シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年03月12日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 日本の明治外交史を、BSでやっていたのをみて、日本がなぜ嫌われるのかがよくわかる。日本の外交は近視眼的で、非常にやり方がセコイのが根底にあるが、その実益は、官僚が担っているので、時局により転々として、官僚の些細な身内での利権の奪い合いが問題となり、外からは顔がみえずに、他国に猜疑心を与えやすく、非常に嫌われやすいのである。

 外交において最も必要な威厳がなく、まるで守銭奴のような態度といえるのである。

 戦国武将で例えるならば、小早川秀秋や石田三成の外交に近いといえる。この両者に共通していることは、そこそこ有能だが、嫌われ者だという点にあるといえる。

 関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋は東軍の勝ちを決定づけた重要な人物にも関わらず。東軍の誰もが、裏では嫌っていた感があり、石田三成は西軍の大将にも関わらず、敗戦後の扱いは、手厳しいものであったといえ、なにより、自軍から、裏切り者や内通者の多くを出している点において、やはり、小者として嫌われていた感が大きい。

 小早川秀秋は、元々、秀吉の養子で、お坊ちゃんながら、毛利家を支える両川の一角の大名に成り上がった者である。さながら、いまの安倍総理と同じ存在といえるだろう。秀吉は、毛利を潰すための養子にしようと目論んでいたが、毛利三男の小早川隆景が機転を利かせて、小早川家を継がせることで落ち着かせたが、恐らく、毛利家では、秀吉の治世は短いと踏んだものと思われる。

 秀吉自体が成り上がりの典型で、このような成り上がりの人物は、外交では最も嫌われるのが常道である。秀吉自体はこのことをよく心掛けていたから、景気や威勢がよいことをわざわざ演出したわけであるが、恐らくそんな秀吉を憐れと思って付き合っていただけなのだろう。

 付き合いも一代限りにしてくれと、武将たちは、心の底では思っていたから、関ヶ原の戦いでは、大体が東軍についたのだろう。豊臣恩顧の武将でさえ、東軍についているのだから、表向き義理が立てば、未練なく、東軍に組み出来たのだろう。秀吉の天下は一種の幻のようなものだったのだろう。だから秀吉も、無理な朝鮮出兵をやらかしたのであろう。

 それが返って裏目に出て、武将の多くが、秀吉政権を捨てる口実ができたともいえる。



 日本の外交は、成り上がりで、官僚的で、使い捨てられてしまうのである。

 所詮、人の信用は金銭や一時の利権などで得られるものではない。

 官僚が、外交を担う限りにおいて、大望は得られず、一個人の利権、私欲に蹂躙されるがオチなのである。特に官僚は自己の出世のみに関心をもち、祖国の現状などかえりみる余地もないのだから、何ができるといえるだろうか?不思議でもある。そこそこの当面の利権だけ受け継げればそれでよしとするのが関の山であり、大望も展望もはじめからないのである。

 明治外交の大きな失敗は、アジアの信用を失った点にあり、同時にそれはアジアの大儀を捨てたことにあるといえるだろう。

 確かに、西欧諸国の植民地侵犯が、日本に及ぼした衝撃は大きく、西欧のアジア植民地支配に負けないために、西欧に一撃を食らわすとの大儀で、明治維新を行い、富国強兵し、日清、日露戦争を、なんとか勝利できたが、その勝利後の一番の大失敗は、西欧と肩を並べ、当初の理念、つまり西欧諸国の植民地支配を反省させるという大儀が、いつの間にか、西欧にならい、自分たちも利権を確保しようと政策転換したところにある。

 この時点で、日本の大儀を自ら失ったといわざるをえないだろう。アジアにとってみたら、裏切り者の典型といえるのである。この豹変ぶりは、良い方向に向けば、革新だが、悪い方向に向けば、裏切り者や詐欺師になる。

 日本は土壇場になり、アジアを裏切ったといえるだろう。

 これは、当時のアジアだけでなく、明治維新の戦火に倒れた人々の魂をも裏切ったともいえる。単なる小さな官僚たちの利権を満足させるために、多くの人々が戦場に散ったのではない。米国の黒船による横柄な不平等条約に怒りの鉄槌や、植民地支配をやめさせ、理性を目覚めさせるために、戦ったのである。それがいつの間にか、成り上がった官僚たちの陳腐な利権に取って代わられたのである。

 この構図は今も変わらない。明治天皇が生きていたまでは、明治の外交もなんとかなったが、崩御によって、日本は大正デモクラシーという一種の浮かれたバブルに陥る。そして、成り上がり者が、外交に出てきて、日本の政情は混乱していくのである。

 官僚たちが、国民の搾取の下に常に国家を破壊してきた。清朝の滅亡は宦官という官僚にあり、最近では、ソ連の崩壊は、ノーメンクラツーラという官僚のせいである。

 関ヶ原の戦いでも、秀吉政権の官僚たちは負けたのである。官僚たちは、出世のために争いが好きなので、そこを外から突かれるのである。家康は、秀吉政権の官僚争いを利用し滅ぼしたし、日本のバブル経済も、大蔵省と通産省の権益争いを巧く米国に突かれたのである。



 とにかく、アジアにおける日本の不信の立場を拭い去る努力が必要だろう。太平洋戦争で失った信頼は、日露戦争時の期待が大きかっただけに、いまや裏切られた感は、日本人が考える以上に物凄く大きいのである。

 いまだに愛国心とのぼせ上がる日本人はいい加減にして欲しいものである。





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Last updated  2007年03月12日 23時13分07秒
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厚黒学では。  
武侯仁従  さん
>日本の明治外交史を、BSでやっていたのをみて、日本がなぜ嫌われるのかがよくわかる。日本の外交は近視眼的で、非常にやり方がセコイのが根底にあるが、その実益は、官僚が担っているので、時局により転々として、官僚の些細な身内での利権の奪い合いが問題となり、外からは顔がみえずに、他国に猜疑心を与えやすく、非常に嫌われやすいのである。

李宗吾の厚黒学では、日本外交は娼妓・強盗外交といわれた。
面の皮が分厚いように見えて小心翼々として、ずるがしこいように見えて、浅はかである。と。

日本のなり上がり者は底が浅い。官僚は、目先大事。
外交は中国では「四方に使いして辱めを受けず」国家の最重要案件だった。欧州は多国間闘争が多くて外交が重んじられた。たとえばタレーランやメテルニヒ。もっとビュティフルなら神聖ローマ皇帝のフレィーリヒ2世{プロイセン王ではないよ}彼は十字軍で初めてムスリムとまともな外交を行った。日本はその辺「武力偏重」で外交を軽んじられた。

大正バブルは大正天皇の意向を無視した「大元帥体制」と官僚らの「高度成長」の恒久的追求という虚妄に走り、デモクラシーの成果もそれ以前の外交的信用を捨ててしまった。

唐太宗ではないが「草創より守文は難し」改めて近代以降の日本に守文の意識はあったか! (2007年03月13日 08時56分09秒)

Re:厚黒学では。(03/12)  
武侯仁従  さん
長期的戦略眼・地政学観点もない日本の政治家・官僚、そうしてマスコミには早々に自己改革が退場を!

あるミク友は「そもそも人材難をいう指導者自体が問題。もっとさがせや!」
然り。 (2007年03月13日 08時59分32秒)

Re:厚黒学では。(03/12)  
5dolphin  さん
毎度どうも現代孔明こと武侯仁従さま
 流石、明快で流暢で格調高いコメントをありがとうございます。
 岩倉外交使節団をみていると、マヌケそのものです。いかにも日本はナイーブといった感があります。血縁やコネで人材登用を行ってきたツケが一気に噴出したという感じです。
 このような愚かな人材登用がいまも罷り通るのが、ニッポンという国なんでしょうね。
 お坊ちゃん安倍も問題だが、前無責任滅茶苦茶小泉は、ホント、戦中の東条より悪しき人物でした!日本の神様も怒り心頭でしょうね。まぁ、本人は地獄行きだから好い気なもんですが…。 (2007年03月13日 18時54分48秒)

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