シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年01月06日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、更に進むには、次のようなことを思い出せばよい。

 抽象的な神秘主義や唯物的科学に遭遇した場合、臨機応変に、柔軟に対処するというか、具体的に意味をもつというような理由から、議論し、今日の功績と結びつけることである。

 このような事に注意を払えば、人智学が与える知識と、外(唯物)的科学に橋を架けることができるようになるだろう。当然、これから議論することを、更に人智学的方向に特徴づけることもできるが、現に存在している今日の科学に通用する考え方に、あえて関連づけていく。

 今日、生理学者は、眼前にある対象について語るが、この眼前にある存在は、人智学者にとっては、特に眼前にある必要はない。この事と同じ意味で、人智学者は解剖を行なう必要がない。しかし、今日にも通用する考え方に関連づけていく。

 実際、他人を解剖するなどという暴挙を受け入れる必要はないが、既に、解剖学が存在し、その成果を提供している、という事実は、やはり顧慮する必要がある。自然科学が、人智学によって、豊かにされた場合のみ、このような暴挙を止めることができるだろう。

 では1つ試してみる。眼のなかに生じているプロセス(視覚)と、臭覚、特に味覚に生じているプロセスとの間に、眼のなかでの視覚神経の拡がりと、他器官への味覚神経の拡がりという点で、密接な親和性、密接な関係が成立しているということが人智学から明白になる。

 ここには、非常に密接な親和性が成立し、視覚というプロセス(経過)の内的存在の特徴を示すなら、味覚のプロセス(経過)との類似から、実際多くの類似性を探すことができる。勿論、器官に味覚神経が拡がる場合、眼での精緻な形成力とは結びついていないので、器官に拡がる視神経とは、本質的には全く別物である。

 しかし、物質的な眼の精緻な構造の背後で、いわば視覚プロセス(経過)として始まるプロセスは、非常に内的に、味覚プロセス(経過)と親和性がある。

 つまり、ここで言いたい事は、視覚において、変容した味覚というべきプロセスが実現されている(味覚を変容させている)ということである。この変容は、味覚で生じる器官プロセス(経過)の前に、眼の精緻な構造により、視覚プロセスとして生み出される全てを、置いた事で、なされる。



 このプロセスは、人間と同様な器官を持ち、更に、目のなかに房室や剣状突起、つまり血液器官を持つような動物において、より強力に起こる。この血液器官を通じて、自我(エゴ)が眼球のなかに、より多く送りこまれる。

 一方、人間の場合、この自我(エゴ)は後退し、眼球を内的に自由にしている。しかし、人間の場合、血液が全身を巡ることで、組織全体が、眼を通じて、感覚現象全体に作用を及ぼす。

 そして、この視覚というプロセス(経過)の内部で、味覚のプロセス(経過)が変容させられ、視覚(見ること)を、いわば、変容味覚(味わうこと)と呼べる。だから、変容味覚(味わうこと)として、いわば、味覚(味わうこと)と嗅覚(匂いを嗅ぐこと)の上部に、視覚(見ること)プロセスを位置づけることになる。

 つまり、味覚プロセス(経過)と同様に、視覚プロセス(経過)にも、内部(味覚)と共に作用する、何か外の存在(視覚)が対応している。つまり、これらのプロセス(経過)は、いわば上方に向かい、変容しなければならない。だから視覚プロセス(経過)は、味覚プロセス(経過)が変容した存在である。

 だから、更に今度は、身体の下方へ向かっても、同様に、味覚の変容が生じる必要がある。視覚プロセス(経過)において、より外界の方へと上昇していく一方(眼は骨の窪みに、嵌め込まれているだけで、そこから外へ向かい、眼は外の器官なので、視覚プロセス(経過)は、より外に向かって組織されている)、今度は反対の方向へと、生体組織の下方に向かって、味覚プロセス(経過)の変容を考える必要がある。

 このように、いわば、視覚のもう一方の極、つまり、生体組織における視覚プロセス(経過)に対応する内部プロセスという存在に到達する。この内部プロセスは、以下の考察で夥しい光を投げかけるだろう。

 では、味覚プロセス(経過)の変容を、下方に向かって追求するときに得られるプロセスは、一体、何なのか?

 つまり、その場合、消化という存在が前提になる。そして、内的消化という存在を正しく理解できるようになるには、一方(上方)において、視覚を、変容させられた味覚(味わうこと)の(上方への)継続と考え、他方(下方)で、消化を、変容させられた味覚の(下方への)継続と考えるときだけである。

視覚プロセス;上方の変容味覚プロセス
消化プロセス;下方の変容味覚プロセス

 しかも、この概念では、消化を、外に向かった視覚に対しての、完全なる対極として理解できる。外に向かった視覚は、外界における消化に対応する存在、器官的に内へと向かって、消化を成立させるプロセスの認識に導く。



 つまり、 「良い消化とは、いわば消化管全体で味わう能力に基づき、悪い消化とは、いわば消化器官全体で味わう能力の欠如に基づくものと考えられる」 。





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Last updated  2009年01月06日 21時15分19秒
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