シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年10月02日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回選んだ出発点から先に進んで、人間の本質において、支配的な、ある種の両極性に着目することにより、更に人間の本質へと徐々に迫っていきたい。

 すでに前回、述べたように、動物においては未だに、負荷が掛かっている力を、人間では、ある垂直方向の力(アルケウス)と結びつけて平行四辺形を形成し、筋肉の反応においても、その力に相応した類似の合力が見られる。

 この人間の骨組織と筋肉組織の研究における考察を更に追求すると、今日の経験を助けとし、恐らく、骨学、筋肉学から即時に、医学にとって、従来よりも、意味深い治療行為を行うことが可能となるだろう。

 しかし、特に困難なのは、人間の認識を、今日の心臓学から出発する時に、医学が必要とする知見と結びつけることである。ここで、述べたいことは、骨学、筋肉学において初めて、意味深い治療行為を行う構想が示すものは、(古来の)心臓学に関して培われてきた見解において、根本的に生じてきたということである。

 というのも、そもそも一般に人間の心臓については(まずは心臓学に限定する)、現代では、どのような見解が持たれているといえるのか? 

 「心臓は血液を様々な器官に送り出す一種のポンプである」、という風に見られている。そして、この「心臓」というポンプ機構を説明すべく、あらゆる興味深い力学的構造が考案されている。

 さて、心臓のこの力学的な構造は、胎生学に全く矛盾するが、この力学的心臓論を、実際に疑ってみることや、この心臓論をもう一度検討することを留意せず、少なくとも通常の科学においても検討されてはいない。

 心臓観において、とりわけ考慮すべきことは(まずは概略を述べ、後に述べることは、最初に観点として示す必要があった事柄を、少しずつ裏書きしていく形になると思う)、この心臓という器官は、自ら運動する生体組織の一種(ポンプのようなもの)と呼ばれるようなものではないということである。

 なぜなら、心臓の運動は、(心臓自らの活動でおこる心臓が)原因ではなく、(他の活動から引き起こされる)結果だからである(この事は蛙の解剖等で、心臓を切り出し溶液に浸すと、その溶液の浸透圧等で鼓動をはじめることで確認できる)。この原則が理解できるのは、人間の生体組織における、あらゆる活動の間に生ずる両極性に着目する時だけであろう。



 いわば生体組織内で下から上へと、栄養分を取り入れる血液と、空気を取り入れる呼吸との間に、初めに生じる相互作用にまで、栄養分の消化を辿ることができるからである。その際、観察される経過を正確に見るなら(実際、正確に見れればよいが)、呼吸プロセス中にある全活動と、最大範囲の消化プロセス中にある活動との間に、ある種の対立があることがわかるだろう。

 ここでは、互いに何かが均衡を取ろうとしている。いわば、お互いに渇望し合うものが、お互いに満たし合おうとするわけである。勿論、もっと他の表現を選ぶこともできるが、先に進むにつれ、更に良く理解できるだろう。

 まず、液体状になった栄養素と、呼吸を通じて気体の形で生体組織に摂取された要素(呼吸素)との間に生じる相互作用がある。この相互作用を厳密に研究しなければならない。この相互作用は、お互いに働きかけ合う力の中に生じる。

 そして、この互いに働きかけ合う要素、これがいわば、心臓において、その互いの働きかけを妨げ合う。心臓は1つの滞留器官であり、つまり、更に生体組織の下部の活動と呼べる栄養分の摂取や消化と、呼吸をその最下部の活動に組み入れたい生体組織の上部の活動、この上下の活動の滞留器官として、心臓は存在しているのである。

 (栄養素と呼吸素の合力として)1つの滞留器官が、心臓として組み込まれているわけで、その際、本質的なことは、心臓の活動は、液体状になった栄養素、すなわち液体養分と、外部から取り入れられた空気との間の相互作用の結果で、運動が生じるということで、心臓に表現されている全運動、心臓において観察される全鼓動は、まずは力学的な意味で、1つの結果として考察しなければならない。

 (つまり、心臓は、栄養素である物質力と、呼吸素であるエーテル力との合力で生まれる。)

 唯一有望な発端といえるものは、少なくとも、この心臓活動の力学的な基礎に一度注目する(勿論、それ以上の観点ではない)ことで、上記のような発想の口火を切ったのは、オーストリアの医師、カール・シュミット博士([Dr.Karl Schmidt] 「心臓の動悸と脈拍の曲線について」 1891年10月26日グラーツで開催されたシュタイアマルク医師協会の月例会における講演。「ウィーン医学週報」1892年15号から17号に掲載。 )だった。

 彼は北部のシュタイアマルクの医師で、『ウィーン医学週報』の1892年15号から17号に、彼の「心臓の動悸と脈拍の曲線」が掲載された。この論文には、まだそれほど多くの知見を含んではいなかったが、少なくとも、「通常のポンプとしての心臓ではなく、1つの滞留装置としての心臓である」と、自らの医療実践から気づいた人がいたという事を、述べておく必要があると思う。

 シュミットは、心臓の運動と心臓の動悸という経過(プロセス)全体を、水流によって動かされる水撃ポンプ(水撃ポンプ、水圧ラム)として想定している。カール・シュミット博士の論述に内在する真理は、正にこの点にある。心臓の全活動を、液体の流れと気体の流れが(ここでは象徴的に、これらを流れと呼ぶが)、互いに入り込んでいく(2つの)流れの結果として、(心臓の運動を)把握するとき、初めて、心臓の力学に近づける。

 では、結局、心臓とは(霊的には)一体何なのか?

 つまるところ、心臓とは1つの(流体の)感覚器官なのである。たとえ、我々人間が、心臓の感覚活動といえるものを直接意識しなくても、つまり心臓で起きていることが、識閾下の感覚活動に属するものであるとしても、やはり心臓は、いわば人間の上部の活動が、人間の下部の活動を知覚し、その感受を可能にするために存在しているのである。



結局のところ、『心臓とは、内的知覚のための感覚器官なのである』。心臓とは、体内の感覚器官であるとみなす必要がある。





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Last updated  2008年10月02日 20時06分38秒
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