シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年06月26日
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カテゴリ: 神秘体験空間
■最初の質問:光の絶対伝播(光速度一定)の法則は正しいのか?

■第二の質問:アインシュタインによって仮定された時間の相対性には何らかの現実性があるのか? 

 シュタイナーの答え:
 最初の質問は、絶対空間中で光が一定の速度で進むかどうかに関するものであると思われる。既知のごとく、絶対空間中における光の伝播について語ることは実際不可能である。何故なら、絶対空間(重力の及ばない真空)というものは存在しないからである。

 では、絶対空間について語る根拠とは一体何か?

 光の伝播は無限に大きく、光はその実際の伝播を媒体(媒質)の抵抗(波動)から誘導していると考えるが、確かにそうである。では、この観点から見て、他のあらゆる物体が移動する速度に関して語るのと同じ意味で、光の速度について語ることは可能なのか?

 この問いに対して、ヘルマン・フォン・バラヴァルは、絶対に不可能だと答えた。

 もし、光を、他の何らかの物体と同等であると仮定しなければ、他の物体の速度を測るのと同じ方法で光速度を測定することはできない。

 通常の物体、物質の対象物が、ある速度で空間中を飛行していると仮定する。この物体は、時間のなかの、ある特定の瞬間に、ある特定の場所にあるが、速度を測るには、測定方法全体が、2つの異なる時間の間で、その物体の位置が出発点と、どれほど異なっているかが考察可能であることに依存している。



 しかし、それは、その差異(速度)を測定できないからではなく、推進している速度が推進される物体を絶えず変化させるからである。空間を離れるときには、その空間を空にするのではなく、その空間を完全に空にする代わりに、後に痕跡を残すような実体を取り扱うときには、通常の(速度の)測定方法は適用できない。

 このように、物質物体の速度について語るのと同じ意味では、一定の光速度について語ることはできないといえる。それは、位置的な差異という速度計算の基礎を与えるべき基本式を形成できないからである。 

 このように、光の伝播を扱うときには、光の外的な伝播速度のみを語らざるを得ないことがわかる。けれども、もし、光の伝播速度について語るならば、光速度を測定するために、(初期状態を探るために)発散する光源へと絶えず立ち返る必要性に迫られる。

 例えば、太陽の場合、発散する光源へと立ち返らざるを得ない。光の発散が始まるところから測定を始めねばならず、その光が無限に複製されることを仮定しなければならない。だが、この仮定は間違いといえる。

 何故なら、光が拡散していく最前面は単純にどこまでも広がり大きくなるのではなく、ある種の弾性の法則に従うようになり、一定の大きさに達したときには、方向が逆転するからで、その地点では、もはや単純に拡散光ではなく、戻ってくる光、同じ道を逆に辿りながら収縮する光を取り扱うことになる。

 つまり、この基盤の上に立てば、光に満たされた空間の中に存在すると仮定される単一の位置取り(つまり、ある地点から別の地点へと拡散する光)に関してではなく、2つの実在の出会い、1つは中心からやって来るもの、もう一方は周辺からやって来るものだが、それらの出会いについて取り扱うことになる。

 なので、次のような根本的な問いが必要となる。光の伝達に関して考察するとき、本当に通常の意味における速度を取り扱っているのか?と。 

 光の場合は、通常の意味の伝播速度を取り扱うのではなく、通常の速度から光の速度へと移行するには、弾性式に基づき定式化する手法を見出す必要がある。もし、物質の運動に関するイメージを用いるなら、固定領域を境界にもつ、弾性的に関連した空間部分が閉じた弾性体の運動として記述できるような定式化を反映したものでなければならない。

 なので、光の挙動に関する記述に移るには、通常の定式を用いることはできないといえる。

 この理由により、アインシュタインの仕事には根本的な間違い、つまり、通常の力学的定式(これが彼の仕事だが)を、光の拡散に適用し、空間中を進む物質対象物と同じ手法で、光の測定ができるものと仮定した根本的な間違いが見られる。

 光は、疾走する物質的、宇宙的な粒子から構成されるのではないことを彼は考慮していないといえる。光とは輻射の痕跡を後に残すような空間内での事象であり、そのため、光(の速度)を測定するときには、単純に、まるで、ある物体が遠くからやってきて、後に空間内に何も残さずに去っていくかのような測定はできない。



 そして、そのとき、第一の間違いに関連した第二の間違いが見られ、つまり、アインシュタインは、実際には互いに接近する点からなる(剛体の)力学系に適用される原則を、誤って宇宙全体に適用したため、その全体を1つの系としてみると、宇宙は単に機械的プロセスの総体ではあり得ないという事実を無視し、機械的プロセスの総体としている。

 例えば、もし、宇宙が1つの有機体であるなら、そのプロセスを機械的なものと仮定することはできない。例えば、(人間の)手の中でそのような機械的プロセスが生じるときは、体全体が反応を開始するのであり、本質的に閉じた機械的体系によって、運動が決定されることはない(手が独りでに反応して動くことはない)。

 このような別種の運動の定式化を、光の運動に適用することを受け入れられるだろうか?

 それとも、宇宙全体の反応が関わっているのだろうか? 

 宇宙全体の反応の存在なしに、光の無い宇宙を想像するのは、余計に困難だが、宇宙全体の反応の作用は、閉じた機械的な体系における速度とは非常に異なったものであることがわかる。



 アインシュタインの思考方法がいつも逆説的で抽象的な理由は、その背後に横たわる、これら2つの主要因によるという。この状況は、以前に用いたウィルヘルム・ブーシュの例、すなわち、力を込めて腕を振り上げたために、今にも顔をひっぱたかれるのではないかという恐怖心(感じ)を持つときの状況と同じである。

 それは、時計が光速度で飛び去り、戻ってくるとしたら、生じるような、アインシュタインがその結論として、引き出すものに似ている。

 このような考えに何らかの現実性があるのか? 

 その考えを突き詰めることは絶対不可能で、何故なら、時計に生じることを、更に詳細に考えざるを得ないからである(分子レベル、果ては量子レベルまで)。もし、思考を現実のみに限定することに慣れているならば、そのような思考を完結へともたらすことは不可能といえる。そのような考えを述べているアインシュタインの文章を読むと、彼の結論が今の述べたような基本的な間違いに基づいているのが分かる。

 以上がシュタイナーのアインシュタインの(特殊)相対論への最初のコメントである。

 注釈:アインシュタインの特殊相対論から予測される時間のズレとは、光速度に到達しえる技術が前提とされる。もし、運動するものの時間がゆっくり進むとしたなら、その時間を、厳密をもって、分子レベル、或いは量子レベルで測る必要があるとされるが、そもそも量子レベルでは、ハイゼンベルグの不確定性関係があって、可能ではない。これはアインシュタインが確率論とも相俟って、量子論に酷く反対した根拠の一例でもある。そもそも時間(同時性という意味で)とは何か? 更に光速度の定義も非常に曖昧なのである。

 しかし、シュタイナーは、特殊相対論を全否定しているわけではなく、その式は物質的意味にのみ、断片的に有効であり、時間は本質的に4次元の存在で、物質空間とは、正負の関係にあるアストラル(複素)空間を、シュタイナーが更に定義している点で、特殊相対論より深いものといえるだろう。

 つまり、シュタイナーは、物質世界で実現できない理論面を否定しているに過ぎないのある。宇宙は、物理屋が想定した思考実験よりも、遙かに複雑であることを強調したいだけなのである。科学で全てが分かったというような自惚れ屋さんの傲慢な鼻をへし折りたいだけなのである。何事も、分かったという段階で成長は止まるのである。とどのつまり、無知の知である。





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Last updated  2007年06月26日 19時00分41秒
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