シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年11月16日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 現代社会は、一言で退廃社会といえるだろう。それは見せかけだけの中身がないからである。だから、広告代理店のような見せ掛け騙しの業界が潤い、文化や文明は次第に堕落していくだけである。そして、人類は、益々獣のようになっていく。

 さて、教育基本法という、訳の分からないものが改正されているようである。連日、自殺者が紙面を賑わせ、いじめや、履修問題等、一体、法律改正が何の役に立つのか、見せ掛けだけが進んでいき、相も変わらず中身空っぽで、小泉改革と同じで、その胡散臭さ以来、この国は、一種の病気に罹り、慢性化し、一体、政治家本来の外交問題や、汚職、ヤラセ問題、これらの解決はどうなったのだろう。

 人間の存在を前提にし、人間の真の理解が得られない限り、教育など、できるはずもないだろう。ただ、そこには、見せ掛けだけの美辞麗句、例えば、「愛国心をもった美しい人間の育成」といったようなただ一般的な言い方だけが存在するにすぎない。

 こんな美辞麗句をいくら並べようが、それは、全く当然すぎて、結局のところ、何も始まらないし、何も始める気にもならないのである。誰もが、美しいものを好んだからといって、一体、何が始まるといいたいのだろうか? それは見せ掛けであり、偽りであって、偽善そのものである。それなら、誰もが幸せを志向しているのに、現状は不幸ばかりなのと同じで何も変わらない偽善がただ横行し、悪徳商人とその一味が、ただ地獄へと真っ先に突き進んでいくだけである。

 国民は悪霊予備軍の悪徳商人に巻き込まれないように注意して生きなければならないだろう。

 美辞麗句のスローガンを掲げても、結局のところ、現状認識すらできず、そこに理想などなく、単なる現実逃避の逃げそのもので、無意味そのものなのである。やることは、ただ平謝りの儀礼に終始するばかり。それなら、いっそのこと、国会議員は、美しい懺悔の仕方でも自らから教育すべきではないのか?とも思われる。少なくとも、前総理は、国民に土下座でもすべきだろう。

 つまりは、いくら美辞麗句を掲げようと、その手続きにおいて、不徳で、非道であり、方法、手段において、マヤカシ、悪徳であれば、何もしない方が害がないだけマシといえるだろう。

 教育を語りながら、無知蒙昧を盲信のごとく披露しているにすぎない。

 さしずめ、いまの自民党は愛国信仰党にでも改名した方がよいだろう。



 神秘学によると、幼児教育は、模倣と手本にあるという。幼児とは、7歳までの子を指し、歯の生え変わる時期までに、身体の諸器官を、特定の形態まで発達させなければならない時期であるという。

 この時期に正しい物質的な環境が用意されないと、器官の形態は歪んだものとなってしまうという。

 幼児は、物質環境の中の出来事を模倣することで、自らの器官を自主的に特定の形態までに発達させるという。

 だから、幼児に正しい働きかけができるのは、道徳的なお説教や理屈にかなった説明などではなくて、周囲の大人が、幼児の眼の前で行う行為そのものなのであるという。

 だから、幼児の前では、大人は、賢明な振る舞いや行動に徹しなければ、いつの間にやら、幼児に模倣され、例えば、幼児の奇妙な振る舞いに、大人自らの奇妙な振る舞いを自覚することなるわけである。子供に真似されて、気がつく親が結構多いと聞く。この幼児のモノマネ行為に気がつかない親は、親の資格なしといえるだろう。

 とにかく、この期間に幼児が学ぶことは、後に、もしその子が世界中を旅行したとしても、その世界旅行の経験を優に上回る分量であるという。

 幼児が周囲に正しい色や光の環境をみるなら、健全な視覚を発達させるという。幼児が、周囲に道徳的なものをみるとき、脳と呼吸、循環系のなかに、健全な道徳感覚のための身体的基礎がつくりあげられるという。

 もし、幼児が、馬鹿げた行動しか周囲にみることがなかったなら、その頭脳に、愚かな行為の種を蒔くという。

 幼児へのおもちゃは、なるべく、幼児に生命のイメージを想像させるものがよいという。既成の完成品はよくないという。自らが参加して、生命活動を形成できるような玩具がよいという。

 幼児にとって大切なのは色であるという。幼児は、自らのなかに色の感覚を育て、周囲の色とは、反対の色を内部に育てるという。だから、興奮しやすい幼児には、赤や橙色で周囲を囲み、内部にその反対色の青色を育てさせるとよく、不活発な幼児には、青や青緑を周囲に配し、内部に活発な赤色を育てさせるのがよいという。

 幼児期は、肉体の完成が重要なので、正しい食事を与えることが肝要だという。肉体は、欲望を育てることで、健康を促進するので、幼児の健全な欲求や欲望や喜びを求める心に対して、親切に応じようとする態度が必要であるという。



 「そんなことをしてはいけないよ」と幼児にいわなければならないようなことを、我々自身が、幼児の前でしてはならないという。

 このように幼児教育には、自らの振る舞いや環境の整備に細心の注意が必要なので、幼児教育者は、幼児教育を通して、物事の生じる感や呼吸、想像力を育てることができるのである。幼児は、周囲から手本を模倣し、吸収するが、教育者は、幼児を通して、自らを学ぶのである。

 幼児は、言葉をリズムで、聴きながら学ぶほうがよいという。また、音楽のリズムに従って踊りの動作をすることは器官形成を促す大きな力になるという。

 このように幼児教育をみていくと、国民と指導者の立場が明快になる。指導者は、国民の善き手本にならなければ、国は進歩しないことを意味するだろう。つまり、国民は、新時代の幼児であり、指導者は先見の明をもって、幼児の教育者足らんとせねばならないのである。

 よく国民以上の指導者は輩出されないというが、それは堕落を正当化する詭弁にすぎない。その発言は無責任そのものを意味している。そのような発言を発することは、その責任ある立場を放棄する何者でもなく、すぐに辞意すべきである。 



 自分を選んだ国民が悪いというような無責任さそのものが、堕落発現の何者でもないだろう。その地位を希求したのは、一体何処の誰なのか、その意志薄弱さこそ問うべきであろう。





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Last updated  2006年11月16日 23時16分17秒
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