シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年06月12日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 次に、動物にアプローチするとき、明白に理解すべき事実は、動物自身がまず消化を行っている、ということで、動物がまず植物を摂取する、ということである。

 まず、草食動物を考察する。動物は、自らのなかに植物を摂取している。

 動物の植物摂取もまた非常に複雑なプロセスである。なぜなら、動物が植物を自らのうちに摂取するだけでは、動物は、そもそも、植物に対して、(相反する)人間的形態を対置できないからである。従って、動物のなかでは植物は下から上へ、上から下へと転ずることができない。

 (動物のなかでは、植物は霊化できない。)

 また動物の脊柱は地球の表面に平行であるため、消化の際に生じる事実は、植物は、動物のなかでは全くの無秩序状態になる、ということである。

 動物の体内では、下位(根)が上位へ、上位(花)が下位へ転じようとするが、(脊柱が地面と平行しているので)停滞してしまうので、動物の消化は人間の消化とは本質的に異なったものになる。

 (「食べてすぐ寝ると牛になるぞ」と昔の人にいわれた記憶があるだろうが、この意味は、動物の消化と人間の消化、つまり消化時の、脊柱が地面と垂直か、平行か、にあるのだろう。)

 動物の消化の場合、植物としての生命(霊)は停滞し、その帰結として、動物には、植物に対して「宇宙の彼方へのお前の憧れを満足させるがよい」という約束が守れない。従って、植物は再び地上へと投げ返される。

 しかし、上位と下位の逆転が起こる人間の消化の場合のように、上から宇宙霊たちが、霊力と共に進入してくる代わりに、動物の場合、動物の生体組織のなかから、植物は地に投げ返されるので、即座に植物のなかへと、ある元素霊(精霊)たちが進入する。



 従って、霊的な観照を用いて、この奇妙な事実を追求すべきである。動物自らが、快楽のうちに食物を取ると、食物摂取の流れが一方に向かうが、他方で、恐れの元素霊たちの流れが、植物摂取の流れに向かっていく。

 動物の消化管を通じて、消化の方向に継続的に食物摂取の満足感が流れ、この流れに相対して、恐れの元素霊(精霊)の恐ろしい流れがやってくる。

 この元素霊も、動物たちが死ぬときに後に残るものである。例えば四つ足の哺乳動物たちにも、この事実はあてはまり、これらの動物が死ぬと、もっぱら恐れの元素霊から構成された存在が、同時に死ぬので、恐れの流れが「甦る」。

 動物と一緒に恐れが死ぬ、ということは、すなわち恐れが甦る、ということである。

 肉食獣の場合、草食動物と一緒に「恐れ」を食べている、ということになる(草食動物の「恐れ」もろとも)。肉食獣は獲物を引き裂き、満足感をもって肉を食べる。肉食への満足感に対抗して、不安や恐怖が流れ込む。

 植物を食べる動物たちは死に際して、はじめて、この恐怖を発するが、肉食動物は生きているうちに恐怖を流出させる。

 従って、ライオン、トラといった動物たちのアストラル体は、恐怖に浸透されているが、この恐怖は、さしあたり生きているうちには感じない。

 しかし、肉食獣は死んだ後、食欲の満足感に対抗して、恐怖が蓄積しているので、この恐怖と闘う。従って、肉食動物たちの魂は、集合魂として、死後、人間が経ていく世界よりも、遥かに恐ろしいカマローカ(欲界)を通過するが、それは肉食動物が、既に有する、この貪欲な性質故である。

 (人間の場合も、食欲が旺盛な場合、地獄のような恐ろしい欲界を通過するようである。)

 このような事実を、別の意識から体験できるように想像するだろう。例えば、唯物論的喩えから、人間を、動物の立場に置き、肉食動物がどのように体験するか、というように考察し、このようなカマローカが、人間には、どの様なのか、更に、カマローカの体験によって、人間を、肉食動物と同じように評価し始めるなら、そのような思考は唯物論で、動物崇拝となるので、人間は、動物の性質に身を置くことになる。

 世界(宇宙)を理解するなら、このような事実も理解すべきなのは確かだが、全宇宙に対して唯物論者が非生命な物質に感情移入するように感情移入してはならない。



 このような事実を理解する時点で、魂(霊)的に語る他はない問題が始まる。なぜなら、人智学は決して扇動的に、イデオロギーを支持したり、或いは、反発したりするのではなく、真実を提示するだけだからである。

 自分の生活のために、どんな結論を導き出すか、は個人の問題で、人智学は教義や規定を与えるのではなく、真実を語るだけだからである。

 (要するに、シュタイナーが言いたいことは、何を食べるなとか、何を食べろとか、そのような推奨はしない、ということである。何事も、自主的に、自らの意志と判断で行わない限りは、悪い影響を与えるだけである。依存心が膨らんでしまうだけである。そして、何々教と、教祖を祭り上げることになる。)

 従って、決して、狂信的な人のために、植物の消化や動物の消化から導かれる、いわば戒律等を提示することはない。つまり、上記のような観点から、戒律的な菜食主義や、肉食他について述べるつもりはない。

 何を食べるべきか、のような命題は、徹頭徹尾、各自が考慮し、検討すべき領域に置くべきで、各自の体験領域に置かれることで、本来価値をもつものだからである。






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Last updated  2010年06月18日 16時52分25秒
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