シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年04月16日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 今日の人間はカルマに関心を持っていないから、ちょうど実験室で硫黄を分析するように、いわゆる超常現象と言われるものの起源を実験室的な手法によって分析できると信じていたり、通常ではない認識形態を示す人を、硫黄と同様に、実験室的な試験に供しなければならないと信じている。

 しかし、鉱物としての硫黄はカルマをもたず、人体に関連した硫黄だけがカルマをもっているという。

 何故なら、カルマに左右されるのは人間だけだからで、実験室において人間のカルマの一部を試験することが、もし、その探求が何らかの価値を持つのならば、カルマから生じる今生の必要な前提条件を仮定することは、それこそ不可能である。

 なぜなら、実験とは再現性の可能な試行にすぎないからである。

 我々が人智学を必要とするのは、実験室では探求不可能なこの理由によるもので、他の人の援助によって精神世界の知識を獲得可能にするようなカルマ的な条件を探求することが第一に必要になるという。

 シュタイナーの著書「神智学」の最新版では、最後に、このことが明確に説明されているという。今日の人類には、この考えを受け入れる準備はできていないが、それは彼らが無能だからではなく、保守的であるからで、けれども、精神的にカルマを探求することは途方もなく重要な考えであるという。

 直ちに精神世界の探求に取りかかる必要はないが、他方で、もし、カルマ的な必然性がないところでカルマの実験を行い、無理解な技を使う霊媒たちを使って実験するというような望ましくない手法を採用せず、この世に適した意識状態の日常意識を頼りにするならば、秘儀参入の科学とでもいうべきものが伝えるものについての完全な理解に至ることに気づくこと、それが本質的なことであるという。

 もし、とりあえず自分自身で精神的世界を経験できないならば、それを理解することは不可能であると想像するならば、とんでもない間違いであるという。

 「自分で経験できないならば、精神世界が何の役に立つのか?」というならば、それは今日よく犯される上述のような別の間違いを助長することになり、それは最も大きな、最も危険な、最も明らかな間違いを犯すことで、人智学協会のような運動に携わる人たちは、そのことをはっきりと意識するべきであるという。



 つまり、人生のなかでは理解できないような不可抗力が働いていることを見出すとき、それが、この精神世界の影響であることに気がつかされるという。

 なので、ここでは簡単な説明しかできないが、最初に、人間の物理世界への参入と退出、つまり、誕生と死についてまとめてみる。

 地上での人生の中で最も重大な出来事の誕生と死は通常の意識にとっては別々の現象のように見える。誕生に先立つ全て、つまり、人間の受肉に関係する全てを、地上での人生の始まりに関係づけ、死をその終わりに関係づける。そして、誕生と死は引き離されているようにも見える。

 しかし、精神的な探求を行う人には、誕生と死が益々接近してくるのが分かるという。

 というのも、もし、月の秘儀へと導く道を辿り、以前述べた方法で夜を昼の中に召還するなら、いかに肉体とエーテル体が誕生の過程の中で益々成長し、繁栄するようになるかを、つまり、いかにそれらが芽の状態から段々と人間の形を取るようになるかを、そして、いかに地上に生きる間、それらの活力が、35才になるまで、益々増加し、その後は段々と減少し、衰退が始まるかを知覚するからであるという。

 勿論、この過程を外的に観察することはできないが、以前述べた月の道を辿る人には、肉体とエーテル体が細胞状態から成長し、発達し、胎児の形態を取る一方、人智学ではアストラル体と自我と呼ばれる別の生命形態が衰退と死の力に曝される、ことを知覚するという。





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Last updated  2007年04月16日 21時29分05秒
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月輪観  
武侯仁従  さん
真言宗の観想法の初歩に「阿字止観」と「月輪観」というのがあるとか。後者は月を観想して太陽に至り、大日如来・宇宙へと想念を広げるようにするとか。

>我々が人智学を必要とするのは、実験室では探求不可能なこの理由によるもので、他の人の援助によって精神世界の知識を獲得可能にするようなカルマ的な条件を探求することが第一に必要になるという。

少し話は違いますが、孫子は「同じ状況・体勢など繰り返すことはありえない。だから奇は伝えきれない」「同じ戦法を繰り返すな、その状況は似たものはあっても同一なものは、それか限りである」とか言ってます。
旧軍の参謀が過去の戦例・試験も模範解答と同じにする作戦をすると見切った連合軍は、それを利用して簡単に日本軍の作戦を予測したとか。

>なぜなら、実験とは再現性の可能な試行にすぎないからである。

一部の再現は可能だろうが、状況全体の再現は不可能である。人生も戦いも。だから人智学的なもの・徳義を大切にしなければならない。でないと、そのリアルな体験を深化できないからである。

>地上での人生の中で最も重大な出来事の誕生と死は通常の意識にとっては別々の現象のように見える。誕生に先立つ全て、つまり、人間の受肉に関係する全てを、地上での人生の始まりに関係づけ、死をその終わりに関係づける。そして、誕生と死は引き離されているようにも見える。

 >しかし、精神的な探求を行う人には、誕生と死が益々接近してくるのが分かるという。

誕生も死も「生命のトランスホーメーション」ということでは、同じですからね。

駄文を書いて、失礼あらば削除されば幸いです。
では再見!

(2007年04月17日 08時32分46秒)

Re:月輪観(04/16)  
5dolphin  さん
どうも、現代孔明こと武侯仁従さま
いつも、貴重で大変重要なコメントありがとうございます。
 真言宗の観想法は、確か古代ヒルベニアの秘儀参入法を彷彿とさせますね。古代ヒルベニアの秘教伝授は、太陽の像と、月の像の2体のモデルを実際に触れ、イメージするようなものだったといいます。
 太陽の像のモデルは、内側から力が充満した、まるで風船のようなもので、表面を指で押すと、すぐに修復される自己修復能の高いものだったという。
 対して、月の像のモデルは、太陽とは全く正反対の性質をもち、表面を指で押すと、そのままの形として永遠に残る粘土のような可塑性のものだったというのです。
 この太陽と月の2体の像のモデルをイメージして、自らの宇宙観を育成するのが、秘教の目的ともいえるのでしょう。 (2007年04月17日 11時47分06秒)

Re[1]:月輪観(04/16)  
5dolphin  さん
 秘教では、人間が、地球上で、いまのような生活ができるのは、太陽と、月の御蔭で、その歴史を振り返ると、太古、惑星は1つで、太陽と地球と月は、一体化していたが、そこからまず、太陽が、自らの進化のために、出て行き、後に一体になった月と地球が残され、太陽が出て行ったために、人間は、地上の肉体に受肉することができなかったが、そのときの地上は、いまの動物の世界で、人間が住めないので、月が出ていき、地球は、人間が住めるような肉体、つまり人間の魂が、加工できるような柔軟な肉体が生まれ、受肉できるようになり、人間が地に誕生したというのです。
 秘教でいわれる地球の歴史をみると、大まかには、繰り返しているようだが、少しづつ前とは異なって多様化していっているのです。この変化の奇跡はいまではカオス工学のストレンジアトラクターとして解析されています。
 お釈迦さまの説法も、同じ内容だけども、毎回、少しづつ変化して、説いているのがわかります。つまり、全体的には黄金分割が成り立っているのですが、少しづつ、その展開の仕方がずれているのです。
 これは右巻き螺旋構造というイメージで捉えることができるでしょう。 (2007年04月17日 11時47分22秒)

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