シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年11月17日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 脾臓のマッサージについて、まとめ書くつもりでいるが、ついつい、別の話題に夢中になってしまうので、今回も書かずに、次回に持ち越したい。このところ、神秘学の医学的な面にドップリ浸かり気味だが、医学を学んでいると、やはり、なにより教育の大切さが感じられてくるのである。

 最良の医薬は、なにより適切な人間教育である。

 と神秘学も説いている。適切な人間教育を行うには、何より、人間という存在を深く理解し、多面的にみていかねばならないし、更には、人間以外の存在をも、理解できるように、視野を広げていかなければならない。

 そういう意味では、人間が知っていることは、宇宙の大きさに比べれば、ほとんど知らないかのごとくで、或いは全く無知といっていいような、程度、割合なのである。だから、そんなちっぽけな知識を振りかざし、他を批判し、自分を正当化することほど、愚かな行為で、本来は、自分がいかに無理解で、無知な存在なのかを認識する方が遥かに賢い態度であることがわかる。

 ソクラテスがいったように、無知の知こそが、人間の最も理解すべき徳目なのであろう。

 いかに人間が無知な存在か、偉そうに語る発言の、大部分が、いかに自分の無理解からくるものであるのかを本当は理解すべきなのである。自分は正しいという正当性の半分が、宇宙の広さからいえば、ほとんど不当なものなのである。

 だから、少なくとも、知に対して謙遜、謙譲の態度をとるべきであり、自分が何でも知っているかのような、権威者的態度は、本来慎むべきであろう。神のような全知全能の立場であって、はじめて、そのような態度がとれるからである。

 我々は何も知らないのに、何かを知っているような態度を何故とるのだろうか?

 何かを知っているかのような態度は、自分のなかのどこからくるのだろうか?



 我々は、何も知らないから、知っているかのように語るのである。

 我々の眼にみえる世界は、宇宙のほんの表面でしかなく、我々の宇宙をほとんど知らないし、昨今の科学といっても、人類の歴史からみれば、ここほんの僅か200年であり、宇宙の歴史からすれば、神々からの歴史からすれば、わずか数秒なのである。実際、科学のない時代の方が長かったのであり、それは、未開の人類の生活と、都会の人類の生活のどちらが、真の幸せなのか、どちらが人間としてしっかりした生活を送っているのか等に、顕れているように思う。

 科学的な物質生活が人類にもたらしたものを深く反省する時期でもあるだろう。核兵器に脅かされながら核抑止論に基づいて軍備する国家生活が健全なのか、毎日、経済という戦場で、表面的な競争原理に基づいて、企業戦士として闘う日々が健全なのか、真剣に考える時期である。自分の事は棚に上げておいて、他者を愚弄し、批判に明け暮れる政治家や文化人、それとは対照的に、汚職や嘘、虚偽、工作、あらゆる悪徳を行いながら、その罪意識もない精神が病んだ権力者たち。

 毎日、一方で殺人や自殺事件が紙面を賑わし、他方で、スポーツという、生活の余興、エンターテイメント、贅沢でしかないことに、誰々が数億円稼いだ等の、一般生活者とは無関係な話題に議論奮闘で、早い話、単純に、一方の数億円を、恵まれない他方に分け与えればよいのではないか、それを複雑にしているのが、現代社会で、その複雑さがないのが未開社会なのではないだろうかと思ってしまう不思議さ。

 とにかく、世の中、変だ!。何度もいうが、我々がみえるのは表面でしかない、その表面から、全てを判断しようとするから、複雑さが顕れ、変なことになる。

 さてさて、また無駄話が続いてしまったが、ここで無駄話を始める自分の愚かさに気がついて、話を元に戻したい。

 スウェデンボルグの話から、人間界は、精霊界の善霊と悪霊よりなると、以前に書いたが、これは神秘学でいえば、人間の魂のことであり、アストラル体を指すのであろう。つまり、アストラル体は、善霊と悪霊の精霊界からなり、以下のように表される。

  アストラル体(善霊、悪霊)

 アストラル体は、心なので、心には神と悪魔が住むというのは本当のことなのである。このアストラル体のバランスを取るのが、その上にある自我である。自我は、高次の自我と、低次の自我からなるので、

  自我(高次、低次)

 となる。高次の自我は、アストラル体に善霊を導こうとするので、独立心を生じ、悪霊の依存心、その反対の支配心を廃しようとする。つまり、霊的な憑依を廃し、独立自尊をもたらすといえる。



 自我がなければ、自分という調整された、調和と秩序をもたらしえ、自己同一化するような存在がないまま、野放図となって、アストラル体は、あらゆる霊の憑依をうけ、エーテル体は、冗長性をもって、矢鱈滅多に発展し、肉体は、その産物を、奇妙で突出したかたちで、野に放つようになるのである。

 だから、自我という人間存在の構図と、照らし合わせると、痛みを感じるわけである。当初の理想の設計図と、現実の建物があまりに違うので、ジレンマに陥って、自らを発展させ、自らの力で進化する能力を失ってしまった状況を表すわけである。

 スウェデンボルグは、病は悪霊の憑依のせいだといっているが、実は私は、最初、そんな馬鹿なと思っていたのだが、だんだんと神秘学から解き明かすことができて、なるほどと思った次第なのである。

 我々は、悪霊を、善霊で封じ込めて制御していかねばならない。でないと悪霊に直ぐに憑依され、その欲望の道具となり、無知なのに関わらず、知ったこととしてたちまち語り出す。

 そんな悪霊が語りだしたら、意識して、善霊により締め出す必要がある。本当に、自分は知っているのだろうか。自分には、本当にそれを知ったこととして語る資格があるのだろうか?



 これこそが、実は、真の科学的態度なのではないだろうか?

 まずは、無知の知は、自分のなかの悪霊への無理解を探すことからはじまるだろう。





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Last updated  2006年11月18日 01時14分35秒
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