シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年10月03日
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カテゴリ: 神秘体験空間
人間における両極性を理解するには、「人間は本来、このように上部から下部を知覚する二重構造の存在である」ということを知ることが重要である。 しかし、次のようなことを付け加えておく必要がある。

「より広い意味での栄養分の摂取、栄養分の消化を、呼吸との同化に至るまで研究するときに、(身体の)下位部分の活動、つまり人間の全本性の一方の極が(下位として)与えられ、呼吸との同化はその時、律動的活動と共に行われる。」

 この律動的活動の意味については、更に述べることがある。呼吸活動と組み合わさり、呼吸活動に所属するものと見なすべきものは、感覚-神経活動であり、つまり、外界の知覚と、この知覚の継続に関わる全て、神経活動による知覚の加工に関わる全てである。

 つまり、一面において、呼吸活動、感覚-神経活動という関連全てを思い浮かべるなら、いわば人間の生体構造の一方の極が(上位として)得られる。他面において、栄養分の摂取、栄養分の消化、通常の言葉の意味での新陳代謝全てを総合的に見れば、人間の生体構造におけるプロセスの、もう一方の極が(下位として)得られる。

 心臓は本質的に、その観察できる運動において、この上部と下部の均衡を表現する器官であり、心意的、或いはもっと良い言い方をするなら、下意識(識閾下)的な知覚器官であって、人間の生体構造の二極間を中継している。

 解剖学、生理学、生物学が提供する全てを、この原理に向かって研究できる。そうすれば、この原理によって初めて、人間の生体構造の中に光をさせることがわかるだろう。心臓により中継される、この上部と下部を区別しない限り、人間を理解することはできない。なぜなら、心臓とは、人間の下部の生体活動において生じる全てと、上部の生体活動において生じる全てとの間の根本的な差異だからである。         

 この差異を単純に表現するなら、「下部で起こっていること全ては、上部にそのネガ、つまり反対の対応物をもつ」、と言うことができる。

「上部に関連する全ては、常に下部において、その対応物を見つけることができる」というわけである。しかし重要なことは、こうした上部と下部は、本来物質的に中継されているわけでなく、対応しているということなのである。



 (上部での咳は、下部での下痢である。この事は、屁を我慢すると、欠伸になることでわかる。)

 上部に対応する現象が常に下部において見つけられる。このような対応関係に正しく着目することで(同様の対応は、観察していくうちにしばしば登場してくる)、真の人間理解に到達できる。

 しかしながら、単に、このような抽象的な対応関係があるだけでなく、健康な生体組織においては同時に上部と下部との緊密な補完関係が成立している。

 健康な生体組織において成立している補完関係とは、上部のもの、つまり呼吸と関係する活動であれ、神経-感覚機構に関係する活動であれ、上部の活動は、下部のものを、抑制せねばならず、下部と完全に調和しなければならない、ということである。

 何らかの形で下部が優勢になったり、支配的になったりすると、つまり下部が、それに対応する上部の活動にとって強くなりすぎると、或いは逆に、上部が、それに対応する下部の活動に対して強くなりすぎると、すぐに(この対応関係は、後に、病気のプロセスを正しく理解することにつながっていくだろう)、生体組織に変則が生じる。

 上部の活動と下部の活動の関係は常に、両者が何らかの形で相互に対応し、互いに制御し、両者がいわばお互いを方向づけながら経過していくようなものでなければならない。ここに確固たる方向づけが存在する。この方向づけは、個人によって異なるが、下部のプロセス全体に対する上部のプロセスの確固たる方向づけが存在する。

 さて、この上部が下部に対応して健全な作用をする生体組織から、病気の生体組織にまで至る推移が見つけられる。

 パラケルススがアルケウスと呼び、人智学者がエーテル体と呼ぶ存在における病気の前兆を出発点とすると、或いは、外側から、つまり、このような事柄に関しては何も知ろうとしない人々から、奇妙に思われないように取り繕っても、やはり、機能的な現象、動的な現象の中で、病気の前兆、いわば病気の最初の微かな兆しに関して、アルケウス、あるいはエーテル体は、語りはじめるだろう。

 (このアルケウス、エーテル体は、漢方医学でいう、「気」に相当する。また、漢方医学の「水」は、栄養素や新陳代謝のようで、「血」は、ここでいう、呼吸素、つまり呼吸の律動を指すようである。) 

 これらを出発点とし、まずエーテル体、或いは生体の機能性のなかに、最初に予告される事柄に関して語るなら、両極性についても語ることができる。ただ、この両極性は既に自らのうちに、対応しない状態、変則的な状態をもち、この変則状態は次のようにして生じる。

 (身体)下部において、つまり栄養摂取と、より広い意味での消化機構において、摂取された栄養分の内的、化学的、或いは有機力が優勢であると考えてみる。



 (つまり、体内に取り込まれる物質は、外界にあるときの様々な力が分解され、非物質となって、体内に存在しないと、健常体とはならないという。外界の力を、体内で克服せずに、そのまま体内に受け継いでしまうと、変則的なプロセスとなり、病となるという。

 例えば、風邪とは、外界の熱を、体内で、分解し、解消できずに、継続的に引き継いでしまう状態を意味するという。健常な人間は、外界の熱に負けないように、体内でも熱をつくり、皮膚表面で、熱の平衡状態を保っているという。だから、外界の熱に負けると、風邪をひくという。)

 しかし、(身体)下部を実際、完全に掌握し、いわば完全に(栄養分を)料理し尽くし、いわゆるエーテル化し尽くす(このように言えば多少とも厳密に語ったことになる)為には、対応すべき上部が十分に強くない、という事態も起こり得る。その場合、人間の生体組織においては、通常は外界で起こり、人間の生体組織の中では起こらない、本来人間の生体組織には属さない優勢な経過(プロセス)が現れる。

 (つまり、変則プロセスとは、外界の自然法則を、体内に持ち込んでしまうことといえる。それが変則となるのは、体内と外界では、機能、つまりプロセスが全く逆であるからだという。体内は、霊界の原則に従うという。霊界の原則とは、物質界とは逆の法則、例えば、時間が逆に進むという。

 古代ギリシアでは、物質界をデウスとし、霊界をクロノスと呼び、未来から過去に進む世界を表現した。鬼子母神の伝説は、このクロノスの世界からくる。なぜなら、母から子が産まれる逆だから、子を母が食らうプロセスとなるからである。物理的にいえば、時間反転の世界である。素粒子物理の世界では、マヨナラ粒子に相当する。)



この変則性特有の形式から取られたと思われる慣用表現を選択するなら、「ヒステリー」という表現を選べるだろう。新陳代謝プロセスが、多大な独立性をもつようになることを表す用語として、「ヒステリー」を選ぶ (後で、この表現が悪しき選択でないことがわかるだろう)。

 (つまり、身体全体の自己組織性を逸脱し、特定のプロセスが、過大な独立性を生じる場合のことを指す。いまは、新陳代謝プロセスなので、ヒステリーと称しているが、後に様々なプロセスに適応し、腫瘍や悪性腫瘍、つまり癌の発生を、この変則プロセスの病像から、説明する。)





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Last updated  2008年10月07日 08時39分12秒コメント(0) | コメントを書く
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