シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年02月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 昨今、巷では、教育改革が問われ、いじめ問題がクローズアップされている。しかし、このような教育問題、教育という精神の問題を、法律で解決しようというのが土台無理な話であると、神秘学は説いている。

 つまり、教育は、根本的に精神の自由を命題としており、法律は、根本的に人間の尊厳と平等を命題としているので、自由と平等の質的な相違を、現実的な問いに帰さねばならないからである。自由と平等は、人間の精神的究極の尊厳が、成立した時点で、真実であるけれど、こと現実社会においては、矛盾し、相容れないものとなっているからである。

 それは現実社会においては、会社のような利害関係の上に成立する利益社会が、経済的効率の上に現実化しているからである。

 これは精神の上では、共同社会、運命共同体として成立してはいても、現実的な物質世界においては、当面、利益社会を形成させていかなくてはならない宿命にあるといえる。

 なので、いかなる教育問題も、法の下の平等に解決されることはほとんど不可能であるといわざるをえないのである。それがいかに民主的な手続きでなされたとしても、根本的に法とは性質が異なる生命を扱う倫理の問題、例えば、多数決で決定された処方に従って、医師に手術をやらせても、医師自らが、よいと決断し、自ら手術を行うよりも、よくない結果を生じるものと同じで、いくら民主的な法が決定されていても、その教育の結果がよくないものになるだろう。

 第一、そのような民主的決定を行う人達の多くが、実際の教育の現場にいないということが根本的、致命的に解決能力を欠落させているからである。

 というわけで、教育問題は、人間社会を利益社会から切り離し、根本の精神の共同社会、運命共同体に帰することにある。そして、教育問題は、教育のなか、特に子供に対する親と教師の信頼関係に帰す必要があるだろう。

 では、神秘学では、このような信頼関係、特にいじめの問題の要点をどこに置くかを解説する。

 神秘学では、子供の行為は、大人の模倣であると説く。なので、子供の前では、大人は一切、暴力を振るう事、暴力で物事を解決しようとする姿勢を破棄することを、精神的に誓わなければいけないと説く。これはいわば日本国憲法の第9条と同じ精神である。



 この決意を守れるか守れないかは、理性による力の制御、文民による武力統御、いわゆる国民、人間の忍耐力の問題へと帰されるだろう。このような観点からいえば、実は、日本国憲法第9条は、法ではないのである。国家の理想的精神の宣誓文といえるだろう。

 武力を放棄し、人間の理想を信じ、ただただその良心に訴えるものといえる。

 私は、この憲法を受け入れた日本民族こそ、最も賢明で善良な人間の精神の発露だったのだろうと思う。武力で解決する姿勢を子孫にみせない。実はここにこそ、平和への根本的な解決法が隠されている。

 一方の頬を打たれたなら、もう一方の頬を差し出しなさい。

 さて、いじめ問題に再びかえると、親や教育者は、子供には、否定的な表現をいわないということが大前提になるという。あと、「早く」といってせかしたり、子供の欠点を見つけ出して、巧みに親や教育者の意見を押し付けることは最もよくないという。

 子供の存在そのものを認めて、親や教育者が冷静に、とくに心を落ち着かせることが最も肝要であるという。解決能力をいたいけな子供に求めるのではなく、自らに課すのである。

 親や大人の論理を押し付けるのではなく、常に孤独な子供側の立場への配慮や理解が求められるという。

 このような悪への連帯責任への献身がないと、いじめのような問題は解決しないという。

 なにより、いじめの解決は、「人のためにつくす」ことと、自分ではなく、他人が喜ぶことがどれくらい自分にとっても喜びとなり励みになるのかを学ぶ課題でもあるからだという。

 周りの者も幸せでなければ、自分も幸せになれないという真実を知るために、いじめはあり、いじめが存在するのは、これとは逆の、自分だけがよければ周りはどうでもいいという反対の面が社会に存在するからである。

 では、実践的にいかにすればよいかというと、神秘学は以下に説く。



 いじめた子の親にその責任能力がない場合は、誰かが、その責任を負う必要があるだろう。教師はこの場合、最も勇気の試される最前線にいるといえるだろう。教師が教師足るべき資質を備えているかどうかがこの解決法に問われるのである。しかし、その責任とは、意外だと思うだろうが、いじめた子供の側に立つことが最も勇気のいることだといえるという。

 つまりは、いじめた子供を突き放すのではなく、いじめた子供のいじめた心を自らの心で償うのである。いじめた子供のいじめという暴力でしか自己を表現できない孤独を理解してやる勇気をもたなければならないという。まずは、いじめた子の心の苦痛、苦悩を理解してあげることが必要だという。

 そして、その子供と仲良しになって、約束をし、約束を守ることの喜びを教えるのだという。そして、その子と個人的に関わっていき、他の子供をいじめなくなるようになるまで、面倒をみることがいじめ問題の責任の第一であるという。

 それから、第2に、いじめられる子が、どうしていじめられるかの原因を見つけ出して、それを皆にわからない方法で、解消するように配慮することだという。

 このような筋道を、教育者、教師が辿らない限り、いじめ問題は解決できないという。



 つまり、あらゆる教育問題の中で最も緊急な問題は、教育者の養成の問題だという。

 教育者養成の問題があらゆる社会問題の核心を成し、これはいかに、立派な憲法があろうとも、その理念を国民に教育すべき政治家が堕落していれば、猫に小判の如し現状なのである。

 ましてや、武力を放棄した理念を破棄し、かつての武力に屈し、戦後の日本民族の最も重大な決意表明ともとれる、キリストの受難ともいえる第9条を、改正するとは、いかに現代の政治家が無能で、軟弱なのかを表明しているようなものであろう。

 もう一度、戦場にいって血を流さないとわからない馬鹿なお頭の連中なのか、或いは、他者が行くから、自分は行かなくてすむとタカをくくっている阿呆な殿様なのだろう。戦場にいって1人殺しただけで、その子孫が、将来、鼠算の如く根絶やしにされ、その災いは降りかかってくることをご存知ないのだろう。殺すより殺された方がマシなのである。

 この人達は、死が何たるものかを知らず、ただ死に怯え、恐怖しているだけなのである。ただ自分が死ぬのが怖いので、代わりに誰かに死んで貰っているにすぎない心の持ち主なのである。権力の頂点に立っても、その重大さに気づかない利害社会人間の長なのである。

 神秘学によると、戦中の日本には、かつてのローマの侵略に耐え、キリスト教を受け入れた人々の転生がみられたという。だからして、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、新地天命に誓ったのである。





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Last updated  2007年02月14日 00時32分47秒
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