シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年10月24日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、三位一体の男性的な陽と女性的な陰の作用を簡単に記述し、人体のなかに、太陽系があり、地球と気象的関係があり、天と地として二極的な働きをして、細胞の我儘な生の傾向を、水星等の作用により鎮め、器官等を組織的に構築していることを端的に説明した。これらは全て、エーテル体と呼ばれる、生命プロセスの解析によりわかることだという。

 これらを錬金術的に表現すれば、植物と動物と、人間の関係が、宇宙的なプロセスから解き明かされ、男性的な陽の作用は、炭酸石灰の作用と呼ばれ、エーテル体のプロセスを鉱物化していき、重力の下に物質を発生させ、霊体(ファントム)を死滅し分解させようとする。対して、女性的な陰の作用は、珪素の作用と呼ばれ、エーテル体のプロセスを霊化していき、光の下にアストラル体に向かわせ、霊体(ファントム)を構築しようとするものとなる。

 植物は、陽の炭酸石灰の作用を根に塩プロセスとしてもち、陰の珪素の作用を、実や花に燐(硫黄)プロセスとしてもち、葉や茎に、水銀プロセスをもつ、多年生植物の、幹は、一年生植物の土台である土の部分が盛り上がったものと捉えるとよいという。これを応用して土を盛り上げたところに植物を植えると成長がよいという。

 人間は、この植物と逆の180度の関係にあり、心臓より上部が根、心臓より下部が花や実となる。だから、人間は心臓より上の頭部が陰の珪素作用、心臓より下部が陽の炭酸石灰作用で、心臓は水銀プロセスとして、人体の均衡と調和を保っているという。ちなみに、人間は動物とは直角の90度の関係にある。

 エーテル体のこれらの陽の炭酸石灰作用と、陰の珪酸(素)作用は、ホメオパシーの原理により、それぞれの炭酸石灰と珪酸を人体内で希釈していくことにより、その作用を補完し、促進させることができるという。

 ホメオパシーの原理とは、宇宙の創造の原理である三位一体の光球の原理を用いたもので、端的にいえば、ある物質をある作用の下に希釈していくことで、その作用の濃度がゼロとなるような、決して表には現れないゼロ点を超えて、その反作用を生み出すことをいう。この宇宙のもの(作用)は、その性質がゼロとして現れることはなく、本来の性質が、ゼロを超えると逆に反射して返ってくるような波動のリズムの特質をもつという。

 このことは、例えば、財産を素に金を使い切っていくと、財産のゼロ点を超えてもなお、借金をして、使っていくことと同じであるという。ゼロ点を超えた時点で、質的状況が変わり、今度は負債者となるのと同じだという。宇宙はこのようなリズムの原則からなるという。

 だから、ある作用の素に、その作用素を希釈するプロセスを行っていき、ゼロ点を超えると、その反対の作用が現れ、今度は、その反対の作用に対して、更に希釈を行っていくと、その反作用の内的な第2のゼロ点ともいえるゼロ点に至るという。そのゼロ点を超えると今度は、はじめの作用と90度変換した高次の作用が現れてくるというのである。

 つまり、天と地の両極性において、地(物質的特性)の作用からゼロ点を超えると、その地の反対の作用が現れるが、今度は、(地の物質的特性の)その反作用の(第2の)ゼロ点に向かい、それを超えると、天(霊的特性)の作用が現れてくるというのである。



 さて、人間のなかには、宇宙的な天体の働きがあり、地球とのその関係から、気象的な器官を人体内に形成していることを、前回、簡単に記述した。

 人体のなかにこのような気象的な器官があるのも、自然のなかにその性質があるからに他ならないという。実は地球の周りには、熱の層があり、その熱の層が、その熱層の外と内に同じような効果をもたらす作用を創出しているという。その作用とは、空間から熱により空気を締め出して、光を作り出すことだという。熱層から光が創出されるという。

 つまり、熱層の外側の空気が熱により締め出され光となり、地上に降り注ぐという。熱層の内側には、勿論のこと、空気の層がある。そして、この熱から光を作り出すことが、人体内でも行われているという。恐らく霊光と呼ばれるものであろう。人間と動物の違いは、体内の創り出される光の違いにあるという。動物は、充分な光を自らつくりだせないという。

 そして、地上の空気層の下に水の層、いわゆる液体の層がある。これは大気圏外の熱層の外の光を生む層の外に、化学力を創出する層があり、その化学力の層と対極的に作用しているという。この化学力の層も、勿論、人体内にあり、それが肝臓だという。ここに、肝臓がその土地の水の組成に依存している意味が見い出せるだろう。

 更に、液体の層の下に硬化した土形成の層がある。これは地球の外では、化学力の層の更に外に、生命力の層があり、これと対極を成しているという。この層の人体内にある器官は、肺であるという。だから、肺はその土地の組成に依存するという。

 土の形成力は、生命力が死ぬことで生まれるという。地球は、実際水星の影響がなければ、腫瘍のように絶え間ない生命形成力の旺盛の基に膨張してしまうという、水星の水銀プロセスの力により、絶えず前段階に止まり、土を形成しているという。例えば、牡蛎の殻も、牡蛎が土形成に至らないように、海水という液体層にいるために、腫瘍の前段階の炭酸カルシウムの共存形成に止まっているという。ミミズは、殻をもっていないために、このような前段階に止まることができず、土形成の担い手だという。ミミズがいないと、土のなかに生命形成力が行き渡らないという。

 炭酸カルシウムの影響の下に発生する病像を人間の場合に観察すれば、肺の現象全てと、非常に強く関連することがわかり、肺の退化も、牡蛎の殻の形成プロセス、或いは同類の巻き貝類の殻の形成プロセスなどと共に、理解できるものとなるという。

 人体内で、外の空気活動に対応するものが腎臓の活動で、水の活動に対応するものが肝臓の活動で、固体である土の活動に対応するものが肺の活動であることがわかる。

 太古人は、これらの現象を、火(熱)、風、水、土の4大元素霊で説明した。火は地球の熱層であり、風は、空気の層、水は、液体の層、そして、土は土形成の層であり、それらは、太古人が神と呼んだ天体の力、つまり、天と地の対極性により生じ、火と風から光が生まれ、水は、化学力と対、土は、生命力と対であることが、理解できるだろう。

 そして、これらは、人体内にも、子であるものを持ち、天が父なら、子が人体となることを意味するだろう。人体内の熱が、血液の体温、風が腎臓、水が肝臓、土が肺というようなものである。現代人は、これらを誤解し馬鹿にするだろうが、どちらが真に愚かなのかは、その年代間の経験差からもわかることだろう。何しろ、科学が誕生して200年しか経っていないのである。地球の歴史からいっても、人類の歴史からいっても、ほんの2世紀足らずである。その間に行ったことは、ほとんど闘争と戦争と殺し合いで、高尚な知的分野の科学と呼ばれる学問でも、知的な闘争や競走を続ける愚かさは、19世紀とその精神の質において全く変わっていないのである。

 自分だけ幸せで、目立てばよいという利己主義は19世紀から全く変わらないばかりか、かえって堕落しているとさえいえるだろう。



 古代人と現代人とどちらが愚かなのだろうか?

 現代においては、唯物主義的な理論により説明されたことにしようとする権威的な状況が実現されてしまい、肉眼で見えるもの、観察される全てのものを、微視的なもの、あるいは超微視的なものまで引き戻して見て、これらの説明がついたと思いこむように、生命も、それがどこか唯物的な別の場所に移されれば、説明がついたと思いこむわけなのである。

 一体どこまで、真の責任を他に帰すれば気が済むのだろうか?

 学者の多くが自ら行動せずに、他に命令することしかできないのは堕落の証拠である。自らのことは、自らで責任をもってやるべきなのである。知性は自らの存在を売る道具ではない。自らの行為を鼓舞するものであろう。他に求めるのではなく、自らで行え! 我々には霊性がある。現代こそ、霊性を回復すべきときなのである。





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Last updated  2006年10月24日 22時29分05秒
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私は心眼を!と  
武侯仁従  さん
>現代においては、唯物主義的な理論により説明されたことにしようとする権威的な状況が実現されてしまい、肉眼で見えるもの、観察される全てのものを、微視的なもの、あるいは超微視的なものまで引き戻して見て、これらの説明がついたと思いこむように、生命も、それがどこか唯物的な別の場所に移されれば、説明がついたと思いこむわけなのである。

 >一体どこまで、真の責任を他に帰すれば気が済むのだろうか?

 >学者の多くが自ら行動せずに、他に命令することしかできないのは堕落の証拠である。自らのことは、自らで責任をもってやるべきなのである。知性は自らの存在を売る道具ではない。自らの行為を鼓舞するものであろう。他に求めるのではなく、自らで行え! 我々には霊性がある。現代こそ、霊性を回復すべきときなのである。

霊性というには抵抗があります。が心眼というの近いなら心眼といいます。どうも科学者・学者は心眼を失って、行動もせず・それだからなお無責任。
知性が行動・実在に追いつかないなら、それの自身の底上げなり、人間として「地力」をあげて漢高祖みたいに自身と希望を共にする人を集め、実施すればいいのだ。やはりそれをするのにも「心眼」がいる。
専門馬鹿の上に「心眼」ないクソ学者がなんと多いことか!
道学者さんやひろたかなん氏・中島曹公のような人は、まだあまりに少数なのが現代日本の悲劇。

再見!
(2006年10月25日 08時32分38秒)

Re:私は心眼を!と(10/24)  
5dolphin  さん
武侯仁従さまの洞察力にはいつも感服致します。
 金儲けの為にやる学問は死んだも同然です。心眼という言葉はギリシア時代に、心の眼、つまり、いわゆる気孔(エーテル体)を捉える意識みたいなものとして語られたといいます。
 霊性という言い方は、新興宗教チックでよくないのですが、何とも相応しい表現がないので、仕方ないところです。気の回復といった方がいいのかもしれません。気性となると、荒いとか温厚とかに、なりますね。
 人から暗記する学問は所詮、偶像崇拝にすぎません。試験勉強は得点を得る為の行為で、無意味です。そういう意味で、カネ儲けの研究も、所詮カネをえるための道具です。そういうものは一時的で長続きしないばかりか、肝心の道徳を乱す由縁となります。
 人生のなかで自ら発見し、行うものが、真の学問となるでしょう。 (2006年10月25日 11時30分34秒)

Re[1]:私は心眼を!と(10/24)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん

 >人から暗記する学問は所詮、偶像崇拝にすぎません。試験勉強は得点を得る為の行為で、無意味です。そういう意味で、カネ儲けの研究も、所詮カネをえるための道具です。そういうものは一時的で長続きしないばかりか、肝心の道徳を乱す由縁となります。

禅家に言葉に「師匠を越えてこそ、師匠に真っ当に恩返しすることになる」と。「師匠を越えないのは師匠への冒涜」とも。
学びて知恵・脳みその奥まで練磨してこそ、学問でしょう。私が「孫子」が好きなのは暗記や金儲け如き浅い学習では到底使いきれない学問でもあるからです。馬謖・趙括などがその悪例ですね。馬謖はすぐれた戦略眼と識見を持ちながら自身を知らないところ大で職務の選択を誤り、自身と国家に多大な損失を与え、趙括は「頭でっかち」で自身の力量を見誤り国家と自身に破滅的打撃を与えました。
私の殷鑑です。

老子に「智は他を知るもの、明が己を知るもの」とあまりに「明」が不足している学界・社会と感じる次第。
再見! (2006年10月25日 17時17分27秒)

Re[2]:私は心眼を!と(10/24)  
5dolphin  さん
武侯仁従さまは、学問に激しい理想と情熱をお持ちですね。まるで王陽明のようです。

学問に対するあくまでも自己追求の姿勢は賞賛致します。それほどの情熱を秘めておられるならば、安心でしょう。老婆心ながら、過度な情熱は、肺の病につながりますので、その点のご配慮とご用心を。

老子に学ぼうとも、小老子にならずに、武侯仁従さまの老子になるべきです。

キリストが、ある十戒の信者に、十戒を守るべきかどうかを聞かれたときに、十戒を信じるのではなく、自らが十戒を成せと言った言葉が、胸に響きます。とかく、言がたつと、行が成り難いものがあります。

自分なりに自分の分を極めるといったとこなのでしょう。 (2006年10月25日 22時53分45秒)

Re[3]:私は心眼を!と(10/24)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん
>武侯仁従さまは、学問に激しい理想と情熱をお持ちですね。まるで王陽明のようです。
>老婆心ながら、過度な情熱は、肺の病につながりますので、その点のご配慮とご用心を。

王陽明も肺病に悩まされていたとか。どうも私も呼吸器強くないです。肝気のバランスが悪くて不安と興奮が交互なので体調も気をつけてます。
近代中国武術の名人霍元甲は虚弱でしたが気功で克服しましたが、肺気が強すぎて肝臓を痛めて早世の一因になったとか。

うまく心落ち着けないと、健康なかなか回復できないですね。ありがとうございます。
(2006年10月26日 17時43分44秒)

Re[4]:私は心眼を!と(10/24)  
5dolphin  さん
武侯仁従さまは、流石に洞察力が鋭いですね。
 そうなんです、王陽明は肺を患いました。日本の陽明学研究第一の安岡正篤も、晩年、肺と、同じ言葉を繰り返す老人特有の痴呆に罹ったという話です。
 陽明学は、学問に対する情熱のあまり、肺を煩う傾向にあります。もともと、陽明学も、孔子の儒教の再生、いわゆる革命論みたいなものですから、いわゆる熱情性のもので、肺を患う傾向にあるといえましょう。肺は、繰り返し思想を表現する態度の背後をつくるという話です。脳は二次的であり、器官が端緒なんです。
 これに対して、独善的な思想、利己主義的な独りよがりの解釈を好む人は、肝臓を患う傾向にあるようです。恐らく、マルクスやレーニンといった社会主義思想者は、肝臓があまりよくなかったように思われます。一見関連なさそうなものを関連づける学者的な思想、とくに飛躍的な思想の表明は、背後に肝臓の働きがあるという話です。
 実は、その人の思想の傾向や表現から、その人の体調が見通せるのです。だから、脳の良し悪しではなく、人体の器官の働きにあるというわけです。脳はただ間接的に統合し表現しているにすぎないというわけです。
 心眼の言葉通り、心臓の眼が、それらの調和を保っているようです。肺と肝のバランスが悪いと、心臓にくるようです。思想にもバランスが必要なんです。だから、学問は、自らの(人体の)糧としなければ意味がないのです。このこと学問の血肉化といいます。真の学問は血肉化することです。
 霍元甲という人は、肺が強すぎて、肝から、恐らく心臓のバランスを壊し、早死したのでしょうね。まぁ、天命なのでしょうね。このように思想の傾向から、その人の体調を推測することもできます。 (2006年10月27日 13時37分31秒)

Re[5]:私は心眼を!と(10/24)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん
心臓というか心は黄帝内経の漫画ガイド本で、「心は天王」とか赤色がシンボルなようです。また心気過剰は肺気にダイレクトに打撃を与えるようです。
漢方医学の五行説からで。ストレスで肝気の不安定で心気が過剰になり肺気が打撃を受ける。なかなか心身のバランスは難しい。

では再見! (2006年10月27日 15時07分50秒)

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