シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年02月14日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 いかに人間が日常生活の意識とは異なる意識状態を発達させることができるか、そして、その知識と活動の分野において、人間は今日の我々現代人のような意識を有していなかったということに関して、進化の歴史がいかに豊富な証拠を提供するかということを示そうとまとめてきた。

 そして、10世紀、11世紀、そして12世紀に生きた学者たちの意識と、当時、例えばシャルトルの学院において知識が涵養された方法との間の関係に注意を促すことを、次にまとめた。これらとの関係で、いかに現在の意識レベルとは全く関連しない知覚形態が生じてきたかということも指摘した。ダンテの教師、ブルネット・ラティーニの場合がこれにあたるという。

 前回はもっと以前の時代、例えばエフェソスの秘儀の時代における人間の宇宙に対する関係を呼び起こすことを試みた。それによって、当時、今日の通常の科学的な意識状態にある程度関連しているとはいえ、いかに全体として異なった意識状態が卓越的であったかを知った。

 さて、少し脇道にそれた後、探求を続ける。既に金属性が、つまり鉱物元素の基本的な物質性がいかに人間の意識状態に関連しているかということを示してきた。すなわち、金属銅に対する人間の関係を示した後、いわば死後間もない死者の経験に参加することを可能にする意識状態について記述した。

 ブルネット・ラティーニが発熱の後、半ば病の状態の中で経験したのは、このような知覚形態であったということに気づく必要がある。

 彼が記述する全て、女神ナチュラの霊感力を通して、彼にやってきたもの全ては、死後間もない死者の経験に与ることができる意識状態(日常意識にも密接に関連している)の中で、本当に実感できるものであるという。実際、日常意識より現実性の大きい状態であったとも言った。より力強く、より光り輝く世界、つまり、現象世界に比べて、あらゆるものに更なる完成をもたらす世界にも、我々は住んでいるという。

 この意識によってのみ、死の門を通って間もない魂の経験に与る可能性をもっているという。

 同時に、この物質世界のある奇妙な特徴が明らかになるという。今述べた意識状態をもって、死者の世界に滞在するとき、日常生活における通常の経験を観察することはもはや不可能になるという。この世に生まれる直前の生活、生まれる前、まだ精神的な世界にいた頃の経験のみを見るという。なので、この意識状態の中では、通常住んでいる世界から引き離されることに気づく必要がある。

 このことが、一体どういうことなのかを示すと、ある人がある時点で生まれ、もし、彼が40才のとき、銅の意識状態を達成したとすれば、彼の知覚は、もはや現在(40歳)の経験にも、彼が30歳、或いは35歳の時の知覚にも関連せず、ただ生まれる直前の経験を振り返ることのみが可能だという。彼は、他の人についても、生前の経験を振り返ることができるが、日常的な存在の世界を理解することはできないという。日常的な世界を意識できるのは人間の存在にあるときだけだという。



 そして、もし、ベルナルドゥス・シルベストリ、アラヌス・アプ・インスリスやその他のシャルトルの学院の教師たちによって、いきいきと描写された存在、すなわち女神ナチュラとして絶えず存在する存在に触れるとすれば、たとえ最高の学院であらゆる学問に関しての全ての現代的な知識を学んでいたとしても、自分が計り知れないほど無知であると感じられるという。

 現在の知識は誕生から死までの世界にのみ適合するもので、死者を死の門の向こう側まで追って行ける意識をもって精神的な世界に参入するとき、この現代の知識は、もはや役に立たないものと感じられるという。

 化学を探求するとき、その知識の総計は、この世、いわば誕生と死の間の世界にとってだけ有効であるという。いわゆる化学は、死者と共有する世界においては重要ではないという。現象世界において獲得する全ての知識は、死と新しい誕生の間の中間的な状態においては価値がなく、単に記憶として残るだけであるという。

 秘儀参入し、中間的な領域に至ると、それに関する直接的な意識をもち、あれほど多くのことを学んだ日常的な世界は、この意識から霞んでしまったと感じるという。この別の世界が今や、眼前に広がるという。

 眼前にボンヤリと山が現れてくると想像する。その山はしっかりとした印象を与え、遠くから見ると、太陽の光を反射して、その輪郭と岩の様子が分かる。少しずつ近づき、そこに足を踏み入れると、その堅さを感じることができ、そのとき、我々はしっかりとした地面の上に立ち、その現実性には何の疑いもなく、その山の存在を感じることができる。

 さて、中間的な世界においては、しっかりとして、輝いているものとして記述された全てのものはいかなる意義も持たなくなるという。つまり、何かが山から流れ出し、どこまでも大きくなり、そして別の種類の現実性を印象づけるようになるという。

 通常の状態の生活において、山の上に雲が懸かっているのを見る。その雲は水蒸気の凝縮によってもたらされたということに何の疑いも抱かない。このような現象もまた、その中間的な世界では、現実性を失うという。

何か別のものが雲から現れ、それは山と雲が徐々に視界から消えるのに従って現れ、この組み合わせの中から、単に漠とした存在のみならず、同時に形態を与えられた新しい現実が生まれるという。そして、それは中間的な世界における全てのものに当てはまるという。

 多くの聴衆の前に立つことを想像する。精神的な世界に入る瞬間、その全てのはっきりと規定された輪郭はかき消され、そのかわり、超感覚的なイメージの形で投影された聴衆の魂と精神を知覚するという。そして、周囲の神秘的で精神的なオーラに次第に、包み込まれ、新しい世界、死者が死後に居住する世界が生じるという。

 今、別の何かに気づく。つまり、もし、いま参入した、この中間的な世界が存在せずに、至る所にその存在を見出すことができなかったなら、我々は、目や耳、つまり感覚器官をもつことはなかったという。化学者や物理学者たちが記述する世界は、人間に感覚器官を提供することはできないという。なので、人間は見ることも聞くこともできなかったといえるという。中間的な世界がなければ、感覚器官が組み込まれることは不可能だったという。

 そして、ブルネット・ラティーニがスペインから生まれ故郷のフィレンツェ近郊に戻り、この中間的な世界への扉が開いたところの、あの若干の発熱に苦しんだとき、彼が発見した驚くべきこととは、このことだったという。彼は、感覚器官が、この別世界の賜物であること、つまり、もし、この中間的な世界が感覚によって経験される世界に浸透していなかったとすれば、人間の感覚は全く発達していなかったということに気づいたという。人間としての地位は、感覚器官を、この第二の世界、この中間的な世界との結びつきに負っているという事実によって決定されるという。





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Last updated  2007年02月14日 21時53分41秒
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