シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年07月24日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回の続きである。

 例えば、カントの空間についての定義は健全にも非常に抽象的な空間概念に留まっている。彼の概念は、差し当たり、制限が無いか、もしくは無限であるかに関して注意を払わない。19世紀を通して、この空間に関する概念は(その概念的内容に関しては、内的意味(精神的)にも)数学によって粉砕された。

 際限はないが、無限ではない空間にカントの定義を適用することを想像することはできない。彼がその「純粋理性批判」の中で後に提示した多くのもの、例えば、彼の超越理論を、もし、制限がない、曲がった空間の概念で、置き換えるとしたら、たちまち揺らぎ始める(矛盾しはじめる)だろう。

 この曲がった空間の概念が、物事を想像するときの通常の方法に問題を投げかけることを我々は知っているが、空間が曲がっているという仮定に対して、純粋に数学的、或いは幾何学的な観点から成し得る唯一の反論は、さしあたり、現実からは非常に隔たった、純粋に抽象的な領域への移行を強いることにある。

 この状況を、もう少し詳しく見ると、近代の一般幾何学の起源に関する議論には奇妙な循環(堂々巡り)があり、つまり、空間の限界には無関心なユークリッド幾何学の考え方から出発して、結局またそれに至る(戻る)ことが分かる。

 その後で、球の表面に適用されるような派生的(関連的)考察に移行する。これらから派生するもの(導出されるもの)や、そこから結果として導かれる形に基づいて、ある種の置換を行い、そして、それを基にして空間の再説明ができるようになるが、結局、そこから述べるあらゆる事柄は、ユークリッド的な幾何学を前提としている。

 この前提の下に、一定の曲率を得て、派生するもの(導出するもの)へと至るのである。この計算は全てユークリッド幾何学を前提としている。しかし、ここに至り、ターニングポイントにきたといえる。曲がった形から得られるものに関する新しい見方や説明に導くことができる別の考えへと至るために、使うのは、他ならぬユークリッド幾何学の助けを借りて発達させた曲率のような考え(概念)である。

 それらの(数学的)活動は本質的に抽象的なものから抽象的なものを導出することにより、現実から離れた領域においてなされる。この活動が正当化されるのは経験的現実が、そのような抽象から得られる結果に合うように(導出されるモデル等を)強いるときのみである。

 なので、この質問は、抽象的空間は、我々の経験と、どこで対応しているのか? そのようなものとしての空間、ユークリッドが想像したような空間は抽象的だが、その知覚可能な経験的側面はどこにあるのか? というものになる。



 しかし、この能動的知覚は、平面に関する思考、つまり、2つの次元における広がりに関する思考とは非常に異なったものである。我々が両方の目で世界を見るとき、これら2つの次元(平面;上下、左右)は、自身の魂による活動の結果ではなく、それらは既に与えられたものとしてそこにある。

 しかし、第3の次元は、通常は意識化されない活動の結果として生じる。我々は、深さ(奥行き)の方向を認識するために、つまり、ある対象が、我々から、どのくらい離れているかを知るために、それに働きかける必要があるが、平面の広がりには働きかけることはなく、それは直接的(感覚の)知覚として与えられる。

 一方、深さの方向の次元には、我々は2つの眼を使って実際に働きかける。我々が深さを経験する方法は、(魂の)意識と無意識の間の境界の極めて近くに横たわる。しかし、そのようなプロセスに注意を払うとき、深さを推し量るという、決して十全には意識的ではない活動(それはせいぜい半意識的、或いは1/3の意識的なもの)が、対象を、平面(2次元)において見るときよりも、理性的な活動、つまり、活動的な魂のプロセスに対して、より近いところにあることが分かる。

 このように、3次元空間の中の1つの次元(深さ)を能動的に獲得することは、我々の客観的な意識を代表するものである。そして、我々の直立姿勢が、深さの方向の次元(前方と後方)に貢献していて、そのことが、その次元を他の次元と交換不可能なものにしている。

 個々の人間にとって、深さの次元は他の次元とは交換不可能である。

 2次元性に関する知覚は、これら2つの次元、つまり上下左右が、目前にあるときでさえ、脳の(主要部分、中心ではない)他の部分に関連づけられている。この知覚は視覚の知覚プロセスに本来備わったものであるのに対し、第3の次元が生じるのは、理性の活動に関連した脳の中心に極めて近いところに位置する。なので、我々の経験という意味においても、第3の次元は他の2つの次元とは非常に異なった仕方で生じる。

 けれど、イマジネーション(霊視)のレベルにまで上昇するとき、第3の次元に関する経験を置き去りにし、2次元(平面)において見ることになる。ちょうど通常の意識において、前後(深さ)を経験するためには、我々が十分には意識していない(魂の)働きが必要とされるように、このレベルにおいては、我々は左右を経験するための活動をする必要がある。

 そして、最後に、インスピレーション(霊聴)のレベルにまで上昇するときには、上下の次元に関しても同様なことが言えるようになる。我々の通常の知覚神経に関連した知覚を維持しようとする限り、第3の次元(深さ;遠近差)を経験するための働きかけを行う必要があるが、この感覚体系の通常活動を排除し、直接、リズム(音響)に向かうときには、第2の次元(上下)をも経験することになる。

 ある意味、これはイマジネーションのレベルにまで上昇するときに起こることである。このことを非常に正確に表現してきたわけではないが、現時点では問題ないだろう。そして、我々が第1の次元(真なる深さ)を経験するのは、イントゥイション(霊人)のレベル、つまり、我々人間の有機体を構成する第3のものにまで上昇するときである。

 抽象的空間の中で出会うものは、正に以上のように見える(感じる)ことが分かるが、それは我々が数学的に達成するもの全てが、我々自身の内部(精神)から来るという理由による。数学的に導かれる三重の空間とは、我々が、自身の中から導き出すものである。

 我々が超感覚的な知覚レベルを通って、魂の下部へと赴くとき、結果として得られるのは、3つの同等の次元を有する抽象的な空間ではなく、むしろ、前後、左右、上下という3つの異なった次元ごとに得られる3つの異なった価値体系である。これらの次元は相互に入れ替えることはできない。



 もし、我々がx軸を、まるでそれが弾力を持っているかのように、ある一定の強度で引き延ばしながら、大きくするならば、y軸とz軸も同じ強度で成長させなければならない。言い換えれば、1つの次元を拡張するために、ある一定の強さを適用するならば、その拡張する力は3つの軸全て、つまり、ユークリッド空間の3つの次元全てに対して同等のものでなければならない。

 この型の空間を、私(シュタイナー)が「固定された空間」と呼んだのはそのような意味である。

 固定された空間は現実の空間が抽象化されたものだが、それは人間の内部から発達してくるもので、同じ強度という原則は現実の空間には当てはまらない。現実の空間について考察するには、拡張する強度は3つの次元全てにとって同等であるとはもはや言えないからである。

 空間はもはや3軸に関して同等ではなく、それは空間的拡張強度の結果として生じる人間の比率に依存している。例えば、y軸、つまり上下の方向を見る。我々はその拡張強度を、左右の方向に対応するx軸のそれよりも大きいものとして想像する。現実空間の抽象的な表現である定式(この定式もまた1つの抽象であるということに注意しなければならないが)は、3つの軸に関して楕円を描くものとなる。

 続く





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Last updated  2007年07月24日 23時35分31秒
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