神秘学によると、遥か昔、人類がこの地に誕生したときは、両性具有であったという。しかし、姿は女性的で、男性的なものは、叡智(霊性)であったという。太古の神々の像が女性的であるのは、この両性具有の表現だという。日本の神の天照大神も女神の姿だが、本当は両性具有なのであろう。
一般的に、男性は(霊的)形態、女性は素材を与えるものだとされている。だから、子は父親から姿形、母親から素質を伝授されるといわれてきた。昔から逞しい父親、賢い母親を選ぶのは、その言い伝えの習わしなのだろう。
両性具有は、動物では普通にみられるケースもある、例えば、めだかやグッピーなどは温度により性差が変わり、ミミズなどは役割で変わることで、イメージできるだろう。動物のなかにはこの世の働きや環境などで、 性差を変えることができる。なぜならば、肉体とエーテル体の結びつきが、緩いからであるという。トカゲの尻尾がすぐに生えるのは、このエーテル体が、肉体とあまり結びついていないせいだという。つまり、一言でいえば、鈍感なのであるという。
これらと比べ、人間は、エーテル体と肉体の結びつきが堅く、あまりに環境に繊細で、感覚的なので、例えば、失った手が生えてくることはないだろう。しかし、人間の場合は、次の転生で、エーテル体は補完的に働くという。つまり、前世で、手を失ったものは、来世で、強固な手をつくりあげるという。それはエーテル体が、肉体の設計図であり、そうさせるのだという。
だからして、大体、前世で男(女)であったら、来世では女性(男)に生まれるという。なぜなら、エーテル体が全く反対であるからだという。男性は、女性的(受動的)なエーテル体をもち、女性は、男性的(能動的)なエーテル体をもつという。あくまで、肉体の性別を基準にしているので、エーテル体の性差は、紛らわしいが、要は肉体とは正反対であるという意味である。そういう意味で、現代の男性脳、女性脳というのは、この観点からも説明できる。
両性具有のときの人類は、神々(霊)の叡智を感じたときに、自ら受精したという。神々の叡智とは、神秘学的にいえば、火なので、両性具有の人類が火を感じたときに、ひとりでに受精したという。このようなひとりで生まれた子を、火の子と呼んだ。「火の子、ひとり生まれ」とは、ギリシア時代、神の子という意味をもった。実際、精子は、火を担うという。
しかし、次第に人類は地に興味を抱き、地で活動するにつれ、天の叡智(火)を徐々に失っていき、地で活動する者(建築家)と天から叡智を受ける者(祭司者)の二手に分かれるようになっていったという。
両性具有が、男性的な性質と女性的な性質に分かれ、生殖行為も分業的に、つまり、ふたりに分かれていったという。ここに、ふたり生まれの子が生まれる。ギリシア時代、「ふたり生まれ」とは、人の子という意味である。それは、もはや神々の叡智を失った人類を意味し、共同でないと生殖が出来ない位に、人類が堕落したという意味でもある。これを聖書では、原罪としている。
この男女の秘密は、聖書の記述では、カインとアベルの章にある。エロヒム(神々)は、エヴァ(両性具有)をつくった。エロヒム(神々)のうちの一柱から、エヴァは叡智を感じ、「ひとり生まれ」で生まれた神(火)の子が、カインである。やがて、エロヒムのうちの主神エホヴァは、自らの分身アダムをつくり、エヴァは、アダムを知って、ふたり生まれの人の子、アベルを産む。
カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となる。この意味は、土とは鉱物や土地の意で、カインは、地から創造を行う建築者になり、羊とは、神々の命の僕の意で、アベルは祭司者となったという。そして、カインも、アベルも神々に供犠をするが、カインのものは、人工物なので、神には受け取られなかったが、アベルは、神の命によく従ったので神に受け取られ、アベルは、カインに殺され、命を天に召されてしまう。その後、アダムとエヴァは、セトを産む。
ちなみに、カインの捧げ物は、ほとんどが土でできていた、人工物だったので、神は受け取れなかったのだ。対して、アベルは、自ら育てた子羊を捧げたので、神は喜んで受け取ったのである。その後、カインに殺され、アベル自身も、神に召された。
これは、カインの子孫は、地で活動をしながら、将来、神に召される捧げ物を、自らでつくりあげなければならないということの伏線になっている。これが、プロメテウスの神話の由来でもある。
そうして、人類には、カインつまり、火の子の末裔と、セトの末裔に分かれることとなる。カインの末裔は、エジプトのピラミッドや、ソロモンの神殿をつくった、ヒラムアビブなどを生じ、現代では形骸化しているがフリーメーソン(石工)の母体となったという。対して、アベル-セトの末裔は、祭司となり、ソロモンを生じたという。
カインの末裔は、火の子といわれ、主に、建築者や芸術、科学者を生み、アベル-セトの末裔は、人の子といわれ、祭司者を生んだ。火の子は、神の直観力はないが、地から工作するのに能力を発揮した。これは魂に、男性的な受動性を生み、エーテル体にその特徴を刻印し、肉体は男性のものを表出していき、対して、人の子は、祭司的な、神の直観力に従った能力を発揮したため、女性的な能動性を生み、エーテル体にその特徴を刻印し、肉体は女性的なものとなっていったという。祭司、例えば、巫女が、女性的なのは、この霊的直観力のせいであるという。
科学者、芸術家が男性的で、巫女や霊媒師が女性的なのは、エーテル体のこの特質のせいだといえる。アベル-セトの祭司系は、その霊的直観力を失わないために、他民族(とくにカインの末裔)と交わるのを禁じたという。
動物の環境による急激な性差の対応が、人間では、何千万年もの時間をかけて行われてきたわけだ。
神の子の象徴が男性的だとすると、人の子の象徴は女性的というべきだろう。人類が二分化し、地に支配的になり、次第に男性的になるにつれ、古代からの女性的な霊性は、失われていったという。魔女狩りとは、その象徴的な地での出来事であるだろう。
現代は、女性的な霊性を失い、地全てが男性的で、支配的になってしまったが、再び、いま求められるのはこの男性的な地のなかでの女性的な霊性の、直観力の回帰、再起なのであろう。
かって、男性的な神の子と、女性的な人の子を、この地によって融合したのは、キリスト=イエスであるという。キリストは、ヨハネの洗礼により、30歳で「ひとり生まれ(火の子)」で生まれ、その母体のイエスの肉体は、人の子のソロモンの系図から出ているのである。
神の子(キリスト)ひとり生まれ(ヨハネの洗礼)=人の子(イエス)ふたり生まれ(マリア)
という図式がなりたつという。
それは、男性のなかに、女性的なもの、つまり聖母マリアを生み、そして、女性のなかに、男性的なもの、つまりキリストを生む、そのために、神の子と人の子が融合したのだという。
かって両性具有だった人類に、男性の叡智(カイン)と女性の叡智(アベル)が偏り生じた、カイン(唯物思考)はアベル(霊性思考)を殺してしまった。
だが、再び、その統合がなされ、人類は両性具有に返り、自らが子を生むようになっていくという。男のなかに女があり、女のなかに男がある。それが融合すれば自ら子を生むものとなるという。つまり、宇宙の真の生殖とは、ひとり生まれなのであるという。
ちなみに、モーセの十戒のモラルの規則は、男女に分かれてから生じたという。男女差がなくなり、人類が両性具有となると、このモラルの規則は無意味になるという。
男女が特定の相手(妻、夫)以外と交わるのを不倫というのは、夫婦が(社会上)両性具有体という意味からきているのかもしれない。キリスト教では、神の名の下において両性具有体となったのだから、それはまさに不倫といわざるをえないことだろう。
そうすると、結婚とは、人類が将来両性具有体をつくりあげるための教則課程なのかもしれない。
不倫を文化と言った教養薄弱児がいたが、文化とは、霊的な秩序、文明とは、それが外に現れるものと考えれば、どうみても、不倫は、退廃した文明の象徴といわざるをえないだろう。
文化と文明の違い位は見極めてほしい!
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