木戸はわずか26試合28打席にしか立てなかった。 しかしシーズンが終わって安藤監督が退任し、吉田義男監督が就任すると「来シーズンは木戸を正捕手に育てる」という方針になったようだ。 1985(昭和60)年のシーズンが始まると、前年ブレイクした山川を退け開幕から木戸がマスクをかぶった。ご存じの通りリーグ優勝から日本一に駆け上がったあのシーズンだ。 木戸は優勝を争う中で急速に成長していく。103試合に出場して守備やリードが評価されてダイヤモンドグラブ(現ゴールドグラブ)賞を受賞している。また規定打席には届かなかったがホームランも生涯唯一の二けたとなる13本を記録してバッティングでも優勝に貢献した。 1985年に挙げた実績を踏み台にしてレギュラーを維持していけるかと思えたが現実は厳しく、1つしかないポジションだけに常にライバルとの争いは続き、1980年代は嶋田宗彦、1990年代になると山田勝彦や関川浩一とレギュラーの座を競い合っている。 唯一規定打席に到達したのは1988(昭和63)年で、121試合に出場して408打席に立った。351打数89安打も自己最高を記録したが、この年をピークに下降線をたどっていく。 1991(平成3)年以降は3桁の出場はなくなり、どちらかというとブルペンで若手投手の球を受けアドバイスを送ることが多い立ち位置になっていく。1992(平成4)年には不振でファーム行き寸前だった湯船敏朗を叱咤激励しノーヒットノーランを達成させている。 1996(平成8)年に現役引退。そのままチームに残り、バッテリーコーチ、ブルペンコーチ、2軍監督などを歴任した。 通算成績は965試合2192打数505安打226打点51本塁打、打率.230というもので打撃は平凡だった。それでも背番号「22」の重圧と闘いながら現役14年間を通して背負い続けたのは素晴らしいと言えるだろう。 2012(平成24)年からはフロント入りし中村GMの補佐などを務めたのち、球団本部部長(プロスカウト担当)として2024(令和6)年もチームを支えている。加治屋さんの入団にもかかわってたんだね!関川浩一 捕手・外野手(再掲)関川については背番号21-5ですでに詳しく紹介している。東京都調布市の出身。神奈川の桐蔭学園から駒澤大学を経て1991(平成3)年に入団し、6年間背番号「21」を着ける。木戸の引退した翌1997(平成9)年に背番号「22」を受け継いだが、わずか1年で中日ドラゴンズにトレードで移籍している。詳しくは背番号21-5を参照してほしい。タイガース背番号史 21-5 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)中谷仁 捕手和歌山県和歌山市出身。智辯和歌山高時代は高校生ナンバーワン捕手として全国に知られる存在になる。2年時の1996(平成8)年には春選抜大会で優勝。キャプテンとなった3年時の1997(平成9)年には夏の選手権で優勝を飾っている。 1997年秋のドラフト会議で1位指名されるが、同年の目玉は慶應大学の高橋由伸。タイガースも獲得を目指していたが、高橋が在京セリーグ(巨人またはヤクルト)を表明したことで断念し、次の候補として浮上したのが中谷だった。中谷はトレードで移籍する関川の着けていた「22」を引き継ぐわけだが、トレード相手に矢野輝明が入っていることに両親が反発する。「日本一の捕手に育てると言っておきながら、トレードで捕手を獲るのは矛盾しているのではないか?」ということで入団交渉は長引いたが無事タイガースの一員になる。1年目の1998(平成10)年はウェスタンで22試合に出場しており、翌1999(平成11)年には春先に井川慶を連続完投勝利に導いてブレイクへのきっかけを作るなど、捕手として順調に育っていくかに見えた。 ところがその1999年5月、浜辺でバーベキュー(シーズン中のこの時期にバーベキューというのも変な話だが)をしているとき、中込伸投手が投げてよこした携帯電話が左眼球を直撃し、あわや失明という重症を負ってしまう。翌2000(平成12)年にはボールを受けるのに支障がない程度まで視力は回復したものの、ウェスタンでは39試合で打率.190と打撃に影響しているように見えた。2001(平成13)年にはウェスタン64試合に出るまでになったが、打率は.171と低調だった。2002(平成14)年は背番号を「66」に変更して臨み、星野新監督のもと初めて1軍に呼ばれて17試合に出場している。8月29日の中日戦では初安打初打点を記録するが、タイガース在籍で打った唯一のヒットとなった。 2003(平成15)年から2005(平成17)年までの3年間は1軍へ上がる機会もなく、2005年オフに金銭トレードで楽天へ移籍する。楽天には2006(平成18)年から6年間在籍したが、2009(平成21)年の55試合が最高で、あとはほとんど1軍の試合には出れなかった。2011(平成23)年オフに戦力外通告を受け自由契約となったが現役続行を希望して12球団トライアウトに参加、巨人との契約にこぎつける。2012(平成24)年、巨人では5試合の出場しかないが、4月15日から8月初頭まで出場選手登録されて一軍に帯同し、若手投手の球を受けて育成の役割を務めている。2012年をもって引退、プロ通算成績は111試合173打数28安打17打点4本塁打、打率.162だった。2017(平成29)年には母校智辯和歌山にもどり、2018(平成30)年に硬式野球部監督に就任。2021(令和3)年の夏の選手権で兄弟校の奈良智弁学園との決勝戦に勝利し優勝を飾っている。高校生時代に選手として全国大会の優勝を経験し、卒業後に母校の監督として同じ大会で再び優勝した事例は8人目である。まとめ田淵さんのあとを受けた木戸さんにとって背番号「22」ってどういうものだったんだろう 4年間の空白ののちだけに余計にプレッシャーがあったんじゃないかなでもあの伝説的な優勝の年に主力メンバーの一人として活躍、貢献できたのはすごい財産だよ しかもそこで「22」を着けてたんだし 十分誇っていいとおもうな!関川さんについては背番号21-5を参照してね中谷さんはケガがすべてって感じがする もしあれが無かったら人生はどう変わってたんだろう プロで一流選手になってたら 逆に母校へ戻って高校野球の監督という道には進んでなかったかもしれないし・・やっぱり人生って流れに任せてその中で努力するしかないのかな このケガについては山村宏樹投手にも関係するから読んでない人はタイガース背番号史 21-6 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)の方も参考に見てくださいね今回の3人はすべて捕手 やっぱり田淵さんがそういう流れを作ったのねでも次の人から様子が変わっていくんだよ背番号22の6へ続く
2024年06月11日
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梅雨入り前は花菖蒲の季節2代目タイガース非公式サイトです 最初に・・・前のブログ書いてるときは 状態は判明してなかった木浪さんのことだけど 相当痛そうにしてたから心配していたのよ やっぱり骨折だったのね 完治までどれくらいかかるかも不明みたいで困るわ 今日はショートにだれが入るのかな?ソフトバンク先発が右の石川投手だから小幡さんでいけるか では本題にしますね 近くで「花しょうぶ祭」というのを開催しているので行ってきたよ 水田から改良されたしょうぶ園には約27000株の菖蒲が植えられてます 花の咲く時期は5月下旬から6月中旬ごろ イベントもあるんだけど 毎年第2日曜日と決まってて もう終わってたので残念 でも花は綺麗だったよ 今回は写真を並べるから皆さん鑑賞してみてねまず遠景から 次は花をズーム たくさんの種類の中からピックアップ 菖蒲というと紫色が頭に浮かぶけど 改良によって色も形も様々ね 模様の入り方もいろんなのがあるんだ! さすがに赤はないけど 好みの問題もあるけど すべてがキレイ!というわけにはいかないよ ちょっとやりすぎっていうかグロテスクに見えるものもあるからね・・・ 品種名も札があってわかるようにしてあるよ なかなか風流な名前がついてるわ やっぱり江戸時代から脈々と続いてるだけのことはあるわね 菖蒲についての知識 菖蒲は江戸時代から人気があって品種改良されてきたのね 江戸時代から続いている品種の系統を「江戸系」というんだよ 新しく改良された系統は「肥後系」や「伊勢系」があります それぞれの特徴は次の図を参照してみてね似た者どうしの見分け方 菖蒲・アヤメ・カキツバタとあるけど 皆さん見分けられる? おおよそ簡単に識別する方法が次の図よ これは知らなかったわ 花しょうぶの育てかた 成長から株分けなど 菖蒲の育て方を紹介しているのが次の図です 環境づくりが難しいから素人にはムリかもね いよいよ梅雨入りしそう 梅雨時の代表的な花はアジサイ たぶんアジサイまつりというのもあちこちであるかもしれないから もし写真撮れたらご紹介します すでに一部は咲いてるからね 2024年6月15日撮影
2024年06月16日
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藤井彰人捕手が現役引退 ショックですねえ。地味ながら5年間タイガースの投手陣を支えてくれた「男前」が引退だなんて。 まったく失礼ではありますが、正直なところ、2010年11月22日、FA宣言していた藤井選手とタイガースが契約した時、あんまり期待できんなと感じました。というより藤井選手をよく知らなかったのが現実でしたね。 バッティングは非力だし、見た目も地味で、城島みたいな派手なパフォーマンスもないから、戦力として期待していいのかなあと疑いの目で見ていたんです。 でも振り返ってみると、我々ファンが思っている以上に投手陣からの信頼は厚く、主力投手の力を引き出すのもうまかったし、若い投手にはいろんなアドバイスをしてくれた。藤井選手がまいた種は、すこしづつ芽を出してるし、これから伸びてくると思います。メッセの信頼は抜群やった藤浪君もお世話になったね ブレイクした「男前」は、男前豆腐店がすでに商標登録していたので、半年くらいでグッズなどは生産中止になっちゃったけど、すっかり代名詞になってしまいましたね。 でも、「男前」だけが取り柄じゃないよ。藤井選手のすごさはキャッチングです。パスボールなんてまずありえない。あっても年に1回あるかどうか。それどころか、どれだけ投手の暴投を防いでくれたことか!投げる側からみれば、こんなに信頼できる捕手はいませんよ。 球種やバウンドする位置によって、どの方向にどのように弾むかを瞬時に予知していたように思います。どのように予測するのかは本人の経験と努力だと思いますが、ある時にはショートバウンドの球に、ミットを上からかぶせるようにすると、吸い込まれるみたいにスポンと収まるのが不思議なくらいでした。 体は小さいけど肩は強かったですね。スローイングが安定しているので、送球のコントロールも好かった。バッティングに力があれば、相当なスター選手になってたんじゃないかな。藤井選手ありがとう!これからは指導者としてタイガースを強くしてほしいな! にほんブログ村
2015年10月14日
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背番号22(その6)背番号22の第6回目です今回が最終回 残すところあと4名になりました田淵さん以来 捕手の番号として定着したかに見える背番号「22」なんだけど ここにきてまた変化してきます田淵さんがタイガースを出て行って40年経つわけだし 永久欠番になったわけじゃないので「田淵」というイメージが薄れて 近年では藤川球児さんの方がイメージ強いよね球児さんについては長くなってしまうので近年の時期は簡略にさせてもらって、入団当時や頭角を現したころのことを重点にしたよ それでもやっぱ長いんだけどね喜田 剛(ごう) 内野手福岡県福岡市出身で高校は沖学園。父親は元大相撲幕下の佐田の花。少年野球時代は投手だったが高校で外野手に転向し通算32本塁打の強打者となる。福岡大に進むと捕手に転向、明治神宮大会でホームランを放つなど活躍し、大学全日本チームの4番を任される。大学4年時には再び外野手に転向している。大学通算9本塁打、打点王2回、本塁打王1回、ベストナイン3回。2001(平成13)年のドラフト会議ではタイガースが7位で指名して入団。力士だった父親譲りの体格に恵まれ、入団時の背筋力は200キロ越え、握力も70キロと並外れたパワーを秘めていた。しかし俊足ではなかったことから、すぐにファーストへコンバートされている。ドラフト下位ながら背番号「22」が与えられたのは将来性を期待されてのことだろう。ルーキーの2002(平成14)年は1軍昇格がなかったが、ウェスタンリーグでは75試合8本塁打と持ち前のパワーを見せた。2003(平成15)年は星野監督の2年目でリーグ優勝した年で1軍戦力が充実しており、わずか1試合の出場に終わっている。その試合で1打席に立ってプロ初安打を記録した。しかし翌年以降もウェスタンでは結果を出すがもなかなか1軍に呼ばれないという状況が続く。そんな中で喜田は2004(平成16)年に背番号を「55」に変えている。実際に2年目以降のウェスタンでの実績を並べてみるとこれで1軍に呼ばれないのか?と不思議に思うほど素晴らしい数字を残している。ファームでは無双の4番バッターだった。 2003年 80試合 5本50打点 .2982004年 79試合11本56打点 .2902005年 86試合21本55打点 2冠王とMVP .3032006年 82試合14本56打点 2年連続の2冠王 .270 しかしこの4年間で1軍のゲームには合計7試合にしか出ていない。1軍のファーストを見ると、2003年が桧山進次郎、2004年はジョージ・アリアス、2005年~2006年はアンディ・シーツといずれもレギュラーで打線の中核を担う選手が守っており、喜田に出番がないわけだ。ウェスタンでのタイトル獲得は、1軍に上がれなかったことの裏返しの結果なのである。 いくら何でもこれほどファームで力を発揮している選手を5年間で8試合にしか使わないという「飼い殺し」はまずいだろう。 2007(平成19)年の5月のある日、遠征先での広島カープとのウェスタンのゲーム。ファーストを守っていた喜田の耳に「キダさんキダさんカープに来て!」と何度も大声を上げている人物がいた。 スタンドを見上げると広島1軍のブラウン監督だった。このラブコールがあって1週間もしない21日、シーズン途中ではあったが喜田は山田真介との交換トレードで広島へ移籍することになる。 広島に移った年は67試合に起用され、150打数37安打12打点3本塁打を記録している。広島では221試合に出場したが、2010(平成22)年5月17日にオリックスへトレードされ、再び岡田監督と一緒になる。しかしここでもT-岡田の壁に阻まれて1軍は遠かった。同年12月には横浜ベイスターズへトレードされてしまう。 2011(平成13)年、結局横浜での出番はなく戦力外となり、12球団トライアウトを受けたが声がかからず引退した。 プロ通算では239試合409打数102安打46打点9本塁打、打率.249だった。喜田はとてつもない打者になった可能性があり、この結果にはどこか納得できないものがある。マイク・キンケード 内野手・外野手 アメリカ合衆国ミシガン州リボニア出身。1995(平成7)年にワシントン州立大学からミルウォーキー・ブルワーズへ入団している。2000(平成12)年のシドニー五輪にはアメリカ代表で出場し金メダル獲得。長打はないが広角に打てるほか、投手以外のすべてのポジションが守れるユーティリティプレイヤーとして非常に便利な選手だったようだ。岡田監督の1年目だった2004(平成16)年にタイガース入り。ホームランでも全力疾走で、ファンからは「キンちゃん走り」と呼ばれ意外な人気ものになっているが出場したのはたった26試合。打席で向かっていくタイプなのかよけるのが下手なのか、とにかくデッドボールをよくもらう選手だった。基本的にインコースにきてもよけない。故意に当たったとして死球と判定されなかったケースすらある。そもそも4月2日の巨人戦、来日初打席でいきなり上原浩治にぶつけられている。26試合で12個もの死球を記録している。これは驚異的なハイペースだった。2004年時点の日本記録は1952(昭和27)年に岩本義行が記録した24個(120試合)。2007(平成19)年にオリックスのラロッカがこれを破る28個(136試合)を樹立するが、キンケードのペースを仮に130試合に換算すると60個!になる。これは異常だ。これだけ死球をもらっては無事でいられるわけがなく、5月11日の巨人戦で左手薬指を骨折して登録抹消。8月に1軍登録されたが、復帰2試合目の守備で負傷しすぐに登録抹消され、結局そのままシーズンを終え、10月17日に退団している。タイガースでは26試合86打数20安打7打点3本塁打、打率.233という寂しい成績に終わった。 アメリカに戻るとマイナーリーグや独立リーグで2008(平成20)年までプレーして引退している。藤川球児 投手 藤川は高知県高知市出身。高知商業高校時代の2年生だった1997(平成9)年の夏、外野手兼控え投手として甲子園に出場。1回戦ではリリーフ登板し、兄順一と兄弟バッテリーを組んで6イニングを無失点に抑え勝利投手になる。続く2回戦では、優勝候補と言われた京都の平安高校のエース川口知哉と投げ合い、「球児」という名前も手伝って話題になった。試合では10三振を奪う好投を見せながらも0-5で敗退し悔しさのため大泣きしている。3年生ではエースになったが甲子園には出られなかった。 1998(平成10)年のドラフトでは、タイガースは松坂大輔(横浜高)や二岡智弘(近畿大)の獲得を目指すが難航の末に断念、戦略転換を迫られた中で急遽浮上したのが藤川だった。担当の谷本稔スカウトが強く推しており、チーフスカウトの末永正昭もこれに同調して1位指名に至っている。最初の背番号は「30」。かつてなら歴代監督が着けた偉大な番号だ。 入団時はまだ身体が細く体力的に未完成で、球速も140キロをようやく超える程度だったため、1年目の1999(平成11)年はファームでじっくり育てられる。ウェスタンですら夏場以降の3試合しか登板はなく基礎体力の強化に徹した1年だったようだ。 2年目の2000(平成12)年、野村監督が開幕1軍に抜擢し、すべて敗戦処理のリリーフで19試合に投げた。勝敗等に関係はなく、防御率も4.76だったが、22回2/3で25三振を奪っており片鱗は見せている。また藤川はこの年に高校時代から交際していた女性と結婚している。 3年目は右肩の故障により1軍登録されることはなく、ウェスタンで14試合4勝3敗、防御率3.58に終わっており、結婚したばかりでプロでの実績もなく、藤川にとって一番厳しい時期だった。4年目の2002(平成14)年、星野監督が就任したこの年に藤川は背番号を「92」に変更している。名前の「球児」に掛けたものだったが、一部では失笑を買うものでもあった。しかし高卒は4年目で結果を残さないと次の年には大卒の即戦力が入ってくる。この年に賭ける思いがあったのだろう。星野監督は中日の監督のころ自軍の2軍選手を見るためファームの試合のビデオをよく見ており、相手チームだった藤川についても「いいものを持っている」と評価していた。タイガースの監督に就任し「高卒4年目ならもう結果が必要だろう」として7月に1軍に上げる。先発して打者一巡眼は三振もしっかりとれるし抑えるが、二巡目以降になると捕まるというパターンを7~8試合繰り返している。それでも星野監督は「消化試合になる前に勝たせたい」としてあきらめず、9度目の登板となった9月11日のヤクルト戦で、初回真中にソロホームランを浴びるが、8回1安打1失点でプロ初勝利を手にすることができた。星野監督に褒められウィニングボールを渡された藤川は泣いていた。ただしこの年は12試合1勝5敗に終わっている。5年目の2003(平成15)年は18年ぶりのリーグ優勝を飾った年だ。藤川は開幕1軍を逃し、登録された4月11日の巨人戦の9回7-1から2点を返された場面でリリーフし、仁志にタイムリー、後藤に同点3ランを浴びてしまう。その後も結果は出ず、5月25日のヤクルト戦でのシーズン初先発も4回4失点KOに終わってファーム行き。再登録されたのは9月14日、翌15日にタイガースは優勝を決めており、藤川は貢献することができなかった。19日の巨人戦でようやく1勝を挙げたが、結局日本シリーズも登板機会はなく、当時の藤川は「戦力外」も頭をよぎっていたという。日本シリーズが終了した日に岡田彰布の監督就任が発表され、すぐに行われた編成会議では「藤川は広島やヤクルトからトレードの打診がある」「スタミナがなく肩・肘に不安がある」という資料が岡田の目に留まる。編成サイドは戦力外・トレードを提案したようだ。しかし岡田は星野から「いいものを持っている。使い方によっては化ける」という話を伝えられており、2軍監督として見ていた目から「短いイニングならいけるやろ」というアイデアを持っていたため、フロントの提案を却下する。藤川のリリーバー、ストッパーとしての道が拓けた瞬間だった。2004(平成16)年、藤川は1軍の結縄キャンプに抜擢されるが、右肩痛を発症してリタイア。ファームに行ってリハビリしながら悩み、苦しんでいた時、二軍投手コーチに就任したばかりの山口高志が声をかける。山口は「肩が痛くなるんはフォームに問題がある」と指摘し、やや横振りだった藤川に「まっすぐ叩きつけるように投げてみろ」とアドバイスを送り、山口自身が高校時代に教わり、豪速球を生み出した自らのフォームを伝授してくれた。実際にそのフォームで投げ込んでみても肩の痛みがない。藤川は夏場まで黙々と練習を続けてフォームを固めていった。7月27日に1軍に上がると28日の中日戦のリリーフで3者連続三振。球速は元のフォームでから10キロ以上も速くなり150キロを超えた。「火の玉ストレート」の誕生だった。これで1軍に定着し26試合で2勝0敗、31回を投げ35奪三振 自責点9で防御率2.61という数字を残した。2005(平成17)年、キンケードが1年で解雇されて空いた背番号「22」を受け継ぐ。藤川は「佐々木主浩さんや高津臣吾さんが付けていた番号で光栄です」と語っており、もう「田淵の番号」ではなくなった。 この年岡田監督は ウィリアムス~藤川~久保田の順を固定したため「JFK」が誕生し、順序が入れ替わっても呼び名は変わっていない。 藤川はセットアッパーとして能力をいかんなく発揮し、リーグ最多の80試合に登板して7勝1敗1セーブ46ホールド。92回1/3で132奪三振は驚異的な数字で、防御率も1.36。最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。 2006(平成18)年もセットアッパーでスタートしたが、6月に久保田が故障で離脱するとストッパーに配置転換される。38試合連続無失点、47回2/3連続無失点と日本記録を塗り替えるなど、「藤川が出てきたら点を取るのは不可能」とあきらめさせる快投を演じている。 この年の成績はすさまじく、63試合登板5勝0敗17セーブ30ホールド、79回1/3で122奪三振、自責点は6で防御率は0.68という信じられない数字を叩き出している。オールスターでは全球ストレートの予告でカブレラを三振に取るなど無敵ぶりを見せつけた。 長くなってきたのでこの辺りからは端的にしていくが、2005年の大ブレイクに始まり2012(平成24)年まで不動のストッパーとして君臨する。この8年間の防御率は2010(平成22)年の2.01以外はすべて1点台以下。2008(平成20)年は自己最高の0.67を記録しており、この年のWHIPは0.69と素晴らしい成績だった。 こうした実績を積み重ね、長年心の中で温めてきたメジャー挑戦が実現したのが2012(平成24)年オフのことだ。この年の7月に藤川は33歳を迎えることもあり、周囲からは「時期を失したのではないか。今からでは大きな活躍は期待できない」という声も聞こえたが意志はゆるがず、12月2日にシカゴ・カブスと2年契約を締結している。 カブスでは1年目の2013(平成25)年は12試合投げたところで5月にリタイア、6月にトミー・ジョン手術を受けシーズンを棒に振る。 2014(平成26)年も故障の回復が遅くほとんど故障者リスト入りしており、15試合の登板に終わりオフに自由契約となる。 2015(平成27)年はテキサス・レンジャースと契約できたが故障者リスト入りのまま開幕。5月にようやく2試合に登板するも3失点で見切りを着けられて自由契約となり帰国した。 日本に戻ると高知アイランドリーグのファイティングドッグスに入団。当初タイガースへの復帰が期待されたが、故障の状況から球団フロントが受け入れに及び腰だったと言われている。 登板機会がないままシーズンが終わり契約が満了すると、ヤクルトや中日が触手を伸ばしたため、慌てたタイガースは金本監督が直接交渉にあたって復帰にこぎつけている。藤川はふたたび背番号「22」を着けた。 2016(平成28)年、当初は先発として復帰したがうまくいかず5試合で断念。結局セットアッパーやクローザーで晩年の5年間を過ごした。 2020(令和2)年9月1日に引退会見。11月15日の巨人戦が引退試合となった。 タイガースでの通算成績は782試合60勝38敗243セーブ163ホールド、935回1/3を投げて1220奪三振、自責点216防御率2.08である。 獲得タイトルは最優秀救援投手2回(2007年、2011年) 最優秀中継ぎ投手2回(2005年、2006年) 250セーブには足りなかったが、2022年に総合的に入会条件に匹敵するという評価により特別枠で名球会入りしている。呉 昇桓(オ・スンファン)投手 藤川がメジャーへ行った後のタイガースの守護神の役目を担ったのは韓国の剛速球投手オ・スンファンだった。 スンファンもアマチュア時代は苦労している。もともと少年野球から投手だったが高校で肘を壊して外野手に転向し、大学では投手に戻ったがトミー・ジョン手術を受けて大半の期間は投げられない状態だった。 それでも素質を見込んでサムスン・ライオンズが指名しプロ入り。リハビリのために大学時代に投げていないのが幸いして肩肘は消耗しておらず、すぐに実践で結果を出している。 1年目の2005(平成17)年は61試合10勝1敗16セーブ11ホールド。99回で115三振、防御率も1.18と素晴らしく、最優秀新人賞を獲得している。2013(平成25)年までの韓国における9年間で28勝13敗277セーブ16ホールドの実績を積んだ。ストレートは常時155キロ前後で伸びがある上に重く、「石直球」と呼ばれるほど威力があった。 これほどの投手だけにメジャー志向は当然持っていたが、日本の野球を経験することでワンクッション置きたいとFA権を行使してタイガースへ移籍する。契約期間は2年だった。 2014(平成26)年、藤川が抜けた後を埋める形でストッパーを担うが、キャンプの段階で二段モーションを指摘される。右足を上げたあと下ろすときに一度つま先がチョンと地面につくのが違反投法というのである。 この問題に結論が出るまで思わぬ時間がかかって開幕が迫ってきたが、前年のWBCでも同じフォームで投げて何らの指摘もなかったということで決着がつき無事OKとなった。 この年は64試合で39セーブを挙げて最優秀救援投手。66回1/3で81奪三振も立派で、防御率は1.76だった。 2015(平成27)年になると他球団も研究し、個々のバッターもなれてきたのか被安打が3割ほど増え、逆に奪三振は2割ほど減った。そのためか防御率が2.73と悪くなっている。その代わり投球には老獪さも加わってきて前年を超える41セーブを挙げており2年連続タイトルに輝いている。 予定通り2016(平成28)にメジャー進出。セントルイスカージナルスを皮切りにトロント・ブルージェイズ、コロラド・ロッキーズに在籍。4年間で232試合16勝13敗42セーブ42ホールドという数字を残している。 2020(令和2)年、サムスンに復帰し、41歳になる2023(令和5)年までプレーして引退した。引退年にも30セーブを挙げているのはすごい。 また2021(令和3)年の東京オリンピックにも韓国代表チームの現役投手として来日している。 韓国では通算400セーブを達成。日本とアメリカの分を合わせると通算522セーブという途方もない数字を残した。まとめ今回は4人が対象で長くなってごめんね 前回までは田淵色を帯びた捕手の番号だったのが 藤川さんの成績がすごくてクローザーの番号みたいに変えちゃったね 1年だけキンちゃんが着けたのは余計だったけど・・・ 喜田さんについては先代はいまだに怒ってるよ 外国人選手やFA選手にばかり頼ってた時期で タイガースでレギュラーにできなかったのはすごく残念だったって藤川さんが付けて アメリカに行ってる間はスンファン投手 2016年が空き番になって 2017年から再び藤川さんが着けるのねそして2020年に藤川さんが引退したあとは2024年まで4年間空位となってるよ 次はだれが着けるんだろうね 田淵さんと藤川さんという2人の大物選手が着けただけに 取扱いが難しい番号になっちゃったかな?これで「22」が終わりました 読んでくれたみなさんお疲れ様次回から「23」ですが 永久欠番ってことはご存じよね 若い人で知らない人が意外に多いのよ・・・背番号23へ続く
2024年06月17日
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村上様受難 火曜日5連敗!2代目タイガース非公式サイトです2024年6月11日 オリックス4-0阪神 1回戦(阪神0勝1敗)京セラドーム大阪 ライオンズがよっぽど弱かったんだろうね この試合のタイガースのよわっちぃ姿は目を覆いたいほど そのチームに3連敗したライオンズの抜けた弱さが改めて際立つよね村上様 完投するも援護0 村上投手は4回まで1安打ピッチング 調子は悪いわけじゃなかったとおもう 序盤でタイガースが先取点を取って有利に進めていたら中盤での2失点はなかったかもね5回裏はシングルヒット 送って2塁 2ベースでホームイン オーソドックスな失点だった 1塁空いてたから頓宮さんとは勝負せず 9番の若月さんと仕切りなおしても好かったね まあ選択の問題だから・・・続く6回には集中打を浴びます 一死を取ったけど2番の来田選手から4連続ヒット よく1点で収まったとおもう今年は序盤から中盤に失点することが多いね 味方打線が点取ってくれそうにないから我慢が続かないのかな? 内心ではイライラも募ってるはずよタイガース打線は15三振 スタメンで三振しなかったのは前の試合でカメラマン席にさかさまに落ちて頭を打った渡邉さんだけよ 他の選手たちもみんなどこかに頭ぶつけたほうが良い結果出るんじゃないの? 15個のうち7個が見逃し三振 監督さんが言うようにストライクを見逃してボール球に手をだす最悪のパターンばかり 去年は功を奏した「フォアボールにヒットの価値あり」が独り歩きして 今年は積極性がなくなっちゃってるよね 相手チームにはそこに付け込まれてるわ 「ファーストストライクを振りに行かなかったら罰金」くらい徹底しないと治らないかもよ タイガースのヒットは7本 でも繋がんないのよ 前の試合でタイムリーを打った1番中野選手と3番森下君はノーヒットだよ 2試合続けていい結果出してるのは前川君と渡邉さんかな でも上記2人がダメなので得点につながりません村上様8回完投するも4失点 8回にもオリックスの4連打が出ました 村上投手も防御率のこともあるし続投を志願したようだけど かえって悪い結果になっちゃったなあ・・・ まだ0-1と1点差だった6回表の二死満塁のチャンスでミエちゃんが見逃し三振で終わったのもダメージだったとおもう これで村上投手は2勝5敗 負けが3つ先行よ 二けた勝利が遠ざかっていく感じだわ監督談話も冴えません―これだけ三振が多いのは、相手投手がいいからか「いや、知らん。俺はわからん」 ―ボールを振らされた 「見送りの方が多いやろ。ボールはそら、自分で振るんやから、バッターが。(ボール球を)見送れっていうても、ストライクらしいなあ、見送ってんの。そら、アカンわなあ。ボール球を振って、ストライクを見送ったら。あれだけ見逃して、ストライクなわけやからなあ」 ―村上は完投 「球数も少なかったしな。2点じゃ、まだワンチャンスやから。そんなん。分からへんやん、DHは。そのためのDHやから。最後、代わるかって聞いたけど『最後までいきます』って言いよったから」 ―援護点が少ない 「援護点少ないって、あれへんやん。ゼロやん」 ―リリーフを使わずに済んだ 「そんな問題じゃないわ」 ―火曜は5連敗。週の初戦に勝てないと、しんどい 「そら、しんどいわ。もう極端やな、打てるもんと打てんもんとな。しゃあないわな、一緒やもんな。こんだけボールをな。立ってたらみんなフォアボールやのにな、この間から」 ―渡辺は大丈夫そう 「そら大丈夫やろ、こんだけ打って。アレいてなかったら、何もないわ」(去り際に) 「(きょうは)何にもないわ、終わりや、終わり」
2024年06月12日
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背番号18(その4)背番号18の第4回目です創成期のエース・若林さんから始まって3名の選手が着けてきたよね そのうち2名は投手で 梶岡さんもかなりいい成績を残しているわでも今回からしばらくは ちょっと冴えない番号になってしまうわ 短い期間しか着けてない選手が続くのよ みなさんこの3人知ってる?これも「タイガースの歴史」なんけどね藤重 登 捕手アメリカ合衆国ハワイ出身。ハワイ・レッドソックスから1956(昭和31)年に南海ホークスに入団している。南海には2年間在籍したが、公式戦では1956が9試合、1957(昭和32)年が24試合の出場にとどまり、2年続けて打率が1割台という成績で戦力外となり退団してハワイ・レッドソックスに戻った。1959(昭和34)年、監督でハワイの同郷でもあるカイザー田中が獲得に動いてタイガースに入団し再来日、背番号「18」を着ける。この選手に関しては資料がほとんどなく、どんなプレイヤーだったかはよくわからない。捕手としてはそれなりに能力はあったらしいが、バッティング技術が低く主戦捕手にはなれなかった。当時は山本哲也が正捕手でエース級の小山正明や村山実の投げる試合のほとんどでマスクを着けていたので、その合間で二線級以下の投手のときにしか藤重の出番はないのが実情だったようだ。タイガースでの1年目は公式戦35試合で63打数15安打0打点0本塁打で打率.238。 最も働いたのが2年目の1960(昭和35)年だったが、それでも61試合141打数34安打8打点3本塁打で、打率は.241に過ぎない。 在籍最後となった3年目の1961(昭和36)年はわずか26試合で49打数11安打3打点1本塁打とさびしい成績で打率も.224と冴えなかった。シーズン終了後に引退しハワイへ帰っている。 通算成績は5年間で155試合295打数66安打14打点6本塁打31三振3盗塁、打率.224。マーク・ブラウンスタイン 投手 この選手についてはいずれ「外国人選手史」でも紹介するつもりだが、在籍1年で公式戦出場なし、まったく戦力にならず解雇されている。 1962(昭和37)年にアメリカ・カリフォルニア大学を卒業して即タイガース入りという、ちょっとありえないような経歴で、しかも投手としてさっぱりな上に故障したためシーズン途中に野手転向を試みるなどお粗末すぎる。 期待を込めて背番号「18」を与えたのか、たまたま空いたから与えたのか不明だが、入団の経緯もよくわからないし、大型右本格派の評判とは裏腹に来日当初から球威・球速ともに期待外れで実力不足。しかも日本に来たそのシーズンに野手転向などタイガース側にも大いに問題があるケースだろう。 タイガースの「18番」の黒歴史というほかない・・・中井悦雄 投手 中井は大阪府出身で大鉄高校で2年時に選抜大会で甲子園経験があるが1回戦敗退。関西大学に進むが1年で中退し、1963(昭和38)年にタイガースに入団し背番号「18」を引き継いでいる。「18」に決まったのは担当スカウトが18-3で紹介した河西俊雄だったことも影響しているかもしれない。 ルーキーイヤーはファームで20試合13勝1敗、防御率1.17で最多勝・防御率1位・勝率1位の三冠に輝く大活躍でウェスタンリーグの優勝に貢献、9月には一軍に上がっている。 公式戦では7試合に登板し4勝1敗で防御率が1.22。4勝のうち3勝は完封勝利だった。2試合にリリーフ登板し4イニングを無失点に抑え、9月19日の大洋戦(甲子園)で初先発。8安打を浴びながら1-0で2勝目を挙げる。9月24日の国鉄戦(甲子園)では金田正一と投げ合い2-0で7安打完封、さらに9月29日(中日球場)の中日戦でも2安打に抑えて5-0で完封してしまった。10月17日の広島戦(広島球場)で2回裏に藤井弘のソロホームランを浴びて1点を失い初失点を記録したものの「デビューから31イニング連続無失点」という日本新記録を樹立した。しかし当時この記録は話題にもならず、2023(令和5)年に同じタイガースの村上頌樹が並ぶことで60年ぶりに脚光を浴びることになる。村上も抜くことはできず、中井はいまも村上と並んで日本記録保持者であり続けている。 1964(昭和39)年、前年の成績から大きな飛躍が期待されるシーズンとなった。ところが中井は開幕当初勝ち運に恵まれず、4月30日の国鉄戦でようやく1勝を挙げる。しかもこの1勝がタイガースにおける最後の白星になるとはだれも想像もしていなかった。 5月に起こったアクシデントが中井の投手晴明を奪ってしまう。ウィキペディアなどでは「交通事故による負傷」となっているが、実際は次のようなことだったようだ。 自転車で阪神電鉄甲子園戦の踏切を渡っている際に、誤って転倒し右肩を強打してしまった。「交通事故」というより自らの不注意が招いた転倒事故だ。この負傷で戦列を離れその後のシーズンを棒に振ってしまう。結局11試合で1勝2敗、防御率3.66というのが2年目の成績だった。 1965(昭和40)年、現場に復帰するも一軍では1試合わずか1イニングの登板に終わり、1966(昭和41)年は一軍で投げないまま自由契約となって退団している。 1年を経て1968(昭和43)年に再びタイガースに復帰したものの一軍での登板はなく西鉄ライオンズへトレードされてしまった。タイガースでの最後の1年は背番号「46」を着けている。 西鉄に移った1969(昭和44)年のシーズンは当初先発で起用されるが結果が出ないためリリーフに転向し35試合に登板している。2年目の1970(昭和45)年には42試合に登板し3勝0敗、85回2/3で防御率3.24と貢献した。 しかし3年目の1971(昭和46)年は17試合しか登板がなく8月でほぼ戦力外とみなされてしまい、シーズン終了後に現役を去った。 通算成績は実働6年で109試合9勝6敗145奪三振、245回2/3で自責点91防御率3.33。 その後、一般の会社に勤めていたが1979(昭和54)年に二軍投手コーチとしてタイガースに復帰する。ところが同年8月23日に突然の心不全で急逝しまう。まだ36歳という若さだった。まとめ今回の3人は三者三様という感じよね藤重さんはハワイから来て2球団でプレーしたけどパッとしないまま短期間で終わっちゃった選手 写真は南海時代の小っちゃいのが一つ見つかったよブラウンスタイン投手はもう訳が分からないわ 大学新卒のアメリカ人選手が入るってのもほぼ例がないし それがまた全く役に立たないで帰ってるのよね 「一体全体何だったのよ?」って言いたいわよね これでは写真なんて残ってるはずもなく見つかんなかったわ中井さんはツイてないって言うのかなあ・・・ 実際1年目の活躍をみると順調にいけばエース級になってたはずだとおもう それが不注意からの事故で台無しにしてしまってるのよ 不利なカウントから平気でど真ん中へ投げ込む勝負度胸があって周囲の期待は相当なものだったらしいわよ だからいまも「幻のエース」と言われることがあるみたい しかもせっかくコーチで復帰したのに早くに亡くなってしまって・・・とても残念!背番号18-5へ続く
2024年01月19日
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これは何だと思いますか? ミモザが昨年初めて咲いて、今年は数倍の花をつけたことは過去に掲載しました。その花から豆ができたんですよ。もともとマメ科の植物というのは分かっていたのですが、こんなのができるんですね。去年は成らなかったんですが、今年は初めて成りました。 ほかの枝にも鈴なりについています。ただし、さやえんどうなどのようにぷっくりとしたものじゃなく、次の拡大写真のように厚さ1ミリもないようなペラペラで、逆光だと中が透けて見えます。 さやの中に小さな豆があるのがわかります。この豆をまくと新しく芽が出るということなんですが、この豆をいつ収穫すればいいのかわかりません。どうなったら種として成熟したと判断できるのか? もっと乾燥してカラカラになるまでほっておくと言う人もいるのですがどうなのかなあ? ご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えくださるとありがたいです。 食べてみたい気もしますが、ちょと不味そうですね。 にほんブログ村
2017年05月08日
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初回 電光石火のグランドスラム 2代目タイガース非公式サイトです2024年6月16日 ソフトバンク1-4阪神 3回戦(阪神1勝2敗)みずほペイペイ 1回表一死から中野君がデッドボールで出塁すると直後に二盗を決めます 3番に入った渡邉さんがフォアボールで1・2塁 さらに4番テル君がライト前ヒットで満塁 おぜん立ては整ったねそして今日5番の前川君よ 初球はストレートが真ん中低めに外れ 2球目はひざ元にまたストレート 今度は決まってカウント1B1Sになった3球目でした石川投手はまたストレート ベルトの高さでインコースに入ってくると前川君は思い切り叩きます 打球はライトポール付近へ一直線で 前川君も打った感触でわかったようで 直ぐ右手を挙げました 完璧ね! タイガースの打線の中で今ストレートに振り負けないで打ち返せるのは ひょっとして前川君ぐらいなのかもしれない 先発がエースの才木投手だけに初回の4点はでかいわ そもそも去年も今年も初回に得点できた試合は7割以上の確率で勝ってるからね 2回には森下君がファウルフライをもぎ取る 2回一死から才木君が中村晃選手に右前打を許した直後 甲斐選手の打ち上げた打球は右翼ファウルゾーンのフィールド内に張り出す観客席へ飛び込みそうになったんだけど 森下がフェンスから体を乗り出して手を目いっぱい伸ばして見事にグラブに収めました最近守りでミスが目立っていただけに挽回したね しかもチームに勢いをつけるようなプレーで試合を引き締めたわ ラッキー7には なんとジェット風船が!ええっ~だいじょうぶなの? これはマナー違反とかじゃないんだって 甲子園ではコロナ感染対策が始まって以来禁止されて再開のめどはありません でもペイペイドームでは専用のポンプで膨らます新仕様の風船が売られていて飛ばしてもいいのよ はやく甲子園でもこの風景が見れるといいなあ 才木投手 7回裏に一発浴びる! 今シーズン絶好調の近藤選手 昨日も初回に3ランを打ってるし これは事故と思った方がいいね 相手が悪かった 才木君は7回5安打1失点 無四球で9奪三振という内容はさすがですよね 7回でマウンドを降りましたが8勝目確実8回切敷投手~9回岩崎さんが無失点リレー なんだか久しぶりに見るリレーのような気がする 負け試合が続いてるとこの二人の出番はぐっと減るからね その分ある程度休養は取れてたんでしょう 万全です カード3連敗を免れ 貯金を再び1とし セリーグ2位に浮上 やっぱり危機を食い止めてくれるのは才木投手だったね そして前川君は大ブレイクしていく予感がするわ スイングスピードがあるからストレートに強いし 変化球も引き付けてから叩くことができる 万能タイプの打者ね いつになく饒舌な岡田監督 ―前川が初回に。 「なあ、やっぱ大きいよなあ。満塁いうたらな。昨日と逆になるからなあ。攻めようがなくなってくるからなあ。結局は。ソロやったら、まだあれやけど」 ―石川が2回以降立ち直っただけに大きかった。 「そうやなあ。あんまり先発してないやろ、あれ。なあ」 ―最近は強い打球が。 「いやいやまあ、ずっと一本とか、ヒットも出とったしな。まあそんなに状態良くないと思うけどな。やっぱりクリーンアップ据えたらな、ああいうときに一本な。そら4打席で一本出るのがあん時かランナーいてない時かで大違いやからな」 ―ソフトバンクの笹川、広瀬のように若い選手が打てば勢いつく。 「いや、向こうは8番、9番やないか。こっちはクリーンアップでな、ポイントゲッターになるからな」 ―本人にとっても良い1本に。 「そうやなあ、やっとな左の時でも先発したりな。そういう形で徐々にポジション取れるようにな。今がレギュラーポジション取る、そういう過程じゃないか。左ピッチャーとか対応したり、ある程度できてきたら自信もつくやろうし、守備にしてもな」 ―チームの歴史でも高卒3年目でレギュラー狙える選手は少ない。 「まあな、おーん。そらお前、一人でも誰かでてこんとあかんわ。おんなじようなメンバーではやっぱりな、なかなか勝てへんから」 ―才木は。 「もうなあ、いやいや、ちょっと今までがな、0―0で後半までいくような展開ばっかりやから、そんな4点入ったから気が抜けるいうかな、そだけ言うたんや、ピッチングコーチに、それだけ注意せえよ言うて。安心してしまうな、あるかも分からんし、今までがもうそんな、緊迫したイニングばっかり投げとるから。ピッチングコーチにそれだけ注意せえよ言うて。安心してしまうな、そういうのもあるかも分からんしな。そんなんもう緊迫したイニングばっかり投げとるから」 ―その中でも四球も出さずに。 「そうや、コントロールようなったからなあ、やっぱり」 ―たっぷり休めたのもあるが、桐敷や岩崎も好投。 「おおそうやなあ。久しぶりやろ、1週間ぶりか、なあ。まあ、またちょっと休めるやん」 ―木浪が心配。 「おーん。いや心配っていうか、骨折してるんやもん、しゃあない、それはもう。心配もくそも、それはもう抹消や」 ―小幡にはこのチャンスに頑張ってもらわないと。 「まあチャンスや小幡はなあ」 ー小久保さんが、監督対決に負けたけど母校は勝ったと。 「ふふっ。もったいないのう、最後も」
2024年06月16日
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セブンイレブンのペコちゃん人形が16日発売されました 近くのセブンイレブンに予約してあったので、朝電話で品物が入ったと連絡がありました。早速買いに行ったら、2種類あるとのこと。一昨年まではずっと毎年1種類で、去年はペコポコで2体。今年はペコちゃんに2バージョンあると言われ財布のお金が足りない。すぐATMで出してきて2体入手しました。ひとつは「お出かけ着物姿」 今年のお正月に出た着物ペコちゃんより一回り大きく、身長は26センチくらいかな。袋のイラストも同じ着物姿が描かれています。 もう一体は「着物ドレス姿」というもの 着物ドレスってちょっと無理がありますね。上が着物で下がスカートってねえ・・・。何だか妖しい萌えっとした雰囲気がして。これも袋にイラストが描かれています。 どちらにもお菓子が付いてきます。というよりこれは抱き合わせ商法ですね。不二家さん関係で多いやり方です。公正取引委員会に注意されないように気を付けてほしいです。 ちなみについてくるお菓子は、カントリーマーム1袋、ミルキー1袋、LOOKチョコレート1箱、ハートチョコレート小1袋です。2体買ったので、これらのお菓子も×2。もちろん食べますよ。 http://professor-mino.blogspot.com/
2013年02月16日
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???な教育リーグ💕2代目タイガース非公式サイトです 2023年3月5日 ナゴヤ球場で行われた教育リーグ中日VS阪神を観てきたんだけど ちょっと複雑な心境なんです 報告聞いてよね それと通販で注文してあるデジカメが間に合わなかったので スマホ頼みの写真でゴメン💦 画像めちゃくちゃ荒いけど許してね 先発は 沖縄でのオープン戦を見てがっかり もう見たくないと思ってたブライアン・ケラー投手! え~っ!もういいわよ!というのが本音だったわところがね そのケラー投手が今日は好かったのよ!? コントロールがよくて ストレートが走ってるので 高めでファールフライに打ちとる場面が多かったわね 中日の選手が湿ってたので手放しじゃ喜べないけどオープン戦とは違うケラー投手だったなあ どっちが本物なのかわからない??? 3回まで投げてヒット1本の無失点 次は 高山俊選手だけど これはもうあかんわ~レフトでスタメン3番に入って4打席立ったんだけど ショートゴロ→三振→3打席目は二死一三塁で浅い外野フライ→最後はピッチャーゴロ で4タコ 芯に当たらないファウルが多いし ポイントが近くなって差し込まれるのよ キャンプの状態より悪くなってる これじゃとても一軍には行けないよ 2番手以下の投手陣はというと これがみんな好かったのよね!渡邉雄大投手 左横手投げでボールに力があるしスタミナもありそう 中継ぎで仕事しそうだ岡留英貴投手この人は岩崎投手を右投げにしたようなフォームね 鏡に映したみたい 投げ始めは横手投げかな?とおもうような感じで前かがみになるんだけど 腕の振りは上手投げで遅れて出てくるの 球威もあるので中日の選手は結構打ちづらそうだった島本浩也投手久しぶりに見たなあ 前は背番号が69のころだった ボールは走ってるしフォームもきれい 復活できるといいね!締めは岩田将貴投手写真の奥の選手ね 締めといっても3イニング投げたんだよね 意味不明??? ロングリリーフの想定なのか それとも先発でも行けるかのテストなのかな? わからなかったのよね~ フォームは青柳投手をほぼそのまま左投げにしたみたいな感じでおどろいたんだけど 青柳投手よりもっと下から手が出てくるの これは打ちづらいというか右打者も見ずらいフォームだとおもうわ 左投手でこんなフォーム見たことないなあ ちょっとほかにいないよスピードガンでは120キロ台から135キロくらいが中心なんだけど 見た目よりもっと威力がある印象でした この投手はホントに面白そう! で、中日打線は9回3安打で無得点 タイガースの出てくる投手がみんないいピッチングするので手も足も出ない感じだった というか中日の選手が調子落としてるのかもしれないけどね・・・ 今日の試合観て ファームのほうでも投手王国が出来てきてるのは感じたなあ すそ野が広いのね 楽しみ楽しみ 野手はパッとしなかったけど サードに入ってた山本泰寛選手がタイムリーも打って動きがよかったかな 背番号00の選手ね
2023年03月05日
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背番号7(その3)その2からの続きです金田さんのあとに引き継ぐのは 攻守好打の名外野手として コーチとしてはバース選手に左方向への打ち方を教えて大化けさせたことでも有名な並木輝男さん そのあとはちょっと知らない選手が続くのね 並木輝男 外野手日大三高時代の並木は投手で4番打者、昭和30(1955)年の夏、同31(1956)年春と甲子園に出場しいずれもベスト8に進んでいる。早稲田大進学が希望だったが、家業が行き詰まったためプロ入りを決断、昭和32(1957)年に大阪タイガースに入団する。この時金田正泰はまだ現役で「7」を着けており、並木が最初に着けた背番号は「40」だった。入団時は内野手登録だったが左投げのため一塁しかポジションがなく、すぐに外野手に転向している。1年目から98試合に出場し300打数75安打32打点8本塁打を記録したが、3年目までは規定打席にとどかない準レギュラーだった。スター選手になったのは4年目の昭和35年(1960)からだ。引退した金田の「背番号7」を受け継いだのもこの年だ。120試合に出場して規定打席もクリア、3番に座って425打数130安打61打点11本塁打、打率.306の好成績を残し、オールスターにも初出場している。 しかし、全盛期は意外に短く、昭和39(1964)年まではレギュラーを守ったが、昭和40(1965)年になると規定打席を割り、昭和41(1966)年は98試合の出場にとどまる。このときまだ28歳だったがチームの若返り構想から外れ、なんと自由契約選手となってしまった。現役を続けるため東京オリオンズと契約。昭和42(1967)年から2年間在籍したが、合計9試合に出ただけ。30歳で現役引退した。 その後長く評論家生活をしていたが、昭和60(1985)年、吉田義男が2度目の監督に就任すると打撃コーチとして招聘され、あの新ダイナマイト打線を指導し、初の日本一達成の功労者となっている。コーチ時代は「86」を着けていた。また一塁ベースコーチとしてグランドに立つことも多かった。 令和5(2023)年1月、ランディ・バースが来日時に、「当時成功できたもっとも大きな理由は並木コーチの指導だった」と明かした。もともとプルヒッターだったバースに根気よく左方向への打ち方を教え、2年連続三冠王、日本最高打率、7試合連続本塁打など数々の記録を残すスーパー助っ人に育て上げた功績は本当に大きい。 しかし、昭和61(1986)年からチーム成績が下降しだすと、選手の起用法などで吉田監督と意見が合わないことが多くなり、昭和62(1987)年、最下位に転落したことで責任を取って辞任している。 東京生まれの東京育ち、私生活はダンディそのもので交友関係も広かった。並木の仲人は勝新太郎・中村玉緒夫妻だったという。 タイガースのコーチを退任した翌年、昭和63(1988)年9月、脳出血により急逝。まだ49歳だった。 西園寺昭夫 内野手・外野手西園寺はタイガースファンにとってはなじみのうすい選手だろう。熊本工業時代に昭和29(1954)年の選抜大会に2年生外野手として出場、ベスト4の実績があり、卒業後社会人の東洋レーヨンに入社している。 昭和32(1957)年に東映フライヤーズへ入団。主に三塁手として10年間在籍している。昭和34(1959)年から8年間はレギュラーの座を守っており、昭和37(1962)年のタイガースとの日本シリーズでは全7試合に出ている。しかもあの優勝が決まった試合、「小山風呂事件」の試合の延長12回、村山から決勝ホームランを打ったのがこの西園寺だった。ということで、決して「なじみの薄い選手」ではなかったのである。 昭和41(1966)年、この年も134試合に出ていたが、そのオフになぜか戦力構想から外れ、翌年金銭トレードでタイガースに移ってくる。 タイガースでは昭和42(1967)年から2年の在籍で「背番号7」を着け、主に外野手や代打で起用されている。2年間の通算で163試合397打数101安打28打点、打率は.254という数字を残した。 昭和43年オフに、鈴木皖武との交換で産経アトムズ(現ヤクルト)へ移籍し、2年間プレーして引退している。 鈴木皖武 投手西園寺とのトレードでタイガースに入団した鈴木は「背番号7」を引き継ぐが、翌年からは「13」に変更している。高校時代にオリオンズの入団テスト不合格の経験があり、卒業後東京鉄道管理局に就職して社会人全国鉄で活躍する。そのままスライドする形で昭和37(1962)年に国鉄スワローズへ入団した。 鈴木は右サイドスローの変則投手で、リリーフとして実績を積んでいく。国鉄時代の7年間で311試合に登板しているが、先発は20試合のみだ。昭和41(1966)年はリーグ最多の62試合に登板、そのうち先発は1試合、残りがリリーフだったが170回1/3も投げており、かなりロングリリーフもあったようだ。しかもこの年の防御率は2.33と出色していた。 昭和44(1969)年、西園寺との交換でタイガースに入団、1年目は39試合に登板し、16試合に先発している。先発は昭和45年が10試合、同46年も12試合あり、最初の3年間はリリーフと掛けもちで頑張った。 昭和47(1972)年からはほぼリリーフ専門となり、ファンからも「キヨタケ」と呼ばれてかなり人気があったようだ。タイガースでは6年間で22勝24敗1セーブの成績を残している。6年通算の防御率は2.57と悪くない数字だった。 金田正泰監督とは折り合いが悪く、昭和48(1973)年8月には監督を殴って1か月間の謹慎処分を受けたこともある。 昭和50(1975)年は、2対5の交換トレードでロッテオリオンズに移籍し1年間で引退している。引退後はロッテのスカウトとして伊良部秀輝を入団させた実績も残す。 まとめ バースさんの口から「日本で成功できたのは並木コーチのおかげ」という証言が出て 2代目もうれしかった この功績はもっと称えられるべきね 選手としても好打者だったみたいだし 早く亡くなってしまって惜しいな 西園寺さんは全然知らなかった 貢献度は低いね 鈴木さんはファンには人気があったみたいでびっくり 若いファンはこの二人わからないでしょうね わたしもお手上げその4に続く
2023年03月06日
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背番号14(その3)背番号14の第3回目ですここで最初に出てくるのは小山正明さん この320勝の大投手は「14」を着けたのは1年だけなのね 6-2で紹介してるから詳しくはそっちで見てね後の人は歴史に埋もれた人て感じもするけど 本間さんはかなり有名だよね 今回は多種多様って感じかな 小山正明 投手(再掲)小山は1957(昭和32)年の1年だけ背番号「14」を着けている。前年17勝を挙げてエース格になったことで野手の番号と言われる「6」を返上したのかもしれないが、たった1年でまた「47」に変更している説明がつかない。真相は分からないと言うしかない。「14」を小山の着けた番号と認識している人はほとんどいないだろう。 なお、セ・パ両リーグそれぞれで100勝以上を挙げた投手はNPB史上を通じて小山以外誰もいない。(セ・リーグ:180勝、パ・リーグ:140勝) タイガース背番号史 6の2 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) 本間 勝 投手愛知県岡崎市出身で高校は名門中京商業。在学当時は絶対的エースに安井勝がいたため第2投手、甲子園にも出ているがリリーフでしか投げていない。 1958(昭和33)年、高校からタイガースへ入団し、前年小山が着けていた「14」を譲り受けた。 一軍での登板は1年目が3試合、2年目は2試合だが、高卒新人なので仕方がない。芽が出たのは3年目の1960(昭和35)年だった。 この年は47試合に登板し先発が23試合、リリーフも24試合ありフル回転している。成績は13勝8敗と戦力になっており、防御率も2.78と高卒3年目にしては上々の成長ぶりだろう。 1961(昭和36)年にも41試合に登板しているが、8勝13敗と負け越し、その後1962(昭和37)年からは、0勝、5勝、1勝、1勝と成績は芳しくなかった。 タイガースでの背番号は入団から5年間が「14」、その後「45」を3年間着けたあと、再び2年間「14」に戻っている。1966(昭和41)年に安部和春とのトレードで西鉄ライオンズへ移籍し、2年間在籍したが1997年のシーズンを最後に30歳で引退している。 引退後は新聞社に入社し14年間記者として勤めたあと、タイガースのフロント入りし、おもに広報部門に携わり広報部長を最後に勇退した。 現在は80歳を超えられたが、球団発行紙「月間タイガース」誌上で「本間勝交遊録」を執筆連載して、多くの出会いや関係者にしかわからない貴重なエピソードを綴っている。山尾孝雄 外野手・投手 大阪府大阪市出身。高校は明星で岡田監督の先輩にあたる。同志社大学に進み本格派投手として活躍、通算55試合に登板して24勝10敗、防御率1.19の好成績を残している。 1963(昭和38)年にタイガースへ入団、本間から背番号「14」を譲られる。1年目に3試合に投げたが防御率6.30と打ち込まれて自信を無くし、1964(昭和39)年には早々と野手に転向した。 ただし、野手転向といっても簡単ではなく、1968(昭和43)年までの5年間は満足な出場機会に恵まれない状況に甘んじている。この間、1965年まで3年間着けた「14」を本間に返し、1966(昭和41)年から「21」に代えて引退するまで7年間背負っている。 1969(昭和44)年に初めて100打席を超え、この年を含む3年間はセンターで準レギュラーとなるものの、守備や足は好かったが打撃に関しては目立った成長が見られなかった。 1972(昭和47)年、ドラフト3位で望月充(立教大~大昭和製紙)が入団するとポジションを失い、わずか19試合の出場に終わったことから現役を退いた。安部和春 投手 本間→山尾→本間と背番号のキャッチボールがあったあと、「14」は本間とのトレードで西鉄ライオンズから移籍してきた安部和春が引き継いでいる。安部は大分県大分市出身、1959(昭和34)年の高校在学中にライオンズの入団テストを受けて合格し、高校に通いながら日曜日はライオンズの二軍の練習に参加し、高校卒業とともに入団した。1962(昭和37)年、公式戦で9試合を投げて1勝1敗の成績だが、この1勝が完封勝利だった。シーズン中に右手の指を負傷し、この指をかばうような握り方を工夫することで「アベボール」と呼ばれる変化球を開発している。これは現代でいう「ツーシーム」で、打者の手元で小さく変化して芯を外すボールだったようだ。このボールを武器にして翌年の1963(昭和38)年に10勝、1964(昭和39)年にも11勝と、連続して二けた勝利を挙げている。1963年はリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも4試合でリリーフ登板があり、第4戦では勝利投手になっているが日本一は逃した。(巨人4勝3敗)1965(昭和40)年は5勝に終わり、オフのトレードで本間と入れ替わりでタイガースに移籍した。 タイガースではおもにリリーフとして投げる傍ら、ローテーションの谷間などで先発もこなしている。タイガースには移籍した1966(昭和41)年に29試合登板で5勝5敗、先発が8試合あった。1969(昭和44)年まで4年間在籍して10勝13敗の成績を残し引退。プロ通算では225試合に登板して36勝26敗、防御率は2.75で安定した投球をしていた。 2023(令和5)年、82歳で逝去。 まとめ 小山さんは「6-2」で紹介済みだけど 改めて大投手なんだとおもうわ でもタイガースは高卒で練習生上がりの小山さんをあまり大事にしてなかった感じがするのよ どちらかと言うと大卒の村山贔屓って感じ 2代目ならこんな大投手をトレードになんか出さないよ 本間さんの「交友録」は楽しく読ませてもらってる 現場にいた人じゃないとわからない人間関係やエピソードは臨場感があってホントに面白いし ブログ書くのに参考にしてるんだ! 山尾さんは高校~大学とエリートコースね でもプロではレギュラーに届かずに終わっちゃったの やっぱり簡単にのし上がれる世界じゃないのね でも引退まで10年間をタイガース一筋で通しているよ 大学時代に肩を壊してなかったら投手として大成したかもしれないだけに残念 安部さんは記憶に残らないようなタイプなのよね でも数年だったけど貢献してるし日本でのツーシームの元祖かもね その4に続く
2023年09月28日
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頭に来ちゃう!2代目タイガース非公式サイトです2024年4月10日 阪神2-6広島 2回戦(阪神1勝1敗) 甲子園 タイガースファンのみなさん お元気ですか?2代目は元気なくしてるよ ピッチャーが苦しんでるときは打線がしっかり支えないといけないのに 1点とか2点しか入んないのね確かに伊藤将司投手は好くなかったよ 1回の内野ゴロの1点は仕方ないとして2回表 上本さんのテキサスヒットやアドゥワ誠選手の当たりがセカンドベースに当たって内野安打になるなど不運も重なったなあ・・・そこから3連打されてこの回一気に5点入っては完全に劣勢ね 伊藤さんは「申し訳ない」って肩を落としてるけど これを追い上げてあげるのが野手の責任よ打線に追い上げる力がない? 最近の打線の調子から見て2回までで6点差はキツイわ アドゥワ誠投手は初めから飛ばして5回までに9三振を奪う力投だしタイガースは4回裏に森下君の第3号ソロホームランで1点返すんだけど 1打席目も2ベースだったよね 今シーズンまだシングルヒットがないのよ これもおかしな現象だわ この試合2安打2四球したけど打率は1割台 でも上向いてはいるのかな?この子の調子はホントに測りにくいよね 惜しかったのは6回裏ね 二死2塁からテル君のタイムリー2ベースで1点を返し さらに食らいついて満塁まで攻めたんだけどなあ 代打のノイジー選手がサードゴロで終わっちゃいました ここで1本出て2点差くらいにまでなれば まだ3イニングあるから 試合の行方はまだわかんなかったのに タイガースは7・8・9回はフォアボールこそ選んでもヒットは出ず2-6のまま負けました リードされると終盤に打線が沈黙して反撃の気概がないのが今のタイガースなのよ どうしても先取点が欲しいよね!漆原さんが地味ながら好投! そうそう ビハインドの中でリリーフして3イニングを1安打ピッチングでしのいでくれた漆原投手には感謝してます 現役ドラフトで入団して これまでのところリードされた状況でのリリーフが多いけど その内容は信頼できるわ 勝ってるゲームで使ってあげたいよ 今日は監督談話はなかったようね 仕方ないかな こういう負け方は「完敗」に近いから早く忘れたいかもしれないね さて順位表を見ると中日が勝って貯金4になってる 一方でタイガースはなかなか貯金ができない 連続完封負けで開幕したから嫌な感じはあったけど 半月近くたってもあまり状態は好くないままなんだよなあ とにかく3戦目は勝ってカード勝ち越しはしたいよね 1試合ごとの勝ち負けでゴチャゴチャ考えちゃうからイラついてくるんだろうなあ もっと長~い目で見るよう努力するよ・・・ 2代目の周辺の桜はだいぶ散ってきたよ 速いよねえ 昔の人はこういうところに「いさぎよさ」とか「はかなさ」を感じたんだろうね 今年最後のサクラのイラストです
2024年04月11日
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晴れ女の本領発揮!💕2代目タイガース非公式サイトです2024年4月24日 ウェスタンリーグ阪神2-9中日 阪神鳴尾浜球場12:30 鳴尾浜行ってきたよ 多分みんな二の足踏んでるだろうとの予測のもと雨予報を振り切るように8:30に出発 関西スーパーで買い出しも済ませて悠々と11:20ころ球場に到着しました 整理券配布開始の9;00から2時間以上経ってるんだけど80人くらいしか来てなかったわ 予想通り!楽勝でゲットね 今日の背景は誰かわかる? ルーキーの石黒佑弥投手(背番号63)ですよ 雨は京都から西は全然降ってなかったわね 球場でも練習やってるうちは曇りだったけど試合が始まると雲が切れ始めて しばらくしたらしっかり晴れてきました 最初雨ガッパ着て入ったからさすがに暑いわ まるでサウナスーツ がまんできず脱ぎましたがそれでも汗ばむ暑さです でもいい天気になってよかった 写真で見るとこんな感じよ 今日はいろいろと興味深いものを見ることができたので紹介していこうとおもうのね ちょっと長くなるけど頑張って読んでねミエちゃん久しぶりに会えたよ ケガの具合は見てもわからないけどだいぶ良くなっているのかな 今日は初めてスタメン5番でレフトの守備につきました驚いたのは練習の後片付けのときよ 両軍選手総出でネットとかマシンを片付けるんだけど ミエちゃんの周りにドラゴンズの選手たちが集まってきて取り囲んでるのよ 楽しそうに何か話してる こういうシーンが目立ったな 相手チームからも好かれてるんだね バッティングはというと 第1打席はファーストの頭の上をヒョロヒョロッとこえるヒット 第2打席は フラフラっと上がるセカンドフライ 3打席目は中途半端な空振り三振 内容を見ると脇腹のケガはまだ思いっきり引っ張るのが怖い状態なのかもしれない 当たっても右方向にしか飛ばないし 空振りもフワッとしたスイングだったから復活はもう少し先になりそう 前置きが長くてごめんね なにしろ久しぶりにミエちゃん見れて興奮してるからね 去年のナゴヤ球場以来なんだから ではスターティングオーダーを見てよ 先発は秋山さんね 3番井坪 4番井上 5番ミエセス というクリンナップを組みました 井上君は前日ホームラン2発打ってるから期待したんだけど 今日は警戒されてフォアボール2つ あとは凡退だったなあ 残念厳しい状況の秋山さん 来季はあるのか? では先発の秋山さんです 1回は2者連続見逃し三振で好スタートだった だけど2代目のような素人が見てもボールが走ってる感じがしなかったのよ きわどいコースに決まってるときは好いけど コントロール間違うと打たれるんじゃないかって気が気じゃないわ 左足を上げたあと ちょっとだけ身体を沈めて溜めを作る二段モーションは かえってスムーズな投球動作を中断させてしまって スッと腕が振れないように感じるのよね スピードも出ないわ 投げる度に 気合の掛け声が聞こえるけど 頑張っても136キロ イニングが進むと133~134キロになってしまったわ スライダーが127~129キロ たまに105~108キロのカーブ この3種類の組み立てに見えたんだ ストレートが遅くてスライダーとのスピード差が少ないから バッターはストレート待っててスライダーが来ても対応できちゃうのよ 悲しいけど2回表先頭の4番石川選手にライトへ大きなホームランを打たれます これはスライダーだったとおもう 完ぺき 打たれながらも1失点で粘ってたけど 5回表先頭の味谷選手にソロホームランを浴びると さらに石垣選手にレフト前ヒット 板山さんには2ベースを浴びて一死2・3塁となり 3番福永選手にトドメの3ランを許して5回5失点のノックアウトに終わりました 昨年「現役ドラフトに出してあげたら?」とおもったけど 実際今日の様子では他球団が欲しがるような内容とは言えません 多分監督さんも名簿に載せてどこも手が上がらないのはかえって不名誉と考えたんじゃないかな おそらく来季はないかなと感じてしまう今日のピッチングでした・・・井坪君 またフォームが変化してる この子は全くわかりませんね 昨年の8月ごろに見て以来だからどうなってるか興味があったのね そして見て驚きだよ! 昨年のフォームと比べてみるよ 左が2023年5月で右が今日見た構えだよ どう? オーソドックスな構えに戻ってるのよ 2023年の3月はこんな感じで打っててホームランも出てたのに5月ころから左のような構えに変えたんだけど疑問だった 左足なんかつま先が後ろ向いちゃって 構えるだけでも変に力が入りそうだし苦しいんじゃないかってね このフォームにしてから打率が下降したのよ 今年は普通に戻してどんな結果を出していくか注目したいわ 現在打率.333です育成3選手が続々登板 秋山さんがノックアウトされた後 6回にマルティネス投手 7回にベタンセス投手 8回が佐藤蓮投手と育成選手が投入されたよ デジカメの充電が中途半端でバッテリー切れになったので この辺はスマホの不鮮明な写真ですみません 2代目はちらちらスピードガン表示見てたんだけどみんな速いのよ 確認できた限りのMAXは マルティネス投手が151キロ ベタンセス投手が153キロ 佐藤投手も153キロだったわ これで育成よ! でもプロは恐ろしいね マルティネス投手は変わったとたんに6番の加藤選手のソロを浴びます さらに二死から9番石垣選手にもソロと 1イニングに2発撃たれたんだよ 速いんだけど全体にボールが上ずっててストライクゾーンに来ないのね 苦し紛れにゾーンを狙うと棒球になって被弾 速いだけじゃ駄目なんだね その点 ベタンセス投手は1安打されたけど2三振を奪って無失点 佐藤投手は3人をきっちり凡打に打ち取ってます 一番早く育成脱出しそうなのは見た感じではベタンセス投手かな 一度だけでは何とも言えないか・・・前途多難の森木投手 9回は森木投手が出てきました 少しづつ好くなっているという情報もあるにはあるけど そうは見えなかったな 試合では先頭の板山さんにいきなり2ベースを打たれると 途中から3番に入ってるモニエル選手の3球目にワイルドピッチで無死3塁 モニエル選手にはセンター前に運ばれて1点を失い 4番の石川選手にもセンターオーバーのタイムリー2ベースでさらに1点を失いました とても使えません ちょっと変化球を多投しすぎてたのを狙われた感じはあるけど ストレートが走ってないからだとおもうのよ 1軍どころの話じゃなく2軍戦で結果を出すのも大変だわね 頑張ってほしいんだけど・・・ というようなことで 御覧のように16安打を浴びて2-9の大敗でした タイガースでは育成の福島選手が好かった ヒットは出ないんだけど守備よ 足速いわ ミエセス選手がレフトにはいったし ドラゴンズがヒット多かったから かなり広い守備範囲を右に左によく走って守ってたよ それから9番スタメンのルーキー山田選手 5回裏にタイムリー2ベースで1打点を挙げたのね これが左中間へかなり高い打球だったのよ 風は左から右へ強く吹いてたので失速するかとおもったら負けないで伸びていってフェンス下部直撃 今後も見ていきたい選手だよ ドラゴンズではタイガースを戦力外になった板山さんが地力を見せたね 2番に起用されて5打数3安打 現在の打率は.387なのよ 意外に早く支配下になるんじゃないかな いつまでもこんな大きな番号じゃかっこ悪いからね 今日は帰りが遅くなって見てないんだけど 1軍のほうは9回に逆転して逃げ切ったようね これでベイスターズとは2勝2敗1分 いよいよ連覇への道が見え始めた感じがする では最後にほかの写真をって言ってもあまり無いか・・・ 年齢がよくわかんなかったけど素敵な髪色の超望遠お姉さん 後ろ姿がとてもかわいいので思わず撮っちゃった ごめんなさい この人はタイガースファンですよ 試合前のウォームアップ いつもだらけて見えちゃうんだけどホントにまじめにやってんのかしらね? あやしいな・・・ 1軍のゲームはまた別稿で振り返ります ファームの報告はこれで終了 見に来てくれてありがと!
2024年04月24日
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大竹さん好投もヒヤヒヤの4勝目!2代目タイガース非公式サイトです2024年5月22日 広島1-2阪神 9回戦(阪神3勝5敗1分)マツダスタジアム 結構ヤバかったね~ 最後はさすがの岩崎さんも心臓踊ったんじゃない?これで先発の勝ち星を消すどころか ワンヒットでチームが負けちゃうかもという状況 キツかったとおもうよ大山さんプロ通算500打点を達成 さて1回表 1番近本さんがいきなり2ベース 中野君森下君がフライで打ち取られ二死となって4番大山さんがレフト線へ鋭い当たりのタイムリー 1点を先行します これが大山さんの通算500打点目3回には先頭近本さんがフォアボール 最近先頭で好く出塁してくれます ここで中野選手が三塁線にセーフティバントをころがして内野安打になりました 続く森下君の大きなセンターフライで2者それぞれタッチアップで進塁して一死2・3塁にかわり 大山さんの犠牲フライで2点目が入ったのね これ大きかったよ岡田監督:「まあそうやなあ。4番が打点挙げてリードオフマンが出て、展開的にはな。打順の巡りも良かったしな。うまいこと1番からばっかりになったしな。あの辺は9番まで回したりは大きいわな」前日のブログで2代目はちょっと大山さん批判のような文章を書いちゃったんだけど 今日は日刊スポーツさんが今岡コーチの談話を配信してました 短い記事なんだけどこれが大山さんの実像をよく表現してるので お詫びの意味も併せて掲載します阪神大山はなぜ4番なのか。昨年2月1日。6年ぶりに阪神に復帰した今岡打撃コーチは「ヨーイドンで見て、びっくりした」と言った。新人だった2017年に1年間見て以来だったが、打席内での意識が変わっていた。予感は的中。大山は初タイトルの最高出塁率賞で、チームを優勝に導いた。「いい凡打」こそが大山を大黒柱たらしめる。「彼は打線を背負っているから。凡退の仕方さえもコントロールしている。いろいろなことを打席で考えているから、たとえ凡打しても『いい凡打』になる」。打線が淡泊で相手投手ペースになっていれば、球数を投げさせる。味方に相手の球をじっくりと見せる。その上で自らの結果も求める。 コンディション不良もあり、ここまでは苦しいシーズン。「日本一チームの4番として、今までよりはるかに重い責任を背負っている」と胸中をくみ取る。そうして積み上げた501打点には数字以上の重みがある。【阪神担当=柏原誠】 う~ん 奥が深いね 調子が悪いときはホームランやヒットで貢献できない でもたとえ凡打でも 次につながげていくことができる それを考えながら実践してるってことなのね 素晴らしいわ 大竹投手 安定感あるピッチング では試合に戻ろうね 大竹投手はと言うと4回までヒットを許さない好投 昨日の村上様と違ってイニングの先頭打者を出さないのが好いね 5回表に初めて先頭の小園選手にヒットを許しました 続く末包選手にも連打されますが後続3人を無難に打ち取ります 7回も先頭菊池さん 次小園さんに連続ヒットでピンチを迎えました 出も落ち着いてますね 後続3人はいずれも内野フライに打ち取りランナーの進塁すら許さなかった 今日はホント大竹さんの持ち味が十分に出たわよ岡田監督:「今日良かったよ。コントロールも良かったし。ピンチあったけど、あそこまではな。あの回な、まあ、そやなあ、点取られてたら桐敷いってたかもわからんけど。よう踏ん張ったよな7回な」岩崎さん崖っぷちで大竹さんの白星守る 8回には桐敷投手が3者凡退に抑え 9回の締めには当然岩崎さんが登場したんだけど ここで波乱がおきます一死から菊池選手がショートへの内野安打で出塁 続く小園さんにフォアボールを出したのが岩崎さんらしくなかった末包選手を空振り三振に取って二死にこぎつけたところで 板倉選手にタイムリーを許してしまったのよ これで2-1となってもう1本出たら大竹さんの白星が消えちゃうわプレッシャーの中 二俣さんにフォアボールで二死満塁 こりゃヤバいよって場面になって出てきたのが代打の松山さん! もう怖すぎ 逆転サヨナラまであるよここで岩崎さんは落ち着いてましたね 2球続けて低めの変化球でファウルさせて追い込み 3球目にストレート これってほぼど真ん中だったんだけど松山さんは打ち損じてセカンドゴロ 試合終了ですベンチで大竹さんはヒヤヒヤだったかもしれないけど 岩崎さんを信頼してたろうね 白星が消えず4勝目をゲットしました おめでとう! これで23日に勝てばカード勝ち越せるよ タイガースは西勇輝さん カープはハッチ投手ね
2024年05月23日
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大入り満員のウェスタン!2代目タイガース非公式サイトです2024年6月8日 ウェスタン阪神1-2中日(延長10回) 鳴尾浜ギリギリ入れてよかった 8時40分ごろ到着 駐車場に入れると後ろ2~3台のところで満車になってバーが動かなくなりました まずギリギリで第1関門突破ね球場前に来ると長蛇の列! とにかく最後尾を目指しても延々と200メートル以上 歩きながらざっと数えていくと400人近くは並んでそう…キャパは350人くらいだからヤバッ! 正確な人数は分からないからとにかく並び 9時から整理券の配布が始まって列が動き出します あと20メートルくらいのところで係の人が「もうすぐ無くなりますよ」って大声で予告するじゃないの 「ええっ!あとちょっとなのに」と進んでいくと整理券もらえました(デザインは福島圭音選手)! 第2関門も無事突破です 2代目のあと残り5枚だったから後ろについて並んでた100人くらいは残念ですがアウト それでも続々とまだ人がやってきます 空振りで帰る人続出 子供連れの人たちはかわいそうだった 明日9日の天気予報が雨なので今日来た人が多いのかもしれないスターティングオーダー 目立ってるのは3番にノイジー選手が入ったくらいかな DHじゃなくレフトの守備に就いたからどこかで引っ込める予定かなっておもったわ 大山さんは やはり別メニューで「ミニキャンプ」というのは本当みたいで まったく姿を見かけませんでしたね 先に試合結果を とても淡白で見どころの少ない試合だったので先に結果を載せるよ 1-1で延長10回に進んで 表に中日に1点が入りタイガースの負けです 10回に登板した岩田将貴投手が先頭の高橋周平さんにヒットを打たれ リリーフした育成の佐藤蓮投手が牽制悪送球で無死2塁 さらにワイルドピッチで3塁に進めてしまい 最後はボークでホームインって何やってんだかここからは おもだった選手をピックアップ先発した高橋遥人投手 好かったですよ 3回までパーフェクト 1回は外野フライ3つ 2回は内野ゴロ3つ 3回も内野ゴロ3つだった 4回に二死から高橋周平さんにヒットを許しますがこれ1本だけ 5回はサードゴロ3つに打ち取りましたね ストレートは最速145キロだったけどコントロールが好いし変化球をうまく使って打たせてとるピッチングは安定感があったよ 復活の日が近づいていると感じる内容だった 降格されたノイジー選手 なんとなく構え遅れる感じがあって スイングの初動が遅く差し込まれる感じは治ってないかな 1打席2打席は連続三振 3打席目はゴロでセンターへ抜けるヒットが出たけど打球が上がらないのよね ここで交代しました この写真はボールを打つ前じゃなく打った後なんだけど 完全な振り遅れよね 1塁側ベンチ方向へのファウルの場面です 今の状態では1軍に戻せるような感じはしないわ 時間がかかるって言うより当分戻れないって気がする 唯一の得点 ソロホームランの百崎蒼生選手 今年のドラ4ルーキーね 高卒ながらファームで19試合に使われてます 今日はしっかり引っ張ってレフトポール際にきれいな第1号ホームラン 身体はそれほど大きくないけどパンチ力があるのよ初昇格が待ち遠しい井坪陽生選手 今ファームの試合を見に来ている人たちからも大きな期待がかけられてる井坪選手 今日は途中の守備から入って打席が回り2打数1安打だった 写真はヒットを打った時の場面 最後までしっかり振りぬけているよね ただしこの打席の写真では左脛にプロテクター着けてない 1軍へ行けば絶対着けさせられるし ファームでも万全を期すために着けるのに慣れておくべきだとおもう 構えも去年の身体がよじれたようなフォームをオーソドックスに修正し スムーズにバットが出るようになってるから 8日の試合を終わって出場が55試合 打率3割ちょうどを記録してるわ 一度1軍を経験させてあげたいよもう一度奮起してほしい井上広大選手 GW明けに昇格して3週間くらいで戻されてしまい ちょっと意気消沈してるかな 2代目の印象は 足を上げないフォームに変えてからスタンスが広くなりすぎて下半身が固定されてしまい 上体がスムーズに回転しにくくなってるように見えるわ 引っ張った好い打球が出にくくなってるのよねボールに威力を感じない湯浅京己投手 4人目に出てきて1イニング投げたんだけど 打者5人に対し1安打1四球 点は取られなかったけどピンチを招きます スピードガンでは最速152キロを計測してるんだけど芯に当てられてます 伸びがないのかホップ成分が少ないのか「棒球」なのよ 僅差のリードでは使いづらい投手に見えてしまう・・・現状では一軍もファームもイマイチだなあという印象ですでは最後にそのほかの写真を並べて終わりますホントにお客さん多かったマルチネス投手 最速154キロも3安打1四球1死球と乱れました岡留投手はスピードもキレもあった 一軍でも不思議じゃないよでは 一軍の試合はのちほど
2024年06月09日
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