シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年03月08日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 いままで述べてきた、人間の潜在意識にある感情は次のように描写できる。この感情は人智学や秘儀参入学の活力から把握される。この感情は、次のように自覚される。

 「人間の本質を認識すれば、もし地球上に人間しかいなかったら、地球が必要なものを得ることができず、正しい時期に地球から霊化された物質的実質が取り除かれ、霊的実質が与えられるということに対して、人間は無力で絶望的にならざるを得ない。」

 (人間は、地球に負債を負わせることはできるが、その返済能力がない。)

 本質的に、人間と地球との間の、このような対立を感じ取らざるを得ない。この対立は究めて悲痛で、人間が地球上で人間であろうとするほど、地球は人間によって益々地球でなくなるほどの悲痛である。

 人間と地球はお互いを用いてはいるが、人間と地球は互いに支え合うことができない!

 人間が必要とするものが地球から失われ、地球が必要とするものが人間により失われる。もし、人間と地球を結ぶ周囲の環境が生じてこなければ、人間と地球との生のつながりに関して、人間は安心していられなくなる。

 従って、次のように自覚される。

「霊化された地球の(物質的)実質を霊の国へと持ち去ることは人間にはできないが、この課題を成就するのは鳥の世界である。」

 更に、 「人間は、地球に対して、霊的実質を与えることができないが、反芻動物や、その代表の牛はできる。」



 このような知見から、ヒンズー教のように深く霊的存在に帰依していく宗教的世界観が牛を崇拝することに、さほど驚きを感じなくなるだろう。なぜなら、牛は地球を絶え間なく霊化し、牛自身が宇宙から取り出してくる霊的実質を、絶えず地球に与え続けるからである。

 この牛のイメージの本質を現実化すると、草を食んでいる牛の群の下で、大地(地球)がいかに喜びを感じ、生きているか、草を食む牛たちがいることで、宇宙からの栄養の確保が約束され、いかに元素霊(精霊)たちが、その下で歓呼の声を挙げているか、という描像が浮かびあがる。

 また、上空には、飛翔する鷲の周囲を漂いながら、踊り歓呼の声を挙げる元素霊たちの空気(大気)の輪が、本質的描像として浮かび上がる。

 そのような描像から、霊的真実が再現され、そしてその霊的真実のなかに物質的実質を発見し、その大気(空気)のオーラのなかに、鷲として継続されている宇宙言語が、そして、そのオーラのなかに、元素的な空気(風)の精(精霊)たちと空気中の火の精(精霊)たちの歓声が含まれているのがわかる。

 また、宇宙の本質をもつために地上的存在に抵抗する、牛の独特のオーラを見ると、このオーラのなかに、地(土)の元素霊たちの上機嫌さを感じるだろう。元素霊たちは、大地という闇のなかで生き続けるために、失ってしまったものを、再び、ここで目にすることができる。

 実際、牛のなかに現われている宇宙言語は、この地(土)の精霊にとって太陽である。地中に住む元素霊たちは物質的な太陽に歓びを感じることはできないが、反芻動物のアストラル体に歓びを感じることができる。

 このように、今日の書物には載っていない別の自然史がある。

 では、今日の書物に載っている自然史の最終結論とは、一体どんなものなのか?

 それは、アルベルト・シュヴァイツァーの著書の続編(1)に他ならない。実際、この続編の前書きは、近代精神の産物の、非常に悲しむべき序章といえる。

 というのも、私(シュタイナー)が当時論評した彼の第1巻には、少なくともまだ、我々の文化に欠けているものをつけ加えるための力と洞察があったが、この続編の前書きには、それをも失くしてしまった内容なので、事実、本当に悲しむべき序章である。



アルベルト・シュヴァイツァー:Albert Schweizer 1875-1965
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC

 プロテスタント神学者、哲学者、医師、音楽家。1913年よりガボン(アフリカ西部の共和国)のランバレーネで派遣医師。シュヴァイツァー「ルドルフ・シュタイナーとの出会い」も参照のこと。これは『ルドルフ・シュタイナーの思い出』(エーリカ・ベトゥレ、クルト・フィール編 シュトゥットガルト、1979年)に所収。33頁以下。

 というのも、この文章のなかで、シュヴァイツァーは、「自分が、結局、知からは何も与えられない、人間は認識とは別に、何処からか、世界観と倫理学を獲得しなければならない」、ということを見抜いた最初の人物であると豪語しているからである。



 しかし、この自慢を度外視しても、シュヴァイツァーのような卓越した思想家(第1巻に関する限りは、やはり卓越した思想家である)が、次のような結論に至ったという真実は揺らがない。

「人間が、世界観や倫理を持とうとするなら、知や認識は全く問題にもならず、これらは人間に何1つ与えはしない。」

 今日の書物に載り、公に認知されている知見や認識の基になる様々な科学体系等は、世界のなかに意味を発見する(シュヴァイツァーの言うように)ことに通じていくことはない。

 というのも、結局、このような人物たちが世界を眺めるように眺めるなら、実際、次のようなこと以外に何も浮かんでこないからである。

 「鷲という動物の紋章を作ることができる、という点は別として、鷲の飛翔は(獲物を探しているだけで)意味がないとか、雌牛が牛乳を(人間に)与えてくれることは、確かに地上的(食糧)として有用であるとか。」



 それ以上進もうとしなければ、その人は、世界において意味が現われてくる水準(レベル)に到達できないことは言うまでもない。霊的存在や秘儀参入学が世界(宇宙)について語ることへと、人間は移行していく必要があり、そうすれば、この世界(宇宙)の意味を発見できるだろう。

 しかも、あらゆる存在のなかに驚くべき秘密を発見することにより、そのとき、この宇宙の意味が発見される。

 その秘密とは、鷲や牛の死と共に起こる秘密や、そして、この両者の間に、獅子(ライオン)が存在し、獅子(ライオン)は自らのなかで、呼吸リズムと血液循環リズムの調和を通じて、霊的実質と物質的実質の均衡を維持しているという秘密であり、

 また、獅子(ライオン)は、いま述べた上と下へのプロセスを正しく生じ(均衡)させるために、どれだけの鷲が必要で、どれだけの牛が必要であるかを、それら動物の集合魂を通して調整する、といった秘密である。

 このように、太古では、この3種の動物、鷲、獅子(ライオン)、雄牛もしくは雌牛は、驚異的な霊能的認識から生み出され、これらの動物と人間との親和性が感じ取られていた。

 このような秘密を見通すなら、人間は次のように自覚できる。

 「鷲は、人間の頭にはできない課題を、(人間に代行し)取り除いてくれる。牛は、人間の新陳代謝や四肢組織を通じて、果たせない課題を(代行して)取り除いてくれる。獅子(ライオン)は、人間の律動組織を通じて果たすことのできない課題を(代行して)取り除いてくれる。」

 「このように、人間と3種の動物から宇宙的絆全体が生成する。」

 人間は、3種の動物を代表とする宇宙的な絆のなかに組み込まれ、生きている。

 人間は宇宙における深い絆を感じ取り、人間を織り込み、周囲を取り巻いて波打ち、うねる、その存在を統括する力が、本質的にいかに聡明であるか、という認識を学ぶ。

 さて、以前述べた3種の動物に対する人間の関係を探究したことで、出現した事実を以上のようにまとめることができた。





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Last updated  2010年03月10日 17時01分17秒
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