シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年06月11日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 植物はある特殊なプロセスを経ていく。例えば、(霊眼により)人間の植物摂取をイメージ的に描いてみる。根から葉を経て花に向かっていく流れがあり、次いで、植物が気体になる際、植物の根が上に向かい、花が下に向かう、というように、イメージが完全に逆転する、ということが体験できる。

 根が地中で生きることで、植物は地に繋がれるが、根は(人体内では)逆に上昇を目指す。人体内では、根は極めて強く上へと霊的な存在を目指し、花の努力を引き離す。

 実際、人間が植物(の根)を、下へと展開していくイメージとして思い描き、この下に展開していく根が、(人体内)へと摂取される結果、花という上の存在が下に、根という下の存在が上になり、いわば[ひっくり返されたハンカチ]となる。

 植物は(人体内では)完全に逆転している。植物は、(霊的には)自身のなかで、下のものが上に、上のものが下になるように自らを形成する。開花まで成長した植物は、いわば物質的な欲求のなかで、光を食し、物質を光にまで上昇させた存在である。

 光を食し、物質を光まで上昇させたことで、今度は、地上へと下にとどまらなければならない、という罰を受けなければならない。

 根は地上の奴隷だったが、ゲーテの植物の変容論〈1)からわかるように、根は同時に、(進化のうえで)自らのうちに植物の全ての本性を担い、上方を目指す。

(1) ゲーテの植物の変容論:ゲーテ『植物の変容(変態)』(J・W・ゲーテ『自然科学論文集』所収)参照。

 もし、人間が頑固な罪人であるなら、人間は罪人で在り続けようとする。

 植物の根は、地に繋がれている限り、太った銀行家の印象を与えるが、人間に食べられると即座に根は変化し、上を目指す。一方で、物質を光へと至らせた花は、下へと、とどまらなければならない。

 従って、植物の根は、人間に食べられると、根自身の本性に従い、人間の頭部を目指す。他方、花が食べられると、下腹部の領域にとどまり、新陳代謝全体においても、頭部の形成に関与するまでに上昇することはない。



 植物は、体内では、上から下へと植物的に進化し、上から下へ向かって、いわば花を咲かせるような気体へと変化する光景となる。

 古代の遺伝的な霊視により、このような事実が知られていた時代には、植物の外的性質に応じて、人間の頭に、どのような影響をもたらすか、もしくは、どのような植物の根が、霊への「憧れ」を持つことを強く告示するのか、が吟味されていた。

 人間に食べられた植物は、完全な消化において、人間の頭にいき、頭の中へと進入し、頭のなかで霊的(精神的)宇宙を求め上昇し、宇宙との必要な結びつきをもつ。

 (霊的な修行者、例えば仏教徒が、菜食なのは、この講義からわかるように、植物を消化し、頭部において霊的存在との結びつきを高めるためである。菜食者が、直観力に優れるのも、この事実からわかる。)

 既にアストラルに強く浸透されている、例えば莢果{エンドウなどの豆科植物の実}植物の場合は、実であっても下腹部の領域にとどまり、頭部まで上昇しないので、睡眠を浅くし、同時に覚醒時も頭をボンヤリとさせる。

 ピュタゴラス学派の人々(2)は思考を純粋に続けようとしたため、頭部の機能を用いて、消化を助けないように、豆を禁じた。



 (シュタイナーは、豆類もそうだが、ジャガイモも、思考の道具である頭部の働きを、消化に用いてしまうので、思考できない人間、つまり奴隷を生じさせる、と述べている。ヨーロッパに、思考できない奴隷のような扇動者が増えたのは、ジャガイモのせいだとも言っている。

 ジャガイモは食べれば食べるほど、麻薬のように虜になり、思考力を奪っていくというようなことを述べている。ちなみに、ジャガイモは根ではなく、茎が発達したものと述べている。ポテトチップ愛好者には、耳が痛い話だろうが、援護として、塩は、鉱物なので、適度に塩をまぶせばよいだろう。

 豆類やジャガイモに塩をまぶすのは、かろうじて思考力を失わないためなのかもしれない。しかし、真の思考を続けるには、ピュタゴラス学派のように、豆やジャガイモを禁止するのがよいかもしれない。)

 このような事実から、自然のなかの存在から、人間との関連、しいては、人間のなかで生じている事象との関連が予感できる。

 本質的な精神的(霊的)参入学を知れば、人間の消化の場合(確かに牛の消化の場合は異なるが、後述する)、植物摂取を考察するだけで、矛盾なく説明できるのが、唯物論的科学には不思議に思えるだろう。



 また、人間は、最下位が最上位へと、最上位が最下位へと転じられない植物(人体のなかで、下位の「根」は上へと、上位の「花」は下へと逆転すること)を、僅かな少量でも食べるなら、直ぐに病気になる。

 このような事実から、人間は、霊(精神)が作り出さないものは、何も自らのうちにもたない、ということがわかる。

 なぜなら、人間が摂取する物質に、まず1つの(霊的)形態を与えねばならず、その結果として、霊(精神)が、影響を及ぼせるからである。

 (もち手や取っ手がないモノをもてないのと同じだろう。)





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Last updated  2010年06月17日 16時49分08秒
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