シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年10月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 唯物論的時代において、次第に、いわゆる最も単純なものから最も複雑なものへと、外見(唯物論)的存在の進化論を考えるようになった。最初に下等生物に観察範囲を広げた後で、最も複雑な生物まで形態の変化を研究し、更に無生物、例えば鉱物界にも注目した。

 鉱物界に注目して、鉱物界は植物界よりも、いかにも単純である、と考えた。結局、この事から、鉱物界からの生命の発生とか、無機的な集合体から有機的な集合体へと物質が集合する為に、かって存在した条件といった事に関する、あらゆる奇妙な問題を生み出すことになった。いわゆる「自然発生」(1)は多くの議論をよんだ。

(1)Generatio aequivoca:もとのラテン語の意味は「多義的な生殖、発生」で、一般には、神の創造行為によらない地球上の生命の発生に関する仮説。

 偏見をもたずに観察すれば、このような見解は全くの間違いであることが明らかになる。そこから、次のように言わなければならない。

「そもそも、何らかの方法で、植物から動物を経て人間に至る1つの進化が考えられるのと全く同様に、今度は生物から生命が取り去られることによって、生物すなわち植物から鉱物に至る1つの進化(退化)も考えられる」 、と。

 (先に述べたように、今回はこの事を暗示するだけで、後日の考察で更に明らかにする。)

 進化というものを、鉱物から始まって植物的存在を経て、更に動物的存在を通って人間に至る、という風に考えるのではなく、出発点を中間に取って、植物的存在から始まって動物的存在を経て人間に至る1つの進化を考え、今度は逆に、鉱物的存在へと下っていく、もう1つ別の進化を考えると、つまり出発点を鉱物に置かず、自然の真ん中(進化と退化の中心)に置いてみると、一方は上昇する進化を通じ、もう一方は下降する進化(退化)を通じて、出現することがわかる。

 この事から次のようなことが洞察できる。つまり、植物から鉱物へ、特に、これから見ていくように、究めて意味深い鉱物、すなわち金属へと下降していくことにより、この下降する進化(退化)においては、その鏡像である上昇する進化に対して、全く特別の関係にある諸力が現れる、ということである。

 (シュタイナーの進化論は、進化の中間体を中央に置き、そこから、上昇する進化と、下降する進化を表現する。ダーウインの進化論は、この点で一方通行であり、一面的で間違いだと説く。



 人間についても、地球の前段階、当時は、月と呼んでいたが、そのとき人間は、サルと人間の中間体だったという。その中間体から、上昇したのが、人間で、下降したのがサルだという。ダーウインは、一方しかみていないといえる。)

 要するに、鉱物には、いかなる特別の力が存在しているのか、という問いが、我々の魂の前に提示される。この特別な力を研究可能にするのは、下等生物において研究してきた形成力を、鉱物においても研究するときだけである。

 鉱物の場合、この力は結晶化のなかに現れてくる。この結晶化が、非常に明確に示すものは、下降する進化(退化)の観察に出現し、上昇する進化の観察に、形成力として出現する存在と関係するが、同じではない力である。

 従って、鉱物のなかに、力としてある存在を生体組織に供給すると、新たな問いが生じる。これとよく似た問いには、次のように答えることができた。

 つまり、 「霊-魂により、生体組織から取り去った形成力を、植物界、動物界から取り出して人間の生体組織に供給すると、生体組織を助けることができる」 、と。

 しかし今度は、下降する進化(退化)、すなわち鉱物界のなかに存在する別の種類の力を人間の生体組織に供給すると、どんなことが起こるか。今回は、この問いを出しておいて、考察を進めつつ詳細に答えようと思う。

 しかし、それでもやはり、これまでの考察の初めに出された問い、「自然から治療プロセスを密かに、自ら学びとることができるか」、という問いに、正しい意味で、有用に活用するところまで、到達していない。

 このような問いにおいて、常に重要なのは、正しい洞察力をもって(このような事柄に関して、少なくとも概略的には、以上のような洞察力が得られるように試みてきたわけだが)、自然に近づくことである。そうして、はじめて、ある出来事の本質が顕現する。この事が重要である。

 さて、人間の生体組織には、二つのプロセスが存在し(この事は、動物にも存在しているが、差し当たり重要ではない)、今までに得た理念を備えて観察すると、ある意味で対立するプロセスとして現れてくる。

 この両者は完全に対立しているわけではないが(この説明を誤解しないように注意を強調しておく)、かなりな程度まで対極的なプロセスである。



人体の外へと進む;乳汁形成プロセス
 人体の内部へと進む;血液形成プロセス


 けれども人間そのものを観察すると、血液形成と乳汁形成との間の本質的な差異というのはやはり、血液形成は、形成力を自ら造り出す能力を、自身のなかに非常に多量にもつという点である。血液は実際、俗っぽい言い方をするなら、人間の生体組織の予算全体のなかに、(利潤)形成力を繰り込まねばならない部分なのである。

 つまり血液は、下等生物において認められる形成力を、ある意味でいまだもっている。この形成力を自らの内部にもっている。近代科学(20世紀初頭)が、血液を観察するなら、ここに非常に依拠できる重要な存在があるが、結局、真に合理的な意味において今日まで、見つけられていない。

 近代科学は、血液の主要成分は赤血球であり、赤血球は増殖能力を持たず、つまり増殖力が無いという特性を持つ、ということを拠り所にできる。増殖力が無いという点は神経細胞と共通している。

 けれども、このような共通の特性を強調する際に重要な事は、共通である理由が、両者とも同じなのかどうか、ということだが、その理由は同じではない。なぜなら、神経細胞から取り去った程には、人間は、血液から形成能力を取り去ってはいないからである。



 つまり、ここでは内的な形成能力は、外的な影響にもっぱら適応する能力に対して後退している。血液の場合、事情は異なる。血液は内的な形成能力を高度に保持している。この内的な形成能力は、生活上の事実からわかるように、ある意味では乳汁にも存在している。

 なぜなら、乳汁に形成能力がなかったら、健康に良い食品として母乳を乳児に与えることなどできないからである。乳児は母乳を必要としている。乳汁のなかには血液と似た形成能力がある。だから、形成能力という点においては、血液と乳汁の間には、ある種の類似がある。

 けれども少なからぬ違いもある。乳汁は形成能力をもつ。けれども、血液がその存続のために最高に必要としているものを、乳汁は持たず、少なくとも少量、ほんの僅かしか持っていない。その形成力の相違とは鉄にある。

 鉄は基本的に人間の生体組織内で唯一の金属であり、人間、つまり人間の生体組織との結びつきにおいて、自ら整然とした結晶化能力を示している。従って乳汁が他の金属を微量にもつとしても、いずれにせよ、血液は自らの存続の為に紛れも無い金属である鉄を必要としている、という点に違いがある。乳汁も形成能力をもっているが、鉄を必要としない。ここで、なぜ血液は鉄を必要とするのか、という問いが生じる。

 これは結局、医学という学問全体の根本問題なのである。血液は特に鉄を必要とする。今回触れた事実に関する判断材料は、既に、ここにある。まず確認しておきたいのは、血液は人間の生体組織において、それ自身の本性により、ひたすら病み、鉄によって絶えず癒されなければならない実質である、ということである。

 乳汁の場合、この事は当てはまらない。乳汁が血液と同じ意味で病んでいるなら、それは人間自身の、健康や成長の為の母乳類の形成手段、つまり、人間にとって、外から与えられた形成手段となることが不可能だからである。

 血液を観察すると、人間を構成するために、その組織構造の故に、常に幾分病んでいる状態が観察される。血液はひたすら、自身の本性により病み(不安定で)、鉄の付与によって絶えず治療(安定化)され続けなければならない。すなわち、血液のなかで生じているプロセスにおいて、人間の内部に絶え間ない治療プロセスをもつのである。

 医師が自然を通じて試行するなら、自然のなかの既に異常なプロセスを観察するのではなく、正常なプロセスを観察しなければならない。血液プロセスは確かに正常なプロセスではあるが、同時に、自然自体が絶えず治療し続けなければならないプロセス、自然が、付与した金属、つまり鉄により絶えず治療し続けなければならないようなプロセスなのである。

 そのような訳で、血液において生じていることを図で示すなら、次のように言わなければならない。血液が鉄無しで自身の構造だけでもつものは、下に向かう曲線、ないし直線で、これはとどのつまり、血液の完全な分解に至る(図、赤い線)。一方、血液中で鉄が働きかける力は、常に上に向かい、絶えず癒す(黄色の線)。

med1-5.jpg

 実際、ここからわかることは、正常なプロセスであると同時に、元来の治療プロセスとして考えるなら、治癒モデルとして形成すべきプロセスである。ここにおいて、真に自然を通じての試行が行えることがわかる。

 自然が、人間の外にある金属の力を人間に付与することで、いかにプロセスを完了しているか、血液と鉄の関係において、理解できるからである。

 そして同時に、あくまで生体組織のなかに止まろうとする、すなわち血液が癒される必要があり、生体組織から外へと向かう、すなわち乳汁が癒される必要がないこと、乳汁は、形成力をもつとき、形成力を他の生体組織へと健全に導けることも理解できる。

 これは一種の両極性である。一種であって、血液と乳汁との完全な両極性とはいわないが、この両極性に目を向ける必要がある。この事を手懸かりに、非常に多くのことが研究できる。これを次回更に継続していく。

 以上のことを全て前もって、述べなければならなかったのは、質問を見て、返答の為の概念、基礎があれば、全く違った手法で質問に答えられることがわかるからである。

乳汁の形成力→植物から動物を得て人間へと上昇する曲線
 血液の形成力→植物から鉱物へと下降する曲線、そのため鉄という鉱物により形成が完了する。 


 (神秘的には、乳汁の形成力を上昇する蛇で表し、血液の形成力を下降する蛇で表す。両者を融合したのが、カドケウス、モーセ、メリクリウスの杖であり、いまでも、医術の紋章となっている。)

 以下を参考に(進化を意味し、宇宙霊神ロゴスの言語と解される)
ケーリュケイオン





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Last updated  2008年10月22日 20時17分24秒
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