シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年11月06日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 例えばアウグスティヌス(354-430)から中世を経てカルヴァン(1509-1564)に至るヨーロッパの精神的な生活の発展を追求し、この時代の精神生活に視線を漂わせてみれば、アウグスティヌスのなかに一種の神秘的な内面性(3という数字)が見つけられ、彼の著作、とりわけ「告白」のなかに、神秘的な関係を見つけ出せる。

 更に時代を辿っていくと、スコトゥス・エリウゲナ(810-877)のような素晴らしい人物に遭遇する。彼は後にシャルル(カール)二世(別名;禿頭王)(823-877)の官廷に仕え、スコットランド出身の修道僧なので、スコットランドの聖ヨハネと呼ばれた。彼は不幸なことに教会とはうまくゆかず、伝説によれば、修道僧仲間たちに、留め針で拷問され、殺されたと言われている。

 勿論、この伝説を、文字通りには受け取れないが、彼が拷問により殺されたことは事実である。彼によって、『自然区分論』("De divisione naturae")という、素晴らしい書物が著された。その書は、人智学的観点からは、多くの面で、秘教学的事実の欠落が散見されるとはいえ、大いなる思想の深さを顕していることにかわりはない。

 (ちなみにウイキペデイアから以下に抜粋する。
『自然区分論』["De divisione naturae"]の中で彼は自然を以下の四つに区分している。
1.創造されず、創造する自然 [神]
2.創造され、創造する自然[善、真理、永遠、イデア、存在]
3.創造され、創造しない自然 [世界、人間世界]
4.創造されず、創造しない自然 [神と一つになる被造物の完成状態。]


 更に辿ると、ライン河領域において、ドイツ神秘主義派と遭遇する。そのドイツの坊さん横町では、坊さんを通して、特別神秘的で、親密な感情(友愛の精神)が、民衆全体に流れ込んでいた。秘教学に通じた坊さんたちは、精神的生活の頂点であったばかりでなく、民衆でもあり、畑や鍛治場で共に働くことで、一般の人々に、当時の時代の傾向として生きていた、神秘的で、親密な感情を流し込んでいたために、こうした神秘的な時代の潮流に拾い上げられた。

 更に辿ると、ニコラウス・クザーヌス(1400-1464)に遭遇する。秘教学を根底として、このように中世の末期まで、神秘的な時代を辿ることができ、そして、その環境の至るところで、全体に広がっている神秘的に深く、敬虔で、親密な感情を見つけることができる。

 この時代を、この時代に替わる、後の時代、つまり16世紀に始まり、現代にまで至る時代と比較するなら、決定的な違いに気づくだろう。

 その時代転換の出発点において、コペルニクス(1473-1543)に遭遇する。彼は、ある包括的な理念により精神生活の革新を引き起こし、彼の思考は、人類の知職と一体化するほどに注ぎ込まれ、人間の思考に緊密に組み込まれたので、今日、この思考と別の事実(天動説)を信じる人は馬鹿者とみなされる。

 それから、ガリレオに遭遇する。彼はピサで、教会のランプが揺れるのを観察し、振り子の法則を発見した。このように一歩一歩、段々と、この時代の経路を辿っていくと、至る所に、中世との烈しい対立が見つけられる。

 神秘的な感情は次第に衰えていき、親密な感情は次第に消滅していく。そして知性、知識が次第に現れ出てきて、人間は益々利口に、分別的になっていく。このように、全く正反対の性格を持つ二つの時代が前後して続く。

 (シュタイナー曰く、16世紀までは、いわゆる神の陽の啓示の時代で、つまり、進化のプロセスで、16世紀からは、いわゆる神の陰の啓示の時代、つまり、退化のプロセスというわけである。神秘学は、16世紀までは、いわば顕教だったが、16世紀を境として、秘教化し、植物でいうなら、種子となったわけである。21世紀に、その種子[火]は水[液体]と光[気体]と土地[固体]を得て、再び開花を始めるだろう。)

 人智学は、この2つの時代の相違を解明し、この相違の必然性を、秘教学の法則から説く。つまり、アウグスティヌスからカルヴァンまでの時代では、神秘主義の進化と主知主義の退化の時代だったが、その後の時代は、逆に主知主義の進化と神秘主義の退化の時代であるといえる。

アウグスティヌスからカルヴァンまでの時代(神秘主義の進化、主知主義の退化)
コペルニクスからガリレオを通じて現代まで(神秘主義の退化、主知主義の進化)

 では、これが何を意味しているのか?



 宇宙においては、このような退化(収縮、融合)の状態が前もって存在しなければ、生じえない。16世紀以来、理知は、進化の状態となり、逆に、神秘的な生活は退き、退化の状態となっていく。

 そして今、この神秘的生活が再び現れて来るべき時代に到達した。それはかつての神秘主義よりも、より教唆の富むものとして、人智学運動を通して、主知的な生活をも含んだものとして展開、進化でき、現れる時代に入った。

このように、生命や生活の至る場面で、進化と退化の顕現(啓示)が交互に現れる。

 しかし、その顕現(啓示)の背後をみずに、顕現(啓示)そのものだけに止まる(囚われる)人間は、ただその外面のみを見ているにすぎない。全体を見るなら、この両者の顕現(啓示)の背後にある第三の存在を更に付け加える必要がある。

 では一体、この第三の存在の正体とは、何なのか?



 例えば、今、あなたが、外界の現象に向かって立ち、その現象について思考する。外界は、あちらの外の世界にあり、あなたの自我は、こちらの魂の内にある。そして、魂の内面から、思考が生じる。この思考は、以前、この世界には存在しなかった。思考する人間がいてはじめて、思考は、この世界に存在する。

 (デカルトが説いた、「我思う、故に我あり」を思い出す。)

 例えば、薔薇について思考を形成する時、この新たなる思考は、人間が、薔薇と関係を結ぶ瞬間に初めて生じる。思考する人間が存在し、思考対象の薔薇が存在すれば、今、人間の中に薔薇に関しての思考、つまり薔薇のイメージが現出する。以前、この世界に存在していなかったものが、人間により、薔薇の思考、イメージとして、全く新しい存在として生じる。

 新たなる思考の存在(思考する人間の存在、思考対象の存在)

 (人間の外なる存在に対して、人間は、内に思考の存在を創造する。つまり、デカルトが説いた、我思う、故に我ありとは、人間が、思考を創造することで、人間の存在を明らかにするという意味にとれる。)





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Last updated  2009年11月06日 16時58分01秒
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