シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年07月09日
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カテゴリ: 神秘体験空間

3つの世界が映し出すイメージ 


 もし、精神的な探求に関する理解を発展させたいなら、第一に、人間の魂が経験できる様々な意識状態に関して明白な考えをもたなければならない。

 今日、地上での通常生活において、人間は明瞭に規定される意識を享受しているが、この意識は、人間が覚醒時と睡眠時の間に、明確な区別を経験するという事実により特徴づけられる。

 この意識は、時間的にはそれほど一致しないが、およそ太陽が地球の周りを1周するものと想定した長さ、つまり地球が、中心軸上で1回転(自転)する長さに対応している(天動説)。

 とはいえ、現時点では、このような太陽と、覚醒意識との対応は、ある程度、遮断されている。それでも、例えば、生活体系が秩序立っていた、それほど遠くない過去を振り返ってみるなら、当時の人々が、およそ日の出から日の入りまで働き、日の入りから日の出まで眠っていた、ということで分かる。

 今日、この秩序だった生活様式は、部分的に損なわれている。実際、昼間眠り、夜起きている、というように生活習慣を逆転させていた人々も知っているが、その理由を尋ねてみると、その多くが詩人や作家で、次のように答えたものである。

 「生活習慣が逆転するのは、仕方がない。逆転した生活習慣と、文学的な執筆活動とは切り離せないものなので。」

 というような答えだが、夜、そのような詩人に出会ったとき、詩を書いているのを見たことは一度もない!

 さて、ここで強調したいのは、今日の意識にとって最も重要なのは、「昼間に相応する時間帯に起き、暗い間に相当する時間帯に眠る」、という生活習慣である。

 この意識形態に多くの事柄が結びついているが、なかでも、感覚に対する知覚に特別の価値を置くこと、つまり、「感覚知覚が、現代人にとっては第一義的な現実になる」、ということが、この意識形態に結びついている。



 今日、現代人は、椅子を1つの現実とみなす。椅子を床の上に置くことができるし、椅子が立てる音を聞くこともできる。椅子の上に座ることもできるが、椅子という思考(イメージ)は現実とはみない。

 思考が頭の中にあると信じ、思考のなかの椅子をばんと叩くことを想像しても、何も聞こえない。椅子という思考の上に座れるとも信じていないが、このように思考を非現実なものとして信じることは現時点での人間の構成(進化度合い)からすれば正しい。

 例えば、この講義を行っている教室に椅子は椅子でも、椅子の思考だけしかなかったら、腰を休めることができない!

 また、その他の多くのことが、太陽の軌道周期と関係した、この意識の経験と結びついている。

 しかし、生活体系が、例えば、以前述べた古代カルディアの秘儀により秩序づけられ、方向づけられていた人々にとっては、状況は、全く異なっていた。古代の人々は、今日の意識とは非常に異なった意識レベルで生活していた。

 少し卑近な例によって、古代の生活習慣と、現代との違いを描き出してみる。現代の暦では、1年には365日が割り当てられている。しかし、この割り当ては全く正確というわけではない。もし、1世紀もの間、1年を365日で数え続けたなら、そのうち太陽の歩調から逸脱してしまう。

 つまり、太陽の軌道に追いつけなくなるので、4年毎に1日を、閏年として挟みこめば、比較的、長期間に渡っても、太陽の軌道とのおよその(地球の軌道との)一致を取り戻す。

 では、遥かに昔の時代、例えば、古代カルディア人たちは、この暦の問題にどのように対処していたのだろうか?

 古代カルディア人たちは長い間、近代の方法に似た計算法を用いたが、近代人とは別の方法で到達した。古代カルディア人たちは1年に360日を割り当てていた為、6年毎に、1ヶ月を挟みこんだ。

 一方、現代人は4年毎に1日をつけ加え、閏年として計算する。従って、古代カルディア人の場合、各々が12ヶ月からなる6年の後、13ヶ月からなる年が続いた。



 古代人は、昼と夜の違いを、現代人とは同じように経験しなかった。以前、触れたように、古代人の昼間の経験は、現代人の経験のように、明確で活発なものではなかった。

 もし、現在の意識を持った現代人が、この(いま講義を行っている)教室に入ってきて、周囲を見まわすなら、勿論、いまここにいる聴衆の何人かは近くに、他の別の人々は遠く離れている等々、距離の違いはあっても、明確に規定された輪郭を持つ対象として、人々を見るだろう。

 古代カルディアの秘儀から霊感を受けていた人々の間では全く違った。当時、例えば、座っている人物を、今日の現代人が見るようには見なかった。というのも、当時、現代人のように、輪郭と遠近感をもって、対象が明瞭に見えることは稀であり、当時の人間は、自らの一部であるオーラの雲に包まれていたからである。

 現代人の世俗的な見方でも、明確に規定された輪郭をもって、椅子に座っている個人と、その人々全体を、また人数をも数えることができるほど、対象が明瞭に見えるのに対し、例えば、古代カルディア人たちは、椅子と椅子の間にある通路の左右に続く、椅子の列から流れる霧の塊に似た一種のオーラの雲に包まれている人間の残像のような曖昧な対象を見たはずである。

 ここにも、あそこにも、至る所に雲があり、そして少し暗い領域があり、その暗い領域が人間の存在を示していただろう。

 上述のような、オーラの雲のような類の視覚経験は、古代カルディア時代の初期のものだが、後の時代には異なってきた。古代カルディア人たちは、昼間、曖昧で漠然としたイメージの暗い領域だけを見ていた。

 古代カルディア人は、夜にも、昼と非常に似たイメージを、睡眠状態にもかかわらず見ていた。何故なら、古代人の睡眠は、現代人の睡眠ほど深くはなかったからである。現代でいえば、夢を見る浅い睡眠に近い状態だった。

 今日では、もし睡眠状態なら、睡眠中の人間は、座っている他の人間を見ることができない。古代には、現代のような深い眠りは知られていなかった。古代人は、左右に続くオーラの雲の視覚的な形態と、その中にある光の点としての個人とを同時に見た。

 従って、当時、昼と夜の知覚に関して、今日ほど顕著な違いはなかった。この理由から、現代人のように、昼間には日の光があり、夜にはない、という違いに気づいていなかった。古代人は、昼間、太陽を素晴らしいオーラに包まれた光り輝く球として見た。

 古代人は、次のように思い描いていた。

rightway2-1.gif

 下方には地球があり、地上の至る所に水、もっと高い所には雪がある。そこはユーフラテス川の源と考えられる。この大地全ての上に空気が、更に高い所には、最も美しいオーラに包まれて東から西へと旅する太陽がある(上図参照)。

 古代人が太陽に関して抱いていたイメージとは次のようなものだった。

 今日で言えば、何か漏斗に似た存在を想像し、夕方になると太陽はこの漏斗の中に降り、朝再び現れ出たと考えられた。

 実際、古代人はこの漏斗の中にある太陽を見た。夕方、太陽は、大まかに、緑がかった光輝く青色の中心が、赤味を帯びた黄色の後光に包まれているように見えた。

 朝になると、太陽は、光輝く中心が後光に包まれ漏斗のようなものの中から現れた。それから、天蓋のようなところを横切って旅し、深い色合いを帯びて、西の水平線から漏斗の中に潜り込み、漏斗の向こうから後光を放射した後、視界から消えた。

 古代人にとって、太陽は暗く、黒かったために、漏斗、もしくは穴のような空間として、太陽を語った。実際、古代人は、物事を見た通りに正確に記述した。





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Last updated  2010年07月23日 09時36分25秒
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