シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年01月12日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 ギリシアの芸術家たちは、先輩からの伝承である伝統に基づいて働いたという。けれども、彼らはこれを認めたがらないという。何でも自ら行ったと主張したいという。彼らは古い巨匠たちがいかに能力である認識を模倣し、制作したかを知っていたという。しかし、最初期の古い巨匠たちはこの認識の秘密を秘儀の精神的な洞察から学んだという。ラファエロやミケランジェロは、まだ秘儀に頼ることができた人たちからこの認識の秘密を学んだという。

 けれども、真の芸術は精神から創造されなければならないという。他に方法はなく、人間の問題に触れるやいなや、大いなる幻想に関する知覚は人生の諸問題、人間の運命に関する問いに対する答えにはならないだろう。もし、我々現代人が芸術と芸術的な創造の源泉へと遡るべきであるならば、精神世界への洞察を再発見しなければならないという。

 さて、第三の例として、植物学者や動物学者は入手可能なあらゆる植物の形態に関する素晴らしく詳細な知識を得ることができる。生化学者は植物体の中で生じるプロセスを記述することができ、新陳代謝の中でいかに食物が消化され、血管によって栄養が運ばれ、壁の中へと吸収され、更に血液によって神経系へと運ばれるかを述べることもできる。

 優秀な解剖学者、生理学者、生物学者、或いは地質学者はマーヤの世界を広い範囲に渡りカバーすることが可能である。しかし、もし彼がその知識を治療や医療の目的に使うならば、もし彼が人間の外見的、もしくは内的な構成からでさえ、人間の本質的な存在へと押し進もうとするならば、不可能で、決して到達できない壁にぶつかるという。

 しかし、唯物論者であり、精神世界には何の興味も持たない医者も沢山いて、彼らは自然科学の方法に従って患者を処置し、そしてそれでも結果を出しているではないか、という人もいるだろう。

 そのことは確かだが、彼らにも治療ができるのは、彼らもまた古い世界観に基づく伝統の上に立っているからだという。太古の治療法は秘儀から導き出され、顕著な特徴を有していたという。もし、現代人がこの太古の処方箋を見るならば、大変に複雑なものであることが分かるという。伝統により規定された特定の目的のために、太古の処方を用いる人には、かなりの能力が要求されるという。

 もし、現代人が太古の医者のところに行って、太古の処方箋はどのようにして作られたのかと訊ねるなら、彼は、「まず化学実験を行い、関連する物質がどのような方法でいかに振る舞うかを確かめ、それから、そのノウハウを患者に適用し、その結果を書き留める」というようには、決して答えなかったという。太古の医者には、この種の現代的な方法は思いもよらないことだったという。

 現代人は太古の時代には、いかなる状況が卓越的であったかについての、いかなる考えも持ち合わせていないという。太古の医者は次のように答えたという。「私は秘儀の教えに基づいて設置された実験室(現代語で書き示すならば)に住んでいて、処方を思いつくときには、その処方は神に負っているのです、」と答えたという。

 太古の医者の立場は、太古の処方に関して、彼が彼の実験室の中に醸し出された雰囲気全体を通して精神世界と密接に交流しているという点について、全く明確なものであったという。彼にとって精神的な存在がそこ(実験室)に居るということは、現代人にとって人間がそこ(実験室)に居るのと同じくらい間違いのないことだったという。



 外界に関するあらゆる知識を有しているとはいえ、今日の人間は、秘儀から導き出された知識を有していた昔の人々に比べて神的な世界の真実から、遠ざかりかけ離れたところにいるという。再び神的世界に戻る道が見出されなければならないという。

 三番目の例から明白なのは、現代人が治療法を追求するとき、たとえ可能な限り幅広い自然に関する知識(つまり、マーヤの世界に関する知識だが)を有していたとしても、再び、人間の生と運命に関する未解決な問題に直面することになるということで、現代人がいくらマーヤの立場、大いなる幻想の立場から人間を理解しようとしても、或いはまた、治療目的のために要求される「汝自身を知れ」の立場から理解しようとしても、人間存在自体の理解においては、一歩も先に進めないという。

 従って、これらの例に照らしてみると、「マーヤの世界」と「汝自身を知れ」の間にあるギャップに橋を架けようとする者が、宗教的な感情をもつか、或いは創造的な芸術家として、或いは治療家や医師として、自らの人間存在にアプローチするとき、もし彼の唯一の出発点がマーヤ(幻想)の世界であるならば、その瞬間に自分が無の上に立っていることに気づかされるという。

 つまり、人間は、マーヤ、すなわち大いなる幻想に関する知識からなる外界の自然に関する知識を超越するような知識の形態を見出さない限り、無力であるという。

 では、秘儀の精神から包括的な世界認識に至る探求の方法と現代で試行されている方法とを比較してみるなら、この包括的な認識へと導く道との関係のなかで、我々人間は人間存在としての方向性を、再び見出す位置に立つことになるという。





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Last updated  2007年01月12日 22時28分02秒
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