シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年08月04日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 主として物質的な観点をもつ現代の医学と人智学との間の今日の関係は、遠い過去での、この両者の関係とは同じであるはずがない。

 いずれにしても、この両者の関係は続いていくに違いないが、今日では別の形態を取ることになる。精神的探求の真の方法と偽りの方法を区別できるかどうかは、これまで述べてきたような事実を知っているかどうか、にかかっている。

 何世紀にもわたる知識に対する人間の態度全体を簡単に振り返ってみることは、既に議論してきた事実に対して、更なる光を投げかけるための援助となるだろう。

 人類の進化を振り返ってみると、知識や探求に対する考え方が、古代とは非常に異なっているのが分かる。今日(1924年)の、熱力学、電子工学、そして生物という知識の分野で、近年になって成し遂げられた膨大な進歩は、自然、自然史、自然科学、そしてまた、英国では、自然哲学の名の下に分類されている。

 今日の学校では、自然は、極めて抽象的な形で教えられている。自然は「自然法則」(という名)の総計と考えられ、子供たちに期待されているのは、それを覚えることである。そして、この勉強からくる抽象的な性質は生活の中にまで持ち込まれる。

 今日、最も熱心な生徒にとってさえ、自然科学がどんなに冷たく、抽象的であるかを考えてみるとよい。例えば、植物学では、植物や植物の種に関する植物学的な1連の用語を、そして、動物学では、動物や動物の種の名前、或いは分類の記憶が強要される。

 生徒たちは記憶してもすぐに忘れ、試験のために何度も何度も最初からやりなおす。そして、試験が終われば、しばしば完全に忘れてしまうために、再び必要になったときには、参考書等で調べる。今日の生徒が敬愛する人物に対する敬愛の関係を、植物学や動物学に対しても持っている、とはとても思えない。

 自然は、今日、何か曖昧として不明瞭な重力や熱、電気や磁気の法則、いわゆる機械的な法則のカタログになってしまっている。自然科学が扱うのは、通常、主に鉱物や植物の研究だが、それに加え、未知の植物や動物、また人間の肉体の生命やその内的構成を含んでいる。

 要するに、今日の自然科学や自然哲学は、人間が既に知っていると主張する多くの対象と、いまだ全く未知の多くの対象を含んでいる。



 全てが非常に曖昧に、複雑に錯綜しながら、かつ、思考は非常に皮相的で抽象的になっていく。今日、抽象化された「自然」と呼ばれる存在を習得しようとして果敢にも努力しているが、同時に、多くの人が、このようなアプローチに多少とも無関心になっているのも確かである。

 もし、自然科学として、学校で教えられる情報に対して、積極的に反抗する若者の世代に属さなければ、好意的な中立の立場を取ることになるが、いつの時代も、同じ訳ではない。ここで、数世紀前の知識に対する態度がどのようなものであったかを、簡単に特徴づける。

 9、10、11世紀、そして、12世紀や13世紀に至るまでを振り返ってみるなら、数の上では稀少だったとはいえ、今日でいえば博識者と呼べるような人たち、例えば、ベルナルドゥス・シルヴェストリス、シャルトルのベルナールやアラヌス・アブ・インスリスのような、11、12世紀の代表的な学者と判別できる人たちが、有名なシャルトルの学院で教鞭をとっていたという事実に遭遇する。

シャルトル学派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB%E5%AD%A6%E6%B4%BE

シャルトルのベルナール
http://en.wikipedia.org/wiki/Bernard_of_Chartres

 当時、これらの人たちはまだ、有名な中世の秘儀参入者のフィオーレのヨアキムや、当時世に知られた特筆すべき人物のハンビル(ラテン語でアルタビラ)のジョンのような秘儀参入者、いわゆる自然の背後の秘密の存在に対する奥深い洞察を有する人たちとの交流を持てるほど十分に恵まれていた。

ヨアキム主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9

フィオーレのヨアキム
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/yoakim.htm
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%A0%EF%BC%88%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%81%AE%EF%BC%89/

 他にも大勢の人たちの名前を付け加えることができるが、これらの人たちの名前に触れたのは、その時代の精神を喚起し、当時支配的であった知識に対する態度を特徴づけるためである。

 そのような人たちの精神的な観点に参入するなら、当時の自然に対する概念が、現代人とは完全に異なっていた、ということが分かる。

 今日の典型的な植物学者、病理学者、もしくは歴史学者の場合、その態度は、解剖学的、もしくは病理学的な自然の神秘に対する深い関心からなるではなく、例えば、前の晩のダンスパーティーの記憶を反映したものになっている。

 つまり、自然の神秘よりも、生活の楽しみについて、多くを習う!



 彼らは、取り返しのつかない喪失を被った時代に生きている、と実感していた。そして、益々この喪失に気づくことで、彼らの心は悲劇的な悲しみで満たされた。

 また彼らの表情に書き込まれていた喪失感、つまり、古代の秘儀を探求したい、という熱望を、その場で目撃していた指、現代の退廃した世界から見れば「神経質」で敏感な指と見なされるような指を見たなら、過去に存在していた古代の叡智を生き返らせたいという憧れに気づかされるだろう。

 彼らは、弟子のために、古代の場面を魔法のように現出できる瞬間があったが、それは幻想のような像に過ぎなかった。





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Last updated  2010年08月11日 09時07分09秒
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