シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年08月01日
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カテゴリ: 神秘体験空間
■質問:アインシュタインは、時間-空間連続体(時空連続体)は4次元であると言っている。もし、この理解が正しければ、シュタイナーの説く四次元は二次元になる、何故なら、「四次元軸は、負の三次元軸である」といったので、イマジネーションの世界とアインシュタインの時空連続体との間には、なんらかの結びつきがあるという意味で説明できるのか?

 通常の科学的思考に従えば、イマジネーション空間とは平面と結論せざるを得ない。なので、イマジネーション的な世界は3次元空間中における非常に特別な平面ということになる。それが真っ直ぐで平坦である必要はなく、同じ場所に(固定して)留まる必要もないが、いかなる瞬間においても、その存在を確かめることができなければならないものといえる。

 このテーマに関しての私(質問者)の考えは恐らく人智学の線に沿ってはいないが、人智学が、この事に関して何を語るのかを知りたい。

 シュタイナーの応え;
 多少のコメントを除いて、この質問者の考えは人智学の線に沿ったものといえるが、付け加えたいのは、抽象的レベルではなく、現実レベルで、3次元から4次元への移行を試みるときには、4次元を記述するためには、負の記号を用いる必要があるというのは、完全に正しいということである。

 それは、丁度、負債が貯蓄をキャンセルするように、4次元への移行は、3次元軸成分を取り除く、つまり、キャンセルするということである。

 状況をそのようにイメージする以外に方法はないが、もし、抽象的に、性急に求めるなら、益々多次元からなる存在形式を取扱う「無限の後退(負の領域)」へと至るだろう(多次元空間になるほど、空間の次元軸がキャンセルされるような負の値を取る)。

 注釈;例えば、5次元ならば、x+y+z-z-y、
        6次元ならば、x+y+z-z-y-x


 しかし、これは抽象的な方法を続けることであり、状況を実際(現実)に見ることを根底においたものではない。イマジネーション(霊視力)の世界に入るとき、真に、幾何学から借りてきた表現を用いるならば、平面(2次元)の世界に直面する。

 そのとき、時間平面(2次元の時間軸のみ)の世界に直面する。この世界の奇妙な特徴の1つは、もはや空間の第3次元(深さ、奥行き)に戻って、関連づけられないということである。

 この事の理解は困難を究めるが、射影(微分)幾何学において、類似の状況を見出せる。射影幾何学では、もし、実際に3次元世界に境界面を課すなら、3次元の境界の表面として、球面というよりはむしろ平坦な表面を考えるように強いられるからである。

 つまり、射影幾何学は3次元空間が平面によって境界づけられているものと仮定する。3次元の境界に至るとき、見出すのは平面だが、そしてその平面の極限は、円というより、むしろ直線として想像され、この直線の境界は2つというより、むしろ1つの終点をもつ(次元が一つずつ減らされる)。

 この時点において、思考と、知覚の関係は、平面を3次元空間の境界として、直線を平面の境界として、そして、直線の極限として無限に遠い1つの点を考察することになるが、どんなに首尾一貫したものであろうと、その完全な一致をみるのは不可能となる(思考では次元は減らないが、知覚では減る)。

 射影幾何学に関しては、以上の考えは現実的で、射影幾何学は、イマジネーション(霊視力)の世界の中で発展(発達)する知覚へと、その作用を及ぼすことができるが、イマジネーション(霊視力)の世界においては、(2次元時間)平面の中に存在するとき、この(2次元時間)平面を、その座標から規定することにより、3次元空間へと関連づけることはできない。

 それは実際、3次元空間以上に(次元を無作為に加えられ)引き上げられたものとなり、どこにでも、あらゆる処に存在するものとなる(多様体のファイバーバンドルの発想法と類似)。この事を想像するのが困難なのは、3次元空間の中での視覚化に我々が慣れているからである。だが、イマジネーション(霊視力)の世界は3次元空間中に存在するのではなく、3次元に関する規範は当てはまらない。

 イマジネーション(霊視力)の世界に類似したものを、芸術の中に見出せるが、それは色彩を基盤として絵を描くときである。絵画を描くとき、平坦な表面上の紙面で作業を行うが、もし、曲がった曲面の紙面上で作業を行っても、その曲面の描写中に、霊視力の起源を持つのではなく、別の状況に発するものである。

 平面上の紙面に描くとき、絵画表現の可能性は、描写される遠近法に限定されない(幾らでも奥行きを広げられる)。遠近法により、奥行きの表現が限定されないのは、比較的最近発見されたことで、遠近法が現れたのは絵画の歴史の中でも非常に最近のことで、僅か数世紀前のことである。

 しかし、このような構図による遠近法(両眼の重ね合わせの像による遠近法)に加えて、色彩に本来備わっている遠近法を用いることもできる。

 私(シュタイナー)は、色彩の遠近法のような原理を、ドルナッハでの絵画の中で用いてきた。思考というよりは、むしろ感情と色彩の基盤の上では、黄色は、見る者に向かってあまりにも強く向かってくるように感じるために、黄色は、ほとんど攻撃的な印象を与えると言える。



 このように、2次元的な広がりだけしか使用できないときでも、3次元的な現象を表現できる。これは、2次元の状況の視覚化を助ける例であって、本来、イマジネーション(霊視力)の世界は絵画の世界と同じではない。

 この質問の中に表現される考えは人智学にとっても、全く真実だが、本当に、イマジネーション(霊視力)の世界が、アインシュタインの時空連続体との結びつきを有していると無条件に言うことはできない。

 アインシュタインの時空連続体は、知覚というよりは抽象理論に基づいている。その第4の次元成分は、他の3つの次元成分と類似のものとして構築されているが(これは時間が、空間により代替的に示されているから)、空間中の客観的(3次元空間)認識から、イマジネーション(霊視力)の世界を認識するには、第3の次元が、時間軸の負号によりキャンセルされなければならず、このように空間的な意味で表現できる真の超感覚的認識へと移行するときには、アインシュタインの時空連続体では、表現できない(アインシュタインの時空では、第3軸はキャンセルされない光円錐になる)。

 次に述べることは、人によっては非常に挑戦的に思われるかもしれないが、それでも、実際私(シュタイナー)が経験したことである。現実には、状況は次のように見える。



 イマジネーション(霊視力)の世界の中にいるときには、これら3次元中に住んでいるのではなく、そこでは、2次元中に住んでいる。もし、この次元の空間中での位置を示すなら、人間の位置を通過する垂直の断面を取るべきだろう。イマジネーション(霊視界)においては、上下と左右の次元についてだけ語ることができる。

 イマジネーションの世界の中で移動するとき、持ち歩くのは以上2つの次元だけで、それらが、空間中の直交座標系に関連すると言うことができないのは、この理由による。ユークリッド幾何学の意味でそれらを規定することはできない。

 しかし、我々の知覚にとっては(3次元空間は)現実的である。イマジネーションの世界(霊界)の文脈の中で3次元について語ることは無意味である。我々は、2次元に関する経験、客観的世界においては持つことができない経験を扱っているということに気づくべきである。

 イマジネーション(霊視力)の世界においては2つの次元が、インスピレーション(霊聴力)の世界においては1つの次元だけが現実である。全てのインスピレーション(霊聴力)は、もし、真に、空間に割り当てたいのであれば、上下に動く軸である。

 インテュイション(霊人力;天地合一力)は(0次元の)点のようだが、それを座標系に関連づけることはできない。これらの高次領域においては、ユークリッド空間に立ちかえることはできないのである。

 注釈;今回も非常に難解だが、要するに、シュタイナーの説くところは、物質世界と精神世界があるということである。我々は知性に対する過度な信頼性により、物質世界のみを現実と考えているが、宇宙には、精神世界が存在し、物質世界を感覚知覚能力により現実として把握するように、精神世界を、霊視力、霊聴力、霊人力(天地合一力)により、現実として把握できるという。

 精神世界を、物質世界の数学を基に表現するなら、マイナスの次元を加えるものとなり、高次元に行くに従い、空間が、時間により一つずつキャンセルされるというのである。端的にいえば、物質世界は空間の世界で、精神世界は時間の世界であるという。

 なので、アインシュタインの特殊相対論の時空概念は、時間を負の空間として代替的に記述するもので、中途半端なものとなっている。この点を、シュタイナーは、抽象論の上で、霊視力世界と結びついているといっているが、その本質は、真の時間軸平面という意味で異なっていると説くのである。

 精神世界を把握するには、瞑想を行い、色彩の遠近法のようなものをイメージ強化する必要があるという。中世の魔術師は、瞑想のなかで金属をイメージしたという。その伝承が錬金術の秘術として残っている。ピュタゴラスやプラトンは、これを数学的なイメージに昇華させたという。つまり、哲学は、それら霊視力、霊聴力、霊人力の獲得秘術なのである。

 これら高次の世界を認識できるようになると、周囲に、神々の意志や叡智を直接体験できるという。古代の神殿では実際このような秘術が行われ、神々との対話の場になっていたという。勿論、いまでも、この秘術、一般には秘儀参入法と呼ばれているが、この霊能力を開発すれば、神々(一般には天使と呼ばれるが)と対話が可能なのである。

 しかし、我々はあまりにも、3次元物質空間の感覚に慣れすぎているので、準備もなく、いきなり、高次元世界(精神世界)を覗くと、魂が凍りつくような恐怖に襲われるという。それはまるっきり物質世界とは逆の(鏡の)世界なので、我々から発するものが、我々に襲いかかるようにみえるという。

 なので、我々のなかに邪悪な精神があると、たちまち、その邪悪な精神に脅かされるのである。死とは、この魂を凍りつかせない一種の儀式、準備といえるだろう。死んだ感覚がないと、魂は自縄自縛の混迷を究めるという、このような状態の魂を自縛霊と呼ぶようである。自分で自分を自虐的に襲い続けるのである。





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Last updated  2007年08月01日 23時41分49秒
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