シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年02月20日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 スウェデンボルグとは、話せば長くなり、その著書を読めばわかることなので、かいつまんで話すと、元々は、中世の有名なスウェーデンの科学者だったが、あるとき霊界からの訪問を受けて霊能者となった人物である。ボルグの父は、有名なキリスト教の神父で、自分の子(つまりボルグ)が、その当時流行の科学に染まるのを如何わしく思っていたという。この状況は、現代では、まるで正反対である(この正反対性には訳がある-後述)。

 だが、ボルグは、父のキリスト教の影響には染まらずに、一旦、科学者として身を興し、鉱山省かの技術監督官になり、スウェーデンの学術雑誌を創設するに至るが、あるときから、霊能者になり、それまでの科学的研究や発表が馬鹿らしくなり、霊界探求記を書くようになる。

 ボルグが、霊界への訪問が可能になったのは、彼が「死の技術」と呼んだ、いわゆる秘教学でいう「秘儀参入法」を獲得したからである。

 さて、この死の技術、つまり秘儀参入法を簡略して以下に述べる。

 秘教(神秘)学では、人間の存在を4つに大別している。肉体、エーテル体、アストラル体、自我である。ここで、特にその呼び名に拘らないが、ただ注意すべき点は、この4体の基本的性質の相違にある。肉体は、物質(鉱物)からなり、エーテル体がなければ、自然に崩壊するものである。つまり、肉体は、エーテル体のお陰で、その形態を保つことができる。

 肉体の形態を保持するエーテル体は、アストラル体により制御される。アストラル体は、自我により制御されるという構図が重要なのである。

 この4つの体は、人間の意識の持ち方で、変化する。簡単にいえば、自我が、他の3つの体を統合制御しているのである。つまり、意識の本体は自我にあるという。

 しかし、この4つが1つ、つまり四位一体(実際は三位一体の構造;(肉体、エーテル体、アストラル体)=自我)となっているのは、人間が覚醒時のときであり、睡眠時は、自我とアストラル体は、エーテル体と肉体を残して、外に出てしまうのである。

 この睡眠時の人間の状態、つまり肉体とエーテル体を、後(物質世界)に残してアストラル体と自我が、精神世界に旅をしている状態を、ボルグは死の技術と呼んでいるのである。ただし、これは外見的な構図の意味において、同等であって、つまり、従来の科学で同一視できるという意味で、本来、精神的な意味においては、大いに異なるのである。



 従来の科学では、エネルギーが有限の正の状態しか扱えないので、この精神世界をなんらかの観測機械によって確認し、証明することはできない。だからして、科学が探求できるのは、その最先端の縁まで、せいぜいエネルギーがゼロの領域までであり、そこから先は、科学でない手法を開発するしかないのである。

 エネルギーが有限の正の領域を、なんらかの観測機械により、観測し、論理体系づけるのが科学の手法である。つまり、科学の手法とは、エネルギーを感知する能力に負っているといえるだろう。

 端的にいえば、科学とは、人間のエネルギー感知能力を示すといえるだろう。

 そこで、エネルギー感知能力が、ゼロや負の領域に及ばない限りは、科学では証明できないが、代わりに、数学的な探求により、代替的に仮説として証明できるのである。ただし、それを科学的実証とはいわないだろうが、これは、例えば、超弦理論を、科学とするかどうかの問題にも帰されるだろう。

 さて、このエネルギーがゼロや負の領域への探求を、物質をあらかじめ仮定し、定義した従来の構造体を問題とする科学体系からは、非常に困難といわざるをえないだろう。なぜならば、科学体系は、物質のみを扱うことを想定しているからである。物質でないものを物質で扱うことはできないだろう。

 これは、波動でいえば、物質波を構成する波長(プランク長)を基に、量子化が成立している条件から、量子化ができない波長は、ここでは問題とされず、存在しないことになる。しかし、この波長には、負のエネルギーや、摂動による繰り込み現象も加味されているのである。

 つまり、実証できないが、その裏ではその存在が想定されているというカラクリなのである。一体、量子化の条件を生じさせているのは何者なのかは問わず、ただ量子化の空間にその性質を負わせているといえる。

 とりあえず、科学的立証は限界で、それを度外視して、改めて、古来からの秘教(神秘)学的手法を考えてみると、興味深いことが明らかになる。

 太古では、人間の感知能力は、現代とはまるで逆で、つまり、上述でいうならば、ゼロや負のエネルギーレベルの感知力であったことがわかるのである。太古人は、現代人のようにはっきりと物質をみたのではなく、オーラといわれる、物質を取り巻いてそれを構成する素をみて、物質を想定したというのである。

 これは、いわば現代人が、量子力学で数式上に想定した確率波からなる電子雲のことを、太古人は、みていたように思われるのである。太古人は、電子雲から、物質を想定する感知力をもっていたようである。しかし、現代人は、物質から、数式により、電子雲を想定するのである。つまり、全く逆の視点にあるといえるだろう。



 太古人の感覚は、いまでいうゼロや負のエネルギー感知能力にあったといえるのである。

 秘教学によると、この感覚は、月の認識と呼ばれる。秘教学によると、かつて地球と月とは一体であったという、そのとき、その地球と月は、月と呼ばれていたという。勿論、そのときの月は、いまの地球のように物質性のものでなく、この物質状態を神秘学では、土(固体)状態と呼んでいるが、月はそのとき、神秘学でいう水(液体)の状態だったという。地球の潮汐力は、そのときの名残であるという(科学では、この潮汐力を月の引力に言及しているが間違いで、見かけ上連動しているようにみえるだけだという)。

 神秘学では、月といっても、今ある衛星の月だけを意味しているのではなく、地球の外周を含んで月の軌道までを、全て、月の領域とする。衛星の月は、その境界を巡っている、いわば細胞の核のような存在だとしているのである。このことは、受精卵の外縁部のある一点で、細胞(受精)膜の厚みが増し、次に包接(核の融合)が起こって一種の核が形成されることと無縁ではなく、この核は、衛星の月と似た存在だという。

 このような水の状態の月が、地球と(衛星の)月に分かれ、同時にそのとき、古代人も、月に住むものと、地球に住むものに分かれたという。ただし、大きな違いは、地球に住むには肉体を必要とした点であったという。

 地球に住む人間は、肉体が必要なので、この土状態を認識すべく、魂(自我とアストラル体)は、これを感知するように、訓練してきたといえる。つまり、エーテル体を変容させてきたのだろう。月に住む存在は、かつてのエーテル体をそのまま保持しているので、物質(土状態)を認識することはできないが、我々地球に住む人間は、勿論、肉体に受肉するに際し、適合し、土の状態を認識可能にする変容を遂げたのである。この状態を、聖書では、アダム(土状態)と呼んでいるのだろう。



 このような技術をもった人間は、同時に、月認識を所有するので、月に住む存在とすぐにしかも間近に出会うわけである。なので、あまりに地球存在(土状態)に馴れた人は、このとき、驚嘆、驚愕せざるをえないだろう。しかも、危険なのは、この月状態に馴れすぎると、今度は、地球の肉体に帰れなくなるのである。

 また、他の地球に帰りたい欲望をもつ魂(自我やアストラル体)等に、肉体を奪われる恐れもある。特に、自縛霊のような、自分が、死んだことも意識できない存在は、この月意識ももたないので、ある意味、地球存在に近く、エーテル体が類似したものであれば、容易に肉体に憑依できる恐れもあるだろう。

 秘教学でいう霊媒とは、このエーテル体の憑依体質、つまり月存在に近いエーテル体を指すようである。だから、このようなエーテル体をもつ人に、催眠術や魔術(狐狗狸さん)をかけるのは非常に危険で、厳禁といえる。

 月に住む月存在たちは、地球に住む人類よりも高度に知性的で、いまでも、特に人類のエーテル体に関心を寄せ、機会があれば、影響を及ぼそうとしているという。なぜならば、月に住む環境、つまり地球を自らの都合のよいように変化させたいからであるという。

 地球人が、物質的に地球を快適にしたいのと同等に、月に住む存在も、精神的に地球を変えたいのである。それは地球人のなかにも、従来の地球の環境を守ろうとする人々もいるように、月に住む人も、自分たちのために、地球を変えようとはしない、人類思いの存在もいるという。つまり、宇宙には善人もいれば、悪人もいるというわけである。

 次に問題は、このような悪の存在がどうして存在するのかというところにいくだろう。善人つまり、全能なる神々の存在になるには、その能力に応じてあらかじめ果たすべき役割が既に決まっているという。進化度合いに合わせて、果たすべき課題が、王道として決定されているようである。これは地球上の学校のカリュキラムが編成されているのと同様である。例えば、技術者になるためには、学科1年次に、どの教科を履修しなければならない等といったことであるという。

 このような王道、つまり神々の正統な進化基準とは別に、この進化基準から逸れた、これとは別の他の進化を担う、いわば自由な存在が必要であるという。

 このような自由な存在のお陰で、人類は、神々とは別の進化を目指すことも可能なのであるという。これらの存在は、地球上での、技術を、時間を超えて伝授する存在だという。正統な進化基準に従わないからこそ、人類が自らの忍耐と努力で、自主的に、未来に獲得する予定になっている技術(能力)を、現代に先見的にもたらすことができるという。科学技術の多くは、このような存在から、いわば早熟のものとして受け継がれてきたという。

 悪とは、時と場所を間違えた善なのである。

 月の存在の善であるものは、蔭で、援助することはあれ、人類の自主的な忍耐力とその努力を信じて任せる立場をとり、自ら月の立場を進化させることに専念するが、悪であるものは、他に介入し、自らの野望を遂げようとする傾向にあり、かえってそのことが要因となり、自滅することになるという。

 月の存在が、地球に介入することになり、その介入が仇となって、もはや今度は月にその進化形態を担うことができずに、月でのその悪となった存在は脱落するのである。そして、その未来にもたらすべき善が、早産という形となることにより悪となり、もはや善の存在でいられなくなり、自滅してしまうのである。

 しかし、このような悪の淘汰により、善の正統な存在が与えられる慈悲を重んじなければならない。

 実は、善人になるには、自らが、自主的に決断する必要があり、自らの能力に応じ、独立して、その立場を獲得しなければならないという。これには多大なる忍耐と努力を必要とする。善人になるには、道は1つで、ただ宇宙から与えられた役割を自己犠牲の下に、果敢な自由意志をもってやり遂げていくしかないのである。それには非常に長い困難で険しい道のりを有するという。





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Last updated  2007年02月20日 17時29分20秒
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