シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年09月02日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 今日の医学が基盤をもつ自然科学の手法とは何か?

 例えば、何か組織を(何かはあまり重要ではない)、人体から採り、それが心臓か肝臓に由来する組織の場合もある。この組織の外的な構造と成立を調べるが、それは、人体内にある、実際の器官の挙動についてはほとんど何もわからないだろう。

 例えば、ここに1本のナイフがあるとする。他にも1本あり、その2本を調べるとする。これはナイフで、あれもナイフである。ただし前者は、調べてみると、片側の刃は鈍く、もう片側は鋭利で、刀身は柄に入っている。もう1本も同じにみえる。だから、結局、両方ともに、形状からナイフであるということになる。

 しかし、例えば、同じナイフでも、テーブルナイフと、カミソリナイフの相違を見つけるには、この外見的調査を超えていく必要がある。2本のナイフを、一個の総体(機能)に関連づける必要がある。外見的に考えると、カミソリナイフはテーブルナイフとよく似ている。だから形からテーブルナイフかカミソリナイフかを知ることはほとんどわからない。

 個々は、全体的(包括的)な関係の意味から観察しなければならない。今日行われる器官観察から、実際、人体内での器官の意義について何も知ることはできない。事物が関係する包括的な意味において常に観察しなければならない。ある器官の構造と化学的な成立を調べるだけでは真実には到達できない。人間は、化学的親和性と諸力を調べるだけではなく、化学とは全く異なる手法で研究しなければならない。

 この点で現代は、恐ろしく幼稚である。ある生理学研究所では、ミルクでネズミの育成を調べる実験が行われている。素晴らしい結果が得られ、ネズミはまるまると大きくなったという。同時に、ミルクには、その構成成分以上の何かが存在するということを証明するために、構成成分を分離してネズミに与えた。

 今度は、ネズミは3日か4日で死んでしまった。そこでその研究者は次のように述べた。

「ミルクは既知の構成成分を含むだけでなく、別の物質-ビタミンを含んでいる。」 

 また別の、非常に微妙な物質、すなわち、ビタミンの存在を確証した。大切な点は、そのような「物質」の発見ではなく、ミルクから分離された構成成分を取り出すことは、いわば時計から針、ガラス、内部の個々の部品などを取り出すのに似ていることである。



 人体内器官のある時点までは、エーテルから来る周辺の諸力が、地球的構成成分同様に、まだ存在している。最終的には、これらエーテルの存在を本気で受け入れる必要がある。隠されていた物質的成分が、「発見される」のが重要ではない。ビタミンの発見は、エーテルの存在を確証するにすぎない。今までとは、全く異なる観察手法が一般的になる必要がある。

 例えば、ジャガイモを食べ過ぎたとする。通常の検査方法ではジャガイモの食べ過ぎを見つけることはできないだろう。炭水化物の量の計算によって、人体内におけるジャガイモの影響を確かめようとしても無駄だろう。

 例えば、植物の根でなく、葉や実に存在する炭水化物は、消化管で作用を受ける。ジャガイモには非常に驚異的な事実がある。ジャガイモは人体に、その諸力をもったまま強力に移行するので、豆なら、消化管内部で起きることが、ジャガイモの場合、脳で起こる。脳でも栄養摂取過程(プロセス)が絶え間なく生じている。

 後に、更に詳しく述べるために、これらの事実を指摘している。よく、ジャガイモを食べ過ぎる人は、ある状況下で、(栄養摂取過程を浪費するため)脳を働かせ過ぎることになるだろう。脳より下部で起こるべき過程を、脳に移してしまう。

 化学組成でなく、霊的な実質が有する世界との関連から、人間とその周囲にある諸実質の関係を学ぶことで、公衆衛生と社会生活一般のために、医学から知見を得ることがはじめて可能となる。霊的な実質が葉に現れるか根に現れるかで、根本的な相違が生じる。炭水化物を含むかどうかよりも、植物のどの部分から霊的な実質が来るのかを知る方が遥かに重要である。

 根は人間の頭部の組織と親密に関連している。花と葉は、下部人間と親密に関連している。この事実に対して、化学組成は何ら際立った役目を果たしていない。治癒と病気を生み出す要因や、病気や、その治療を、本当に理解したいなら、人間と周囲の世界との関係を、化学組成とは全く別の手法から学ぶ必要がある。

 抽象的化学が与える指摘に払われる関心は、実際、徐々に、古代からの叡智を全て埋めつくしてしまった。なぜなら、霊的な実質の化学組成のみを知ることは、周囲の世界に対する人間の真の関係について何も教ないからである。

 別の例を挙げる。化学から得られた観点では、空気中の酸素は必要だが、窒素は、酸素と同程度に必要ではない、ということになっている。酸素と窒素に関する、この一般事項から、十分な酸素がある限り、空気中に窒素が少なくても、呼吸にはあまり影響しないものと想像されそうである。

 しかし実は、空気が窒素をほとんど含まないと、人間は、自分を取り巻く空気に、窒素を与えるために窒素を放出するのである。人間は、呼吸過程と別個に、自身の窒素含有と周囲の空気の窒素含有との間にある一定の関係が必須であるような、機能構造になっている。

 これら全ての事実は、人間の性質の理解のために極めて重要である。しかし、それらを物質的に検査しても、人間が周囲の世界にどのように組み込まれているのかを理解する基盤がなければ、近代的科学界は不毛に止まるだけだろう。病気の人間に関しても、健康な人間に関しても洞察を得るために、このような理解基盤を見つける努力をすべきである。

自我=死 アストラル体=病気 エーテル体=健康 物質体=栄養



 実は、このようなイメージは、超弦理論でもモデルとして展開されている。超弦が意識を形成しているような哲学理論として発展している。更に映写機の原理を更に単純化すると、鏡の原理となる。自我とアストラル体、つまり霊魂が、本体の存在で、エーテル体と物質体が、鏡、つまり影の仮想の存在という単純化である。

 鏡に自らを映さないと、自分の存在がみえないので、霊魂は、自分を把握するために、肉体に転生し、肉体を造詣することで、自分を人生から把握するというわけである。古代の神殿では、鏡の原理の理解のために、その道具を像として置いたという。神殿が宇宙に対する縮尺図や幾何学的造形を為すのは、そのためであるという。

 シュタイナーがここで講義しているような健康と病気の関係に当てはめると、自我が、常に人生の瞬間瞬間に、死をもたらすことで、静止画が得られ、記憶を形成し、時間という意識が生まれ、アストラル体が、自然の営みに、いわば異常な進行の病気として干渉することで、いわば切断面を与え、感情が生まれることになる。)





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Last updated  2009年09月02日 17時24分26秒
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