シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年11月22日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 今回はアトランティス人の第5亜人類の原セム人について書き始める。第4亜人類の原トゥラニア人は、莫大な生命の形態(イメージ)の記憶力を、利己的に用いた為に、巨大な破壊力となったことを、前回に書いた。

 この破壊力を抑制するために、人類は思考力を、第5亜人類の原セム人において生み出し、発展させることになったという。原セム人のなかで、論理的な思考が始まり、過去への単なる思い出を脱して、様々な体験内容を比較するようになり、判断力が培われたという。

 そして、この判断力に従って、願望や欲望が統御され、計算や関連付けもはじまったという。第4亜人類の人々が自分たちの欲望を満足させることに精一杯だったとすれば、第5亜人類の原セムの人々は一歩進んで、内なる声に耳を傾け、利己的な要求を解消させないまでも、その欲望を制限する働きをしたという。

 第5亜人類の原セム人は、行為の原動力を心の内部に移し、何を行い何をやめるべきかを自分で決めようとした。しかし、内部で獲得された思考の力は、次第に、逆に、外なる自然力を支配する力を弱めていったという。関連付けを行う思考力では、鉱物界の力は支配できても、生命力を支配できないからである。

 原セム人は、生命力に対する支配権を棄ててまでも、思考力を発達させたので、人類発展のための新たな芽が生まれ、この第5亜人類の原セム人のなかから、最も優秀な人々が選出され、アトランティス人の没落後も、生き延びて、いわゆる、「高貴な」という意味のアーリア人の萌芽を創り出したという。

 第5根幹人類となったアーリア人は、原セム人から生まれ、その思考力と思考に伴う一切の完全な仕上げを課題としているという。

 第6亜人類のアッカード人は、それまで以上に、思考力を育成したという。原セム人とは、包括的な意味で、思考能力を使用した点で、異なるという。発達した思考力は、個人の利己的な要求を統御はしたが、この利己的な要求は思考力によって消されはせずに、残った。

 第5亜人類の原セム人は、先ず思考力の命じる通りに、自分の個人的な生活を律し、単なる欲望や快楽の代わりに、賢明さを生じさせ、賢い人物が指導者として求められ、思考を一番納得させてくれる存在が最重要視されるようになり、思考力を通して、革新と変化への要求が現れ、優れた策略を思いついた者は、それを実行に移そうとしたという。こうして、人々の間に不安と動揺が生じはじめたという。

 そして、第6亜人類のアッカード人になると、それが一層発展し、行き過ぎたものとなり、遂には自分の勝手な着想を、一般的な規則にしようという要求を、抱くようになり、秩序を考え出さなければならなくなったという。こうして法律と規則がアッカード人の下に生み出されたという。



 このアッカード人は、欧米の白人種の源流のような感じがする。

 第7亜人類の蒙古人も同様に思考力を育成させたが、第4亜人類の原トゥラニア人のような特徴が強く残っていたという。

 この第7亜人類の蒙古人には、第4亜人類の原トゥラニア人の特徴を強く残していたという。原トゥラニア人は、抜群の記憶を用いて、自然のなかにある生命力を、利己的に支配しようしたために、破壊的になったことは、すでに述べた。

 これに対して、蒙古人は、一番古いものが一番良いものであり、それにはどんな思考力も及ばないという確信を抱き、生命力を支配することは、第4亜人類の原トゥラニア人とは異なり、できなくなっていたのだが、代わりに、発達させた想念に、生命力のもつ自然的威力にも似た力を具えたという。

 この蒙古人が、古代中国、古代日本の源流にあるように思える。

 蒙古人は、原トゥラニア人のように、自然の生命力を、直接支配はできなかったが、生命に対する素朴な信仰を失っていなかったので、生命力は、蒙古人の神になったという。

 そして、蒙古人は、この生命力を神として、この神の委託の下に、正しいと思うことを全て行ったという。このような態度は、近隣の諸民族からは、まるで秘密の力に取り憑かれているかのようにみえるほど、この力に盲目的に帰依したという。

 アミニズム的要素を有する日本人の自然信仰に反映しているといえる。

 アトランティス人の第5亜人類の原セム人になって、アトランティス人全般の抜群の記憶力と、ちょうどバランスする思考力が、身についたために、それが、自制力となって、いわば無我の境地となり、ポストアトランティス時代の我々の根幹人類である、アーリア人の素質を生むようになった。

 アーリア人は、古代インド人の源流だという。

 聖書では、ノア(マヌ)により、アーリア人のなかから、我々のポストアトランティス時代の文化をつくりあげるために、有能なものが選ばれたと、暗黙糧に、記載されているという。



 神秘学では、ノアは通称マヌと呼ばれており、このマヌはマナス(霊我)の担い手という意味で、黙示録が預言する、来るべき未来に、悪を救うための善の概念を創出するために、マニ教を打ち立てたという。

 その秘儀の教えは、古ペルシャ時代に、ゾロアスターに受け継がれ、ゾロアスター教と形をかえ、更には、エジプト時代になり、ヘルメス、モーセに伝承され、それぞれ、ミトラ教、ユダヤ教の原型となったという。

 ついでに断っておくと、マニも、ゾロアスターも現代人のように1個人のいわゆる1人の人間と考えてはダメだという。太古では、同じ記憶を受け継ぐものは、同じ名前で呼ばれるので、いわば、現代人でも、○○シニアとか○○ジュニア、○○何世という呼び方があるように、いまでいう複数の人間を意味するという。だから、古代人は長生きであるという。

 さて、アトランティス人の第6、第7亜人類だが、これらは、アトランティスの大洪水のあとも、生き残ったが、もはや進化の可能性はなく、いわば爛熟した人種になったという。

 この爛熟した人種の子孫が、中国人だという。中国民族が高度な文化を発展させたのは、それがアトランティスの文化をそのまま受け継いだからだという。



 しかし、中国民族は、私という自我の目覚めに疎いという。それは中国文化が、自らを超え出ることができず、みずからの内にとどまり、作り出したものを変えず、限度を超えない特質をもつことに現れているという。それこそ、アトランティスの文化そのものの特徴だという。

 つまり、古代中国文化はアトランティス文化を非常によく受け継いだが為に、それ以上、発展することができなくなったという。あまりに完成しすぎるとあとは衰退あるのみだという。

 どうやら、前に進むためには、屈伸しないといけないように、「急がばまわれ」というのは本当のようである。

 日本人が、停滞や衰退を極度に恐れ、中国人の古いものへの信仰に対して、あくまで新しいものへの好奇心は、蒙古人の悪しき面を反面教師にしているのかもしれない。

 しかし、論理力や、その高度な理性に欠けている日本人、並びに中国人が、懐古主義に浸るようになると、日本人には、民族として、もはや前進、つまり進化が望めなくなるのではないかという危機感が、昨今、非常に頻繁に思わされる。

 空気が読めないとは、気が読めないことで、記憶力の著しい欠如を表し、かといって、論理的に、思考を熟考して、蓄積し、先を読めるように、法則を体系化するのでもなく、ただ、アトランティス時代の栄光をそのまま踏襲しているようでは、日本人は恐らく絶えてしまうのではないだろうか?

 明治の日本人が四書五経をいつでも諳んじられたことを思えば、現代の日本人は、やはり正真正銘の馬鹿になったとしかいいようがないだろう。歴史認識すら、自分に都合のいいように、アバウトに記憶しているのだから、御終いである。要するに、自分に甘く、堕落しているにすぎない。





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Last updated  2008年11月22日 12時25分07秒
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