自由と平等の武装解除の新日本国をつくったマッカーサーが、引退するときに、言った言葉が、このタイトルだという。
老兵は死なず、ただ去り行くのみ
私は、敗戦のそのときは知らねど、日本は負けるべくして負け、実際、日本は負けてよかったという大人たちの本音のようなものを何度か聞いてきて、やはり、日本は必然的に負けたのだという実感をもった。
同じ敗戦を味わったドイツと比べて、わが国はいかにも精神的幼稚性を保持し続けているといえる。それはいまでも戦後の既得権益を保持しようと息巻いている政治家たち財界人たちがいるからだろう。
大体、同じ人間であり、同胞を、なかば強制的に戦地へと向かわせ、特攻隊と美化して、実際は死刑と同じような命令を、いかなる権力があろうと、行使する指導者など、いくら統治の機会が与えられようとも、この世に平和をもたらすことなどできはしないだろう。
しかも、自分たちは最後まで責任をとろうとはしないで、生き恥を曝していたのだから。
同じ敗戦国ドイツとは、その責任のとり方において、いかにも幼稚で、現実認識に疎い国民性を露呈している。東京裁判をいまでも国際的に不法だと愚痴っているその愚かさは、若者に伝染し、ニートを生み出しているように思えてならない。北のわが国に対する愚痴と同じであろう。
生きることは辛いものである。なぜなら、日々理不尽な事に遭遇するからである。敗戦を通して人間は成長できる。徳川家康は何度も負けた。その度に愚痴をいっていたら、成長がないだろう。
歴史に愚痴をいうことはできても、歴史を変えることはできない。なぜならば、歴史そのものが人類への教訓だからである。
一体、この世で行われた裁判で、正統なものはありえるのだろうか?
人間が平等の名の下に、一体、同胞を裁き得るのだろうか?
どんな裁判であろうと、人間が人間を裁くことなどできないのではないか?
裁判が行われるのは、人類の未来のためである。
人類の未来のために、罪人として犠牲になる心構えを問うためにあるといえる。
武士道という倫理があった国が、このような体たらくなのだから、もはや、日本は死んだといえるだろう。戦後日本は一度死に、マッカーサーにより再構築されたのである。そのときから、昭和天皇は、表看板となり、米国の中枢が、日本の中枢となり、裏から操ったのである。
米国依りは今にはじまったことではない。あまりに小泉が馬鹿で阿呆だから、それが見え見栄になっただけである。
御馬鹿指導者は、日本日本と愛国心を煽るが、その実、単なるエゴや利己心、権力者に君臨したいだけの幼稚性でしかないように見受けられる。
日本人は精神年齢が幼いと、マッカーサーが言ったが、それはいまでも変わらないのだろう。
靖国神社に参拝したからといって、愛国心があるなどと誰が決めたのだろうか?昭和天皇は、不本意だというメモがみつかったらしいが、そんなことよりも、現天皇も参拝していないのではないか?
何より馬鹿で阿呆な小泉は、ただ愛国パフォーマンスでやっているだけで、そこに信仰心など皆無なのである。天皇が何を言おうが、自分のエゴと利己心と我儘でやるだけであるから、そんなことはどうでもいいのが、馬鹿奴の本音だろう。
とにかくも、日本は滅び行く国家であることにはかわりがないだろう。未来の人類、国家から自由になる人類としては、これは望むべき展開ともいえるだろうが、もう少し、マトモな政治家が出てきてもいい頃であるだろう。
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