シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年01月21日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 昔、誰にでも撮れるカメラのことを、馬鹿ちょんカメラと呼んだ時期があった。この言葉は差別用語を思わせてよろしくないが、要は、誰にでも撮れるようなカメラは、絵画に匹敵する画像表現という写真芸術性において、低評価を免れないという意味なのだろう。そして、カメラという機器は、使い手のカメラマンに芸術創造器として、相応の技術を要求していたのである。

 デジタル化の波が押し寄せ、もはや、いまでは、誰もがそれなりの写真を撮ることができ、加工技術の発展により、容易にパソコンで処理してしまえるので、ある意味、撮影する場の空気というか、その場の現実性、事実性の芸術的表現性が、空白になってきているともいえる。

 写真といういわば真実の表現媒体においては、撮影者の撮影時の心の中身の一種の記録が問題なのであり、写真はその記録の手掛かりであると思われるからである。
 この感覚が失われ、その場にいって撮影しなくても、現実のような絵画で代替できるようになってしまったといえる。これはある意味、日本人の写真に対する真実への感受性が鈍感になってきているように思える。

 あまりにも表現が技巧的になったため、抽象的な表現法で、人工的ないわば嘘で塗り固め、現実性と真実性に次第に希薄になりつつあるといえる。

 さていま、この国の総理大臣は、美しい国というスナップ写真を、さも、デジタル化された馬鹿ちょんカメラで撮影しようとしているのである。美しい国という抽象的で、人工的な、嘘の塊、虚構の国をつくろうとしているのである。その国に誰が住みたいと思うのであろうか?

 まるで御伽噺の裸の王様の国みたいだ!

 このような幼稚な人格者が、国の中枢にいるのは、日本がかなり危険な状態になっていることを現しているように思えてならない。美しい国が欲しいから、国民にねだっているような幼児の心理と何処が異なるのだろうか?総理大臣という要職を、演劇やドラマの舞台の一種のパフォーマンスの場だと勘違いしている傾向が見られるのである。このような劇場といわれる政治になったのは前総理の責任といえるだろう。

 前の総理大臣は、全くのエゴイストで、まるで、自分の言葉に酔いしれるような、狂気じみた面をもっていた。ワンフレーズで、大衆を煽り熱狂させ、気がついてみると、その言葉とは裏腹に、何も解決せずに、かえって事態が収拾つかなくなり、一種の扇動家のような感じを与えた。



 明治維新の開国政策は、当時の外国の植民地政策より、富国強兵への一時的な路線転換であり、一種の対処法である。対外的に侵略されそうだったので、国内への自衛の手段だったのであるが、大正になり、その後も継続してしまった点に、反省点があり、日本国民の島国根性の熱情性、冷静を失ったところに落ち度がある。

 いまでも、国際情勢をみれば、北方領土や、尖閣諸島等、特に北朝鮮に対する侵略の不安は拭えないが、軍事というよりは、経済、生活面の侵略という意味において、時代は変化しているのである。北朝鮮やロシアの南下に対しては、中国、モンゴル、韓国と経済的強固な同盟を築き、北九州や、日本海沿岸、北方領土周辺とに自衛隊の防衛力を増強するのが得策だろう。日本の風土を考えると、軍隊というよりも、警備隊を拡充するのがよいと思われる。

 海産物の経済圏防衛警備隊を創設すべきである。北朝鮮拉致問題は、勿論、北朝鮮という異質な国家の問題もあるが、北朝鮮拉致船を上陸させた、日本の沿岸海上警備の手薄さや粗末にも問題があるといえ、現にいまでも、潜水艦に、容易に侵入されているのだから、憲法改正のような寝言をいう前に、沿岸警備を充実させた方が現実的であろう。国家の防衛が未整備なのに、米国が手前勝手にやらかす戦争にノコノコ出ていく阿呆な火事場見物はやめて欲しいものである。

 日米同盟は、歴史的にみても、北方領土返還がなければ、成り立たない同盟だろう。ロシアが北方領土を返還しないのは、そこに米軍基地を置かれると致命的だからであろう。いっそのこと、北方領土は、かつての長崎の出島のような形にしてしまった方がいいのかもしれない。

 さてさて、軍事戦略は、馬鹿ちょん大統領の米国の大失敗により明らかになっただろう。しかしいまだに経済回復がどうのこうのと表面的な利点を持ち上げているが、同胞の米国民を戦地に赴かせ、多量な戦死者を出し、他者の不幸の上に、いかに幸せを築こうが、日本の昔の飢饉のときの、家計負担への食い減らしと同じで、まるで根本的な解決法とはいえない代物なのである。出稼ぎ労働者は、それでも、賃金を持ち帰ってくるが、死んでしまっては、労働力が減るばかりで、親のコネばかりで出世した馬鹿ちょん放蕩息子が大手を振って、無責任な遊び人だけが増えるばかりであろう。

 大体がリストラ政策こそ、展望の無い一時しのぎの場当たり的対応なのである。日本の飢饉のときの食い扶持減らしと同じ思想なのである。馬鹿ちょん経営者は、まず減らすことを考えるから、展望が開けないまま、結局、無理が祟り、行き詰るのである。日産のゴーンがいい例なのである。数十年前は持て囃され、引っ張り凧だったが、当時から、ダメ経営者だと私は見切っていた。大体が、文化の違いを考慮していない。郷に入れば郷に従えという諺を舐めていたのだろう。

 人間の育成は、まずは苦手な部分を減らすのではなく、得意な部分を増やすのが基本であろう。経営とは、モノを算段するのではなく、人を育て生かすことであるようなことを、松下幸之助がいっているように、少なくとも、日本の文化はそのような歴史から成り立ってきたことを忘れているのである。

 挙句の果ての、ホワイトカラーエグゼプトとかいう、またもや外国カブレのものを借りてきて、残業減らしに躍起になっている。これでは、苦手な部分に脚を引っ張られ、得意な部分もなくなっていくだろう。長所を裏返すと短所になることがわかっていないのである。短所を削れば、長所も失われるのである。だから長所を増やせば、短所は増えるが、そのときこそ、公正な判断が望まれるのであるが、はじめから全部カットでは、公正な判断が生まれる余地すらない。

 大体が、ホワイトカラーという概念が日本にはない。日本の会社がカンパニーでないのと同じである。日本に最初のカンパニーをつくろうとした坂本竜馬が暗殺されたのをみてもわかるだろう。馬鹿ちょん総理が、馬鹿ちょん経営者の後押しで、座に着くから、厳しい説教ができないのである。精神の堕落の何者でもない。余計で過大な詐欺的広告や、迷惑メールばかりが蔓延し、日本社会の精神はいま高度な腐臭に富んでいる。





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Last updated  2007年01月21日 08時56分54秒
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