シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年08月27日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 では、自我は物質(肉)体で何をするのか? 

 自我は絶えず肉体を破壊し、死と同じことを行う。ただし、その過程は、物質(肉)体が食物として外界の実質をとることで、絶えず均衡されている。だから、自我と栄養摂取の過程(プロセス)は、対極的である。自我は、人間にとって、死が示すプロセスと全く同じプロセスを(ただし、絶え間ない活動の過程「プロセス」において)示す。

 死においては、それらの過程(プロセス)が集約し、一挙に全てが生じる。自我を通して人間は絶えず死にかかっている。言い換えると、人間は物質体を内的に壊している。それに対して、死ぬと、外界の自然が、物質体を外的に破壊する。つまり、物質体は内と外との2つの異なる方向から破壊できる。

 そして自我は内的に働く破壊諸力の合計にすぎない。自我は、初めは、人間に絶え間ない死をもたらす仕事しかしていないかのように実際みえる。その絶え間ない死の過程(プロセス)は、新鮮な補強があればこそ防止できる過程(プロセス)なのである。

 そのため、自我の活動は、死の最初期段階に止まる。だから、質的な意味において、自我は死と同定することが可能である。また物質有機(肉)体は栄養の過程(プロセス)と同定できる。この事実については、後で更に詳しく述べる。

自我=死をもたらすプロセス 物質体=栄養をもたらすプロセス

 人間における、この2つの対極なの中間に、エーテル体とアストラル体がある。アストラル体とエーテル体は、自我と物質体の中間にある。アストラル体は、既に述べたように、人間の気体部分に直接働くだけである。そこから、エーテル体を経由して人体の液体部分と物質体、すなわち栄養の有機体に働きかける。

 器官毎に、エーテル体とアストラル体は一緒に働いている。エーテル体が器官に働きかけるとき、この器官は発生し、芽生える生命力に浸透される。どの器官の生命力も、エーテル体からくる。アストラル体は、瞬時に、この発生し、芽生える生命力を麻痺させる傾向をもっている。

 生命力を殺すのではなく、弱めて、よろけさせる(弱毒化する)。自我は常に肉体と個々の器官を弱めようと(弱毒化しようと)努力している。この自我に対抗して、外界から摂取された食物からの補強がなければならない。外界から生命が絶えず諸器官に注ぎ込まれる。この栄養摂取の過程(プロセス)は子供のときと青年期に特に活発である。



 その生命力、毒性を、減じて、統合制御するのが自我の役割であるが、いま述べている話は、自我側ではなく、個々の器官側の生命力側に立った言い方になっている。生命力側からみれば、その反対の自我は、生命力を奪う側となる。生命力が旺盛なのが、腫瘍や癌なのである。)

 エーテルの衝動は、たえずエーテルの活動を弱めるアストラル体の活動によって対抗されている。人体に、エーテルの活動だけ、つまり発生し、芽生える生命力だけがあるなら、人間の魂が生きることができないだろう。意識を展開できずに、植物のような存在で繁殖せざるを得ないだろう。

 ただ生長し、発生し、芽生える過程(プロセス)において、意識が展開できない存在となる。だからエーテル体の生命力が弱められたり、挫かれたりしない限り、どの器官においても、正常な人間でさえも、病気の要因となる。この病気への絶え間ない傾向がなければ意識の発達もない。

 意識をなくして、ただ健康でのみ生きたいなら(それも可能だが)、植物的な生を送らなければならない。もし魂で生きるような人生を繰り広げたいなら、意識をもちたいなら、植物的な過程(プロセス)の存在も必要だが、それが弱めら(弱毒化さ)れなければならない。

 (自我-アストラル体と物質体-エーテル体の間に、形態造形「自己組織化」力と生命力の均衡がある。)

 物質体と自我の間ほど、エーテル体とアストラル体との間の対極的対比は顕著ではないが、それでもやはり、両者の関係が修正された形態で存在している。アストラル体はエーテル体によって生み出されたものを絶えず弱めなければならない。だから、実際、アストラル体が人生において、日々行うことは、積もり積もって、病気への傾向となる。

 エーテル体は勝手気儘な健全さを引き起こす。抽象的な言葉でいえば、人間は物質体とエーテル体とアストラル体と自我から成ると言えるように、次のように言える。

「人間は栄養の過程(プロセス)と、芽生える生命力を賦与する過程(プロセス)と、絶え間ない病気への誘引過程(プロセス)と、絶え間ない瀕死の過程(プロセス)から成る」 と。

 最後の過程は、死をもたらす諸過程がいわば統合体となり死が生じるまでずっと抑止されている。

 器官や人体を、(意識をもたせるために)病気にする絶え間ない傾向をもつアストラル体を考察すれば、純粋な観察から、上記の事実が理解できるだろう。というのも、このアストラル体が存在しなければ、いかなる感情も、人間に生じることがないからである。人生が感情に満ちていることを思い描けばよい。



 つまり、動物には、自分という意識はなく、人間には、自分という意識がある。動物は、自分の行動を自分で変えていく理性はなく、人間だけが、自分の行動を自分で変える力がある。この自分をいわば外から客観視してみれる意識が、神々から受け継いだ精神といえる。「我思う故に我在り」とは、我は我を思えるので、我は自立した存在である。)





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Last updated  2009年08月27日 16時57分37秒
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