シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年08月08日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、今度は、本質的に、地球の直接の環境である大気(空中)において、上空に鳥類として出現するものと、この鳥類と共に、大気、空気(呼吸)の循環に生きる獅子のなかに見えるものとして現われるもの、つまり、これら大気のなかに生きる生物(鳥類と獅子)全てから目を転じて、地上の牛を見てみる。

 他との関連で既に何度も指摘したが、満腹した牛の群れが牧場に横たわっているのを観察する際に、牛のその姿勢、目の表情、動きの1つ1つに、消化という営みが表され、観察できるのは魅力的な事である。

 例えば、牛の周辺で何か物音をたてた場合の、牧場に横たわっている雌牛を一度観察すれば、雌牛が頭をもたげ、この頭をもたげる動作のなかに、全てが重く、頭を上げるさえが容易でないという感情があり、この雌牛が頭を上げることのなかには全く特別な感情があるということがわかるのは、実際驚くべきことである。

 このような頭を高く上げることが煩わしそうな雌牛を、牧場で見れば、雌牛に対して、次のことがいえる、
 「この雌牛は、草を食べる以外の目的のために頭を上げることをいぶかっている、『一体、何でまた今、頭を上げなくちゃならないのか、草を食べてもいないのに』。草を食べていないときに、頭を起こすのは無駄な行為の何者でもない」、と。

 この様子から、一寸見れば、この動物が頭を上げる動作のなかに、次の事が含まれていることがわかるが、消化は、この動物が頭を上げる動作のなかだけに含まれているのではない。
 「雌牛が頭を上げるように獅子(ライオン)が頭を上げることは、想像できない。消化は(雌牛の)頭部の形態のなかに含まれている。」

 そこで更に進み、この動物の全身の形態に入っていく、雌牛は実際、全くの進化しきった消化器官の動物とでもいうべきものである。

 消化の(リズムの)重さが血液循環に負荷をかけるので、全てが頭と呼吸を圧倒するのである。この動物は全くの消化体といえる。この事を霊的に見ると、眼差しを上空の鳥に向け、それから雌牛を見下ろす場合、実際計り知れない不思議さが生じる。



 ここで驚くべきことが心に浮かんでくる、つまり、この事を洞察すると次のように言える、
 「鳥が上空で、自らのアストラル体からアストラルに得ているもの、以前述べたように、その翼の形態化に働きかけているものを、雌牛は、その肉のなか、筋肉、骨のなかへと送り込んでいる」、と。

 鳥においてアストラルであるものが、雌牛においては、物質になったといえる。

 アストラル性において異なって見えるのは勿論だが、真相は以上である。

 更にまた、逆に、鳥のアストラル性に属しているものを落とす際に、エーテルのものと物質のものへの変化を引き起こすなら、鷲は雌牛になる。なぜなら、鷲におけるアストラルのものは、消化時には大地に横たわる雌牛のなかの肉へと変化し、物質体と化すからである。

 というのも、雌牛にあっては、驚くべきアストラル性を発達させることは、消化の一部であるからで、実際、消化時の雌牛は美しくなる。アストラルに見て、この(雌牛の)消化の内部には、何か途方もなく美しいものがある。

 通常の俗物的概念から、正に俗物的理想主義に浸って、消化の営みは最も低次などというなら、霊的観照における、高い見地からの雌牛の、この消化の営みを見るとき、間違い、偽りを犯すことになるだろう。

 牛の消化は美しく、崇高な、何か途方もなく霊的なものなのである。

 雌牛の肉→エーテル化(気化)→アストラル化→鳥のアストラル体
  鷲のアストラル体→エーテル化(気化)→雌牛の肉(物質化)

 獅子は消化を、霊性にまで導けない。鳥にあっては尚更である。鳥においては、消化の営みは、ほとんど完全に物質のものに止まる。鳥の消化機構のエーテル体が存在するのは勿論だが、鳥の消化機構のなかにアストラル性が見られることは非常に稀で、ほとんど見出すことは出来ない。



 そこで今度は、人間のなかに、雌牛に似たものを見るなら、更に雌牛が一面的に形成している照応、ある種のアストラルな肉化を見るなら、人間では、それが、消化器官のなかと、消化器官の継続、そして四肢のなかにみられ、それは調和を伴いながら、その他の組織に付加され、組み込まれているといえる。

 宇宙言語;雌牛=肉=消化器官と四肢=崇高な宇宙全体

 従って、高い上空の鷲のなかに見るとき、獅子(ライオン)のように、動物が直接空気を享受する処に見るとき、動物が、その消化器官のなかで作用し続け、地下の地力に結びつくとき、つまり、人間が高みを見上げる代わりに、地の深い処を見下ろし、深い理解に満ち、雌牛の本質に迫るときに見るとき、以上の鷲、獅子、雌牛が、人間のなかで統合されて1つの調和(ハーモニー)を成し、互いに調停し合う3つの形態を持つことを知るのである。

 つまり、それは、人間の頭における鳥の変容(メタモルフォーゼ)、人間の胸における獅子(ライオン)の変容、人間の消化器官及び四肢機構、四肢機構においては更に大規模な変容、大規模な変容がなされるのは勿論だが、この消化器官と四肢機構における雌牛の変容といえる。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007年08月08日 19時02分47秒
コメント(2) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


いま消化ということ  
武侯仁従  さん
消化は、重要なことと感じてます。世界的にも。

アメリカの「肥満問題」日本の「食育議論」
知性偏重等の頭でっかちも知識の未消化が重篤な問題ですね。

姫路の国分寺の牛の銅像は、すべてものよく消化するという意味でもおかれていたようです。どうも奈良期からそうです。

なにか感じさせられます。 (2007年08月11日 16時27分37秒)

Re:いま消化ということ(08/08)  
5dolphin  さん
どうもお久しぶりです。現代孔明こと武侯仁従さま
>姫路の国分寺の牛の銅像は、すべてものよく消化するという意味でもおかれていたようです。どうも奈良期からそうです。

 牛信仰は、太古の犠牲の愛の精神の体現らしいです。ミトラ教の犠牲の牛の像がそのことを物語っているようです。
 同じように、秘教では、牛は、宇宙の叡智を消化する(理解する)動物といわれています。宇宙の叡智(ソフィア)を消化(理解)し、死して大地にその肉を残すので、犠牲の愛(フィロ)の動物なので、フィロソフィー(哲学)の動物といえるでしょう。牛の角(気の流れ)は、その体現の象徴なのです。 (2007年08月13日 18時52分25秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: