シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年10月07日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 結核患者になり罹りの、つまり将来結核出現の兆しがある人に究めてよく見られる徴候を取りあげてみる。

 恐らく、結核患者が咳をするのに気づくだろう。また、喉や胸の痛み、或いは四肢の痛みも感じ、更に、ある種の疲労状態、そして、とりわけ盗汗(寝汗)に気づくだろう。

 これらの徴候はいかなるものなのか? 

 これらの徴候を目の前にするとき、その本質とは一体何なのか? 

 今挙げた全ては、何よりもまず、先に述べた、(身体)内の不規則な相互作用の結果として生じる。しかし、同時に、この徴候は、更に深い根拠として存在するものに対する、生体組織の戦いでもある。

 咳を(まず、このような単純な事柄を観察し、それからもっと複雑な事柄に移っていく)、いかなる場合でも常に我慢する事は良くない。生体組織にとっては、ワザと咳をすることが必要な場合さえある。

 これは、人間の下部組織が、上部組織によって制御できない場合、咳に対する刺激として現れ、咳をしないと侵入するものを、侵入させない為の生体組織の健康な反応である。従って、いかなる場合に直接、咳を止めてしまうことは、場合によっては害となることもある。肉体が有害なものを受け入れてしまうからである。

 咳は、その人のその時点での素質では、有害なものに耐えられず、それを取り除こうとする為に起こる。咳の刺激は、生体組織に何らかの欠如があり、その為に生体内に侵入してくる可能性のある侵入者を、侵入させない必要性を示すものに他ならない。

 また、結核の素因があると、近づいてくる侵入者に対する、生体組織の防御、戦いの、咳とは別の徴候も挙げられる。それは、喉の痛み、四肢の痛みで、それは生体組織において、上部プロセスに制御できないような下部プロセスが起こらないようにすることを示している。



 更に、例えば痩せることも、1つの防御手段といえる。なぜなら、痩せない場合に生じるプロセスは、上部により制御不可能な、下部プロセスに他ならず、その場合、生体組織は、制御され得ないプロセスが一時的にも存在しないように、痩せることで、自らを守るからである。

 だから、例えば、ある人が痩せていく場合、直ぐに太らせる為の食餌療法を施すのではなく、このような事柄を、個別的に研究することが非常に重要である。痩せる徴候が、その時点で生体組織に現れることで、大変良い意味を持つ可能性もある。

 そして、まだ結核患者ではないが、結核に罹りそうな人の場合、特に有益なのは盗汗である。

 なぜなら、盗汗は、睡眠中に実行される生体組織の活動で、本来は、目覚めている時に、完全な霊的-心的活動の基に行われるもので、昼間の完全に目覚めた状態で行われず、夜になって現れてくる。

 この盗汗は、結核罹患の結果現象であると同時に、防御手段でもある。生体組織が霊的な活動から解放される一方で、生体組織は盗汗として顕れる活動を行う。

 尤も、このような事実を、完全に評価可能とするには、発汗も含め、あらゆる分泌現象が、通常、魂、及び霊活動が、分泌現象と密接に関係するということについて、多少とも、知っておく必要がある。

 構築のプロセス、本来の生命的構築プロセスとは、無意識下での基盤をなす。

生命的構築プロセス;無意識的基盤

 目覚めているときの、意識的な魂的-組織的活動に対応するものは、分泌プロセスである。思考というものも、脳の構成プロセスには対応せず、脳の分泌プロセス、分解プロセスに対応している。

分泌プロセス;意識的基盤

 盗汗という現象は、通常の生活では、本来、霊的-魂的活動と平行して進行しなくてはならない分泌プロセスである。結核では、上部と下部が正しい相関関係にないので、そのような分泌プロセスは、生体組織が、霊的-魂的活動から解放される夜まで持ち越されることになる。



 しかし、結核に罹ると、エーテル体の活動に不規則性が持ち込まれるので、それを解消するために、目覚めているときと、睡眠中の活動を逆転させ、それが盗汗として顕れる。)

 健全に病んでいる(字句として矛盾するが、病んでいる状態が比較的正常なもので、表面上、物質的に現れている場合の)人間の生体組織の成長と生成全体に関係する、あらゆる出来事を注意深く研究すれば、病気の諸症状の間にも相互作用が生じている段階にまで導かれる。

 痩せることは、1つの症状である。しかしながら、結核の素因との関係では、つまり幾らか活動し始めている結核との関係において、この痩せることは、様々な症状間の相互作用の一部である。すなわち、様々な症状から成立する、1つの観念上の組織体が成立している。1つの症状は、ある意味で他の症状に属している。

 従って、生体組織の他の条件によって、何か反応が起こるとき(いまは結核の例だが)、生体組織自体に、この反応を引き起こす力がない場合は、この反応を助けて、この反応を起こしてやり、1つの病気(のプロセス)に別の病気(のプロセス)が続くようにしてやることは、全く理に叶ったことになる。

 このようなことを、古代の医師たちは、医師の為の、いわゆる意味深い教育法則として語ってきた。

「医師として、危険なのは、病気を取り除くことができるだけでなく、病気を引き起こすこともできなければならないことである」、と古代の医師たちは語った。

 つまり「医師は病気を癒せるのと全く同程度に、病気を発生させることができる」、というわけである。隔世遺伝的な霊視力により、このような関連について、更に多くのことを知っていた古代人たちは、医師のなかに、医師が悪意を持てば、人々を健康にするばかりでなく、病気にすることさえもできる人格を同時に見ていた。

 しかし、この事は、他の発病状態との正しい関係をもたらす為に、何らかの発病状態を引き起こす必然性と関連している。とはいえ、これらが病気の状態なのは確かで、咳、喉の痛み、胸の痛み、痩せる徴候、疲労の徴候、盗汗全ては、病気の症状に相違ない。ときには、これらの症状を引き起こす必要があるとはいえ、やはり病気の症状であることには違いない。   

 この事から、なかば治癒しかけたとき(小康状態のとき)、すなわち、これらの症状を引き起こした時点で、病人を、その運命に委ねてしまうことはできず、このときこそ、治療プロセスの第2段階が出現せねばならない、ということが自ずと容易に理解できる。

 そのとき、これらの反応、つまり病気(の悪化)を防ぐために、引き起こした状態が続くように配慮するだけでなく、今度は、この反応を癒し、生体組織全体を再び正しい道に導くプロセスが生じてこなければならない。

 従って例えば、結核の素因に関しての自然、或いは場合によっては人為的に引き起こされた防御として、咳の刺激が引き起こされたとき、また喉の痛みが起こったり、或いは引き起こされたときには、その際、常に、多少下部で詰まった状態、つまり便秘状態を呈する消化プロセスを、秩序正しくなるように配慮する必要がある。

 この消化プロセスが、1つの防御プロセス、一種の下痢に移行させられなければならない。常に、咳の徴候や喉の痛み他に続いて、一種の下痢が起こることが必要なのである。咳が、上部に現れていることを、咳自体として観察してはならず、たとえ物質的媒介物がなく、対応関係だけでも、上部に現れている異変の治療を、下部での経過(プロセス)を通じて探究しなければならないことが多々あるということを、結核は示唆している。この事は何にもまして考慮すべきことである。





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Last updated  2008年10月07日 21時20分03秒
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