シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年07月08日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 古代のカルディア時代から、更に時代を溯れば、前回述べたような話、つまり、イアやマーダック=ミカエル、アプシューやティマートだけを、当時の人々は語っていた。

 当時の人々はまた、一見「風変わりな」秘儀の教師たちが星々や太陽の運動について教える情報を、毛嫌いした。つまり、当時の人々は、当時、不可視のものではなく、太古の超感覚的な能力を通して、明らかになり個人化され、象徴化された形態とはいえ、明確に見ることができるものだけを、探求することを望んだ。

 (現代とは全く逆で、当時は、マーダック=ミカエルのような出来事が、可視のもので、現代の天文学等の知識が不可視のものだった。)

 当時の人々は、秘儀参入者であった教師たちや、その弟子たちが獲得していた知識を拒絶した。その後に、太古の叡智が東(アジア)から徐々に広まり、重視される時代がやって来た。

 精神世界の存在たちによる顕現、例えばマーダック=ミカエルの行い等についての多くの蓄積がなされたが、同時に、次第に、図式等で表せる概念、例えば、「太陽が中心にあり、惑星がその周りを円や楕円を描いて回転する」事実なども重視するようになった。

 やがて時の経過の中で、精神世界、すなわち悪魔や神々の世界に関する洞察が失われ、代わりに、今日、誇りにし、近代が始まった頃に絶頂に達した理知的な知識が育成された。

 悪魔や神々といった精神的な存在が自明であった太古の人々によって、今日の現象世界が拒絶されたように、今日、人間は、精神的な存在が拒絶される時代に生きている。

 人智学徒は、天文学者や天体物理学者、或いは動物学者や植物学者が教える知識と並行して、再び精神的な洞察から導き出される精神的な事実に関する知識が受容される時代を予見する立場にあるべきである。

 神々や悪魔のような精神的存在が受容される時代は、今や差し迫ったものであり、もし、人智学徒が自らの使命を成し遂げ、特に、芸術の宗教的な源泉や芸術を通じての治療を再び見つけ、来るべき時代の準備をし、その時代を迎えなければならない。



 太古の時代では、精神的な存在が人々の間で受け入れられ、物質的な世界が拒絶されたが、それに続く次の時代には、逆に、物質が育成され、精神が抑圧された。

 丁度そのような繰り返しの流れから、今や外界に関する広範で包括的な知識が、それは十分尊敬に値するものだが、秘儀の教えに関する新たな知識へと変容させられるべき時代が来なければならない。

 今日の物質科学により、人智学徒が、せいぜい発掘する幾つかの断片を残して、古代の壮大な精神性が、構造的に引き裂かれた今、再び、精神性を見つけなければならない。ただし、過去の歴史を詳しく検討するとき、光を当てるあらゆる対象については、十分に明確な理解が必要である。

 宗教的な感情に染められた新しい創造的な芸術や新しい芸術的な治療を通して、人間へと浸透する新たな精神の知識を通して、再び精神へと返る方法を見つけなければならない。

 世界の基盤と原則を、その全体性において理解させ、偏狭な唯物主義者ではなく完全に統合された人間として、仲間の幸福と啓蒙のために働く人間に関する理解を、人類に与えることができる秘儀を、人智学徒が、新たなものにすべく努力できるように、という希望をもって、これまで三つの例を示してきた。

 (とどのつまり、シュタイナーは、精神世界に対して、物質世界と同様な探求方法を用いれば、幻想に益々幻惑されるだけで、このような幻惑の精神的な存在をアーリマンと呼んでいるが、

 また、逆に、勝手な思い込みや漠然とした熱狂による主観的な探求方法を用いると、新興宗教のような何も理解できない無知に陥るだけで、このような無知の奴隷をつくる精神的存在をルシファーと呼んでいるが、

 その両者の極端な方法ではなく、中庸的方法を用いることを薦め、アーリマンとルシファーの中立的な精神存在を、キリストと呼んでいる。つまり、キリストは、アーリマンとルシファーの仲裁に立つ和解や均衡の存在としている。

 余談だが、最近、TVでよく統計データ紛いの比率表が持ち出されるが、無作為に意見を抽出しているというが、それこそ怪しいものである。そもそも無作為という行為そのものが作為である。無作為ではなく、中立的な立場にある意見こそ重大視すべきであろう。

 なぜなら、当事者が、自分たちの都合や利害関係で、意見すること、例えば、極端には、いわばサクラに成りすますことなど考えられるからである。

 例えば、相撲の中継が話題になったが、相撲関係者は利害が絡むし、相撲ファンも、ほぼ大変が「見たい」という意見を占めるわけで、中継に対する意見調査をするなら、問題は、利害関係者以外の大衆に迷惑が及ぶ是非なのであるから、少なくとも、当事者や相撲ファンを除かないとおかしい。



 忍耐力を重視した相撲という国技が、単なるエンターテイメントに堕落するのなら、もはや消滅しても仕方ないと思う。相撲の精神とは何なのか? 再考すべきだろう。)





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Last updated  2010年07月15日 15時56分45秒
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